第九十一話 渚の激戦
微妙にサービス回?
ひとしきりアーヴィンさんをからかった後は、ゆっくりとお昼寝タイムと洒落込む事にした。
かまどの用意はまだ整っていないようなので、センリさんを見習って浮き輪で優雅に波間を遊覧する事にしよう。
アリューシャは相変わらず海面を激走している。
その速度は子供たちどころか、教員や冒険者たちすら追いつけるものではない。
敏捷値の桁が、文字通り違うのだから当然とも言える。
そしていつの間にかウララとセイコまで、そのそばで泳いでいるのだから、驚きだ。
「馬って泳げたんだな……」
そういえば昔、教育番組か何かで泳ぐのがもっとも苦手な動物は人間と言っていた気がする。
考えて見れば、馬の長い胴体は強力な浮力を発生させるし、その足は水を掻くのに適しているとも言える。
もちろん地上に適応した生物なので、地上の方が早いのは当たり前なのだが。
「まぁ、足八本もあるからね。推進力も二倍あるのかな? それとも二乗?」
よくあれだけ足があって絡まないものだと、見てて思う。
まぁ、神話っぽい生物だし、そこはどうにでもなるのだろうね。
浮き輪にお尻を突っ込み、波間でたゆたいながら、そんな事を考える。
綺麗な水といい天気。
潮騒と、遠くに聞こえる子供たちの歓声。
まるでふかふかの布団で子守唄を聞いているかのような気分になり、自然と目蓋が落ちて……
「いたっ」
その至福の時間を、邪魔する感覚が走った。
痺れる様な痛みの走ったのは、この間傷ついた右腕だ。
「後遺症でも残ったのかな?」
アリューシャの治癒ももらったし、そもそも【狂化】で完治しているはずだ。
後遺症なんて残るはずも無い。
様子を見るべく水面に引き上げた腕には、スラちゃんのごときゼラチンっぽい何かが張り付いていた。
大きく違うのは、何本もの触腕を持っているという事。
つまり――
「クラゲ?」
腕に巻き付いているのは海水浴場の風物詩、クラゲだった。ただし大きさが一メートルほどある。
エチゼンクラゲかと思ったが、どう考えてもこれは普通にいるクラゲじゃない。
生命力がそこそこ高いボクにダメージを通してくる、れっきとしたモンスターだ。
ボクの感知能力は敵意に依存するところが大きい。
こういった本能で動くモンスターは、なかなか感知し辛いのだ。
ぶっちゃけスライムとかも苦手だったりする。
もちろん、視界内に入ったり、襲撃の瞬間などには気付くので、本来なら不意打ちされたりし無いんだけど……
「まぁ、バカンス中だったし、ちょっと緩めすぎてたかな?」
ボクだからビリッとした程度だが、それでもダメージはわずかに通っている。
これを子供たちが受けてしまったら危険かもしれない。
駆除するべく、左手でクラゲをむしりとると、今度は左腕に巻き付いてくる。
「いた、いたたた!?」
たいしたダメージでは無いとは言え、痛いものは痛い。右手で剥がすと右腕に、左手で剥がすと左腕にと、タイミングよく乗り移ってくる。
「このっ、こんちくしょう!」
なかなか引き剥がせないので、そのまま叩きつぶそうと腕を振り上げたところを、にょろんと背後に回られる。
こいつ、このタイミングを狙ってやがったか!?
「は、離れ――んぎゃあ!?」
背中にビリビリとした感覚。
そのまま触腕を水着の下でうねうねと伸ばす。
ボクはと言うと、お尻が浮き輪の中に嵌っているので、身動きが取れない。
「こんなところで触手プレイとか冗談じゃ――ぎゃああぁぁ!?」
胸元や下腹部に触手を伸ばし、腹の辺りに回り込んでくる。
かなり痛いが、これはチャンスだ。手の届くところに来てくれたのだから。
一撃必殺で叩き潰すべく、腕を振り上げたところで、視界が翳る。
「――え?」
と声を上げた時には、腹部にズドンと衝撃が走り、大きく空を舞っていた。
ボクが先ほど居た辺りには、浮き輪と海面から伸びた長い首。あれは……海馬?
腹のクラゲ……パラライズゼリーフィッシュという、名は体を表すモンスターは、その衝撃でぺしゃんこに潰れていた。
そして近づく海面。
十メートルほどの高さまで舞い上がったボクに、海面との衝突は結構なダメージになった。
「へぶっ、がぼっ!?」
着水の衝撃で気管に海水が流れ込む。
想像以上の塩辛さと、酸素不足と、激痛に手足をばたつかせる。
それでも体は水面に浮かばない。いや、そもそもボクは水面に向かって泳いでいるのか?
水中でもがいているうちに、ボクの意識は闇に覆われて行った。
初めて気付いた。HPが残ってても気を失うんだな……
そう言えば、FPSの男と戦っていた時も、HPは残ってたのに気絶したっけ。
バシャリ、と冷たい水を顔にぶっ掛けられて、目が覚めた。
周囲には心配げに覗き込むアリューシャと、バケツを抱えたセンリさんの姿。
それから、多くの冒険者と生徒たち。
「目が覚めた? 心配したわよ」
「あれ、ボクは……」
ボケた頭で状況を把握できない。
確か海で溺れて、何かに撥ね飛ばされて、そのまま気を失ったような……?
「あなたが溺れてるって見抜いたアリューシャちゃんが、助けに行ってくれたのよ。そのまま撥ね飛ばしたのは驚いたけど」
「ウララが助けてくれたの!」
そうか、あの長い首はウララの頭か。
いつもの頭突きを最大戦速で腹にぶち込んで、クラゲを潰してくれたんだな。
どうやってそれを見抜いたのか判らないけど。
「そか、ありがとうアリューシャ。それにウララも。よくクラゲに絡まれてるって判ったね?」
「そうだったの? とりあえずウララがドカーンって跳ね上げて、それからわたしが背中に引き上げたんだよ?」
気付いてなかったのかよ!
いや、でも水難救助の際には、暴れる要救助者を気絶させてから助けるなんていう手法もあったはず。
だとすると、ウララの判断は間違ってるとは言えない。
「ユミル、あなた危なかったわよ……」
「え、そんなに危険な状態だったんですか?」
話を聞く限り、アリューシャがすぐに引き上げてくれたので、それほど危ないとは思えなかったんだけど。
「ええ。もう少しで、あいつらが人工呼吸を――」
センリさんが指差した先には、人工呼吸の権利をめぐって熾烈なじゃんけんを繰り広げる冒険者(男性陣+女性一人)の姿があった。
なぜかエミリーさんも混ざってる。いつの間に来たんだよ。
「とりあえず、あいつらは後でぶっ飛ばします」
「それがいいわね」
背中に寒いものを感じて、思わずジト目になった。
これがセクハラに直面した女性心理というやつか……
「ああ、目を覚ましてる!」
「チクショウ、もう少し早く勝負が付いていればっ!」
「私のファーストキスを捧げるチャンスだったのに……」
「待て、落ち着くんだ。今からでも別に遅くない。クラゲの治療には小水を塗布するのが効くと聞く」
「まさか……ユミルたんに!?」
「するなぁっ!」
いまだ諦めきれず意味不明な事を喚く連中に砂を投げつけ、牽制しておく。
ボクの腕力で投げつけた砂だ。ちょっとばかり痛いぞ。
「ああぁぁぁ! 目が、目がぁ!?」
「いてぇ、なにこれ魔法並じゃん!」
「目潰しがマジで潰れるレベルにっ!」
こっそり抜け出したエミリーさん以外が、目を押さえてのた打ち回る。
付き合いが長い彼女はボクの行動を予測していたのだろう。逃亡の動きに無駄がない。
「目を覚ましたようですわね、心配致しましたよ」
そこへやってきたのは校長先生だ。
その体型はやや細みなセンリさんと違って、メリハリが効きまくってて、実によろしい。しかも露出度が高いビキニ姿だ。男のままだったら前屈みになってたね。
どうやらボクが意識を取り戻すまで、子供たちは肉をお預けにされていたらしい。
開催者が意識不明では、さすがに勝手に行う訳には行かないだろう。
これは少し悪い事をした。
「すみません、少し油断しちゃいました。沖合いはモンスターがいるっぽいですね、ここ」
「ええ、ここがリゾートに向いてない点がそれですね」
「危なくないですか?」
「浅瀬には近寄らないので、沖に行かなければ大丈夫です」
「そんなに沖に出た覚えは無いんですけどね」
校長先生はボクの言葉に微笑を返し、そのまま子供たちの方に歩み寄った。
そして高らかにバーベキューの開催を宣言した。
「さぁ、皆さん。ユミルさんはもう大丈夫です。予定通り食事を楽しみましょう!」
「よかったぁ!」
「やった、ご飯だ!」
「クラゲに負けるとか、本当に冒険者かよぉ」
「お姉ちゃんは本当は強いんだから!」
さすがにクラゲに負けたと噂されてボクの評判はがた落ちである。
それにアリューシャが両手を振り上げて抗議している。
まぁ、武器も無く浮き輪に揺られている状況では、不意を突かれても当然かもしれない。
冒険者たちが組み上げたかまどに火が入り、そこかしこで肉の焼けるいい臭いが漂い始める。
ボク達も気を改めて食事を開始する。
汚名を雪ぐのはまた後だ。
「ほら、アリューシャ。そんなのはいいからこっちにおいでー」
「良くないのぉ!」
頬を膨らませてこちらに駆けて来る彼女の姿は微笑ましい限りだ。
学校に通うようになって、感情表現がよりクッキリとしてきたように感じる。
「ボクは気にして無いよ?」
「お姉ちゃんはもっと噂とか気にしないとぉ」
ボクの強さに関しては組合内部では知れ渡っているが、直接見た事がない外部の人間には知られていない。
アリューシャとしてはそんなボクをもっと知らしめたい様子だけど。
「はい、これがアリューシャのノルマね」
ドデンと皿に馬鹿でかい肉の塊を乗せて差し出す。
その大きさは優に二キロはある。
「え、無理」
「駄ぁ目。ボクも同じくらい食べるんだから」
同じ位の肉を自分の皿に取り分ける。でも多分、ボクも無理だ。
前にバイトしたカフェのランデルさんから、肉に合うソースを大量に仕入れているので、自分で切り分けてそれに付けて食べる。
幸いというべきか、インベントリー内の時間は経過しないが、何度も外に取り出したりしたていた分、熟成が適度に進んでいる。
しかもスラちゃんが取りこんで酵素を分解したので、唇でも噛み切れるほどに柔らかくなっているのだ。
「ん~、おいしいね。さすがランデルさんとスラちゃんだ」
「おいしいけどこの大きさは……太っちゃうよ?」
「アリューシャはもっとプヨプヨになった方がいいと思うね」
食事量のわりに運動量の激しい彼女は、同年代の子供と比較してもやや小柄だ。成長期なんだから、むしろ太るくらいの方がいい。
これではボクが食べさせて無いように見られるじゃないか。
後もっと食べて肉付き良くなってくれないと、ボクがプニプニ感を楽しめない。
「わたしじゃなくて、お姉ちゃんが!」
「むむ……それは困る。困るからボクの分はアリューシャが食べて?」
「ぜぇったい、やだ!」
この世界に折りたたみテーブルというのは、無い訳じゃないけどあまり普及していない。
だから、厚めの革を敷いてその上にクッションをおいて、そこに腰掛けて食事している。
少しばかりはしたない光景だが、それもまぁ、無礼講という奴だろう。
だが、ボクやアリューシャと違って、やはりセンリさんの食事風景というのは、やはり違う。
横座りして、細かく切った肉を口に運ぶ姿は、それなりに品がある。
こう、ボク達がバーバリアンな雰囲気を発しているのに対し、彼女はしっかりと女性を感じさせるのだ。
「これが女子力の違いか……」
「うん、わたしちょっと『はんせー』した」
アリューシャも『女らしさ』の大切さを実感できたようで、とても良かった。
やはりボクだけじゃ色々至らない点は多い。
ぼんやりセンリさんを眺めていたら、ふと思い出した事があった。
「そうだ、ボクの剣の事を聞かないと」
「折れちゃったヤツ?」
「うん」
アリューシャを助けたとき、紅蓮剣が粉々に砕けてしまっている。
それをセンリさんに修復してもらうようにお願いしていたのだが……いや、修復はしてもらえたんだ。
「センリさん。この剣の事だけど?」
「あ、なにかな? もっといろんな機能付けていいの?」
「いや、やめて。お願いだから。ただでさえ怪しい機構が追加されてるのに」
剣の柄に付いた、この回転式弾倉とかね。
「ああ、それ。昔やったゲームでそんなのが付いた日本刀があったから、つい」
「機能損なったりしてないですよね……?」
「大丈夫よ。引き金を引いたら、一時的に剣の切れ味を強化する機能が付いただけだもの」
センリさんの説明では、この機構はセンリさんの言うところの【ブラッドヒート】と言うスキルと同様の効果を発揮できるらしい。
【ブラッドヒート】とは、武器の攻撃力を大幅に向上させるスキルで、センリさんのゲームの開発師のスキルなのだそうだ。
弾丸には魔力を取り込める水晶の粉を詰め、そこに魔力を注いで彼女のスキルである【ブラッドヒート】を発動させる。
これでボクの攻撃力は、ほんの三分程度とは言え、さらに向上した事になる。
「ありがたいんだけど、そういうのはボクの許可取ってからにしてください。初めて見たとき、なんだこりゃって思いましたよ」
「あはは、ごめーん」
ぺろりと舌を出す彼女は可愛らしく、それ以上怒る気にはなれなくなってしまった。
いや、修理してくれた相手に怒るなんて、それこそ罰当たりなんだろうけどね。
回転式弾倉の付いた剣の外観は、FFのガンブレードではなく、天羅万象の八連斬甲刀をイメージしています。