ネコマタギ
今日も今日とて先走りすぎとでも愚痴をこぼしたくなるほどに、丁度南中したのであろう灼熱の星は全てのものを根絶やしにせんと燦々と照っていた。
都会のしがない高校一年生である俺、谷上虎太朗は舌で小汚い音を漏らしながら、萎れていた。その光景たるや、まるで塩を送られたナメクジのそれである。
「ねぇ……まだ6月だろ……?出しゃばってんじゃねぇよ、太陽め……」
今は昼休みなのだが、俺が声にならない不平を言っている以外にこの異常な地獄に対してぶつくさ呟いている様子は無いように思われた。他人が強すぎるのか俺に耐性がないのか……多分、後者だろうな。
「まぁたコタさんが死んでるぞ!……本当にコタさんって猫だよなぁ。」
俺の姿を見ていたたまれなくなったのか、単に揶揄うエサを見つけたのか、ムードメーカーの男子にそう言われた。
周りの女子も「やっぱりコタさんの前世、猫説濃厚だよねぇ!」なんて同調し始めてしまった。
他人に言わせれば、俺は【猫】らしい。
それも、猫に『似ている』訳ではないらしく、通り越してもう既に猫の権化らしい。
「だからさ、なんで似てるじゃなくて猫って断定してんだよ……俺はペットか?」
しびれを切らして訊いてみる。
「だって、コタさんって気まぐれだし、暑いの苦手だし、ふらっといなくなるし、猫一択じゃん!」と女子の1人。
……突っ込むのやめよう。
どうしてこのようにいじられるまでにクラスとの中が親密になったのかというと、俺のスペックが関係しているらしい。
顔は二枚目で気は利く、ピアノも嗜む程度だが弾けて、勉強もそこそこ。それに加えて猫背で気分屋で冷然で素っ気ない……そんな俺の性格が女子のみならず男子の萌えも奪ったらしく、そのままポジショニングされたのだ。
まぁ、後者に関しては自分としても、興味がないことにはぞんざいかつ冷淡に取り扱っている節があるので反論はできないのだが……
「そうそう!猫っぽい奴ってこっちとしても、いじり甲斐あるんだよなぁ!まぁ皆に好かれてんだよ、コタさんは!」
そう先ほどの男子も口を揃えて言っていた。
「片付けんなよ、そんなことで……」
俺は欠点でしか交わらない猫という存在に例えられるのが馬鹿にされているようでどことなく癪だったがそんなことは口が裂けても言えるはずはないので、グッと胸の中に抑えたまま今日の授業を終えていくのだった。
家に帰ると俺しかいない虚無の世界が待っている。
なぜなら母はこの時間帯、必死に働いて生計を立てようとしているからだ。
「ただいま。」
独り言を言って階段を上がり自分の部屋へと足を踏み入れる。
実はこの部屋、元は父の書斎で俺はこの部屋の所有者の後釜に座っているということになる。
……というのも、音楽教諭だった父はヘビースモーカーの一面が祟り、五年前に肺癌でこの世を去った。
仕事人間だった父に特段何をしてもらったとかいう記憶はない、というか思い出せない。
彼が遺したものといえばこの書斎と、壁に備え付けられたピアノだけだ。
俺は幼い頃から父のピアノに耳を傾けていたおかげで奏法をほぼ独学で会得することができたのは感謝すべき点ではあるだろう。
「なんか、弾いてみるか。」
突如頭の中に思い浮かんだのは、俺のイメージらしい猫の曲ではなかった。
ショパンの《仔犬のワルツ》である。
これは父の十八番であり、俺が最初に覚えた曲でもある。
ただ、彼の仔犬のワルツは授業で聞いたようなリズミックで軽快なものとはほど遠かった記憶がある。
しっとりとした指遣いのスローテンポでただ単に聴き心地だけを重視したもの。
聞いているだけで寝こけてしまいそうな雰囲気。
俺は仔犬が野原を駆け回っているわけではなく、年老いた大型犬がこの世に最期の暇乞いをしているようなこの音色がたまらなく好きだった。
……それとなく父の手癖を真似て弾いてみる。
中盤まで来ると懐かしい気持ちが込み上げてくると同時に観客がいる訳でもないのに手が小刻みに震えているのを感じた。感傷に浸っているのだ。
最後の一音を引いた時に漸く誰かが俺の後ろにいることに気がついた。ーー母さんだ。
「何だよ、いたならノックしろよな。」
母さんがどこから聞いていたのか分からず困惑気味に言うと、
「懐かしい音が聞こえて来ると思ったら……ピアノの弾き方、すっかりあの人に似たわね。一瞬あの人が帰ってきたのかと思っちゃった。……もうすぐ命日だから。」
と母さんがどこか物悲しげな表情で微笑んでいた。
それほど似てたのか?母さんの顔を見ると俺の方も来るものがある。
「……ごめん……」
俺は母さんにそっと抱きついた。
「何いきなり……猫みたいな態度とって?やっぱり父さんの言ってた通りだわ。」
「父さんが……?」
「『俺は犬みたいな性格してるけど、虎太朗はやっぱり猫みたいだな。何で俺に似なかったんだ?』なんてよく愚痴ってたわよ。」
……誰が言っても俺って猫なんだな。
「母さん、俺そんな気まぐれかな……?」
彼女は、優しく「ええ、とっても。私の可愛い仔猫ちゃん、お使い行ってきてくれる?」と囁いた。
「わかった」
外へ出ると、あたりは一面がもう橙色に染まっていた。
その中に1匹塀の上からこちらを見下ろす黒猫がいた。
「俺って、お前らに似てるんだってさ。」
そう小さく言ってはみたものの、奴に届いているはずはない。
この時初めて、これから先、猫でいてもいい気がしてきた。いや、猫である自分を肯定できた気がした。