思い
昨日の夜の事を話すには、大変な勇気が必要だった。
事は王家の秘匿事項に関わる。
本当なら、話した時点でギルスがサージャから離れるのは有り得ない。知っている事で、ギルスが殺されてもおかしくは無い。
ただ、この件に関わった人間は王族だけだと、サージャは考えていた。
だとしたら、当事者はもうサージャしか生きていないのだから、そんな事は気にしなくて良いと思った。サージャ自身、王族に残る予定もつもりも無いのだから。自分が死ねば、それでこの話は無かった事になる。
当時の関係者がどれだけ残っているのか分からないが、今の今まで沈黙を守ってくれたのだ。信じて良いだろう。
メイディアの子供達は関わっていないし、この事実は知らない。知らせる気も無い。
なら、王家の醜聞はここで終わりだ。自分が最後だ。そう、思った。
だからサージャは、ギルスに話す気になった。
一番の理由は、ギルスに選んでほしかったからだ。
秘密のままギルスを巻き込むかも知れない状況は、看過できなかったから。
これは、話を聞いてギルスが決める事だと、そう考えた。
食事を終えて、片づけた後、ギルスとサージャはそのままその場に留まった。
朝日はようやく上り始めた所だ。
「それで、話って何です?」
「ああ。これから話す事は、王家の醜聞だ。だから他言無用に願う。それは良いな?」
ギルスなら誰にも言うまい。その確認を形だけした。
「はい。もちろん」
ギルスは姿勢を正してサージャに向き直る。
サージャも向き直った。
「昨日の夜の話だ。カーリアスが最後に私に話をした。それをお前に話す。判断は後で聞く。良いな?」
ギルスは黙って頷いた。
サージャは長く、長く息を吐く。
吐き切って、息を吸って、ギルスを真っ直ぐ見つめる。
「私は、呪われているそうだ。赤子の時から。それは大切な人を不幸にする呪いかもしれないと、私は考えているんだ」
※ ※ ※
「私は、カーリアス兄上から、出生の秘密を聞いた」
そう言って、サージャは淡々とその時あった事、カーリアスの言葉をギルスに語った。
そう長い話では無かったが、カーリアスに憎まれていた事、それだけは鮮明に伝わって来た。
そして、サージャの心の傷も。
自分の原点が覆される心痛は、如何ばかりだろうかと、考える。その言葉を聞いて崩れ落ちるサージャが、見えるようだった。
サージャに感情を取り戻させたのはリズだ。
だけど、彼女の行動、その原理、その力になったのは、家族だ。
ギルスはそのことを知っている。サージャが、家族を誰よりも大切にしていた事を、知っている。
彼女は、今、話しながら涙が流れている事に気付いているのだろうか。
―――ギルスは膝の上で、グッと拳を握った。
抱き締めてしまいたい、もう話さなくて良いと言ってしまいたい衝動に、耐える為に。
黙って話を最後まで聞くと、決めたのだから。
カーリアスの死に様を語った後、サージャは両手で顔を覆った。
「―――私は、死にたいと、思っていた」
絞り出すような声に、それが本気であっただろうと思う。
彼女は確かに、あのまま死にたかったのだろう。
助けた責任があるとすれば、それはギルスにこそある。護衛だからと言うのは建前だ。だだ、死んで欲しくなかった。
だから彼女を助けた。彼女が助かってくれて、泣くほど嬉しかった。
「でも、お前が―――」
彼女は、しゃくり上げながら必死に言葉を紡ぐ。
「迎えに、来て、くれた。ジル、ジャが、喜んで、私は・・・私も、嬉しくて―――」
―――生きても死んでも、もうどちらでも良いと思った。
その言葉は、しゃくり上げる合間に途切れ途切れに聞こえてきた。
繋げて、言葉にして、頭に浸透した瞬間、ギルスはサージャを抱き締めていた。
抱き締めて、彼女の耳元で、はっきりと言い切った。
「責任は、俺が取ります」
「ひぅっ?」
サージャは変なしゃくりで返事をした。
「貴女を生かした責任は、俺が取ります」
「でも、それじゃ、お前が・・・!」
「俺が!あなたの側に居て!不幸になど、なる訳が無い!」
強く抱き締めて、食い気味に反論すれば、サージャは驚いて固まる。涙すら止まった。
「カーリアスが何を言っても、サージャ様のそれは呪いじゃない!呪いなら、そんなに精霊に好かれますか!?俺がこんなに好きになりますか!?あなたの周りにあんなに人が集まりますか!?」
これには確信がある。
サージャは呪われていない。
そう思い込まされただけだ。
「貴女の家族は、ただ不幸になっただけですか・・・?俺には、メイディア様は幸せに見えました。貴女もそうだ、サージャ」
「でも、家族は滅茶苦茶に・・・」
「違う!滅茶苦茶にしたのは貴女じゃない!貴女の父上と、カーリアスだ!間違えるな!」
「でも、皆・・・皆死んだんだ・・・!もう、大切な者は、お前しか・・・!」
「俺が居る!俺が生きて、貴女の側に居ますから!絶対!証明してみせます!貴女は呪われてない!」
ギルスはサージャの両頬を掴む。顔を逸らさぬように掴んで、その目を見つめる。
「俺が、貴女を、幸せにしてみせる。サージャ」
一言、一言に、ありったけの思いを込めて、ギルスは告げた。
※ ※ ※
―――これは、本気か?
ギルスの目を見つめ返して、サージャはそんな事を思っていた。
昨晩の事なのだ。皆が死んだのは。
辛かったはずなのだ、自分は。
なのに、何故、こんなに心が暖かいのだろう。
止まったはずの涙が、また流れた。
暖かい涙だ。
ギルスの目を、見つめ返す。
「ギルス。私はまだ、半信半疑だ」
「ならこれから、積み重ねましょう。貴女が信じるまで」
「まだやる事がある」
「神聖帝国を退けましょう。共に」
「私は、まだ王女だ」
「待ちましょう。ライラ様が王位を継ぐのを」
「そんなに待ってくれるのか?」
「ええ。勿論」
「それでもお前は不幸じゃないのか?」
「言ったでしょう。貴女が居て、俺が不幸になることはあり得ないって」
「本当か?」
「本当です」
サージャは恐る恐る、ギルスの顔に手を伸ばした。
「・・・怖いんだ。お前を喪うのが。お前が居なくなるのが。お前が死んだら、私は死ぬぞ?」
「貴女が死んだら、俺も死にます。そうなったら呪いを信じても良い。俺を不幸にする方法は、それしかありません」
迷いながら、サージャはギルスに口付ける。
軽く、触れるだけの、それ。
「こうしたいと、思うんだ。可笑しいだろうか?」
サージャは戸惑っている。
何故こうしたいのか分からないから。
唇を重ねたいと思う自分を不思議に思う。
ギルスの唇は柔らかくて暖かい。だからだろうか?
今まで他の誰かに、こうしたいと思った事は無い。
感情の理由が、分からない。
「サージャ。それが、好きだと言う事です。相手の全てが欲しくなる、厄介な感情です。最も、俺は既に貴女のモノですが」
「好き・・・これが」
唐突にギルスの感情が理解できる様になった。なるほど、これは辛い感情だ。心臓が鷲掴みにされた様に痛い。更にぎゅぅっと握り潰されるようだ。
「ギルスが私に思っていた気持ちは、これなのだな」
「ええ。今も、です」
そう言って、今度はギルスから口付けられる。
先程のものよりも長く。
唇が離れて、二人は見つめ合う。
「今は、ここまでにしておこう」
サージャが言った。
「ええ。これ以上は、あなたを壊してしまいそうだ」
ギルスは愛おしげにサージャの頬を撫でる。
「壊す?」
かくんとサージャが首を傾げる。
ギルスは苦笑した。
「いずれ分かりますよ。今は、北の神殿を目指しましょう」
「ああ―――そうだな」
そう言うサージャの頭を、ギルスは急に胸に抱いた。
「一つだけ、お願いが」
「なんだ?」
サージャはギルスの胸から見上げる。
「二人きりの時に、サージャ、とお呼びする事をお許し下さい」
「そんな事か?さっきっから呼んでるじゃないか。それに、そう呼ばれると、なんだか心が擽ったいんだ。嫌な気持ちではないぞ?むしろ嬉しいくらいだ」
そう言って、照れ笑いしてしまう。
「なんだかな、お前の特別になれたような、そんな気分だ」
「貴女はずーっと、俺の特別でしたけどね」
笑って、サージャをまた抱き締める。
全身が温かな感情につつまれた。
「ギルス、私は決めたぞ」
「何をです?」
「今度こそ、助けるんだ。姉上と義兄上の代わりに、カイルとライラを」
ギルスがサージャを離す。
真剣な、目に射抜かれる。
「一人で行かないと誓えますか?」
「・・・誓う」
ギルスは頷いた。
「今度は、共に参りましょう」
「ああ、共に。今度こそ、守ってみせる」
「大丈夫です。俺が居ます」
「うん。ありがとう、ギルス」
そうして今度は、お互いに抱きしめ合った。
緊急事態。ギルスが馬鹿にならない…!!