リズとギルス
リズの旦那は体格が良い。背丈はギルスより少し低いくらいだが、筋肉が凄かった。
おかげで古着とはいえ、ギルスには丁度良いサイズだった。
難を言えば、腰回りがギルスの方が細かった位だが、ズボンは元の服から抜いたベルトを締めて履いてしまえば、問題無い。
ちょっと寸足らずだが、裾を折ってしまえばそういうズボンで通る。ブーツは無事だったので、そのままだ。
着替えている時に脇腹の傷を思い出した。まだ、出血していた。
「ギールスー!ちょっと手伝っとくれー!」
「はいはーい!今行く!」
呼ばれてしまったので、取り敢えず元の晒しをきつく巻き直した。少しは持つだろう。
ざっと服を着て、隣室を出るとサージャに布団が掛かっていた。
「悪いね、氷水が必要になった。あと、体温が高すぎる。氷枕もいるんだけど、ちょっと取ってきておくれ。それと、晒しを追加だ」
枕元のサイドテーブルにあった水差しで布を濡らして、絞っていたリズから指示が飛んだ。
「取り敢えず、その水差しに氷入れるか?」
「頼めるかい?」
「お安い御用」
ギルスは水差しの中に氷を作り出す。
「ありがとうね。助かるよ」
ギルスの加護は水と大地、二つある。
ただし、どちらも大した力ではない。水の加護は、水を氷に出来るだけだ。しかも、ごく小さい物しか作り出せない。辺り一面氷に出来る力なら使えたのだろうが、ギルスのそれはせいぜいコップに一つ、氷を浮かばせる程度だった。
大地の加護は、己の求めている者が大地に身体の一部を着けていた場合に限り、その者の居場所が判る、というもので、これはサージャを助け出した時に大いに役に立った。
ただ、気配察知に長けて来ると、戦闘中に使用する事は無い。少しだけ、集中する時間が必要だからだ。まして、木の上などに登られると分からなくなってしまう。
今では人探しの時にしか使わなくなった。
「じゃあ、水は瓶で持ってきて、氷を沢山浮かべておけば良いか?晒しと氷枕はカウンターか?」
「いや、晒と氷枕は金庫の横の棚だ。氷水は、それで頼むよ」
勝手知ったる場所とは言え、リズはちょくちょく物の置き場を変えるので、聞いておかないと長時間探す羽目になってしまう。
「分かった。ちょっと行ってくる。サージャ様を頼むな」
「任せときな。アンタが戻るまで、なんとしても保たせてやるよ」
ギルスは部屋を飛び出した。
※ ※ ※
結局、その後たっぷりこき使われて、サージャは何とか峠を超えた。
ギルスは休憩を仰せつかって、隣室の机に突っ伏していた。
「うー、あー。流石に、キツかったか・・・」
「ギルス、あんたもコレ飲んで少し横になりな」
目の前に、コトンと瓶が置かれる。
回復薬だ。中級の。
回復薬には、初級・中級・上級・高級・最高級の五種類がある。
初級は、一般的なやけど、擦り傷、切り傷等の深くないものを治す。子供の怪我などに用いられ、一般家庭でも常備できる低価格品だ。
中級は、それよりやや効果が上で、打撲、臓器を傷付けていない切り傷等も治せる。これは訓練中の兵士の怪我などに使用される。王宮の医務室には一番多く置いてある薬品だ。リズの宿屋にも常備してある。
上級は、骨折も治すし、内臓に達する傷も重度で無ければ治せる。こちらは、戦場に出る兵士には必ず一本支給されるが、一般人にはちょっと手の届かない高級品である。
高級は、ほとんどの外傷を癒やす。ただ、値段も恐ろしい。階級が上の役人や、身分の高い貴族等が持っている。あとは腕利きの冒険者か。
最高級ともなれば、瀕死の重症をも治癒し、毒や病も治す。これを支給されたときは、流石に緊張した。恐らく、王族のみしか持っていないのではなかろうか。国庫にも十本あるかどうかという代物だ。
「あんたの動きを見てたら、骨折は無いようだし、内臓も大丈夫そうだからね。せいぜい切り傷と打撲、あとは軽い火傷くらいだろ?」
「よくお分かりで・・・」
ギルスは苦笑して、中級回復薬を受け取った。
「いただきます」
一気に呷る。独特な苦みと甘みが口に広がった。そういえば、サージャはこれが大嫌いだったな―――と益体も無いことを思い出す。暫くすると、脇腹が強烈に発熱した。
「・・・ぐっ!」
思わず呻いて、脇腹を抑えてしまう。
他にも体の各所が熱を持った。右肩の傷、打撲した手足、軽い火傷があったらしい頬に指先等。確かに大した怪我はない。中級で十分な傷ばかりだ。
「・・・っさけねえ・・・」
その回復にすら呻き声を上げてしまって、ギルスは眉を寄せた。
なんだか今日は、自分に腹の立つことばかりだ。
情けない。鍛え方が足りない。
こんなんで、俺は本当に・・・
頭を抱え掛けたギルスの顔面に、べちん、と冷たい布が叩きつけられた。
「なんて顔してんだい。あんたのそれは名誉の負傷だろ」
リズが腰に手を当てて、仁王立ちしていた。
口調も態度も厳しいが、そこに込められた確かな優しさに、泣きそうになる自分が居た。
手ぬぐいが落ちないように、顔に押し付ける。
「・・・ははっ」
「何笑ってんだ。ほら、立てるかい?」
手ぬぐいで顔を乱暴に拭って、横まで来ていたリズを見上げる。
「・・・立てない。リズ、手貸して」
手を差し出せば、リズは嫌な顔をしながらも、肩を貸してくれた。
「はぁ。まったく。成りばっかりでかくなっても、まだまだ子供だねえ」
「俺、もう二十二だよ?立派に大人でしょ?」
「そう思ってるのが、子供の証拠だよ」
「おわっ!」
ため息交じりにリズが返答したところで、備え付けのベッドに転がされる。
ギルスは成人男性としては大きな方だ。身長も、体格も。
対してリズは、背丈は標準だし年相応の恰幅の良さはあるが、普通のおばさんだ、とギルスは思う。
割と本気でフラついた大きな男を支えてなお、その足取りは確かなものだった。
結構な力持ちである。
「まあ、あたしら夫婦の前で大人ぶる必要は無いからね。ここだけにしといてやるよ」
「俺も、リズとおっさんの前で大人ぶるつもりはねーわ。部下の前でこんな姿曝したこともないけどな。今日はちょっと、色々あり過ぎた」
「だろうね。サージャ様の高熱と外傷の回復は、少なく見積もって三時間。熱が完全に引いて動けるようになるには六時間はかかるよ」
横になったギルスの傍に椅子を寄せて、リズはそこに座った。
「さて、何があったのか話せるかい?」
「・・・ああ」
ギルスは今までの経緯を説明した。
サージャと分断された事。助けに入ったら女王とガルド騎士長、カーリアス王子が死んでいた事。サージャが瀕死だった事。王の間が燃えた事。そこから脱出して来た事。
手短に、淡々と事実を語った。
「・・・とまあ、そんな感じだよ」
「なるほどね・・・女王様が崩御なさったのか・・・これは、混乱するね」
リズは床を見て何かを考えていた。ふと顔を上げて、ギルスを見る。
「取り敢えず、これからどうするんだい?」
「神聖帝国軍が、ここから一日の所に来ているらしい。サージャ様だけでも逃がさないと」
ぱん、と膝を叩いてリズが立ち上がる。
「よし、分かった。反乱軍の頭は潰してるんだし、伝令が飛んでも一日かかる訳だ。進軍してきてあと一日。猶予は二日だね。なら、大丈夫だ。サージャ様が動けるようになってから出ても間に合う」
そう言ってギルスに毛布を掛ける。
「アンタの猶予は朝までだ。しっかり休みな。朝からまた忙しいんだろ?」
どこから出したのか、冷たい手ぬぐいをギルスの額に折り畳んで乗せるリズ。
ギルスの持っていた方の手ぬぐいは、さっさと回収してしまう。
「そうだな、朝になったら生き残りの確認をしないと・・・それから避難する人間の誘導を手配して・・・うん。俺達は夜に紛れて出るか」
「まあ、そんな所だろうね。じゃあちゃんと休むんだよ」
言って、リズは隣室に向かう。
その背中に、ギルスは声をかけた。
「なあ、リズ。俺、ちゃんと出来てるのかな?」
サージャを死に掛けさせてしまった事、ギルスの中では本気で落ち込む出来事だった。
何が護衛騎士か。守る対象の方が大怪我を負うなど、あってはならないというのに。
避けられない事態に、分断された。
暴走したのはサージャで、自分は後に残された。
後顧の憂いを断つために残ったとはいえ、少し目を離した隙に最愛の人は死にかけていた。
「俺、サージャ様の護衛騎士で、いいのかな」
決して周囲には吐き出したことの無い弱音。
強くあろうと思った。
サージャを何者からも守れる様に、強くあろうと、自分を律してきた。
だというのに、この体たらく。
自分で自分が許せなかった。
「自信が無いのかい?」
リズは振り返り、ギルスに問いかける。
「・・・」
対するギルスは無言だった。
はあ、と短いため息を吐いて、リズが続ける。
「・・・あの状態のサージャ様を救えたのも、ここまで連れてこられたのも、命をつなげたのも、あんた以外には出来ない事だよ。これだけは断言できるさ」
一呼吸おいて、リズが二カッと笑った。
「よくやった。ギルス」
言って、さっさと隣室に引き上げていく。
リズの背中が見えなくなって、ギルスは額の手ぬぐいを目元に擦り下げた。
なんだかよくわからないが、胸が熱かった。
「・・・やっぱ俺、子供だわ」
口元には、笑みが浮かんでいた。
このシーンは変えられなかった。
リズ、やっぱいいなぁ。