冒険宿屋リズ1
バラバラと、粉々になった天井が落ちる。
ギルスも一緒に落ちる。
落ちながら、高速で剣を振るって大きな破片を処理していく。砕けるものは砕き、四方に吹き飛ばす。
真下にサージャが居るはずだった。ごくわずかな時間しかないが、当てるわけにはいかない。
そう思っていると、下から風が巻き上がり、残りの石を吹き飛ばした。
ギルスにも多少の浮力が加わり、かなりの高さから落ちてきたにも拘らず無事に着地することが出来た。
辺りを見回すと、死体が三つ確認できた。
女王メイディアとその夫ガルド―――騎士団長でギルスの上司。
自分より強いその人は絶対死なないと思っていたのに、腹部に穴を空けて事切れている。
なんてことだ。
計画では、二人の死は無かった。
これが今後、どういう変化をもたらすのか、今はまだ分からない。
ただ、女王不在と言う事態は、他国に容易く付け入らせるだろう。
ギルスは表情を硬くする。
もう一人は、カーリアス。
こちらは血だまりに倒れている。
これは想定内と言っていい。
カーリアスに乗っ取られるのと、他国の侵入を許すのと、果たしてどちらがましだか分からないが。
サージャが居ない。
若干焦りつつ周囲を見回すと、足元から緑の風が巻き起こった。
ギルスにまとわりつき、消えていく。
これは、サージャの精霊だ。
一般の風の精霊はギルスが持つものと同じく紫色をしているが、サージャのそれは特別で、緑色をしていた。
そして、その精霊はカーリアスに捕らえられていたはずだった。
足元に、緑の石をはめ込んだ杖が落ちていた。
―――取り戻せたのか。
精霊がギルスに伝えてきた感情は、安堵。
もう大丈夫。そう言ったように思えた。
杖を拾うと、すぐそば黒いブーツを履いた足があった。
驚いて振り返る。
傷だらけのサージャが、ひび割れた柱を背に座っていた。
一目見ただけでも、その姿は酷い物だった。
左腕はもう上がるまい。腹部の傷も相当なものだ。
口からは血を吐いたのだろう。顎まで真っ赤に染まっている。
服もボロボロで、目が明いているのが奇跡に思える。
彼女は、泣いていた。
目を見開いたまま、涙を流していた。
ギリッと奥歯を噛んだ。
自分の不在が彼女をこの姿にしたのか。
拳を強く、握りしめた。
「サージャ様。お迎えに上がりました」
何故もっと早く辿り着けなかったのか。
自分の未熟さに腹が立った。
声には載せないように、努めて冷静さを装ったが、内心穏やかではいられなかった。
「ああ」
サージャは笑った。涙はそのままに。
血まみれの口が、確かに笑った。
安堵したのだ、とすぐに分かった。
自分を見つけて、安心して、笑った。
今までそんなことがあっただろうか。
戦いの最中は、互いに背中を預け合う中ではあるが、そういった類のものではない。
なにかに落ち込んで泣いているところを励ました時は、泣き顔を見られたと怒られた。
そのサージャが、自分を見て泣いて安心するとは、どれだけ心が疲弊しているのだろう?
一体彼女に何があったのか。
一抹の不安が頭を過る。
カーリアス、彼女に一体何をした。
怒りが沸き上がった。
「後を、頼む」
そう言って、ふっと彼女の意識が途絶える。
「おっと!」
倒れる前に、なんとかサージャを支えることに成功した。
右腕に触れると、おかしな方向に腕が曲がる事に気が付いた。
骨折してる。
すぐに添え木を、と周囲を見回したが辺り一面火の海に囲まれていた。
「なるほど。治療をしている暇はないって事か」
ギリっと歯を噛みしめる。
一呼吸して落ち着いて、ギルスはサージャを抱き上げた。
ごく弱い緑の風が、サージャとギルスを包み込み火の精霊から守ってくれる。
「お前も、大分弱ってるんだな。悪いがもうちょっと頼むな」
腰に差した杖を上からポンと叩く。
ギルスの紫の精霊と、サージャの緑の精霊が絡み合い、二人の周りを踊る。
ボロボロの黒いコートがはためいた。
「じゃあ、急ぐぞ」
ギルスはその場でしゃがみ込み、精霊達の力を借りて、天井の穴へ飛び上がった。
※ ※ ※
時刻は真夜中。
周囲は人の影もない。
ギルスは精霊の力を目一杯借りた。
跳躍力はもちろん、走る速度においても、気配を消す事においても。
ギルスの精霊の力は弱いが、幸いサージャの精霊はとても優れている。
疲弊して弱ってはいるが、ギルス達の気配を消すくらいのことは造作もなくやってのけた。
おかげで、王宮を包囲していた兵士たちに気付かれる事無く、無事市街地まで抜けた。
ギルスが目指すのは、街の宿屋だ。
冒険宿屋『リズ』
昔冒険者だったリズと言う女将が、溜め込んだ財産を叩いて建てた宿屋。
リズの旦那が、冒険中の怪我が原因で冒険者を続けられなくなった時、迷わず二人で宿屋に転職した。
旦那が彼女のその懐の広さに感激して、宿屋の名前を『リズ』にした。
それから十年以上経つらしいが、今でも夫婦仲良く宿屋をやっている。
ただ、この夫婦は子宝に恵まれなかった。
そのせいか、身寄りの無い子供を見つけては連れて来て、ご飯を食べさせるのを習慣にしている。
王都に来たばかりの頃から、ギルスも世話になっている。
ギルスの第二の実家の様なものだ。
今回、王宮が反乱軍に囲まれた際、一般市民には避難命令が出た。
多くの非戦闘員は、北にあるそれなりに近い宿場町に避難している。
だが、一部の市民―――主に、冒険者等腕に覚えのある人達―――は、今でも街に住んでいる。
リズ達も、当然残ると言った。
冒険宿屋『リズ』は、表向きは冒険者達の為に営業を続けているが、裏向きはギルス達の拠点だった。
リズ本人が冒険者時代に治癒を主とする職種だった為、下手な医者より信用出来る。
何より、サージャをベッドで休ませてあげたかった。
サージャは意識を失ったままだ。
血はまだ流れているし、呼吸も浅い。
一刻も早い治療が必要だ。
幸い、ギルスは最高級の治療薬を一本だけ持っている。戦闘前にガルド騎士団長に渡された物だった。
『ギルス、サージャを頼む』
そう言われていたのに、この体たらくだ。
自分で自分が嫌になる。
「絶対、死なせない」
そう呟いて、ギルスは街の裏通りを疾走した。
※ ※ ※
冒険宿屋『リズ』の裏手、緑色の布がはみ出している窓がある。
ギルスはその窓に寄り、軽く叩く。
暫く待つと、窓が開いて中から赤髪の恰幅のいい中年女性が顔を出した。
ギルスを確認し、窓際から退く。
ギルスはその窓から室内に入った。
緑の布を回収すると、すぐに雨戸と窓が締められる。
「リズ、すまん」
「ああ、何にも言わなくても良い。見りゃわかる」
赤髪の中年女性―――リズは、部屋にあるベッドを手早く整えた。
掛ける布団類を退け、新しい白い布をベットに掛けるとギルスを振り返る。
「ギルス、サージャ様をこっちへ」
ギルスは無言で、意識のないサージャをベッドに下ろす。
「左腕に裂傷が多数。右腕は折れてる。腹部も左よりましだが裂傷が見られる。それよりも、内臓がやられているみたいで、口から血を吐いていた。あとは、どうも足が動かないらしい」
ギルスは分かる限りのサージャの容態を、リズに伝える。
「意識はなし、と。分かった。お湯と布、それから添え木を用意してくる。ギルスは傍にいてやりな」
さっさと部屋を出て行こうとするリズに、ギルスは焦って声をかける。
「リズ、高級回復薬がある。飲ませてもいいか?」
「今のサージャ様に飲ませられるんなら、とっとと飲ませな!あとはなんとかしてやるから!」
ドアの隙間からリズの返答を聞き、ギルスは腰の道具袋から薬を取り出した。
ドアはとっくに閉じて、リズは部屋から出て行ってしまった。
さて、どうしたものか。
ギルスは暫く固まった。