たまに後悔すると…
もっと反発心というものを持っていたなら、今、自分は違う生き方をしていたんじゃないか――と、思うことがある。長く生きれば生きるだけ、そして終わりがまだ遠いと思える年頃であれば、きっと誰しも思うことだろう。
普段、私は人の目が怖くて道の端っこを歩いているそんな人間であるが、「結果として今の自分があるなら受け入れよう」と意外にポジティブに生きている。
それでも、ふとしたことがキッカケで「もしかしたらもう少し“立派”と言われる人生を歩んでいたかもしれない」と、大人に従順に過ごしていた子供時代を後悔するときがある。
「ダメ」の言葉に疑問も抱かず、求められる右に倣えな協調性を苦手と自覚していても呑み込んで。「悪いこと」とすり込められた方を健気に怖がり、その人らを遠巻きに「悪」と罵り、褒められることだけを一心に、時折うまれる好奇心をねじ伏せてきたことを思うと、寂しくなるのだ。
何故「ダメ」なのかの理由が欲しかった。
そして、「どうしても!」といえる根性が欲しかった。
――そう思う日がある。私は誰のために生きているのか、何がしたくて毎日を過ごしているのか、本当はどう思い何を感じているのか、言葉にすればよかったと。
もっと自分自身に興味を持ち、とき反発すればよかったと過去を振り返り、今と比べてしまう。
だから、エッセイを書いたり、詩を書いたり、物語を書いているんだろう。モドキとどこかで非難しつつも、誰に認められる褒められることを期待するのではなく、この場をかりて「私」を自由に語りたい。こんな人間もいます、みたいな。
そうして、想いやら考えやらを思いのままに綴れるようになれることを楽しみ、後悔することを根強い「ダメ」で否定しながら、後悔することでより自分自身を見つめられると、過去の自分から今の自分までを受け入れてやりたい。
一体、自分は何を後悔しているのか、何を寂しと感じて嘆いているのか、今、何をしたいから苛ついたり有頂天であったり落ち込んでいるのかを冷静に見つめてやりたい。
今年の抱負は「生きている」だ。
それを人にいったら鼻で笑われたのだが、私は今年も生きていたい。
――と、「ダメ!」とその一言で終わらせようとする大人を見て、ちょっとだけ子供の頃を思い出した話でした。




