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「疲れた………」
帰宅するなりスーツを脱ぐこともせず、そのままベッドに倒れ込む。
「あーもー、仕事したくない………ニートになりたい………」
実際にそんなこと出来るわけないと分かっているけど、そう思わずにはいられない。社会人になって5ヶ月。仕事に慣れてきているとは思うけど、まだまだ慣れないことが多くて体力的はともかく精神的に疲れてしまう。
(眠たい………)
布団の柔らかさと疲労でこのまま寝てしまいたい欲求に駆られていると、お腹がぐうと音を立てて空腹を訴えてきた。
のろのろとベッドから立ち上がり、部屋着のジャージへと着替え、買ってきた総菜と今朝炊いていたご飯を温め直し、もそもそと夕飯を食べ始める。
静かなのが何となく嫌で、別に見たい番組があるわけでもないのにテレビをつけ、適当にチャンネルを変え、興味もない番組を流し見しつつ夕飯を食べる。それが自分の食事におけるルーチンワークにいつの間にかなっていた。
どことなく味気なさを感じる夕食を済ませ、食器をシンクに運び水に浸ける。洗うのは後回しにして、仕事で溜まった疲れを少しでも取ろうと再びベッドの上に倒れ込んだ。
「ふぅ………」
心地よさに一息つくと、帰ってきてからベッドの上に放置していたスマートフォンのランプが点滅していることに気づく。職場の人からの連絡だったら嫌だなと思いながら通知を確認すると、自分がプレイしているゲームアプリのお知らせだった。
「そっか、イベント今日からだっけ」
『エターナル・ファンタジア−クロス−』、家庭用ゲームで発売された、それなりに人気と知名度のあるRPG『エターナル・ファンタジア』シリーズ初のスマートフォン向けゲーム。
システム的にはよくあるゲームアプリだけど、シリーズファンの自分としてはプレイせずにはいられない代物だ。本編では見られなかったキャラ組み合わせの掛け合いや、歴代主人公の掛け合いなど堪らない要素が沢山ある。
そして今日は先週発売された最新作、『エターナル・ファンタジア6』の発売記念コラボイベント開始日だった。もちろんファンであるからには既にクリア済み、と言いたいところだけどクリアどころかまともにプレイすら出来ていない。
寝転んだままアイコンをタップしゲームを起動させる。つけっぱなしのテレビの方に目を向ければ、周辺に買い揃えたゲーム機器とゲームソフトが山となっている。いわゆる積みゲーの山だ。
学生の頃は平日でも何時間と遊んでいたのに、今となっては週に1時間もプレイしていない。
ゲームが嫌いになったわけでもないし、関心が無くなったわけでもない。今だって発売が楽しみなタイトルがいくつもある。
それなのにプレイできないのは、仕事のせいだ。いや、仕事のせい、と言うのは流石に過言であるけれど、一因ではあると思う。
平日はもちろん休日もひたすら仕事の疲れを癒やすことに専念していて、ゲームをやり込む元気がない。そしてゲームをしたいという欲求をゲームアプリで解消する。そうやって過ごす毎日が酷くつまらない。
ゲームをする気力が湧かないほど疲れるのは、まだまだ自分が未熟だからで、いつか慣れればきっと前のようにゲームで遊べるはず。そう、思いたいけれど、この先何十年も今と同じ状態だったらという考えがどうしても頭から離れない。
職場環境も人間関係もこれと言って不満は無い。給与もそこそこ。多少の残業はあれど、ブラックというほどでもない。大学の同期でブラックに就職してしまった奴の話を聞けば、ホワイトなんだと思う。
恵まれている方だとは自覚しているけど、特に興味もなかった職種で、やりがいとかそういうのを見出せていない現状、いつか「生きるために仕事をする」じゃなくて「仕事をするために生きる」事になるんじゃないかと考えてしまう。そうなるのは嫌だ。怖い。そう感じるけれど、今の恵まれた環境を手放すのもまた怖くて結局現状維持を続けてしまう。
そんな事をぼんやりと考えていたらいつの間にか、ロードが終わってタイトル画面が表示されていた。
ゲームを始め今日のログインボーナスを受け取る。そのログインボーナスでちょうど十連分の石が貯まった。せっかくだしエターナル・ファンタジア6コラボガチャを引いてみる。
「誰が出るかなー」
6のヒロイン凄く好みだし出て欲しい。いや、ヒロインSSRだし今回の新規実装キャラ出たらいいやなんて考えていたけど、Rが9枚、確定SR枠が既に最大まで限界突破したキャラという残念な結果だった。
「既存でもせめて未所持キャラ出ろよ………」
ぼやきつつも、まあ排出率渋いしのはいつものことだと半ば諦め気味に獲得したキャラを全て売却する。そして改めてコラボイベントを遊ぼうかと思ったけど、先に明日の準備を済ませてから心置きなく遊ぼうと思い直しベッドから立ち上がった。はずだった。
嵌った経験はないが、まるで落とし穴に掛かったように足元が崩れ落下していく感覚に襲われ、視界が白く染まっていく。自分に何が起きたか考える間もなく、視界が完全に白に染まった。
視界が元に戻ると同時に体のバランスを崩して尻餅をつく。
「いてっ!」
臀部の痛みに顔をしかめながら、何が起きたか確認しようと周囲を見渡すと全く見知らぬ部屋になっていた。
(なんだ………ここ………?)
結構な広さの部屋で俺の正面には全く面識のない人が二人、女性と少女が立っている。壁は石造り、床も大理石のような白い石が継ぎ目もなく広がっていて、自分の狭いワンルームと全くもって別の場所だと一瞬で分かる。そして床に描かれた自分を囲んでいて淡く光を放っている円形の複雑な模様、いわゆるこれはゲームや漫画やアニメで見た魔法陣とかそういうのではないだろうか。
それに魔法陣の外で立っている女性の髪色は鮮やかな緑で、その隣にいる少女も白髪という現代日本ではコスプレでもない限り見られないような姿に、もしかしなくてもここは異世界とかそういうアレなんじゃないかと期待が膨らんでいく。
(夢………じゃない、よな?)
そう考えてみるけど、さっき打ち付けた尻が未だにジンジンと痛み、現実だと主張してくる。
中学生の頃に憧れなかったと言えば嘘になる、異世界召喚。もしかして、世界の危機に召喚された俺が何かの才能に目覚めて俺TUEEEEE展開とか、女の子いっぱい惚れさせちゃってハーレム展開とかあるかもと年甲斐もなく胸踊らせていると、淡々とした女性の声が響いた。
「ランク1のサーヴァントですね。通常の労働ならともかく、フィーネさんの目的であるダンジョン探索には適さないかと。売却した際の相場は銅貨40枚となっていますが、どうなさいますか?」
女性の言葉に浮ついていた気持ちと血の気が引いていく。
(なんだこれ………なにがどうなってるんだ?)
売却とはどういう意味か。この状況は何なのか。どうして俺がここにいるのか。そもそもここがどこなのか。尋ねたい事は沢山あるけど、何を聞けばいいのか分からなくて口がパクパクと動くだけで言葉が出ない。
「売却はしません!」
「畏まりました」
未だに状況が飲み込めていない俺を他所に、少女がそう宣言し俺の目の前まで歩み寄る。そして手を差し出してきた。
「あたしがあんたの契約者。これからよろしく」
「あ、うん。よろしく………お願いします」
きっとこの手を取るしかしか選択肢はないのだと理解し、その手を握る。
「あたしはフィーネ。あんたは?」
「杉浦祐悟です」
「スギウラユーゴ?変わった名前ね」
「あー………、杉浦は名字で祐悟が名前です」
「へー。あんたって名字持ってるんだ。始めて見た。まあ、どうでもいいか。それじゃ、ユーゴ行くよ」
そう言ってフィーネは俺の手を引っ張り、座りっぱなしだった俺を立ち上がらせる。自分よりずっと小さい女の子に名前を呼び捨てにされるのにムズ痒さを感じるが、もしここがファンタジーな世界なら幼く見えても俺よりずっと年上だったりする可能性がある。それに『契約者』と言ったことから、どう考えても俺より上の立場であることは明らか。とりあえず丁寧に接した方が無難だろう。
「えっと、フィーネ、さん、いや、様?」
「フィーネでいいよ。それとそんなに畏まらないで、気持ち悪いし」
「わかりま………わかった。フィーネ」
「それで何?」
「その、これからどこに行くんだ?」
「もちろんダンジョンだよ!」
そう言ってフィーネは俺の手を掴んだまま歩き出す。最初に気づかなかったがフィーネ達が立っていた側の壁にドアがあったらしく、そこから外に出た。
出た先は廊下になっていて、左右に出てきたドアと同じ意匠のドアが等間隔に並んでいる。廊下をフィーネに引っ張られるまま進むと、待合室のような大きな部屋に出た。結構な人数がいて、いわゆるギルド的な場所なのかと感じるが、細かく観察する時間もなく建物の外へ連れ出された。
外に出た瞬間、照りつける太陽の日差しに思わず目を細める。
「早く行くよ!」
「あ、ああ」
そう言って駆け足になるフィーネに歩調を合わせながらキョロキョロと周囲を観察する。ヨーロッパより西アジアな雰囲気の建物が並んでいて、人通りも多い。その多くが現代日本にはあり得ないような奇抜な色をしている。行き交う人々の中にポツポツとファンタジー作品で描かれるような戦士や魔法使いといった服装をしている人がいる。
乾いた風が肌を撫でる感覚、初めての空気の匂い、そしてこの街の光景、それら全てに今自分が別世界にいる事が現実だと実感させられた。