009
元の世界に帰りたいか、というフィーネの問いかけに心が酷く揺れる。それが伝わらないよう冷静を装って問い返す。
「………できるのか?」
「うん。詳しい方法は召喚士ギルドに行かないと分からないけど。でも、サーヴァントを還したって話はたまに聞くし、できるはずだよ。それで、ユーゴはどうなの?」
「なんで………そんな事聞くんだ?」
「なんでって、ユーゴは帰りたくないの?」
「いや、帰りたい、とは思う………けど。でも、その、どうして急にそんな事言い出したのか気になって、さ」
聞き返す事で返答を考える時間を稼ごうとしたけど、純粋な疑問を真っすぐにぶつけられればこれ以上誤魔化すことは出来なかった。けれど、『帰りたい』と確かにあるはずの気持ちを声に出してみても、どこか腑に落ちなくて歯切れが悪くなる。
それこそ、召喚されて最初に帰して欲しいと思うのが普通ってものだろう。俺の場合はフィーネの勢いに流されていたのもあるが、昨日の内に帰りたいと思ってもいいはずだった。なのに、今フィーネに指摘されるまで、そんな発想すら出てこなかった。
「お礼………したいの」
「お礼?」
深い思考に沈もうとしていた意識が、フィーネの声で戻る。
「うん。お礼。あたしに出来るのは多分それぐらいしかないと思うから」
「お礼なんて………」
別にいい、と言いかけて口を噤む。まずは、きちんとフィーネの考えを聞かないと何も始まらない。
「勝手に喚び出して、痛い思いさせて、あたしの事嫌いになっても仕方ないと思うのに、ユーゴはあたしの話聞いてくれた。ただダンジョンに行けばなんとかなるって思って甘かったあたしに、ちゃんとした道筋を示してくれて、父さんの形見を取り戻せる目処が立った」
ポツリポツリと言葉を紡ぐフィーネにじっと耳を傾ける。
「だけど、あたしからユーゴにあげれる物は何にもないし、買ってあげることもできない」
「そ………うだな………」
短慮に否定しかけたが、フィーネの言葉を肯定する。実情を知っているくせに、下手な慰めを言う方が酷というものだろう。
「その服も、昨日今日の振る舞いも、あたしみたいなのとは全然違う。そりゃ、文化が違うっていうのもあるんだろうけど、それでもあたしとは全然違う、もっと上の、良い暮らしをしてたんだって分かるよ。あたしじゃ、それより良いものをあげられない。それじゃ、ユーゴのしてくれた事へのお礼にならない」
そのお礼をしたいというその気持ちだけで十分だ、なんて言っても無駄だろうなと、フィーネの悔しそうな表情を見て直感する。
「だから、せめてユーゴを元の世界に還す事が唯一あたしに出来るだと思うの」
フィーネに出来る最大限のお礼、それは俺を元の世界に返すこと。そう言われれば素直に受け取るしかないはずなのに、どうしてこんなにも迷うのだろうか。まだたった2日しか過ごしていないのに、この世界に愛着なんて湧くはずがない。けれど、確かにあるこの胸のわだかまりは何なのだろう。
「フィーネの気持ちは分かった。うん………俺も、そうしてくれたら、嬉しいよ」
思い悩む気持ちを押し隠して笑いかけると、ほっとしたようにフィーネがはにかむ。
「………そっか。よかった」
そっと差し出された二本の指に今朝の事を思い出し、それに応えて指を絡ませた。
「絶対、ユーゴを元の世界に還すって約束する」
その手の温もりに何故か幼い頃、夕暮れの遊園地で「そろそろ帰ろうか」と親に手を引かれた時の事を鮮明に思い出す。
(ああ、そっか)
まだまだ遊びたいのに終わりを切り出された時の名残惜しさ、寂しさ。それを感じていたのだとストンと腑に落ちた。
目標を達成するまでまだ時間はある。せめて、帰る時に心残りがないように、俺に出来る事は精一杯やろうと決意する。
「ああ、約束だ」
それからダンジョンに通う日々が始まった。
朝起きて支度をたらダンジョンに向かい、六の鐘までひたすら魔結晶を集めてギルドに売りに行く。そして、翌日のための買い物をして家に帰り、明日の準備を終えれば就寝する。
ただ七日に一度ある、深と呼ばれる日は生活サイクルが少し違う。違うと言っても、ダンジョンに行く前に病院に行ってフィーネの母親のお見舞いをするだけなのだが。
フィーネが『麦の羊亭』を辞めて冒険者を始めた事は母親に言ってないらしく、その事がバレないためにも『麦の羊亭』の定休日である深の日にはお見舞いに行く事になっている。
もっともサーヴァントと契約した事も内緒のため、お見舞いが終わるまで病院前のベンチで俺は待ちぼうけなのでフィーネの母親にまだ会ったことがない。
言葉にすればなんて事のない眈々とした毎日だけど、徐々に書き込まれていく地図に何とも言えない充実感がある。
そして、この世界に召喚されてから17日目。
「これは………」
いつも通りダンジョンに潜った俺たちの前に、突然縦穴が現れた。無論、初めてダンジョンに来た時に使った縦穴ではない。その証拠にこの穴には下に降りるための縄梯子といった物が掛けられておらず、誰かがここを使った形跡もない。
リュレアで穴の奥の方を照らしてみようとするが、指向性も輝度も低い光では底を伺うこともできず、暗闇が広がるだけだった。
落ちていた普通の石を拾い穴へ落とす。すぐにはっきりと鉱石と鉱石がぶつかる音が響き、この穴がそこまで深くないことが分かった。そこまで確認するとフィーネの方へ振り返る。
「フィーネ、どうする?」
「どうする………って?」
「そりゃあ、この穴を降りるかどうかってこと」
縦穴の発見の驚きでなのか、少しぼうっとしていたフィーネがハッと我に返ったかと思うと、俺の両腕を掴んで引き寄せる。そのあまりの勢いに姿勢が崩れ、一気にフィーネの顔と距離が近くなって一瞬心臓が跳ねる。
「あたし、この奥に行ってみたい!」
「分かった!分かったから、ちょっと離れてくれ。近いから」
「あ、ごめん。それで、下に降りるにはどうすればいいの?梯子無いけど」
「無いなら俺たちで作るしかないだろ。まあ、縄梯子なんて凝ったものを掛ける余裕はないから、ロープがあれば十分だろ。あとは………」
周囲を見渡すがロープを繋いでおける場所が見当たらない。
「こう、岩の隙間に鉄の杭みたいなの打ち込んで、ロープを繋ぐ道具があるんだけど知らない?どこで売ってるかとかも」
「………ごめん、知らないや」
少し考えてからちょっと申し訳なさそうにフィーネが答えるが、普通の生活をしていればロッククライミングに必要な道具の名前も購入方法も知らない方が当たり前だろう。俺だってあの道具の名前がなんなのか知らない。
だけど、他の縦穴で縄梯子を固定するために似たような物が使われていたからきっとあるはずだ。
「まあ、そうなると金物屋を覗くしかないか。あ、金槌は家にある?」
「金槌は多分あるはずだよ。その、ユーゴが言った道具はやっぱ買うしかない?」
この世界での金銭感覚はまだ分からないが、やっぱり金属製品というのは高いのだろうと、フィーネの不安そうな表情を見れば分かる。
「まあ、あまりにも高すぎたら下に行くの諦めるしかないけど、銀貨1枚までだったら買えるくらいには余裕あるから、大丈夫だって」
道の奥に行くほど質のいい魔結晶が多いことに気づいてから、とにかく奥を中心に潜るようにしたら当初の予想よりも稼ぎが多くなり、昨日の時点で手元には銀貨15枚銅貨15枚。日数的にも金銭的にもかなり余裕が出来た。数日ぐらい好奇心を優先しても問題ないだろう。
「そうだね。今日のところは引き上げて、ここを降りる準備をしよう。ユーゴの言った道具探さなきゃだし」
だいぶ前に五の鐘が鳴っていたことを思い出した。ここに来るまで結構時間がかかっていたから、ダンジョンを出る時には六の鐘近くになるだろう。それから七の鐘までに曖昧な情報だけで、お目当ての道具が見つかるか俺には予想がつかない。
確かに余裕があるとは言ったが、無駄にするのはもったいない。
「ああ、さっさとこれ売って、準備して、あの穴の下へ俺たちが一番乗りしよう!」
背負ったリュックの示してニッと笑ってみせる。あまり探索していないから2/5ほどしか魔結晶が入っていないが、どれも質が良いのでそれなりの値になるはずだ。
「一番乗り………っ!うん!早く行こう!」
キラキラと好奇心と期待に満ちたフィーネの瞳が輝く。
俺たちははやる気持ちを抑えきれずダンジョンの出口へと駆け出していった。