002
「ここがダンジョンの入り口だよ!さあ、入ろう!」
フィーネに手を引かれるまま付いて行くと、あっという間に目的地へとたどり着いた。目の前にはダンジョンの入り口であろう大きなトンネルが口を広げている。
「ちょっと………待って………息、整えさせて………っ!」
フィーネにつられて軽く走っていたのと、ここまでの道のりがずっと上り坂だったので、インドア派の自分はすっかり息が上がっていた。こんなに動いたのは高校の体育の授業以来だから仕方ないと思いつつも、幼い、かはともかく、女の子であるフィーネは平然としているのに、俺だけ息が乱れている事にちょっとショックを受ける。
息を整えながら、周囲を見渡す。トンネルの前は広場のようになっており、いかにも冒険者といった出で立ちの集団があちこちに出来ていた。その姿を見て、今自分がどんな服装をしているのか思い出す。いきなりの出来事の連続で忘れていたが、今の俺の服装は何の変哲もない着古したジャージだ。しかも靴、いや、靴下すらも履いておらず裸足である。周りの人と較べてあまりにも貧弱過ぎる格好だ。それに加え武器になりそうな持ち物、というか何も所持品がない。
「なあ、フィーネ。その、何か武器とか防具とかないのか?」
「ん?ああ、渡すの忘れてたよ。はい。」
そう言って、フィーネは背負っている鞄から鞘に収まっている小さなナイフを取り出して、俺に渡す。家で使っていた包丁よりも小さいそれに、不安が大きくなる。
俺の格好は言わずもがなだけど、フィーネも冒険者というより村娘Aと言ったほうがしっくりくる服装だ。どう考えてもダンジョンという明らかに戦いが起こると想定される場所に行く格好ではない。それでも、スカートではなく動きやすそうなズボンを選択している分、少しは考えてはいるのだろうが………。
「待ってくれフィーネ。その、ダンジョンって言うからには、モンスター的なのがいるんだろ?こんな装備で行くのはちょっと無謀なんじゃないか?」
「大丈夫だって!あたしだってバカじゃないんだから最初から深く潜らないよ。上の方は大したのはいないから心配ないって。ユーゴもう平気そうだし早く行くよ」
フィーネはそう言うと、俺に渡した物と同じナイフを手に持ちトンネルの方へと歩き出す。付いて行かなければと思うが、足が竦み一歩がうまく踏み出せない。
(大丈夫………きっと大丈夫………)
フィーネが何の恐怖も見せず入って行くぐらいだから大丈夫のはず、と自分に言い聞かせる。ナイフをキツく握りしめ、俺は彼女の後を追いかけてトンネルの中へ入っていった。
トンネルの中を進んでいくと、整備されていた壁から天然の岩壁へと変わっていく。それでもランタンのような灯りが等間隔に設置されており、人の手が加えられている事が分かる。
「ダンジョンっていうわりには、随分整備されてるんだな」
「そりゃあ、ここらは下に行くための通路みたいな物だからね。50層ぐらいまでは下に繋がる道は整備されてるって聞くよ」
「ふぅん、そういうもんか」
広場にいた冒険者だけでも多くの人がいたので、相当な人数がこのダンジョンに挑んでいると思えばこの整備具合も納得できた。
そのままフィーネの後ろに付いて整備された道を進むと、ところどころに側道があるのを見つける。そのどれもが、歩いている場所より整備されていないようだ。その先に何があるのか、どうして整備されていないのか気になったけど、こんな場所で単独行動する勇気もなくフィーネに大人しく付いて行く。
上層部は大したことないと言ったフィーネの言葉は本当のようで、何かと遭遇することもなく順調に進んでいると突然フィーネが壁際へ駆け寄った。
「何かあったのか?」
「うん、ほらこれ見て」
そう言ってフィーネが指差す先に、小さな赤い石が転がっていた。
「何だそれ?」
「このサイズだと魔結晶だね。今日はこういうのを集めに来たんだ」
フィーネは薄い赤色をした小指の先程の魔結晶を、腰のベルトに下げていた革袋に入れる。
「じゃあ、それを俺も探せばいいのか?」
「そうなんだけど、ここらへんじゃ中々見つからないし、見つかっても今みたいな小さいのばっかだから。早く下に行こう」
その言葉にまた歩き出し、しばらくすると縦穴に行き着いた。そこには縄梯子が吊り下げられている。これを降りるのかと躊躇していると、フィーネが平然と縄梯子を降りていく。置き去りになっては困るので後を追って縄梯子を降り始めたけど、中々に恐い。10mはありそうな高さを、こんな不安定な足場で降りるなんて初めての経験に、肝が冷えるのを感じる。
縄梯子を降りきり次の階層に到着する。地面に足が着くことの安心感に何とも言えない感動を覚えていると、フィーネがナイフを鞘から取り出しているのが見えた。
「ここからモンスターがうろついてるから、ユーゴもナイフ持ってた方がいいよ。まあそう凶暴なのはいないけど」
「あ、ああ。分かった」
フィーネの忠告に従い、ナイフを剥き身にし、鞘をジャージのポケットに仕舞う。さっきより少し警戒しながら整備された道を歩き出す。そしてモンスターに遭遇しないまま次の縦穴にあっさり着いた。その途中、魔結晶とやらを2つ見つけることが出来た。
ここまで順調だとダンジョンに入る前、あんなに不安になっていた自分が少し馬鹿らしく思えてくる。さっきと同じように、縄梯子を降り道を進んでいると、側道から見たことのない生き物が顔を覗かせた。
ハムスターのような体に兎のような長い耳、猫のように長い尻尾を持つ小型犬ほどの大きさの生き物。それは俺たちを見つけると、さっと側道の奥へ引っ込んでいった。
「ユーゴ、予定変更!メウィスを狩るよ!」
そう言うやいなや、フィーネはメウィスと呼んだハムスターの様な生き物の後を追って側道へ駆け込んでいく。一足遅れながら俺も後を追い、少々狭い側道を走る。しばらく走って少し広い空間に出た時には、先行していたフィーネが既にメウィスの首根っこを掴んで捕まえていた。
「さあ、ユーゴ。解体するの手伝って」
「えっ?」
解体という単語に頭が思考を止める。生き物を殺す可能性については考えていたけど、解体する可能性には全く思い至っていなかった。何をどうすればいいか分からなくて突っ立っているだけの俺を見て、フィーネは小さくため息をつきナイフを構える。
威嚇するようにブゥブゥと鼻を鳴らし、脚をバタつかせるメウィス。その喉をフィーネはナイフで一閃する。傷口から血が溢れ出すのを呆然と眺めるしかなかった。
メウィスの動きが鈍くなると、地面に仰向けに下ろし腹を縦に切り裂く。そして腹の中にフィーネが手を入れ、何かを探すようにゴソゴソと動かす。その光景に俺は喉に何かがこみ上げてくるのを感じるが、ぐっと抑えた。
しばらくメウィスの腹の中を手探っていたフィーネが、見つけたと声を上げ、手を引き出す。血に塗れた手の中には赤い石が握られていた。
「………それも魔結晶か?」
「うーん、ちょっと違う。これは魔石って呼んでる。まあ、違いは大きさぐらいしかないけど」
フィーネはボロ布を取り出し、魔石と手に付いた血を拭う。上の階層で拾った魔結晶より深い赤色をした魔石は、フィーネの手のひら程の大きさがある。魔石が綺麗になると魔結晶と同じように革袋に仕舞った。
そのフィーネの淡々とした一連の行動に、得も知れぬ恐怖、あるいは嫌悪がフツフツと湧いてくるのを感じる。頭ではこの光景を嫌悪することは馬鹿げていると分かっていても、初めて目の前で生命が奪われた事に対する衝撃が受け入れられない。
「魔石も取れたし、改めて先に行くよ」
「ああ………」
まだ頭が上手く働かないが、フィーネの言葉にもと来た道に戻ろうと後ろを振り返る。そこには、二つの道があった。どっちが通ってきた道か尋ねようと口を開きかけた時、フィーネが鋭く言葉を放つ。
「ユーゴ!ナイフ構えて!」
どうして、と聞き返す前に左側の通路から何か物音が近づいてくる。そして、ナイフを構えきる前に複数のメウィスが通路から飛び出してきた。
「うわぁ!」
驚いて腰が引けた所に2、3匹のメウィスが脚に纏わりつきバランスを崩して転倒してしまう。立ち上がろうとした瞬間、右脚に激痛が走った。
「っがああああぁぁっ………!」
痛みと恐怖でガチガチと鳴る歯を食いしばり、右脚へと視線を向ける。俺の脹脛に歯を立てているメウィスが一匹いた。
「………っ!は、離せ、この、クソネズミ………っ!」
左脚で何とかメウィスの頭を蹴っ飛ばす。ジャージは破れ、傷口からドクドクと血が流れている。
(痛い痛い痛い痛い!)
何とか上体を起こし傷口を両手で押さえると、フィーネの怒声が飛んできた。
「ユーゴ!早くナイフで応戦!」
「え?」
思わず声につられて視線がメウィス達から離れた瞬間、左前腕に痛みが走り頭が真っ白になる。
「あああああ!」
反射的に腕を振り回すと、噛み付いていたメウィスはあっさりと離れる。メウィスが距離を取っている間に何とか、転倒した時に取り落としたナイフを拾い上げることが出来た。震える右手で何とかナイフを構えると、俺に向かってメウィスが走ってくる。
「ひっ!」
情けない悲鳴を上げながら、ナイフをやたらめったらに振り回す。そんなナイフに当たるはずもなくメウィスが再び距離を取ったのと同時に、右上腕がカッと熱を持った。その熱の方へ恐る恐る顔を向けると、少し顔が拉げたメウィスが腕に噛み付いている。それが最初に蹴飛ばしたメウィスだと理解するのとともに、腕の熱さが増すのを感じた。
メウィスがジャージと一緒に俺の腕を噛みちぎり、傷口から鮮血が飛び散る。その光景をどこか他人事のように呆然と眺めていると、耳元でパリンとガラスが壊れるような音が響き、俺の意識はまた途切れた。