003
「あぁぁぁぁ!」
意識が戻り、俺は噛み付いたメウィスを振り払おうとする。
「うわっ!ちょっとユーゴ落ち着いて!」
聞き覚えのある声が響き、取り乱していた心が急速に落ち着いていく。その声の方に視線を向けるとフィーネがいた。
「あれ………?フィーネ………?ここは………?」
「ここはあたしの家だよ。それより体の方は大丈夫?変なとこない?」
「え?ああ………。特にどこも痛くないけ………ど………。うわあぁ!」
確認しようと、自分の体を見やると生まれたままの姿だった。裸である。全裸である。しかも女の子の前で。体をできるだけ隠そうとしゃがみ込み、小さく縮こまる。慌てて何か着るものが無いかと周囲を見渡すが、古びた絨毯が敷かれているのと部屋の片隅の篭に何かが入っているのが見えるだけで、役に立ちそうな物は見つからなかった。
「あの、フィーネさん、何か着るものを頂けないでしょうか………?」
露出趣味も無ければ、人様に見せれるほど立派な肉体を持っていない俺は、羞恥心で顔が熱くなるのを感じながら尋ねる。
「ああ、はい。ちょっと破れてしまったけど」
背負っている鞄から俺が着ていた服一式を取り出し渡してきた。広げてみると洞窟でメウィスに噛まれた箇所に穴が空いていたり、引き千切られている。確かに噛まれていたはずなのに、今の俺の体は痛みも傷跡すら無い。どういう理由で怪我が治っているのか気になるが、今はそれよりも服を着るのが優先だ。着替えようと思うのだが、フィーネがじっとこっちを見ていて着替えようにも着替えられない。
「………その、フィーネさん?着替えるので、ちょっとしばらく後ろを向いてもらえないでしょうか?」
「なんで?」
「なんでって………。そりゃあ、見られてたら恥ずかしいし………」
「ふーん。そういうもんなんだ」
その言葉でやっとフィーネは後ろを向いてくれた。外見通りフィーネが幼いから裸に対する羞恥心が無いのか、そもそもこの世界の裸に対するタブー意識が薄いのか。そんな事を考えつつ手早く服を着る。
「もうこっち向いていいぞ」
「はーい。で、本当に体は大丈夫?」
「ああ。傷も痛みも全くない。それで、俺が意識を失ってからどうなったのか、どうして怪我が無いのか、なんで、その………起きたら裸だったのか説明してくれないか?」
「うーん。ちゃんと説明できる気がしないけど………分かった。立ちっぱなしなのもあれだし、そこ座って」
フィーネに指示されるまま、絨毯の上に座る。フィーネも同じように座り、鞄を背中から下ろした。
「とりあえず、ユーゴがいなくなった後のことから話すね。残った2匹のメウィス片付けて魔石を回収して、しばらくダンジョン探索した後に外に出た。探索中にまた魔結晶を2つ見つけたんだ!で、ギルドの方で換金してもらって家に帰ってきた。今日だけで銅貨32枚も稼げたんだよ!やっぱりダンジョン潜って正解だったよ」
そう楽しげにフィーネは話すが、俺が欲しい情報は全然出てこない。ただ、俺が意識を失ってから結構な時間が経っていることだけは分かった。
「それで、俺の怪我が治ってる事については?」
「えっと、あたしは召喚士じゃないから詳しくないんだけど………。どう言えばいいんだろ………。ユーゴはメウィスに襲われた時、一回死んだ、ような感じなのかな?」
死んだ、という言葉に一瞬息が詰まる。気絶したにしては違和感のある意識の途切れ方、あのダンジョンから大の大人を抱えてフィーネが出れるようには見えない事、薄々気づいてはいたが考えたくなかった。鼓動が早鐘のように鳴るのを感じながら、言葉を恐る恐る紡ぐ。
「でも、俺は今ここにいる。それはどういう事なんだ?」
「それはユーゴがサーヴァントだから。あたし達人間とは違ってサーヴァントは死んでも………死ぬというより体が壊れても、かな?また魔力を注げば体は再構築されるんだ。契約がある限り」
「………でも、俺だって、血が流れるし、こうやって鼓動も呼吸もしている。それの、どこが、人間と違うんだ?」
「うん。確かにサーヴァントの肉体は人間とほぼ変わらないみたいなんだけど、全部が魔力で出来ているらしい。怪我すれば血も流れる。けど、一定以上の損傷を受けると肉体の維持が出来なくなって、魔力として霧散されるみたい。だから死ぬと体は無くなって服だけ残るんだ」
人間ではないナニかになってしまった。足元が崩れていくような不安がドッと押し寄せる。呼吸が浅くなり、手が震え、汗が吹き出す。その言葉が事実だと頭は理解できているのに、心が拒絶する。
何か、何か、行動を起こさなければならないと思っているのに、何をどうすればいいのか分からない。フィーネに不満をぶつける?ぶつけたところで何になる?思考が堂々巡りし、動けずにいる俺を見てフィーネが口を開いた。
「とにかく明日も頼んだよ、ユーゴ。それじゃあ、あたしは夕飯の準備を………」
「………フィーネ。明日もってなんだ?」
「え?明日も一緒にダンジョンに行くんだけど?」
キョトンとした顔でフィーネは平然と言う。ダンジョンに行く、その言葉にメウィスに噛まれた時の痛みがありありと蘇ってきて血の気が引いていく。
あんな痛みを経験するのは二度とゴメンだ。冗談じゃない。そう感情的にフィーネに怒鳴り散らしたい衝動を抑えてフィーネを説得しにかかる。
「なあ、フィーネ。今日で分かっただろ、俺はダンジョンに行くには力不足すぎる。何の役にも立ってない。だから、新しく別の奴を召喚してそいつを連れて行った方が良いんじゃないか?」
「ダメ。それは出来ない」
「っ!………それはどうして?」
「………お金が無いから」
そう言って伏せたフィーネの翡翠色の瞳が悲しげに揺れる。その様子から何か事情があることが伺えるが、何も知らずにあんな苦痛に耐えれる程のお人好しでも無ければドMでもない。
「ダンジョンに潜る理由をちゃんと説明してくれ。じゃないと俺はフィーネに協力出来ない。したくない」
「………そう、そうだよね。ちゃんと話すよ。えっと、どこから説明したらいいのかな?………見たら分かると思うけどあたしの家って、その、貧乏なんだ」
「ああ、そうみたいだな」
この世界の標準的な生活がどのようなものか分からないけど、街ですれ違った人たちに較べて草臥れたフィーネの服、最初にいた建物に較べて簡素で古びたこの部屋から決して裕福ではないことは伝わる。
「母さんと二人で暮らしてたんだけど、母さんが病気で倒れちゃって」
「その治療費が必要なのか?」
「ううん。治療費自体はなんとかなった。………母さんが父さんの形見を売りなさいって。そう言われたんだけど、やっぱり父さんの唯一の形見を売りたくなかったから質屋に持ってたんだ。だからあたしは父さんの形見を買い戻すためにもお金を稼ぎたいの」
「それでダンジョンに潜ろうと?」
「うん。普通に働いても買い戻すお金を貯めるどころか、生活費で消えてくから。ダンジョンだったら危険があるけど大金が稼げる可能性もある。買い戻すことだって夢じゃないから」
「ダンジョンに行く理由は分かった。けどなんで俺を召喚したんだ?どこかのパーティとかに入るのじゃダメだったのか?」
「それも考えたのは考えたんだけど、戦ったことのない素人のあたしを強いパーティが入れてくれるはずがないでしょ?駆け出し同士で組むとしたら今日行ったような表層で僅かな儲けをパーティで分配しなくちゃならないから大して稼げない。だったら一人で表層を漁った方が稼げる。でも一人だと危険も大きいから大枚を叩いてサーヴァントと契約することにしたの。そのサーヴァントが強ければもっと深いところに行けるし、弱くても人手が増えるのは有り難いから」
「だったらやっぱり、別の強い奴を喚んだ方が………」
「言ったでしょ。お金が無いって、それに魔力の余裕もないの」
「………魔力の余裕って?」
「サーヴァントとの契約を維持するのにも魔力がいるんだけど、それがあたしの魔力だと一人でいっぱいいっぱいだから」
さっきまで感じていたフィーネへの憤りはすっかり冷め、むしろそんな大事な召喚で俺なんていう大ハズレが来てしまったことに申し訳ない気持ちがフツフツと湧いてくる。謝ったほうがいいのか、何とフィーネに話せばいいのか俯いて迷っていると、フィーネが俺の両手を包みように握った。それにハッと視線を戻すと真っ直ぐで真剣なフィーネの眼差しとぶつかった。
「ねえ、ユーゴ。あたしはもうユーゴにしか頼れないんだ。出来るだけ今日みたいな危険な目にユーゴを遭わせないようにあたし頑張るから。だから、あたしの力になって欲しいんだ」
ぎゅっとフィーネの握る力が強くなる。ここまで言わせておいて拒むことなんて出来るわけがない。
「………分かった。俺こそフィーネの力になれるよう頑張るよ」
「っ!ありがとうユーゴ!」
そう礼を言うフィーネの笑顔はまるで満開の花のように朗らかだった。