036. 障壁部隊
涼一たちが南東に移動し始めるとすぐに、レーンとヒューが姿を現した。
脱出となると、使えそうな遺物を持ち出したいため、皆の荷物はかなり増えている。
地球組の四人は、引き続き自転車に乗っていた。
「レーンも後ろに乗ったらどうだ?」
涼一が提案に、彼女も同意した。
「壁前まで、お願いしようかしら。防衛陣地の様子はどうだった?」
「兵は見当たらなかったな」
ヒューがその報告に反応する。
「障壁近辺に兵を集めたな。外からの侵入を警戒してのことなら、脱出が楽になるが」
期待はできんだろう、とも彼は付け加えた。煙幕は、明白に脱出者がいると宣言しているからだ。
障壁の建設は、昼からほとんど進んでいない。
歯車の歯のように、幅数メートルの短い壁が点在しているだけだ。人の背より少し高い程度で、未だ人の出入りを制限する力は無い。
「今なら穴だらけだわ。一気に抜けましょう」
「むぅ……」
レーンの言葉にヒューは何か思うところがあるようだったが、彼女は急かすように、涼一の自転車の後ろへ飛び乗った。
「行くわよ!」
地球組がペダルを漕ぎ出し、リザルド人は自転車と変わらないスピードで走り出す。
レーンの掛け声が理解できなかった山田だけが、少し遅れて出発した。
「俺だけ言葉が分からないとかないぜ! いつの間にみんな仲良くなってんだよ」
遅れを取り戻そうと、彼は懸命に足を回す。
涼一たちが脱出口に選んだのはゾーンの南東、煙幕の切れた左側だ。
煙の中は見えないが、住人たちが奮走しているはずで、バタバタというざわめきが微かに漏れてくる。
レーンは涼一の身体に左腕を回し、自分をしっかりと固定させた。
「転ばないでね」
その体勢で魔弓を抜き、矢を装填し始める。
遠慮無く腹を締め付けるレーンのせいで、少し息苦しくなりながらも、涼一は前方に注意を払った。
相変わらず、防衛陣地に動きは見えない。障壁ラインに近づくにつれ、逃げる人々の声も聞き分けられるようになる。
「あぁーっ!」
「ひぃっ、助けて!」
ドサドサと何かが倒れる鈍い音が、悲鳴に重なった。
煙幕内には防衛する兵がおり、やはり素直に通してくれはしないようだ。
「ああっ、殺さないでくれ!」
事前に予想はしていたが、脱出失敗の叫びだけが涼一の耳に届き、一方、帝国兵の声は全く聞こえない。
「カラスが来ていない」
レーンがボソッと呟く。血も死者も存在しないという意味であり、涼一の罪悪感を減じようという気遣いだろう。
彼女を乗せた分、涼一の速度は落ちたため、山田はもう彼らを追い抜かした。
涼一の次にアカリが、最後尾は若葉とヒュー。今回はそれぞれがあまり離れず、一塊となって進む。
先頭の山田が防衛陣地へ差し掛かった時、レーンは前方の一点を弓で指した。
「あそこを抜ける」
彼女が言うのは、壁が無く、最も広い間隙が空いた場所だ。
針路目標をよく見ようとした涼一は、煙が地面を這うように漂っているのに気づく。
「煙幕が、ここまで流れてきたのか?」
「風も無いのに? おかしいわね……」
ヒューが涼一の横まで上がってくる。レーンは自転車を飛び降り、弓を構えて走りだした。
「敵が見えたら、発炎筒を! ヒュー、援護して!」
警備している兵は、彼女とヒューの二人で排除する。慎重さよりも、速度。煙幕の援護があっても、強行突破であることは変わりなかった。
ヒューの走行速度は、最大になっていた。彼の手には、巨大な手裏剣のような武器が握られている。カチャンッと小気味良い音をさせると、手裏剣は倍以上の大きさに広がった。
戦闘形態のそれは、もはや手裏剣にしては巨大過ぎる。
跳ね広がった四枚刃、刃を繋ぐリング。涼一には馴染みの薄い地球の武器、戦輪チャクラムの形状に近い。
一団は防衛柵の横を抜け、ヒューを追いかけて皆の速度が一段階上がる。
アカリが涼一の隣に並んだ瞬間、彼女の車体が不自然に跳ねた。
「きゃっ!」
窪地に車輪を取られたアカリはバランスを崩し、小さな悲鳴を上げる。
倒れずに済まそうとする努力も虚しく、自転車は横転して荒れた地面を滑った。
涼一は自分の自転車を降り捨てて、倒れた後輩へ駆け寄る。
「瀬津っ!」
「ごめん……なさい……」
彼女は左脚を押さえ、痛みを堪えながら立とうとした。同じポーズを、彼は直近に見た覚えがある。
「足が治ってなかったのか!」
涼一は、自分の迂闊さに歯噛みした。
無理をするなと言われても、しないはずがない。怪我を知っている自分が気を遣うべきだったと、彼もまた謝罪を口にする。
数刻前と同じように、涼一はアカリの手を自分の肩に回させた。
「すまん、走るぞ、アカリ」
「はいっ」
ぎこちない二人三脚だが、彼らは懸命に自分の足で、涼一の自転車に向かって進む。
「アカリっ、大丈夫なの!?」
後ろを走っていた若葉は一度二人を追い越したものの、すぐに自転車を止め、心配そうに振り返った。
「先に行け!」
「私は大丈夫!」
涼一たちの指示に、若葉はすぐに動けなかった。せめて荷物を持たせてと、彼女が言いかけたその時、ヒューの叫びが荒野に響く。
「待ち伏せだ!」
増えていく煙に紛れて、いつの間にか黒い影の群れが湧いていた。
ヒューとレーンは作りかけの壁に辿り着いたが、いきなり現れた大量の兵に先を阻まれる。壁の後ろには、伏兵が潜んでいたらしい。
「これくらい、想定の内よ」
レーンの魔弾が、右壁の裏から出て来た敵を狙う。三本の矢が、兵の首を縫い合わせようと水平に撃ち出された。
兵は左右に十人ずつほど、どれも槍を手にしている。
「ヒューは左を!」
「分かった!」
左の兵たちには、ヒューの戦輪が飛び掛かった。
戦闘する少女とリザルドの間を、猛スピードで山田が駆け抜ける。彼は手にした発炎筒を発動させ、壁横の地面に投げ転がした。
赤く、強く光る発炎筒によって、壁の間は煙で埋まる。
防火訓練用とまでは行かずとも、濃煙は数メートル先をも白く隠した。この視界の悪さなら、撹乱には事足りる。
これなら敵を抑えて突破できると、レーンは未だ後方の涼一たちに呼び掛けた。
「早く、今のうちに!」
涼一は自分の自転車を起こし、後部にアカリを乗せる。地面を蹴り、渾身の力でペダルを踏んだ。
「落ちるなよ」
「離しません!」
若葉もその隣で、突破口を目指して駆ける。レーンまで、あと十メートルも無い。
煙の一番奥には、山田の背中が辛うじて浮かんでいた。
いや、見えたはずだった。
山田の姿は消え、白い煙だけを残して一緒で消え失せる。
ここで初めて、帝国兵の警笛が鳴り響いた。
短く三回続く笛の音。敵を認識し味方へ警告するためではなく、作戦開始の合図だとレーンやヒューは知っていた。
ここまで全て、敵の手の内だと気付かされる。
「斉射っ!」
兵の号令で、レーンたちへ矢が射掛けられた。
「ぐっ!」
狙いはデタラメであっても、瀑布のように降る矢の一本が、ヒューの左肩に命中する。
肩に刺さった矢を強引に引き抜いた彼は、背中合わせに立つレーンへ撤退を提案した。
「これが本命の守備隊だ、一旦退こう」
「まだよ。涼一!」
なんだ? と彼に聞く必要は無い。
密度の濃い三日を経て、二人の息も合い始めた。涼一は、彼女の欲する物を察し、声の方向へ投げた。
「受け取れ、レーン!」
ぼんやりとしか姿が見えないが、彼女ならキャッチできると、涼一は確信する。
発炎筒はレーンの足元へと転がって行き、彼女もその音を聞き逃さない。身を屈めたレーンは、求める遺物の場所まで横転して移動した。
筒を拾い上げたレーンは、魔素を流し込み、発煙の術式を起動させる。
煙が脱出ルートを作ってくれるのを狙って、進行方向へと思い切り放り込んだ。
前面に展開する弓兵たちさえ抜ければ、脱出は成功する。煙が矢の狙いを外し、闇が追っ手を撒くだろう。
この瞬間、前方の煙の中から、山田の声が届く。
レーンはまだ、彼が消えたことを知らず、それを仲間を呼び寄せるものだと受け取った。地球の言葉が分からない彼女では、そう考えても無理のないことではある。
“罠だ、逃げろ”、山田は彼らに危険を訴えていた。
レーンには伝わらないと気づいた涼一は、精一杯声を張り上げて警告を発する。
「罠だ、レーン! 戻って来い!」
レーンもヒューも、彼の声で足を止めた。
二人は地球の人間より遥かに鋭い感覚を有しており、目を凝らせばなんとか前方の異常も認識できる。
暗く、大きな落とし穴――山田はこれに捕らえられ、兵たちに押さえつけられていたのだ。
穴の至近まで接近したため、弓兵たちは目標を視認する。ぼやけた像でも、この距離なら外さない。
「撃てーっ!」
一斉に放たれる矢を回避するため、レーンは身体を捻って跳ぶ。
ヒューは腕を顔の前で交差させ、その場にしゃがんだ。身を縮める寸前、煙の薄れた隙間から、穴の全貌が目に入る。
敵は穴ではなく、堀を作っていた。敵は土を盛り上げて壁を作ろうとしたのではなく、掘り下げていたのだ。
五発の矢を腹や手足に受けながら、ヒューは自分の浅慮を後悔した。
ゾーン対策部隊を構成する三隊。その中で、最も術式の素養が高い兵はどこに所属しているのか。
内部を蹂躙する征圧部隊だろうか。または、全てを封じる障壁部隊だろうか。
障壁よりもさらに外側には、五メートル幅の溝の同心円が刻まれていた。一部をトンネル状にし、さらには落とし穴にまで加工された箇所もある。
わずか一日で成した仕事して、この作業量は尋常ではない。
先の質問の正解は、この異常な土木建設能力を誇る工作部隊である。
ガルドは壁の建設を一般兵による盛り土だけに留め、工作部隊の主力は南部へ投入した。
征圧部隊に押され出る獲物を、この堀の受け皿で止める作戦だ。
最初から、外部からの侵入は考慮していない。ゾーン内部への警戒だけに集中した運用だった。
以前のゾーンではたった一日で壁が作られたと、ヒューも聞き及んでいた。
歯抜けた壁など、故意の誘いだと看破するべきだったと、忸怩たる思いを抱く。
それに加え、煙幕である。煙は脱出者の味方だったはずが、敵の工作を隠す障害ともなってしまう。
障壁モドキを越えようかという距離に近寄るまで、ヒューもレーンも堀の存在に気づけなかった。
ヒューの体から、幾筋もの緑の血が流れ出す。
表皮が固く、体力に優れるリザルド族でも、これ以上の怪我は致命傷になりかねない。
退くしかない、突破は無理だと、彼はレーンへ目を向ける。彼女の被弾は肩と足の二か所。
だが、傷を負っても、彼女は突破を諦めていなかった。
「下がれ、レーン!」
「魔弾よ、蹴散らせ!」
彼女が見るのは前だけ。
放たれた三筋の赤い矢が一度上に跳ね、堀から上半身を乗り出した兵たちを急襲する。
「もう一度!」
赤い線が消えきらない内に、彼女は再度矢を装填して撃った。
三股に割れた赤い軌跡――その真ん中の一本に、青い線が迎え撃つように絡みつく。
赤と青の二重螺旋が、闇と煙の中に煌々と輝いた。
狙撃班指揮官、リゼルの放った追魔の弓が、レーンを捉えた瞬間だった。
「く、あぁっ!」
青い矢は丁寧に魔弾の経路を逆に辿り、彼女の魔弓をはたき落とす。
レーンの右手から、鮮血が飛び散った。
「レーン!」
自転車を捨てて駆け付けた涼一が、ヒューと二人でレーンの脇を抱え上げる。仰向けになった彼女の体を、彼らは渾身の力で引き摺った。
防衛柵近くにまで戻る間、通常矢による掃射が彼らを襲う。
この時、被弾を免れたのは、やはり煙幕のお蔭であり、若葉とアカリは追加の発炎筒を躍起になって投げつけていた。
防衛陣地を越えて、追撃する兵がいないことを確かめると、ようやく涼一たちはレーンを放す。
「……あと少しなのに!」
ふらつきながらも立ち上がった彼女は、壁の外を睨んで止まない。
涼一は若葉に仲間の荷物を任せ、レーンの肩をつかみ、自分に顔を向けさせた。
「今は無理だ、死ぬ気か」
彼女は涼一をつかみ返すと、煙幕の向こうにあるはずの荒野へもう一度振り返る。
「絶対……諦めない」
「分かってる」
そのまま彼女に肩を貸そうとする涼一の手を、レーンは押し止めた。
「一人で大丈夫。みんな、急いで戻るわよ!」
涼一たちは、死に物狂いで街へと走った。いつまでも追手が来ないとは限らず、煙幕が切れるまでに身を隠したい。
再びゾーンの境界線を踏み越えるまで、誰も、一言も、口を利かなかった。




