冒険宿屋リズ2
事態は一刻一秒を争う。
サージャの顔色は見つけた当初より青白く、生気が抜けているのは目に見えて明らかだった。
ギルスは周囲を見回して、水差しの類を探した。病人に薬を飲ませる時に使う物だ。
当然、宿屋の一般の部屋にそれはない。手持ちもない。
方法は、ある。
しかしそれをやってもいいものか、ギルスは悩んだ。
風の精霊達が、早くしろとギルスを急かす。
サージャの左腕からはまだ血が流れていて、白いシーツを赤く染めていく。
顔色はどんどん悪くなっていく。青を通り越して、土気色に足をかけはじめた。
ええい、ままよ!
ギルスは決断した。
腰に差してあった杖と、右手につけていた指輪を外し、サージャの枕元に置く。
「お前達、これは治療行為だ。絶対に邪魔するなよ」
生じていた紫と緑の微風に宣言する。
分かった、と言うように風は天井に巻き上がると、それぞれの石に戻った。
それを確認して、ギルスは最高級の回復薬の瓶を空ける。
少量口に含んで、己の唇をサージャのそれと重ねた。
血の味がする。それに構わず、ギルスは唇をこじ開けにかかる。
舌を入れて、意識のないサージャの唇と、歯をこじ開ける。
少しだけ出来た隙間に、回復薬を流し込む。
飲み込まない。
ギルスは焦った。
深く舌を入れて、なるべく奥へ、少しづつ、少しづつ流し込む。
「ぐっ!ゲホッゲホッ!」
口に含んだ量を流し込み、唇を離すと、サージャがむせて血を吐いた。
顔を横に向かせて、気道を塞がないように全て吐き出させる。
吐き出すのが少し落ち着いたところで、サージャが意識を戻した。
「ギ、ルス」
「戻りましたか、サージャ様」
「・・・ここ、は?」
まだ、視点が定まっていない。
意識ははっきりしていないようだ。
「宿屋です。リズの」
「リ、ズ・・・」
まだ、足りない。
「サージャ様、失礼」
ギルスはもう一度、先ほどより多い量を口に含んで、再びサージャに口づける。
「ふっ・・・・・!」
唇が重なった時、サージャが一瞬ビクンと震えた。
唇がきゅっと引き結ばれる感触がするが、構わずギルスは舌でこじ開け薬を流し込む。
最初こそ抵抗があったものの、流し込まれたのが何なのか理解したのだろう。抵抗が緩む。
そして、少量ずつ、サージャが嚥下した。
―――よしっ!
ギルスは心の中でガッツポーズをした。
※ ※ ※
最初、何をされたのか分からなかった。
これは口づけではないのか?そう思ったら体が緊張し、顔が強張った。心臓が激しく音を立てた。
だがその後、口に流し込まれたものの味を感じて、これは治療行為であると理解した。
心臓の音は変わらなかったが、顔のこわばりは若干取れた。
最高級の回復薬。サージャも実は持っている。常に一瓶は持っていると言っていい。
だが、味がいけない。土臭い香りと、甘ったるい味。後に残る苦み。これがサージャは嫌いだった。
大が付くほど嫌いだった。よって、効果は分かっているがサージャはこれを滅多に用いない。
どうしようもない時は、鼻をつまんで飲み込む。それくらい嫌いだった。
でも、ギルスの唇から流れ込んでくる回復薬は、サージャの嫌いな味がしなかった。
高級回復薬だ、と分かるのに、なんて甘くて美味しいのだろう。
元々ぼうっとしている頭が、さらに白く靄がかかったようになってしまう。
これならば、飲み込める。
サージャは少しづつ、嚥下した。
怪我を治療する方法は他にもある。精霊に頼んで治療してもらうことも出来るし、軟膏もある。
ただ、劇的には変化が無いし、治療には長期間かかる。
それが、この飲む回復薬は程度の違いはあれども、傷や内臓などの損傷が短期間で治る。
ただし、それには多大な副作用が起きる。
回復薬は全ての傷を発熱と引き換えに治療する。重傷であればあるほどその熱はすさまじい。
そして、サージャは重症である。
嚥下した途端、肺や胃等の内臓がカッと熱くなった。
「ぐっ!ああああ!」
ギルスが唇を離した途端、熱に耐えられず声が出た。
傷から発生する熱は、体を内側から焼き焦がすようだった。
自分の意識の外で、首が左右に振られる。
動かない筈の足や手の先が突っ張る。
「サージャ様!あと一回です!」
空になった瓶を枕元に放り投げ、ギルスはサージャの頭を動かないように抱え込む。
「はっ・・・んっ・・・」
場違いな艶やかな声が漏れた。
顎を抑えられ、またあの甘い薬が流し込まれる。
優しく、慎重に。
頭の芯が痺れて、熱いのにそれが嫌ではなくなってしまう。
もっと、もっとと欲してしまう。
やがて、唇がゆっくり離された。
ぼうっとしたまま、ギルスを見つめる。
ギルスは真剣な目でこちらを見ていた。
「飲めましたか?」
「あ、ああ」
サージャはなんとか返事をする。
途端に、ギルスの顔がくしゃりと歪んだ。
「よかっ、た」
ギルスの額が、サージャの額と重なる。
サージャの顔に、ギルスの涙がぽたぽたと落ちてきた。
「間に合った・・・」
安堵に、ギルスが泣き笑いする。
その顔が少し可笑しくて、サージャはふっと笑いを洩らした。
そして少しだけ、顔を近づけると、ギルスの唇に自分のそれを軽く重ねた。
一瞬の口づけ。
ギルスは驚いて目を見開いた。
「ありがとう、ギルス」
サージャは微笑んだ。
ギルスの顔が、再びくしゃっと歪んだ。
途端にぎゅっと抱き締められる。
「お礼を言うのは、俺の方です!ありがとう、ございます・・・!助かってくれて・・・!」
最後に鼻をすする音が聞こえた。
また泣いているようだ。
「ギルスは、泣き虫だな・・・っ」
言ってサージャは笑う。
途端に肋骨が痛みを訴えた。
一か所が痛みを訴えれば、体のあらゆるところから痛みが再発し、同時に激しい熱が上がった。
意識が混濁し、飲み込まれていく。
「ギルス・・・も、限界・・・」
背中を叩いてやりたいが、腕が上がらない。
何とか訴えてはみたが、それにギルスが反応したかどうかはもうわからなかった。
ただ、意識が途切れる直前で、ドアを開ける大きな音と―――
「何やってんだいギルス!」
怒鳴るリズの声が聞こえた気がした。
※ ※ ※
ギルスは腕の中でサージャが意識を失ったのが分かった。
気づいた時にはもう遅い。
「何やってんだいギルス!」
怒鳴り声と共に、リズがドアをバンッと開けて戻ってきた。
「―――あ」
間抜けな声を上げてしまった。
バッと立ち上がろうとして、これではいけないと思い直し、ゆっくりとサージャを横たえる。
意識を失っているが、体が見ても分かるほどに赤く発熱し、本人は呻いていた。
「ギールースー?」
腰に手を当てたリズが入り口から睨んでいる。
「いやっ!違うって!何もしてない!!サージャ様に高級回復役を飲ませただけだ!」
何かはしたのだが、敢えてそれは言わない。
パタパタ両手を振って否定すると、リズは深ーい溜息を吐いて、「ま、いいか」と言った。
「それより、とっとと手伝っとくれ。お湯を持ってきたから机に置いておくれよ」
と、足元の桶を指差した。
かなり大きな桶だ。
それ以外にもリズは荷物を持っている。
袋を二つと木の板。
どうやって持ってきたのか、首を傾げたくなった。
ギルスはリズの指示に従って、かなりの重さの桶を机にドンと置いた。
「うう・・・」
サージャが呻く。
リズは、持ってきた袋の一つを開けて、中から大量の布を取り出す。
「これを十枚、桶に浸しとくれ」
うち一枚を自分でお湯に浸し絞ると、サージャの顔を拭き始めた。
「綺麗な顔が台無しだよ。大丈夫かい?」
意識が無いはずのサージャに声を掛けながら、丁寧に拭ってゆく。
サージャの顔から血や汚れがすっかり拭われると、頬に傷があったのが分かった。
血こそ出ていないが、大分深かったらしい。左頬に一本筋が入っている。
知らず、ギルスはギリッと奥歯を噛んだ。
「ギルス、大丈夫だよ。もう治り掛かってる」
布を絞る手を、ポンと叩かれる。
「・・・すまん」
「いいさ。気持ちは同じだ」
後は無言で、布を十枚絞った。畳んで空いている机の片隅に置く。
「リズ、これで良いか?」
「ああ。ありがとさん」
リズは、サージャの左腕を拭っていた。
「新しい血は出てないね。最高級の回復薬は凄いもんだね」
感心しながら、サージャの体を触って、各部の怪我を確認していく。
「左の裂傷は問題なし。右腕は上腕で骨折してるね。くっつく前に添え木だ。腹部は、内臓をやられてるか。あと、腰骨が砕けてるね。ここも固定するとして・・・ギルス!」
「はい?」
「あんた、その袋持って隣の部屋で着替えてきな。旦那の古着だけど、今の格好よりマシだろ。アタシはその間にサージャ様の全身を拭いちまうから」
「りょーかい」
ギルスは袋を手に、トビラのない隣室に向かう。
「ああそうだ」
その背中に声がかけられて、振り返った。
「アタシが良いって言うまで、出てくるんじゃないよ」
「こんな時に覗くかっ!」
ギルスは顔を恥ずかしさで赤くして、リズに言い返した。
しっかりと衝立で入り口を隠して、隣室へと引っ込む。
しかし―――
「見たかったなあ・・・」
先程のリズの強い視線を思い出して、ギルスはがっくりと肩を落とす。
リズの鋭い目は、昔いたずらがバレて尻叩きをされた時を思い出してしまう。
ギルスは、リズの迫力に負けたのだった。
ちょっとマイルドな展開になりました。
そして、ギルスが子供っぽい。