100. 絆
空間転移で涼一が手品のようにいなくなると、若葉やアカリは茫然自失となって立ち尽くす。
真っ先に声を出したのは、ヒューだ。
「いつまで帝都の軍を留めておけるか分からん。図書館に向かうぞ」
「でも、お兄ちゃんが――」
「転移したんだ。探索は、リズダルが総力を尽くして行う。今は逃げよう」
美月は涼一を失ったショックと、高濃度の魔素にやられたため、喋るのも難しい。しかし、転移には彼女の力が必須だった。
「カサイ、悪いが力を充填してくれ。これを」
先ほどまで涼一が魔素を溜めていた形代を拾い、ヒューは彼女に渡す。
美月はただコクリと頷いた。
「……行こうか」
ロドが一行に出発を告げ、若葉たちもようやく立ち上がる。
ゾロゾロと歩く彼らに、まだ消えた転移地を睨むレーンが取り残された。
ヒューは彼女を急かすように、声を掛ける。
「レーン?」
じっと地面を見つめたまま、彼女は呟いた。
「この土……」
「転移先のものだな。大陸じゃよくある灰土だ。行き先のヒントが有ればよかったが、土しかないとはな」
それはおかしい。空間転移が暴発したなら、避雷針が有るはずだ。
そう考えたレーンは、転移地の中央へ走り、がむしゃらに手で土を掘り始めた。
「レーン、無駄だ。表層に無いなら、埋まってるってことだ。どこまで掘る気だ!」
「でも、手掛かりが――」
ヒューは彼女の腕を取り、無理やり立たせる。
「避雷針を見つけても、行き先が分かるとは限らん。ここにも、また来ることは出来る」
黙って立つ彼女も、彼の言うことが正しいのは分かっていた。
ようやくレーンが歩き出すのを見て、ヒューはその後をついて行く。
図書館屋上に着くまで、誰もロクに口を開かず、黙々と足を動かすだけだった。
美月の回復には少し時間が掛かるため、皆は鳥居を前に座り込んで、彼女の合図を待つ。
半刻後、美月の力が回復し、転移が可能になった。
帝都軍の様子を観察していたロドとヒューは、敵の進攻が再開されたと報告する。
「ガルドも粘った方だろう。敵が来る前に、図書館を飛ばそう」
空間転移で移動し、安全な所から鳥居を発動する、それがヒューの提案だった。
「じゃあ、やるね」
美月が御神体で、転移陣を展開する。
小さな円が足元に出来たその時、レーンが走り出した。
「レーンッ!」
ヒューが怒鳴り、若葉やアカリは驚いて口を押さえる。
「絶対、連れて帰る! アレグザで待ってて!」
階段を駆け降りるレーンは、皆にそう叫んだ。
転移陣が広がり切って発動する、そのほんの数瞬の間に、彼女は外に飛び出すことに成功する。
図書館がリズダルの霊山に現れると、全員で手分けしてレーンを探したが、彼女は見つからなかった。
鳥居を使ってアレグザに戻った彼らは、住民と特務部隊から祝福の歓声を浴びるものの、彼らの表情の厳しさが皆に冷や水を浴びせる。
待っていたマッケイが、ヘイダを捕まえて問い質した。
「世界間転移は失敗したのか?」
「いや、それは大成功だと思う」
何が彼らを暗くするのか、最初に気付いたのはリディアとマリダだ。待ち人がいないのだから、当然だろう。
「レーンは?」
リディアの質問に、若葉が首を横に振った。
「レーンさんは残りました。消えたお兄ちゃんを捜すって」
第一ゾーンは、アレグザから遥かに遠い。涼一の居場所に至っては、手掛かりも無い。
当面は、リズダルとフィドローンの情報収集力に頼り、二人の行く先を調べるしかなかった。
若葉やアカリ、美月、それにマリダまでが、すぐに街を出て捜索に加わろうとする。
彼女たちを説得し、引き止めるのが、その後の神崎とヒューの仕事となってしまった。
◇
空間転移で飛ばされた涼一は、目を開けるまでに一時間も掛かった。
体内の魔素レベルが落ち着き、そこでやっと体が起こせるようになる。
周囲を見回した彼は、自分がどこにいるのか見当を付けるのに苦労しなかった。
暗く静かな闇に、地面に並ぶ光の縞模様。
第一ゾーンの下、地下大空洞だ。
ムカデの大群を思い出し、涼一は背筋が寒くなる。
前回、そのほとんどを殲滅したおかげで、一時間の休眠中に襲われることは避けられた。
ムカデがいた方向を嫌がり、彼はヨロヨロと渦の中心へ向かう。
光る転移遺跡に再会する頃には、頭もかなり働くようになってきた。
太古の遺跡を前にして、彼は考える。
メリッチは、この遺跡にそっくりのコピーを作った。
あまりに似たその設計は、実物を見たとしか思えない。どこかに地上へ通じる出口があるのではないか。
その出口もまた、術式研究所が管理していただろう。ここはメリッチが独占したい、最優先の秘密なのだから。
さて、その出口はどっちへ向かえばいいのか。
根拠は勘だけだ。
涼一は暫く遺跡の周囲を歩いて、何か脱出先の目安はないか闇を見渡す。
――こっちだな。
最早、東西南北も分からなくなった空間で、一つの方角を選び、彼は歩き出した。
――そう、根拠は無いさ。
だがしかし。
彼は不思議と、自信を持って歩き続ける。
段々と、進むほどに力強く。
勘は確信に変わり、彼の歩く速度が上がった。
渦の端に来て、古いクルーザーの残骸を越えた時、涼一の顔に笑みが戻った。
――ほら、正解だ。
暗闇に浮かび上がるように、ローブの少女が小さく霞んで見える。
走り寄る少女がフードを外すと、涼一のよく知る美しい栗色の髪が跳ねていた。
「それで、どうやって俺の居場所が分かったんだ?」
暗くても、レーンの悪戯っ子のような顔が見える気がする。
「リョウイチこそ、どうやって私が分かったのよ?」
「んー……勘かなあ」
クスクスと彼女が笑った。
「正解はね、これよ」
レーンがいきなり涼一の手を握り、彼の魔素を吸い込んだ。
「おいおい! 俺は病み上がりみたいなもんだぞ。無茶しないでくれ」
「ふふっ。おかしいと思わないの?」
――何がだ?
涼一は頭を捻り、彼女の言う意味を考える。
レーンが術式を使える以上、魔素操作ができるのも不思議では――。
「――あっ。普通は他人の魔素を操作できない。吸収どころか、与えるのだって怪しい」
「そうね」
自分が何度もやってきたからこそ、涼一はその不自然さに気付かなかった。
レーンにそんな能力があるなら、自らマリダを治療しようとしたはずだ。
二人で協力して撃った強化魔弾や冷弾、発動させた御神体を、彼は思い返す。
確かにレーンと涼一は、力を融通しあっていた。
「力がリンクし始めているのか……」
「繋がってるのよ、どういうわけか。集中したら、リョウイチのか細い魔素を感じたわ。地上と地下、案外近いからできた幸運ね」
黙々と歩き続けた彼らの前に、出口の光が見えてくる。
レーンも涼一と同じで、メリッチは進入路を隠していると考察した。
彼女は術式研究所の地下に向かい、所長の専用研究室を家捜しする。資料を当たろうとした本棚が滑り、現れたのが地下へ続く大階段だった。
涼一を最初に迎えるのは自分の役目、いつしかそう考えるようになったレーンの拘りは、今回も功を奏したのだった。
「まあ、美人と繋がってるなら光栄だな」
また暫し沈黙の行進が続く。
堪えられなくなったレーンが、ケラケラと笑い声を上げた。
「そういうテクニックは……っていう注意、言わないのか?」
「私へ使う分にはいいのよ」
二人は笑いあったまま、長い長い階段を上っていった。
◇
二人が研究所の地下から脱出した翌日、フィドローン王国は再独立を宣言した。
帝国の諸侯はそれぞれが同盟相手を選び、大陸は長い戦乱の歴史に突入する。ゾーンを核にして、術式で争うこの戦争は、ゾーン戦争と呼称された。
ガルドたちは北の辺境伯の元に身を寄せ、ゾーン解放派としてこの戦に参加して行く。
この時点では、終結は遥かに先の話であるが、フェルド・アレグザは最後まで独立を保ったと云う。
涼一たちがアレグザへ戻るには、大陸を縦断する必要がある。
帝国領の案内に、途中、彼らはヴェルダというプロの冒険家を雇った。涼一たちを見つけ、自分から売り込みに来た男を、最初は胡散臭く思い追い返す。
だが、アレグザ国民になりたいという熱意に負け、そこからは三人の道行きとなった。ヴェルダは中々優秀な男で、元は帝国兵だと言う。
諸邦の兵に見つからないように人目を避け、無人の国境を越えて彼らは南下した。
もっとも、その道案内のおかげで、リズダル共和国らの調査網すら避けてしまったのは、失敗だったかもしれない。
リズダルの調査機関は、涼一の力に渦を制御し得る可能性を見た。
彼の力があれば、ゾーンの発生を抑えつつ、魔素を利用する道が開けるかもしれない。
そのためにも、彼らは血眼になって涼一の行方を追った。
巨大カエルと戦い、カラスを焼鳥にし、道無き道を涼一たちは邁進する。
ハータムを迂回して、ザクサを越え、アレグザを目前としたのは、第一ゾーンを出た半月後のことだった。
◇
アレグザ中央の本部テントでは、毎朝、食事に何人もの住民が集まる。
必ず出席するのは、若葉、アカリ、それに美月の三人だ。
涼一たちが消えてから、誰が言い出すでもなく、ここに集まる習慣ができた。
今朝は山田も参加し、あまり美味くなさそうな顔で、皆はモソモソと朝食をとっている。
そこに飛び込んで来たのが、顔だけは冷静なヒューだった。
「帰って来たぞ! 西からだ!」
息を荒らしギュロギュロと鳴くため、彼も相当慌てたのがバレている。
その後は、大通りを西進する住民のマラソンが始まった。
ヒューと特務部隊は仕方がないとして、その次の位置争いは熾烈を極める。
意外と足の速い若葉を抜こうと、アカリと美月が鬼の形相で疾走した。
障壁を越える頃には、神崎や花岡はヘロヘロで、飽きれ顔の小関に叱咤激励される始末だ。
彼らを置き去りにして、その先に進もうとする若葉たちを、中島が呼び止める。
「ちょっと! 我慢しなさい。有沙がついてこれないじゃないの!」
子供をダシに使うことを覚えた彼女は、最近、頻繁にこの手を使う。
有沙に弱い若葉たちは、渋々壁の前で涼一たちが見えるのを待った。
小さな少女が到着すると、トテトテと一番前に出てくる。
「おにいちゃんたち、かえってきたの?」
「そうよ、絶対戻ってくるって言ったでしょ」
若葉は地平線に目を凝らし続ける。
「おっ! あれじゃないのか?」
揺れる三つの人影に、神崎が気付いた。
「そうよ、あれだわ!」
横の中島もそれを認める。
西進入口に、防衛戦の勝利の時以上の歓声が上がった。
若葉たちも、もちろん涼一たちを見落とすはずは無かった。
「あれよ、もう顔も見える。走ってよ、お兄ちゃん!」
皆がちぎれんばかりに腕を振ると、遠くの涼一も手を挙げた。
「やっと帰って来やがったぜ。あの後ろのオッサンは……まあ、どうでもいいや」
山田の横で、美月が眉間に皺を寄せた。
「なんで二人は手を繋いでるの?」
「あれは友情の証です。二人はボッチモだもの。右手は私用ですから」
帰ってきたら、少しくらいくっついても怒られないだろう――アカリはそんなことを考えていた。
彼女の後ろに立つのは、リディアとマリダだ。
「ようやくみたいね、母さん」
「ね、待ってればいいのよ。まだ若いんだから」
街の前に立つまで、涼一もレーンも声を出さず、二人の様子を皆もただ見守った。
手が触れそうな距離まで近づくと、レーンが穏やかに微笑む。
涼一は一人一人の顔を見て、そして、口を開いた。
「ただいま、みんな」
再び上がる歓声と一緒に、二人は揉みくちゃにされる。
レーンがその喧騒の中、涼一を見つめてパチリとウインクした。
――そうさ、ここが俺の帰る街だ。
初夏の風が、彼の頬を優しく撫でて、通り過ぎた。
(了)
最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。
「ゾーン」の話は、「狂血のチェイサー」でも登場します。
関連作ともども、今後ともよろしくお願いいたします。