第九十二話 救難要請
事態は大変な状況に推移していた。
そこかしこに転がる冒険者たちの姿。
子供たちも浜辺に倒れ伏し、苦しげに呻き声を上げている。
それはまさに死屍累々と称するに値した。
「さすがに四キロは無理であったか」
「あたりまえよ」
総員食い過ぎでノックダウンである。
その惨状を見て、ポツリとつぶやいたボクの声に、速攻で返すセンリさん。
彼女のお腹もぽっこりと膨らんでいて、胃袋に限界まで詰め込んでいた事が窺える。
ちなみにボクもアリューシャも同様の有様である。次なにか口に入れたら『ひぎぃ』とか言っちゃいそう。
「どうしよう。馬車の在庫、まだ半分以上残ってますよ?」
「皮袋に詰めてお土産にでもしちゃいなさい」
「それはいい考えです」
浜辺には水源が無いので、ボク達も大きめの水袋を持ってきているが、生徒たちだって手ぶらと言う訳ではない。
それぞれが飲用の水を入れるために水袋を持ってきているので、それに肉を詰めて持って帰ってもらえばいい。
一人二キロほども持って帰ってもらえば、夕食のおかず位にはなるだろう。
それでもまだ四分の一ほど残る計算だが。
「そうと決まれば、早速切り分けて……いや軽く手を加えますか?」
「どうやって?」
「包んできた葉っぱが残ってるので、包んで蒸し焼きにしてローストビーフっぽく仕上げましょう」
さいわい、まだかまどの火は落としていない。
残った肉の包みを開いて、香辛料やソースを塗り、再度縛りなおして周囲を泥で固める。
これをかまどの中に直接突っ込んで、蒸し焼きにするのである。
砂浜なので泥の供給は無限にあるし、余ったソースを流用できるので、実に経済的だ。
氷室は作ってあるが、冷蔵庫ほどには冷気が篭る訳ではない。
つまり生鮮食品はそれほど長持ちしないのだ。
もちろん常温で保存するのとは比べ物にならないとしても、やはり零度近辺で冷蔵できる文明の利器とは比較にならない。
つまり、この肉は早く消費しないと腐る。
その都合も理解してくれたのか、生徒達は腹ごなしとばかりに作業を手伝ってくれた。
もちろん教員達も参加してくれている。
大量の肉を詰め込んだ校長先生も、参加してくれた。ぽっこりお腹で。
というか、この世界のエルフって肉食べるんだな。
エルフ=菜食主義と言うイメージもあったんだけど。
「という訳で、お土産のローストビーフは、各自持ち帰ってくれて結構ですよぉ」
今食べる訳ではないので、これには生徒達も歓喜の声を上げる。
そこへアリューシャが珍しく息を切らせて駆けこんできた。
「こら、アリューシャ。食べたばかりで走るとお腹が痛くなっちゃうよ?」
「そうじゃなくて! お姉ちゃん、なんか変なの見つけたの」
「変なの?」
首を傾げてアーヴィンさんを指差してみる。
その意味を察して、アーヴィンさんは憤慨した。冗談が通じないな。
「誰が変だ! むしろユミルの方が変だろう!?」
「失敬な。自分で言うのもなんですが、美少女に向かって失礼の極みです」
「本当に自分で言うなよ……」
それはともかく、この間の事もあるのだ。警戒はしておいた方がいい。
分配をセンリさんと校長先生に任せて、ボクはアーヴィンさんとアリューシャの見つけた『変なの』を見に行く事にした。
浜辺から沖合いを指差すアリューシャ。
その波間に、きらりと光る何かが浮かんでいるのが見える。
ユラユラと左右に動く様子から見ると、固定された何かではないようだ。
「なんだろう? こっちの様子に反応しないところを見ると、人間じゃなさそうだけど」
あからさまに指差して眺めているのだから、悪意ある監視などなら何か反応が返ってもいいはずだ。
光はかなり沖合いに見えるので、あそこで人が監視すると言うのは少し無理があるだろうけど。
あの辺りなら、少なくともクラゲは存在している。
「私が見てこようか?」
「危ないですよ、ルイザさん」
勇敢にも偵察を申し出てくれたルイザさんだけど、純後衛の彼女は何かあった時に単独で対応できない。
それに泳ぎもあまり得意じゃなさそうだし。
「いや、水面を歩けるようになる魔法があるのよ」
そんな便利な魔法があるのか。さすがファンタジー。
ミッドガルズ・オンラインではスキルはすべて戦闘や製造と言った方向に偏っていたため、そう言う便利系のスキルは存在していない。
高い利便性と威力を併せ持つボクらのスキルは、逆に汎用性で著しく劣るのだ。
「その魔法、他人に掛けれますか?」
「大丈夫よ」
「ならボクに掛けてください。ボクなら何かあっても単独で殲滅できますから」
「殲滅って……ユミルも物騒になったわね」
そう言いながらも滑らかな詠唱を紡ぎだし、円滑に術を掛け終える。
術の起動が出会った頃のルイザさんと比べると、かなり早くなっている。
レグルさんやヤージュさんと言う超一流がいたために目立たなかったが、アーヴィンさん達も間違いなく一流を超えつつあるんだよな。
「それじゃ行ってきます。囮の可能性もあるので、アリューシャの事はお任せしますね」
「ああ、任せろ。命に換えても守ってやる」
「そう言うのはルイザさんかローザさんを守る時に言って上げなさいって」
「ん、パーティメンバーなんだから守るぞ。当然じゃないか」
くっそ、このフラグ師、自覚がありやがらねぇ……
とにかく、今は不審物の回収が最優先だ。
恐る恐る水面に足を乗せて見ると、スラちゃんより幾分硬い感触が返ってきた。
確かにこれなら上に乗って歩くことができそうだ。
だが、実際に水面を歩いて見ると、かなり苦労させられる羽目になった。
そもそも海面と言うのが問題だったのだ。
今日は天気がいいとは言え、波がまったく無い訳ではない。
うねる波は足元を掬おうと間断無く蠢き、歩きにくい事この上ない。
それでも暗殺者のクラスのバランス感覚故か、数分も掛からずに海面を走れるようになった。
海岸からおよそ百メートルほどだろうか。
その海面に『ビン』は浮かんでいた。
「なんだ、これ……」
この世界にもガラス工芸は存在する。でないとポーションを詰めるビンにすら苦労するし。
とにかく、多少くすんではいるが、透明なビンに布切れが一枚詰められていた。
そして口はこれまたボロ布でぎっちりと封をされている。
「布で封をしてよく沈まなかったな……運がいい」
布を取ろうと触れて見ると、ぬるりとした感触が指先に残る。
よく見ると、白いゲル状の物が染み込ませてあった。
「これは……獣脂、かな? なるほど、防水の心配はしてたんだ」
獣脂はランプや蝋燭に使用されたりするので、比較的簡単に手に入る。
それにしても、どうせ封をするなら、もう少しまともな物を使えばいいのに。
すべる指先で苦労して栓を抜き、中にある布キレを引っ張り出す。
広げた布には赤い文字で、一言だけメッセージが遺されていた。
『タスケテ』――と。
すぐさま海岸へ取って返し、アーヴィンさんに助言をもらう事にする。
彼は脳筋ではあるが、最近指揮と言うものを理解してきている。
何かいい指示をもらえるかもしれない。
「――という訳で、こんな物を見つけました」
「『タスケテ』ね……なんともシンプルな救難メッセージだな」
「で、これからどうします?」
そもそも、このメッセージの重要度がボクには判らない。
この世界ではこういうメッセージは頻繁に流れ着くものなのだろうか?
いや、どちらにしろ助けを求める相手がいるのは確かだが。
「選択肢は三つ。一つ、助けに行く。二つ、見捨てて見なかった事にする。三つ、組合に報告して放り投げる」
「あ、やっぱりそんなものですか」
このメッセージを見たとき、ボクが思いついた選択肢とまったく同じだ。
そして助けを求める声に対応を悩んでるボクの腕を、アリューシャが心配そうに握っていた。
何か言いたそうな、だけど言葉にならない、そんな表情。
だがボクはなんとなく、彼女の思いを理解することができた。
助けに行きたいのだ、彼女は。
迷宮の中で囚われていたアリューシャとしては、助けを求める声には敏感に反応する。
自分はボクに助けてもらえた。でも助けてもらえない人が、ここにいる。
そんな幸運と不幸を、同時に味わっているのだろう。
そして助けを求めると言うことは、危険もまた存在するのだ。
そこにボクを送り込むということは、ボクが危険に晒されると言うこと。
アリューシャも、そんな事態は望んでいない。
助けたい。でも口にできない。
そんな矛盾に苛まれているのだろう。
だからボクは……彼女に変わって口にする。
「助けましょう。見捨てるのは可哀想です」
「ま、ユミルならそう言うと思ってたわ。お人好しなんだから」
肩を竦めて『知っていたよ』と言う態度を取るルイザさん。
なんだか見透かされている気がするな。
「そうね、私が言うのもなんだけど……助けを求められているなら、何とかしてあげたい」
「そうだな。本来なら報酬なしで動くのはプロらしくないんだが……」
「ダニット先輩は見捨てるつもりなんですか!」
「プロらしくないが、冒険者が報酬だけで動くと思われるのも癪だ。と言いたかった」
少し我侭な傾向があったローザだけど、前回の事件からこっち、積極的に人助けに参加しようと言う雰囲気が見受けられる。
彼女もアリューシャと同じく、助けられる感動を知る者だからだろう。
ダニットさんは渋々と言う雰囲気ではあるが、反対はしていない。
彼の言葉も、斥候役としてシビアな状況を経験しているが、故の冷静な意見だ。軽んじてはいけない。
「なら、組合を通してないので、非公式の行動になるが、救助活動を開始しよう」
「でもどうやってです? 現状では、このメッセージがどこから来たのかさえ判りませんよ」
ビンは海を漂っていたのだ。
どこから流れてきたのかすら定かではない。その先にいる助けを求める者を、まず探し出さねばならない。
「それはまぁ、ある程度は想定できるんだな、これが」
ダニットさんはそう言って、このタルハン近辺の地図を広げた。
海まで記述がある、精密で広範囲な物だ。
斥候職の彼は、こういう地図や仕事道具をいつも持ち歩いているらしい。
海パン姿だが。
どこから出したし?
「さて……このタルハンの沖は南から北へと海流が流れている。そこへロマール川の水が流れ込む事で流れが乱され、生活用水の流入などで豊富な栄養分が海に流入してる訳だ。これが漁場としてタルハンが優れている理由の一つ」
いつに無く饒舌なダニットさんの説明が続く。
それは、ここが彼の仕事場なのだろう。
少ない情報から、目的の物を見つけ出す。
「このビンも海流に乗って北上し、乱された流れに乗って海岸へと近付いたと言うところか」
「ならば、発信源はタルハンより南の海沿いと言う事になるか?」
「いや、沖合いだな。海沿いでは海流に乗ることができない」
彼の指がタルハン沖をなぞる様に遡って行く。
「海流の流れの中では小さな島は存在しにくい。長い年月の間に削られて侵蝕されてしまうからだ」
「じゃあどこから……船かしら? 難破、なら他の漂着物もあるはずよね?」
「そういったものは見当たりませんでしたよ」
ルイザさんの推察に補足を入れる。
浮かんでいたのはビンだけだった。
「このビンは油に付けた布で封をしていた。ならばそう離れた場所ではない。それにこの赤い文字……」
「血文字、よね」
「ああ、だがな、ローザ。君はなぜ、これが一目で血文字と判った?」
「え、だって赤いし……」
「そうだ、赤い。だが血と言うのは乾くと黒くなるものだ。ましてや透明なビンにこの日差しだ」
カンカン照りのまぶしい日差しを、くすんでいるとは言え透明なビンでは防ぐことができない。
血を塗りつけられただけの血文字なら、一日も持たず乾くはず。
「おそらくは一日……いや、半日も行かない範囲――」
「でも相手は船に乗っているかもしれないんでしょ。だったら場所も移動してるはず」
「それも可能性が低い。これは完全に推測だが……海上で難破以外に助けを求める状況と言うと数が限られている」
それを聞いてアーヴィンさんが顎に手をやる。
「俺が知る限りだとモンスターの襲撃。もしくは――海賊か」
「何らかの武力行使を受けたか、もしくは漂流中か。漂流中ならビン以外にも漂着物はあるから、おそらくは違うだろう」
「南からだとすると、南方都市ラドタルトからの貿易航路があったな?」
船は大量の物資を載せて移動することができる。それが陸路との大きな違いだ。
しかも交代で操船すれば二十四時間休み無く進むことができるのも大きい。
これと海流を利用して、タルハンにはラドタルトからの貿易船がやってくるらしい。
「頻繁に船が行き来する航路には、あまりモンスターは沸かない。沸いてもすぐに討伐されるからな」
「と、なると……やはり海賊が怪しいわね」
「非合法な連中だ。補給手段も少なく、船足もそれほど長くない」
「だから、この近辺にいると?」
「ああ」
流れ着いた血文字のメッセージ一つで、よくもまぁ、それだけの情報を引き出せるものだ。
少しカッコいいと思ってしまったぞ。
「大陸沿いの船が着きそうな所は、すでに村ができている。海賊には利用しにくいだろう」
「村を襲えば近隣の街から軍が飛んでくるものね」
「なら船が――それも他の船を襲える大型の船が着けるだけの水深を持ち、陸地があり備蓄を保存できる場所……」
「かなり限られるわね」
ダニットさんとルイザさんが、目的地の絞込みに入る。
そうして数箇所の地形が候補に上げられた。