30-C -禁断の血-
咎霧領域の外。月花と刹那は鉱物兵士を相手に共闘していた。
月花「氷遊折花紙四式 手裏剣」
手裏剣を首に当ててゆく。何度も同じ所に攻撃を与えられ続けた鉱物兵士の首には少しずつヒビが入っていた。
月花「刹那ちゃん! 今だ!」
地面には氷の板。刹那の水術を月花が凍らせて作ったアイスバーン。
刹那の足には、月花の氷で作られたエッジ付きのブーツ。スケートをするように刹那が滑り、何十にもなる横回転を加え、その踵の刃で鉱物兵士の首を捉えた!
刹那「やあああぁぁぁぁ!」
そのまま足を振り抜くと、鉱物兵士の首が飛ぶ! その衝撃からゴロンと上半身が落ち、下半身はボロボロと崩壊していった。
刹那「やったよお! 月花様ぁ!」
氷板の上を滑って、月花に抱きつく刹那。月花はその勢いと氷で足を滑らせて、二人は一緒に倒れた。
月花「イタタ…やったね、刹那ちゃん」
刹那「アハッ…! よかった…これで一つは……」
レイ「他はもう全部倒したよ」
レイ、風魔、バサラとマリアが合流する。月花はアイスバーンを解除し立ち上がり、刹那を引き起こした。
バサラ「おかしいな……これで結界は解除されても良さそうなんだけどな」
マリア「まだ何か条件が…?」
風魔「……」
解除されない結界の様子を見ていた。すると突如、内部で爆発が起こった! 結界の鉱石が砕け散りながら、襲いかかってくる! バサラは咄嗟にマリアを抱えて庇い、月花も刹那を庇った!
レイ「光術……遮光の牆壁」
レイの出現させた光の壁が、飛んできた鉱石の破片を弾いてゆく!
風魔「……(この瞬時に咎力で作り出した……なんて速度だ)」
風魔はレイの瞬時の判断能力、実力、冷静さを見て、平静を欠きそうになった。
咎霧領域から飛び出した二つの影! その姿は、見知らぬ金髪の女性と、紫の髪をした……。
バサラ「あれは……!?」
刹那「奈樹様……? あれは奈樹様だよお!」
マリア「あの姿は……また!?」
マリアだけは見たことがある姿だった。まるで悪魔のような姿に変貌した奈樹の殴打で、為すすべもなく数十メートル以上吹き飛ぶ陽子! その状態に追撃しようと、奈樹は猛スピードで浜辺のある方向へと、獣のように跳躍してゆく!
月花「咎霧領域の中は…!?」
レイ「そうだね。とりあえず、中の皆が無事か確認するのを優先しよう」
レイは咎霧領域の中へ入っていった。
重力空間から解放されたものの、ハルベルトの攻撃と、長い拘束によって身体が痺れるような感覚に襲われている蒼輝、勾玉は動けずにいた。
ハルベルト、アリスは奈樹の攻撃によって陽子が吹き飛んでいった方向を見て呆然としていた。マテリアは血を流して倒れている。
月花「マテリアちゃん!」
月花は氷の平らな咎力を手に作り出した。
月花「氷遊折花紙二十六式 鶴」
折り曲って完成した氷の鶴がマテリアにふわふわと飛んでゆき、傷口へと着地する。スっと溶けるように消えてゆき、少しずつ傷を癒してゆく。
アリス「陽子さん……。陽子さんを……」
陽子の吹き飛んで行った方向を直視し、目を見開いている。身体に紅色の咎力が滲み出し、今にも陽子と奈樹の後を追いそうになっているアリス。
ハルベルト「待つんだな、柊 アリス!」
アリスの戦闘許可が下りていない為、静止するハルベルト。アリス自身も、その命令に従わなければならないという気持ちと、陽子の所へ駆け出したい気持ちと葛藤している様子だった。
勾玉「柊……!? 柊だと!?」
蒼輝「なんだよ…!? 柊って……」
恐ろしい言葉を聞いたかのように、驚いた表情をする勾玉。ハルベルトが今にも動き出しそうなアリスを止めようと近付いたが……!
アリス「陽子さんっっっっっっ――――!」
叫ぶアリスの身体から巻き起こる紅い閃光、紅い雷が周辺に走り、地にヒビが入る! その恐ろしいまでの力と衝撃で、巨体ごと吹き飛ばされるハルベルト。
地に伏せている状態且つ、距離のある蒼輝と勾玉でさえも吹き飛ばされそうになる! そして、アリスは地に左手の親指と人差し指を付いた。
ハルベルト「柊 アリス! 戦えば命令違反だな!」
恐らくアリスの耳にはハルベルトの声は聞こえていたであろう。しかし、その上で無視をした。アリスの身体がビクンと動いた後、雷を走らせ、消えるかのように一瞬で移動した!
一方その頃……奈樹の攻撃で吹き飛ぶ陽子。あまりの衝撃で身動きが取れずにいた。
陽子「くっ……まさか……ここまで激しいなんて……!」
そこへ襲い来る奈樹の追撃! 拳が顔面を捉え、鼻にめり込み歪める。そのまま奈樹は拳を振り抜き、殴り飛ばされる陽子! 陽子は凄まじい勢いのまま崖近くの手すりに逆さまの状態で胸部から衝突した! 金属製の手すりが歪に形を変える。
陽子は無抵抗のままクルクルと回りながら浜辺上空へ投げ出される!
陽子「…ぁ…! くっ……!」
肋骨が何本か折れた。最初のみぞおちに突進、続いて顔面を殴られ、肋骨が折れてまともに呼吸が出来ない。どれだけ苦しくとも両目だけは閉じないようにするが、涙が滲んで視界を曇らせてくる。
陽子「……!」
浜辺の地面から15メートルほどある高さの宙に浮いている陽子。警戒していたはずなのに、いとも簡単に目の前に、その攻撃範囲内に現れる紫色の髪となった奈樹。その姿は、まるで……悪魔だった。
奈樹「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
咆哮した後、硬化したトゲ付きの髪で陽子の腹部を殴る! 陽子は肌の肉が削られながら殴り飛ばされ、背中から地面へと叩きつけられる!
陽子「……ガハッ…!」
砂が僅かにクッションとなったものの、今の一撃で内臓を損傷し、大量に吐血した。ダメージが大きく動けない。しかし、呼吸を整える。そうしている間にも陽子の身体は人間では考えられないほどの速度で徐々に回復、再生しているが……。
上空から落下してきた奈樹が、そのまま陽子の右肘に膝を落とした!
陽子「あァ…ッ…! ぐ……っ!」
その攻撃によって右腕を脱臼し、肘から先がグニャリと曲がる。奈樹は左肘にも勢いよく肘を落とし、同じように脱臼させた。浜辺に、血を吐きながら咳き込む陽子の悲痛な叫び声が響いた。
陽子「ハァ……ハァ……」
回復が間に合わない。そう思った矢先、馬乗りになった奈樹は髪で陽子の肩を押さえつけて動けなくする。
そして左右の拳を交互に、陽子の血に染まった顔、肋骨の折れた胸部、内臓を損傷している腹部に何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も連打して振り下ろす!
意識が飛べば、確実に開錠状態は解除される。そうなってしまえば、この猛攻に耐えることはできない。つまり……殺される。
それを知っていた陽子は必死に痛みを堪え、意識を保とうとした。
1分……いや、30秒あれば、全回復とは言わないけど体勢を立て直せる……。
しかし、そんな思いは虚しく、手足の指一本さえ動かせないほどのダメージを負っていた。
奈樹「…………」
奈樹は鋭い瞳で攻撃を中断し、天へと手を向けた。そして手に強大な咎力を溜め、禍々しい力を作り出した。
陽子「……蒼の……悪魔……」
過去に資料室で見た奈樹の過去の経歴と、異名を口にしていた。そして、自身の終わりを覚悟して、そっと目を閉じた。
すると陽子に馬乗りになっていた奈樹は、横からの攻撃で激しく吹き飛び、地面をバウンドしながら20メートルほど先で倒れた!
陽子「……!?」
のしかかられていた体重分の重みを感じなくなったことに疑問を感じた。しかし、一度閉じた目は重く、すぐには開いてくれなかった。しかし、その意味を耳で理解することになった。
奈樹「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
遠くから陽子の耳に届く、咆哮。そして、近く発せられる声に、陽子は驚愕する。
アリス「陽子さんを……これ以上傷つけないでっっ!」
陽子「ァ…………ス……ッ!」
『アリス』と名前を呼んで、静止したかった。しかし、思うように声が出ていなかった。そして、陽子は目を閉じていたため、アリスの変化に気付けずにいた。アリスの肌に紅い模様が発生し、ベージュ色の髪が血のような深紅に染まっていることに。
奈樹がダッシュして、猛スピードでアリスへ殴りかかる! アリスは目を見開いて、その拳の軌道を見極め、左手で受け止めた!
アリス「切っ裂いてあげる……!」
空いた右手で爪を立て、奈樹の身体を切り裂いた! 身体から鮮血が吹き出すが、まるで気にも留めない様子でアリスの脇腹に向かって左足で高速の蹴りを繰り出す!
アリス「遅すぎる……! 見えてますよ…!」
爪を立てた右手で、奈樹の脚を突き刺す! そのまま地面へと落とし、アリスの指は奈樹の脚を貫通する! 肉を抉るようにして手を引き抜き、アリスが右腕をグルグルと捻る。その捻れを解放した瞬間、雷が発生する!
アリス「雷蛇螺旋刃!」
雷が蛇のような姿をして、奈樹の腹部を貫通する! 奈樹は大きく吐血した。そしてアリスは握っていた奈樹の拳に力を入れ、半回転して放り投げる! 奈樹は抵抗することもできず、崖の壁に激突した!
――咎霧領域内部。
勾玉が、柊一族について語り始めた。
勾玉「柊一族……。俺の故郷……飛竜一族の住む村とは別に、近隣に小さな里が二つと一つの集落があった……。その集落が……柊一族だ」
蒼輝「それが……さっきのヤツが柊一族であることと、勾玉が驚いていたことが何かあるってのか?」
勾玉「子供の頃に柊の血は危険と言われ続け、集落には絶対に近付いてはならないと言われていた。聞いた話によると、あまりの残酷さと凶暴さ故に、山の奥地で一族でのみで生きてきたらしい……」
そんな者が奈樹を追っていった。そのことに顔が青くなる蒼輝。勾玉は続けて言った。
勾玉「最凶の戦闘狂一族……それが柊だ」
蒼輝は無意識に震えていた。奈樹に迫る狂気の存在に。
勾玉「もし本当に先程の女が柊一族なのであり、戦いを初めてしまったのなら……この島は終わりだ」
蒼輝「終わりって……!」
勾玉「その驚異的な戦闘能力で近くの生物を全てを殺し尽くすまで、あの一族は戦いを止めない。そういった種族だ……」
蒼輝「じゃあ……奈樹が危ない!」
蒼輝は地に伏せられ続けた影響で重い身体を無理して起こし、立ち上がった。
勾玉「待て…!」
ゆっくりと起き上がり、しゃがみこむ勾玉を蒼輝は見た。
勾玉「危険だ……蒼輝、お前を行かせるわけにはいかん…」
蒼輝「何言ってんだよ!? 今、一番危険なのは奈樹…」
勾玉「その奈樹さえも変貌してしまったのを見ただろう!?」
蒼輝はハッとした。自身の目の前で、紫髪に変化し、獣のような……悪魔の姿に変貌した奈樹。陽子に襲い掛かり、咎霧領域から飛び出していった奈樹。
勾玉「今の奈樹と柊一族の間に入れば……蒼輝。お前は間違いなく死ぬぞ」
蒼輝「……!」
だが――それでも蒼輝の心は奈樹の元に向かいたい気持ちでいっぱいだった。
奈樹の笑顔が。
奈樹の声が。
奈樹の存在が。
奈樹の全て胸の中に溢れていた。
今、奈樹の元へ向かわなければ……きっと後悔してしまう。
カノンを失った時のような感覚に襲われる。
『蒼輝、行ってきなよ』
蒼輝「……!」
様々な感情が渦巻き、震えていた蒼輝に声を掛けたのは風魔だった。
勾玉「風魔っ…!」
風魔は黙ったまま、勾玉を説得するかのような眼で見ていた。風魔の言葉に感謝し、蒼輝は足元にあった奈樹のリボンを拾い上げ、何も言わずに全速力で走り出していた。
勾玉「……お前と言う奴は……また気分なんてものではないだろうな?」
風魔「あぁ、気分じゃない。予感さ」
勾玉「似たようなものだ……」
風魔「どうせ……柊一族が暴れ続ければ、この島は終わるんだろ? だったら蒼輝を行かせてやるべきさ。もう、二度と後悔しないようにね」
勾玉は同意するように、フッと笑った。
そのやりとりを見ているハルベルトは、様々な思考を巡らせていた。現在の状況は勾玉、風魔、マテリア、刹那と月花、バサラとマリア、そしてレイの8人。マテリアは動けないと見ても、7対1という戦況。
ハルベルト「……」
このまま戦っても構わないが、それ以上に気になっていることがあった。それは戦闘許可されていないのに飛び出していったアリス。もしもアリスを自身を制御できなくなり、無差別に攻撃するようなことがあれば……親しい陽子はともかく、自分に危害が及ぶのではないかと考えていた。
ハルベルト「まずは合流……柊アリスの後を追うんだな……」
レイ「そうはさせないよ」
咎霧領域から出ようとしたハルベルトだったが、レイが一歩前に踏み出して発言した。
ハルベルト「俺は忙しいんだな。お前に構っている暇は無いんだな」
レイ「そうかい。それなら仕方ないね」
意外にも食い下がらなかった。ハルベルトは、そのアッサリとした対応に驚いた。
レイ「だったら―――……一瞬で終わらせてあげるよ」
低く構えたレイの手に光が宿った。
レイ「光術……狩槍彗矢」
ハルベルト「……! まさか……!」
ハルベルトはレイの開いた目、その瞳を見た。
アリス「遅い!」
奈樹の指から放たれた三本の雷。常人なら目で追えない程の速度である屈折する雷撃をアリスは平然と回避し瞬時に接近して、奈樹の顎に膝蹴りを炸裂させる!
奈樹「グッ……!」
怯んだ奈樹は棘のようになった鋭利な髪でアリスを捕えようと動かす! しかし、その髪が届く前にアリスは奈樹の左肩を掴み、その肌を抉るようにして握り、横回転させる!
その回転によってアリスを視界から逃した奈樹。アリスはその一瞬だけ、髪のコントロールを失ったのを見逃さず、奈樹の後頭部を掴んで地面に叩きつける! その状態で地を引きずるように7~8メートルほど走り、頭上へと放り投げる! 上空10メートルほどの地点で奈樹が姿勢を整えるが、腕を捻った状態のアリスが背後に回り込んでいた。
アリス「雷蛇螺旋咬迅!」
アリスの方へ振り返った奈樹だったが、アリスの腕から放たれた雷の蛇が奈樹の胴体に噛み付くようにうねり、噛み付いたまま斜め方向の地面へと落ちてゆく! そのまま砂浜で背を引きずりながら20メートルほど先で停止し、雷の蛇はスパークを起こして消える。
アリス「よっと…」
平然と着地するアリス。倒れていた奈樹は息を切らしながらも、ゆっくりと立ち上がる。
奈樹「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
またしても咆哮。変貌した奈樹。アリスの攻撃によって服と身体はボロボロになっていた。しかし、まだダメージを感じさせずに激しく動き、アリスへ殴りかかる! アリスはいとも容易く回避し、その腕を掴んで一本背負いに近い状態で地面へ叩きつけた!
アリス「切っ裂け!」
貫手で奈樹の顔面を突く! しかし硬軟伸縮自在の髪で受け止め、攻撃を阻止する。アリスは髪を掴み、三回転して投げ飛ばした! 奈樹は激しく転がり、20メートルほど先で倒れる。
そろそろ疲れが蓄積してきたのか、奈樹の起き上がりが少し遅くなっていた。
アリス「その程度ですか?」
悪魔であるゼパイルをも圧倒したはずの変貌した奈樹を相手に、一切ダメージを受けていないアリス。その歴然とした差に余裕の笑みを浮かべた。
陽子「……」
陽子は回復に専念していた。回復し、早くアリスを止めたかった。そして、その力の可能性を間近で再確認し、驚かされていた。
何故ならアリスはまだ、開錠をしていない。つまり、本来の力の30%以下の力しか使っていなかった。それでいてこの戦闘能力……陽子はそれでも、恐ろしくなどなかった。ただただ、可愛い妹のような存在であるアリスの身体が心配だった。
アリス「次で終わりにしてあげます……!」
陽子は腕の脱臼が治ったのを確認すると、まだ回復しきっていない重い身体を起こして、後ろからアリスの腰へ抱きついた!
陽子「アリス……! もうやめなさい……命令違反よ……それに……それ以上続けたら……!」
アリス「安心してください。私は陽子さんだけは守ってみせます。私が戦っていながらも、こうして理性を保っていられるのは……陽子さんがいるからです」
陽子は気付いていた。アリスの言葉に偽りはない。しかし、それだけじゃない。この子は柊の一族であると。間違いなく、今この殺し合いのような戦闘を楽しんでしまっていると。アリスの顔に浮かび上がった模様……自制しているようで、もはやその血に抗えていないと知っていたのだ。
陽子「アリス……!」
優しく陽子の手を振り解いたアリス。まだ回復し切っていない陽子は力なく倒れた。
アリスはフラフラと立ち上がる奈樹を、ロックオンするかのように視界に収めた。次の一撃で奈樹を殺すつもりである瞳。その首を跳ね飛ばすことをイメージしている視線。
そして……陽子が最も恐れていた自体が起きてしまう。
アリス「これで終わりです!」
アリスが親指と人差し指を地に付けて構え、身体がビクッと痙攣し走り出した瞬間――!
ブチッ
陽子の、良すぎる耳。その人外であるその聴力には聞こえてしまった。
アリス「きゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!」
陽子「アリスーーーーーーーーーーーッ!」
突然、躓いたように倒れ、砂浜を転がるアリス。右膝を両手で強く押さえて倒れている。深紅に染まっていた髪は元のベージュに戻り、苦痛に歪んだ顔から浮かび上がっていた模様も消えた。
陽子の聞いた音は、アリスの膝の靭帯が切れた音。
咎霧領域の外で制限以上の行動を取り続けたことと、アリスの戦闘許可が降りなかった理由の一つ。それは、精神状態が悪化してしまうと自らの身体に負担を掛けた戦いをし過ぎること。
だから、アリスは戦ってはならなかった。10分以上戦えば身体に異常が発生するか、怪我をしてしまう可能性は極大とデータには記されていたのだ。そしてそれは咎霧領域の中でのデータだった。その領域外など、以ての外だった。
先程からアリスが動く前に身体が痙攣していたのは、その負担の大きさを示していた。
陽子「アリス! アリスッ!」
陽子にとって一番大切な存在。涙を流し、苦痛に耐えるその表情が痛ましかった。陽子はよろけながらも、必死にアリスの元へ駆け寄った。そしてその痛みに耐えて震える抱き起こした。
そして、遠方にいる奈樹を見た。
その手を天へ翳し、超大な咎力を溜めていた。
陽子「……!」
それは瞬く間に膨れ上がり、まるで月が迫ってきているかのようだった。この島全体を破壊してしまいそうなほどの力を持っていることが感じ取れた。だが、陽子は動けなかった。腕の中には負傷して泣きじゃくるアリス。自分の身体も完全には癒えていない。
奈樹はその光り輝く咎力の球体を持ったまま高く高く跳躍し、まるで隕石を落とすかのように島へと投げつけた!
陽子は……この島の終わりと、自身の死を覚悟した。
目を閉じようとしたその時……眼前に黒い影が姿を見せた。
『異常な力を感じたので来てみたが……駆けつけて正解だったようだ』
天より降り注ぐ光の隕石の前に立ちはだかる者が居た。
その正体は……。
紫闇「我が眼光の前に、消滅せよ……咎収隻眼!」
第七悪魔の紫闇が髪を掻揚げ、左眼のあるはずの位置に侵食されてる赤く輝くコアを曝け出す! 奈樹の放った咎力はみるみる内に吸引されるように、紫闇の瞳へと吸収されて完全に消滅した!
高く跳躍した奈樹と、迎え討った紫闇が着地する。
紫闇「また君と……この場で対峙することになるとはな……そのような姿で」
変貌した紫髪の奈樹を、その漆黒の髪で隠れていない右眼で見た。
陽子「……一体……何が……」
紫闇の正体が解らなかった。どうして助かったのかも解らなかった。イーバは異界の者の存在、その力を把握していなかったらかだった。戸惑っていると、遠くから光が上がった!
陽子「……あれは……!」
粒子帰還。ハルベルトが戦況を判断し、逃亡したのだろうと察した。陽子自身の傷は完全に回復していた。だが、腕に抱えたまま負傷しているアリスの治療を最優先することにした。
陽子「金雀児 奈樹……蒼の悪魔……。穏便じゃなかったけど、良いデータは取らせて貰ったわ」
奈樹の顔と、そして紫闇の後ろ姿を見ながら、陽子の身体が光の粒子で包まれてゆく。
陽子「粒子帰還」
言葉を口にすると、アリスと一緒に光となってイーバへと帰還した!
紫闇「少し痛めつけて……動きを封じた方が良さそうだな」
右手を下にし、股の間に手を入れた。
紫闇「漆狂闇鎌」
ツツツ……と股間部分の布地をなぞる。そこへ黒い咎力が発生した瞬間に漆黒の鎌が出現し、跨るように手に握られた。奈樹は咎力を大幅に使用したようで、随分と弱っていた。
ハルベルトが逃亡したことと、奈樹が作り出し紫闇が吸収した咎力のやりとりを感じ、残された者は崖の上へとやって来た。傷が癒えたもののまだ立ち上がれる状態でなかったマテリアは勾玉におぶられている。皆は陽子が衝突したことで、ひしゃげてしまった手すりを見て戦いの激しさを思い知った。そして、浜辺を見下ろして驚いた。
月花「あれは……紫闇さん!」
バサラ「紫闇の姫と奈樹の姫が向かい合って……イーバは……」
風魔「さっき浜辺から上がった粒子帰還は、幹部のものだったってことか……」
マリア「では……先程の強大な咎力は奈樹さんのものだったということ……」
勾玉「奈樹を止めなくては……!」
皆は浜辺へと降りる道へと、急いで走った。
奈樹と戦闘中の紫闇。幾度となく繰り出される鎌の攻撃で傷を負う奈樹。だが、倒れることはない。まるで戦闘兵器。どれだけ弱ろうとも、生命活動が停止するまで戦い続けるかのようだった。
奈樹「アアアアアアアアア……アアアアアアアアア……!!」
紫闇「まだ動くか……? ならば四肢の腱を切るしか……」
冥幽界で自身を救ってくれた者である奈樹に、出来ることなら怪我を負わせたくはなかった。そう考えていると突然、奈樹は拘束された!
紫闇「……!」
蒼輝「奈樹! しっかりしろ!」
飛び込んできた蒼輝が正面から、奈樹を両腕ごと抱きしめていた。激しく暴れるが、逃がさないように強く抱きしめる。
奈樹「アアアアアアアアアア……アアアアアアアアッ!」
弱っているとは言え、まるで獣を押さえつけているかのようだった。抵抗して僅かに動く手で蒼輝の身体へ爪を食い込ませる。
蒼輝「……っ! 奈樹! 俺だ! 目を覚ましてくれ!」
奈樹「グアアアアアアアアアッ! アアアアアアアッ!」
蒼輝は、願いながら強く強く抱きしめた。元に戻って欲しい。いつもの奈樹に戻って欲しい。
本来の、優しい少女である奈樹に戻って欲しい。
蒼輝「ぐっ……!」
抵抗する奈樹は、蒼輝の肩に噛み付いた。加減など一切ない。衣服越しに歯型どころか出血までしていた。ここまで弱っていなければ、恐らく噛みちぎられていただろう。
蒼輝「奈樹……!」
奈樹「グルルウウウ……フーッ……フーッ……」
肩に噛み付いたまま獣のように呻り、抵抗していた反動で息を荒げている。
蒼輝「どんな姿でも、どんなことをしても……奈樹は俺が守る。約束だ」
奈樹「………………!」
奈樹の噛み付く力が、少し弱まった。蒼輝はそれを見計らって拘束する力を少し弱め、落ち着かせるように奈樹の頭を、蒼い髪を撫でた。その蒼輝の手には、奈樹のリボンがあった。
蒼輝「俺が守る。俺が守るから……奈樹はそのままでいい。守れるように絶対に、もっと強くなるから」
奈樹「…………」
奈樹の口には血液。蒼輝の肩から血が流れている。噛み付いたまま少しずつ息を整える奈樹。
蒼輝「帰ろう、奈樹。一緒に帰ろう。帰るべき場所で颯紗が待ってる」
その言葉を耳にした奈樹の髪は、急激に蒼く戻った。眼は虚ろだが蒼い色に、元に戻った。
奈樹「…ハァ……ハァ……」
奈樹は噛みつくのを止め、脱力して蒼輝の腕に優しく抱かれた。
蒼輝「奈樹……?」
奈樹「蒼……輝……?」
蒼輝「よかった……奈樹……!」
蒼輝は、再び強く抱きしめた。一気に押し寄せてきた安心感から、強く、強く抱きしめた。折れてしまいそうな少女の身体を、強く抱きしめた。
奈樹「蒼輝…痛い……」
蒼輝「ごめん……ごめんな……少し……我慢してくれ……」
奈樹「…………うん」
蒼輝は離さずには、抱きしめずにはいれなかった。その腕は震えていた。奈樹が元に戻ったことの嬉しさのあまり、蒼輝は泣いていた。喜びのあまり大泣きしていた。
その様子を感じとった奈樹は目を閉じて、まだ力の入らない手で弱く抱きしめ返した。傷ついた状態でなくとも痛いくらい、強く、強く抱きしめられている自身の身体。それを大事に思ってくれている男の腕は、とても優しかったから……奈樹は抱きしめ返した。
こうして、イーバの侵攻を防いだ蒼輝達。
変貌した奈樹の暴走を食い止めることが出来たが、もう二度とこんな姿にならないように……どうにかしなければならないという気持ちが蒼輝に芽生えていた。根本的な解決策は見つかっていない。けれど、蒼輝は考えずにはいられなかった。
紫闇が来ていなければノスタルジアは崩壊していただろう。
だが、ノスタルジアを救ったのは紫闇を救った蒼輝達自身なのかも知れない。
冥幽界という異世界にまで行って生まれた絆。その力がノスタルジアを救ったのだ。
そして……この時点では誰も気付いていなかった。
また……別の世界とノスタルジアが結びつこうとしていることに……。
第三十話 -禁断の血- End
蒼咎のシックザール 第三章 完