菊池裕太その3
「遅ーい。」
緒川理穂のやけに甲高い声が耳を襲った。
確か菊池と同じサークルの人間だ。
サークル名は「どちゅこい」はっきり言ってセンスの欠片もない。大きなビラにそんな名前を書いて回って恥ずかしくないのだろうかと新入生歓迎会の時どれほど思ったことか・・・
6人も集まって何をするのだろうか。せめてどんちゃん騒ぎだけはやめてほしいと願う私だった。
「じゃあ始めようか。」
菊池の急な真面目なトーンに不意をつかれた。
どうやら就職活動の対策をやるらしい。
各々の収穫をどうやら話し合ってるようだ。
就活なんてまだまだ先と考えていた私はなさけない気持ちになっていた。行き交う単語はほとんどが理解できない。ES、営業利益率、総合職、一般職、リクルーター。
これからの将来が不安になってきた。
つい1週間前に菊池と少し話した時、就活なんてまだまだ先とお互い言っていたのに。
こいつはこうも着々と準備を進めていたのか。
ふつふつと怒りの感情が湧き上がってきた。
それに追い打ちをかけるようにーー。
「てかさ、今の段階でインターンも行ってないとか本当にやばくない? 自分の将来とかどう考えてんのかな。」
理穂の言葉がささる。
余計なお世話だ。
「ほら、菊池くんとたまにいるあれ、誰だっけ?」
「翔太?」
理穂の疑問に菊池が答える。理穂は手を鳴らしそうそれと言い放った。
ここで自分の名前が出ると思わなかった私は、急に冷静になった。
「翔太くんと何で一緒にいるの? あいつ全然面白くなくない?」
私はお前のことなんて知らない。なぜ、まともに話したこともない相手にこうも舐められなければならないのか。
「翔太の事あんま悪く言うんじゃねえよ」
声を低くして言う菊池に心底驚いた。てっきり、この勘違い女の肩を持つと思っていた。それに、菊池とは特別仲のいい友達というわけではない。
理穂も驚いた顔をしている。菊池が、まっすぐに理穂の顔を見ているから私も理穂の表情が見える。私は初めて菊池の今の表情を見たいと思った。
「はい、やめやめやめー」
天パが重くなりかけた空気を立て直した。ナイス天パ。
「翔太の事、結構気に入ってるもんな菊池は」
茶髪だがおとなしめの彼が続けた。名前は知らない。
気に入ってると言われるとなんだか複雑な気持ちだ。
「あいつは、いいやつだから」
菊池が言ったその言葉は、暖かみを含んでいた。
ここで拓人に関する話題は中断され、また就活談義へと戻っていった。
ああ、もやもやする。
傍観者の立場だとこうも煮え切らない気持ちになるのかと。
そうこうしているうちに、講義がまた始まり、菊池の1日が継続していく。
この体験を通じて菊池のことが多少なりとも分かってきた。私と違って、話をするときは相手の瞳をまっすぐ見つめるタイプだということ。財布の中身は綺麗に整理されていて、たまに家族らしき写真をこっそりと見ていること。
他人や家族、友人問わず、人を大切にしている人間だと今日だけで思い知らされた。
また、同時に自分がいかにちっぽけで想像力が欠けていたか・・・
菊池裕太の体験は、名残惜しいと思いつつ菊池が眠ると同時に終わってしまった。