時に人を批難し、“大嫌い”を通り越し、その後は……“人の不幸は蜜の味”
文字、文章、顔が見えない表情が伝わらないものって本当に難しいな…と思う。
でも、「こいつって本当に最低だな」と思うことはそうそうない。この人のことを知らないもの。文字だけじゃ何もわからない。
しかし、その語られる言葉、綴られた文字が、現実に起こったことに対しての意見やらだと別であると思う。
誰かが死んだ。殺された。殺されて死んでいることに対して、何か楽しいそうに話し始めたと感じられる文章を目にすると、何も知らない顔も知らないその人物に怒りが湧き、批難し、大した感情すら持ち合わせていなかったのに“大嫌い”が芽吹き、更に二度とこの人の文章は読まない。心からその人を否定したい思いが根付くのだ。
どうせ、関係もない人間である私だが、殺された人がいるという現実はニュースで見ている。それを悼む言葉もなく楽しげに見てとれる顔文字をもちいる人を受け入れることは難しい。
まあ、私一人がなんだという話でありますが、胸糞悪かった。
本当に文章は難しいね。
誰かの命を軽んじる行為になるかもしれない。
そして、非現実で扱う“死”もまた考えて物語を作ろうと思った。
お悔やみ申し上げます
-追記-
“自由に書く”て、批難してしまう内容もその一部なんだろうけどね、色んな人がいることをあらためて思う。
そして、感情を揺さぶられ、何かを感じさせられ考えさせられるのだが、どうにも否定したい気持ちが勝ってしまう。
でも、自分もまた“ネタ”にしているという矛盾が、文章を書くキッカケになっている。否定しながら受け入れているだけなんだろう。
所詮は自分のために生きている。




