【chapter1-2】
「鉄クギ34にビンの破片7。ざっとコイン33枚か...ノルマは超えたな」
下民層サイド街通り、33_5番地周辺から最寄りのゴミ溜め場での鉄屑回収は
毎日30コインがノルマと決めている。
今日はやけに寒かった。
まあ熱いよりはいいのだ。なんせゴミが腐って鼻が曲がる。
それに寒さは、“あの記憶”を強くとどめて置ける。
さあ家族のもとに帰ろう。
妹の縫ってくれた服は、ツギハギで隙間だらけだったが温かった。
捻り曲がった錆びたレールをまたぎ、小石の山に足を置いた。
帰りもしっかりと鉄屑を探して歩く。すこしでも多く、すこしでも…
路地裏の悪臭漂う廃ビルの陰がふと目に留まった。
「――おい、金出せ。」
治安は最低。無法地帯の下民層は法律など無効。
「ないです…」
見れば男がとても綺麗な女性から金を巻き上げているではないか。
よく見ると妹と同じくらいの髪をまっすぐに降ろした女だった。足元の小石の山がばらっと崩れた。気づいたときには怒りが込み上げてきた。なぜか頭の中で姿を重ねてしまった。構わなくていいんだ。早く帰ろう。すこしでもお金になる鉄屑をさがして。帰ろう。
「あんだろ、殺すぞ」
大人の男は女の首に細い鉄の棒を突きつける。先端が尖っていた。女が唸り声を上げ、体を大きく震わせる。僕は、足を止めた。
「うぅ…!!」
もうすでに制御はできなかったのだ。いつしか女は妹の“トルマ”にしかみえなくなっていた。
俺は男にスタスタと歩み寄った。
すると思いがけないものが目に飛び込んできた。突然の出来事で硬直する。
きっとこの男にはわかっているだろう。臭いなぁ。
「んぁ、んだガキ…こいつの連れか?」
あきらかに歳も身分も違うのに。臭いなぁ。
「…“俺”は“臭いもの”は“きらい”だ」
鋭く睨むと男は眉間に皺を寄せた。
「お、おい、お前殺すぞ。なんだその目は? あぁあ?!!! 」
女に鉄棒を突きつけたまま首を右手で首を絞めてきた。が。
「お前が。」
ポケットから刃渡り数センチの折り畳みナイフを取り出し、男の指を、断った。
「え、」
ぽろりと落ちた第一関節はぴしゃっと土を赤く塗り、残ったほうからは血液がドクドクと流れだす。が構わず、男の首に鋭利ナイフを突きつけた。
「今日、盗った金全部出して。おにいさん、3秒でやらなきゃ。」
「ああ、あ、あああ、ユビガ、ああ…!!」
男はすぐにポケットから銀貨を取り出し、発狂しながら走り去っていった。きっと治療もできず切り口から菌が入って3日も経たず死ぬだろう。ここはそういう世界だ。
「あ、あの…助けてくださって…」
「違う。金がほしいだけだ。」
嘘はついていない、金を巻き上げている奴は大金を持っている場合が多い。今回は銀貨だったが、金貨を取り上げた時もあった。鉄屑回収でボロ金を集めるなら大人狩りした方が儲かるし、効率がいい。
「あんたも金あるなら出せよ。」
冷たく言い放つ。これも本心だった。
一瞥すると首を振っていた
「ごめんなさい、無いの。」
「そうか。じゃあな」
女の瞳が揺れた。たまたま見えた。
「まって、せめて名前だけでも。お礼が―」
「みればあんた、貴族か王族だな。僕、みたいなゴミ人間に金出すくらいなら治せよ。」
顔が上がった。僕は早く帰ろうと思った。菌が移ったら大変だ。
女は目を丸くして、何も言わなかった。やがてうつむいた。
「黴が発生してから3年も経ってんだ。富豪層では直せる方法あるんだろ。俺の妹が黒黴病だ。礼はいいから特効薬もってきてくれよ。名は『アスベルク=ネル』。じゃあもう会わないことを願う。」
寂しそうな顔が静かに上がった。
その時また『アレ』が目に入る。やはり――黒い“黴”だった。
返事は待たない。名前を呼ばれた気がした。だから。
「臭い」
それだけ言って
なにも考えず俺は腐った街を、家に早く帰るために、再び歩み始めることにした。
「ただいま!!」
元気な声が聞こえたのはトルマを寝かしつけたすぐ後だった。
「しーっ」
「あっ、ごめんごめん…」
弟は声を潜めた。
「おかえり、」
微笑みかけ、煤と埃で汚れた顔を拭いてやる。その時、血が香った。
「兄貴。銀貨。」
もちろんネルが大人狩りをしてることは知っている。そしてネルも、ばれていることを知っていた。だから隠さないし、『そういう世界』で通ってしまう。ひどい世界であり、そういう世界だ。
「そっか。死ぬなよ。」
「うん。」
優しく頭を撫でる。
しかし、いつものように“アスベルク”は笑わなかった。
壁の一点を見つめ、ルーチは強く何かを感じた。
「アスベルク」
「兄貴、王族が居た。」
理解するのに数分の沈黙を要することとなった。
背凭れのない虚空を長く浮遊した。手のひらから伝わる髪の毛の感触と、冷たい土の感触。それを取り残して、僕はしばらくその言葉の汁を吸う。呼吸を一つ。はぁ。
ああ。そうだったのか。
全て本当だったんだな。
王族。
こんな辺鄙なスラム街へ、
ようこそ。