004
「よし!それじゃあ、効率良く稼ぐにはどうすればいいのか考えないとな」
そう切り出す俺にフィーネは抗議の声を上げる。
「ちょっと待って、その前にご飯食べようよ。お腹空き過ぎて、あたしもう難しい事考えたくないし。ユーゴだって空いてるでしょ?」
「………え?あ、ああ、そうだな。先に食べるか」
「ん。作ってくるから、しばらく待ってて。寛いでていいよ」
フィーネは立ち上がって、珠暖簾のような物で区切られた部屋、おそらく台所へと入っていった。そして少しすると、小気味良い包丁の音と食欲を唆る香ばしい匂いが暖簾の先から漂ってくる。その匂いに確かに食欲は唆られるのだが、空腹は感じない。
最初に部屋を見た時には気に留めなかったが、この部屋の四方にはそれぞれ出入り口があり、その一つがフィーネが向かった台所。それ以外の箇所には木製のドアが付いている。台所から見て左手側にあるドアは他の二つより立派で、おそらく玄関だと感じる。そこの壁には窓が一つ付いていた。窓と言っても見慣れたガラス製ではなく木製で外が一切見えない。俺はその窓へ近づきそして開く。
窓から見えた景色は、満天の星空といくつかの建造物から少し漏れる光だった。元いた東京では決して見れないような夜空に、やはりここは全く別の世界だと染み染みと実感する。そして、ダンジョンに入る時は太陽が高かった事から、本当にかなりの時間が経過している事が分かった。これほど時間が経っているのにお腹が空いていないことに少し違和感を覚える。けれど、一度死んで再度召喚されたのだから、体の状態もお腹の空き具合もリセットされたのではないか、などと考えているとフィーネから声を掛けられた。
「ユーゴ何見てるの?ご飯できたよ」
振り返るとフィーネが料理を盛り付けた食器を絨毯の上に並べている。
「いや、ただ、星空が綺麗だなって見ていただけ」
「ふーん。星空なんて大した事ないと思うけど。変なの。それより早く食べよう」
文化というか価値観というか、感覚の違いに苦笑しつつ、フィーネに促されるまま絨毯の指定された場所に座った。
小さめの鍋には豆のような穀物を中心に葉野菜と根菜を煮込んだスープが、大皿には香辛料で味付けされた鳥らしきローストされた骨付き肉、そしてナンのように薄く焼き上げられたパンが並ぶ。
「はい、ユーゴ」
「ありがとう」
受け取った器の温かさとスープの匂いに、少しの安堵感と懐かしさを覚える。どんな味なのかという好奇心で、早く食べたいという欲求に駆られ、自然と手を合わせ「いただきます」と呟いた。それを見たフィーネはキョトンとした顔で問いかける。
「ユーゴ、それ何?お祈り?」
そう指摘されて初めて自分がいただきます、と言った事に気がついた。一人暮らしを始めてから、ほとんど言ったこと無かったのに何故か口をついて出てしまった事に、何となく気恥ずかしさを感じる。
「んー、まあ、そう。お祈り、みたいなものかな?食べ物に対して感謝を表す、みたいな。俺がいた所での食事の時のマナーみたいなの」
『いただきます』という言葉の意味を説明しようとしてみるけど、自分自身意味を意識した事がなかったからふわっとした曖昧な説明になって、何だか不甲斐ない。俺のあやふやな説明で通じたのかフィーネの様子を伺うと、少し考えるような素振りをみせる。それに、この世界での食事の作法を知らない事に気がつく。何か気に障る事をしてしまったのではないかと内心ヒヤヒヤしていると、フィーネが両手を合わせた。
「いただきます。………これで合ってるよね?」
「ん、あ、ああ。それで合ってる」
そう答えると、よかったと小さくフィーネが笑う。その笑顔に少し温かい気持ちになる。フィーネが食べ始めたのを見て俺も骨付き肉へと手を伸ばす。焼き立てで熱い肉にかぶりつくと、表面の香ばしい皮がぱりっと破け中から肉汁が少し溢れる。
「………っ!うまい………」
日本で普段食べていた鶏肉より肉質は良くないようで硬さを感じるが、それでも自然と口に出た。続けて、パンとスープにも口を付ける。そのどの食材も日本のものより質が劣っていると、食通でもない俺でも分かる。それなのに美味しいと感じる。
一通り食べ、一息つくとフィーネが尋ねてきた。
「ユーゴ、美味しい?」
「ああ。うまい」
「よかった、口に合って」
そう照れたようにふにゃりと笑うフィーネを見て、誰かと一緒に食べる食事が久しぶりだと思い出す。
(………そっか。誰かと一緒の食事ってこんなに暖かかったんだな)
人と一緒に食事をすることの良さを実感しフィーネに笑い返すと、腹の底からじんわりと温かいものが広がっていくのを感じた。
あっという間に夕飯を食べ終え「ごちそうさま」と手を合わせると、フィーネもまた真似して手を合わせる。
食器を片付けるフィーネに手伝おうかと声を掛けるも、あっさり断られた。まあ、出会って一日も経っていないのに家の事を触られるのは嫌なんだろうと、フィーネが用意してくれたお茶を飲む。ハーブティーのようで、水かせいぜい緑茶ぐらいしか飲まない俺には嗅ぎ慣れない香りがする。しばらくすると、片付けを終えたフィーネが戻ってきて俺の前に座って言う。
「作戦会議の前に、一回ちゃんと自己紹介しよう!」
「自己紹介?」
「うん。だってあたしユーゴの事名前しか知らないし、ユーゴだってあたしの事よく知らないでしょ?ちゃんとお互いの事知ってた方が良いと思うんだ」
「そういうもんか?」
「そういうものなの!じゃあ、あたしからするね。名前はフィーネ。12歳。父さんは小さい時に亡くなったらしくて、母さんと二人暮らし。あとは、えーと、ダンジョンに潜るって決める前は『麦の羊亭』、あっ、『麦の羊亭』っていうのはこの近くにある酒場なんだけど。で、そこで下働きしてた。………うーん、こんな感じかな?」
12歳、という言葉に身の上話から薄々気づいてはいたが、見た目通り幼かったようだ。12歳の女の子に裸を見られたとか、12歳の女の子より役に立たなかったのかとか思うと、何とも言えない気持ちになる。
「はい。次はユーゴの番!」
「えー、名前は杉浦祐悟。年齢は22歳で、こっちに来るまでは会社員をやってた」
「カイシャインって何?」
「あー………会社、えっとギルドとかそういう組織の従業員って感じ………なのかな?一つの組織で働いて、給料を貰う」
当たり前だと思ってた事を説明するのは難しいし、今まで大きな差異を感じていないがやっぱり常識の違いがあるはずだから、どう言えば伝わるのか言葉を考えながら喋ると、どうも拙い話し方になってしまう。
「………ギルド、って事はユーゴって学校に行ってたの?」
「え?ああ、行ってたけどそれがどうしたんだ?」
「凄いよ!だってお金持ちじゃないと学校に行けないんだよ!」
その言葉でやっとここでは義務教育なんてものが無いことに思い至る。
「じゃあ、読み書き出来るんだよね!」
「まあ、出来るけど………」
そう返答するや否やフィーネは玄関から見て奥の部屋へと入り、何か巻物のような物を持ってきた。それを広げると中には見たことのない記号が整然と書き込まれているのが見えた。
「じゃあ、これ!読んで欲しいんだ!」
ちょっと興奮した面持ちで迫るフィーネに逃げ腰になりながら返答する。
「………ごめん、こっちの文字は読めないみたいだ」
口頭での会話は普通に通じていたから失念していたけど、そもそも世界が異なるのだから言語が異なるのも当たり前だった。その言葉にフィーネがしゅんと大人しくなる。
「ううん。あたしこそ、ごめん。変な事言って」
ちょっと寂しそうに笑うのが気になって、理由を聞こうと口を開くより先にフィーネが話し出す。
「そんなことより、早く作戦考えよう!」
「ん、そうだな」
フィーネの自身『そんなこと』と言っているのに突っ込むのは野暮だと思い、疑問を飲み込み相槌を打って話を合わせるが、しばらくの間寂しそうなフィーネの笑顔を忘れることは出来なかった。