第九十話 バカンスに行こう
なんやかんやで、二週間はあっという間に過ぎた。
アリューシャを学校に送った後、センリさんと二人で肉を積み込みに屋敷に戻る。
アリューシャ達は学校から海岸へ向かうので、別行動になるのだ。
なぜ一緒に行かなかったかというと、やはり臭いである。
今日の参加人数は百人ほどだが、彼らの胃袋を満たすために必要な肉の量が判らない。
それにバリエーションも取り揃えなければ、当然飽きてくる。
肉の各部に内臓系も含めてしまったため、馬車の中の臭いが激しくなってしまうのだ。
これではさすがに生徒を乗せることができないので、一度送迎を終えてから肉を積み込むことにしたのだ。
さすがに子供に五キロは不可能と思い、一人二キロの二百キロを想定して積み込み作業を始める。
さらに好みの問題もあるだろうから、各種部位を多めに積んでいくと、結局四百キロほどの重量になってしまった。
「まぁ、足りなくなるよりはいいか」
「帰りもあるんだし、多すぎるような気がするんだけど……」
「どうせアリューシャ達は学校に寄ってから帰る訳だし、臭いを我慢するのはボクらだけですよ」
それに帰りはまた凍らせておけば、肉の臭いも軽減されるだろう。
送迎馬車は組合の人がやってくれるので、まぁ安心と思う。
今回は前回の反省を踏まえ、アーヴィンさんが御者を勤めてくれるからだ。
さらに燃料の薪や飲料水、野菜なども積み込むと、一トン近い重量が馬車にかかることになった。
せいぜい大人十五人程度の重量なので、セイコとウララは平気な顔をしているが、馬車の方が嫌な軋みを上げだしている。
「軸を荷台内に通してベアリングも仕込んだんだけど……やっぱ素材が木じゃ限界があるわよね」
「今度鉄製の馬車を作りますか?」
「暇ができたらねー」
あれから二週間が経過し、センリさんの仕事もある程度落ち着きを取り戻している。
大氾濫で街を救い、そして今回も製造で街を救ったという訳だ。
そんな訳でセンリさんはもはや街の顔役、ちょっと処ではない英雄である。
今回のイベントも、彼女の名前を利用して参加者を募ったら、護衛やライフガード役に大量の冒険者が立候補したくらいなのだ。
後、肉がタダで食えるというのも大きかったけど。
世間話をしながら積み込みを終え、ようやく浜辺へ向かって出発となった。
早く行かないと生徒たちの方が先に到着してしまう。
ギシギシ軋む馬車を軽快に牽いて、セイコが街を駆ける。
ウララは生徒たちの運搬のため学校に預けている。
馬車を二台連結して一気に四十人を運ぶという荒業で、三往復するのだから、その体力に恐れ入る。
タルハンの街は、遠浅で広い浜辺と切り立った港に適した海岸の二つが隣接するように並んでいる。
港の方は交易の中心であり、漁業の心臓部として大変栄えているが、こちらは地引網漁くらいしか利用価値がないため、ほとんど放置されている。
もちろん海水浴場としても利用できるのだが、こっちの世界の住人はあまり海水浴をしないのだ。
最大の理由として、街を通り抜けるロマール川の存在が挙げられる。
泳ぐという娯楽に対して、海水で泳ぐのと真水で泳ぐ差が出ているのだ。
水量も多く流れの穏やかなロマール川は、庶民の水浴び場として、また生活用水の場としても広く利用されている。
さらに川魚や貝も豊富で、ちょっとした遊びついでに晩ご飯も確保できるのだから、人気が出ないはずもない。
対して海岸はというと、寄せては返す波が体力の消耗を激しくし、長く遊ぶと疲れてしまうため、子供たちの人気がやや劣る。
それに漂着物なんかも多く、あがった後の潮水のべたつきが川に対して敬遠される原因となっているのだ。
海に行った後、再び川に行って体を流さないといけないなら、最初から川に行けばいい。
トドメは十年ほど前に起きた海からの大氾濫である。
これによって、海が怖いと言う認識が広がったことも影響が大きいだろう。
これが現地民の総意となっているのである。
「ボクは海、結構好きなんだけどねぇ」
「やっぱり川と海って少し違うものね。レジャーとしてはどっちも捨てがたいわ。まぁ、私としては波も流れも無い湖サイキョーなんだけどね」
山は無いんだね……センリさん。
そんなレジャーのあれこれを話していると、あっという間に海岸へと辿り着いた。
ゴロゴロの大きな石が転がる海岸が、波打ち際に行くほどに細かくなり、やがて砂浜へ変化している。
現代日本の海岸と違って、その水面は透き通るほどのマリンブルーで、これは川派や湖派でも泳ぎたくなるほど、水が綺麗だ。
「これは……もったいないわね」
「ええ、これほどの海岸がリゾート化されて無いのはもったいないです」
いや、この美しさはリゾートになっていないからだろう。
確かにそこかしこに流木が打ち上げられたりしているけど、それだって風景のいいアクセントになっていると言える。
その石の海岸を利用して、かまどを作っている水着姿の子供たちがいた。
引率の先生も散見できるから、あれが今回の参加者だろう。
「お待たせしましたー、お肉もって来ましたよー」
塊になった肉を馬車から降ろし、汚れないように大きな葉で包んでセンリさんと運ぶ。
ボクのその声に反応して、子供たちが歓声を上げて駆け寄ってきた。
ついでに冒険者たちも。
「おお、待ってたぞ! さぁ、早く食おう!」
「待て、今回の主賓はお前らじゃない。というか全力で食う気か!」
その最前線に居座ってるアーヴィンさんに軽く蹴りを入れてツッコミをする。
思わずやってしまったけど、人目のある場所でのこの行動は、彼の立場を悪くするものだったかと一瞬危惧したりもした。
ヤージュさんの引退により、今ではこの街最強の一角にある彼を粗雑に扱ったことで、子供たちから驚きの声が上がった。
同時に、有名冒険者という事で少しばかり存在していた垣根が、わずかに取り払われる。
遠慮の無い子供たちがボクの真似をして彼にじゃれ付いてるのを見て、結果オーライとばかりに頷いてみせる。
「こら、やめろよ! 砂がかかるだろ!」
「あはは、アーヴィン、くらえー!」
「ふっふっふ、けーさんどーり」
「絶対成り行き任せだったでしょ」
じと目のセンリさんのツッコミに、一筋の冷や汗が伝い落ちる。
まぁ、それはそれとして。
「ハイハイ、それじゃ、皆さん。今回の食材を提供してくれたセンリさんにお礼を言いましょうね」
「えっ、私!?」
「フフフフ……ボクは黒幕でいいのだ」
「何言ってるのか判んないし!」
人を集める上では、この街で知名度のあるセンリさんを主催に据えた方が良いと言う判断である。
ボクも冒険者の間ではそこそこ有名なのだが、あのレグルさんとの試合は冒険者しか見ていない。
なので、一般人の知名度はいまいちなのだ。
大氾濫の時も、人目の無いところで戦ってたし。
「センリさん、ありがとーございます!」
「い、いや、私じゃ……」
「いーから、いーから」
浜辺中に響き渡るような大合唱に、センリさんの顔が赤くなる。
「よし、それじゃあかまど作りは俺たちが作っておくから、お前らは泳いできていいぞ」
「やったぁ!」
アーヴィンさんの安請け合いに、子供たちは蜘蛛の子を散らすように海岸へと駆けこんで行く。
まぁ、子供と言うのは川だろうが海だろうが、遊べればどこでもいいのである。
十人程度の冒険者が手馴れた様子でかまどを組み上げている間、ボク達は子供たちと一緒に遊ぶことにした。
肉を運搬してきた所で、ボクの仕事は終わりなのである。
ここからはプライベートだ。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん! 海、すっごい綺麗だよ!」
上に羽織っていた衣装を脱いで、水着を披露したところでアリューシャが飛んできた。
いや、文字通り飛んでるのじゃないかってくらいの勢いで、駆け寄ってきたのだ。
学校指定の水着の上にきちんとシャツを羽織っているところが、レディの嗜みと言うところなのだろうか?
その隣でセンリさんが水着を披露すると、かまど作りをしていた冒険者たちから歓声が上がった。
何だ、この扱いの差は……
「強い上に美しい……だと!」
「女神か?」
「隣のちんちくりんとの差がまた、美しさを引き立てるな」
「オイ、お前。そこを動くな」
非常用に用意している紅蓮剣と蒼霜剣を引っこ抜いて、最後の言葉を発した冒険者を追いかける。
そのボクに負けじと走ってついてくるアリューシャ。
センリさんはセイコの固定具を外してやり、のんびりと海へと足を運んでいた。
こうして夏の風物詩が開始されたのだった。
この浜辺の質は予想以上に高かった。
あまり人が来ないせいで、魚たちの警戒心がとても低い。
泳いでいると、浅瀬に棲みついている小魚が寄ってきて、並んで泳いでくれたりするのだ。
問題があるとすれば一つだけ。
「あはははははははははははは――!」
ボクの隣で盛大に波飛沫を上げ、水泳の世界記録もかくやと言うスピードで疾走(?)する幼女の姿だ。
「アリューシャ、もう少し静かにしようよ。お魚が逃げちゃったじゃない」
「えー、競争してるんだよ。お魚さんと!」
「普通は勝てないし!」
「勝てるよー、ほら、待てー!」
ずばばばっと凄まじい勢いで波を掻き分け、沖へと泳いでいく。
なにあれ、モーターボート? いや、パワーボート?
一応ライフジャケットモドキと浮き輪を着けているので、溺れることは無いから、安心だろうけど。
「そ、そこの――女の子! あまり沖にいっちゃ……ひぃ、駄目だ」
沖に驀進するアリューシャを追って、ライフセイバー役の冒険者が泳いでいく。
もちろん彼女の推進力には到底及ばないので、必死の形相だ。
よく見ると二名ほどすでに脱落している。
うつぶせに浮かんでいるのは命が危ないので、早急に回収しておこうか。
そんな地獄絵図が展開される一方、センリさんは浮き輪に乗っかって波に揺られて昼寝していた。
今日は天気がいいので、波も高くないからそういう真似ができるんだろうけど、見てる分にはとても危なっかしい。
そんな無防備な彼女を保護しようと男性数人がその玉体に触れようとするたび、女性の冒険者からハリセンで殴られていた。
うん、あのハリセンは今後も売れそうだ。
「ちょっと、アーヴィンさん! なに彼女に手を伸ばしてるんですか!」
「い、いやほら……危ないだろう?」
「センリさんなら平気ですよ!」
あ、アーヴィンさんがローザに叱られてる。
というかセンリさん、地味にチャンス逃してるんだな……どうにも間の悪い人だ。
リア充にならない分、好感は持てるけど。
むしろローザの必死さが愛らしい。
でも個人的にはルイザさんを応援したいかなぁ?
「こうやって考えると、あの野郎、ハーレムじゃないか。むかついてきた」
ガボンと水中へ潜って、そのまま【クローク】を発動。
水中ではかなり効果の落ちるスキルだが、注意が他所に向いてる今の彼ならば、何の問題も無い。
まるで影のように存在感を無くしたまま忍び寄り、スキル【スティール】を使用してやった。
【スティール】は本来ドロップ品を盗み取るスキルで、倒した敵は盗んだアイテムとは別にドロップ判定が発生するため、収入を増加させるのに役立つスキルだ。
盗賊系の初期クラスはスキル数が少ないため、これを取っている者はわりと多い。ボクも例外じゃない。
そして、泳いでる最中に身を着けているものなんて、最小限しかない。
その最小限の中から盗み取ったものと言えば……海パンしかないだろう。
波間に泳ぐ象さんを確認して、海パンを放流する。
アーヴィンさんは「ひょあ!?」と、奇妙な叫びを上げて、挙動不審に陥った。
「どうしたんですか?」
「い、いや、なんでも――なんでもないぞ! それよりほら、君も他の人の様子を見て……」
「そんなこと言って、センリさんに手を出すつもりなんじゃ――」
「絶対出さない! 神に誓ってもいいから! 頼むから……」
そんなやり取りをはじめたので、かわいそうな事をしたかもしれないと後悔した。
後悔したので、この水着は返して上げることにしよう――ローザに。
体を浮かせるため、水中でパタパタ動くローザの手に、アーヴィンさんの海パンを絡めて上げる。
「ん、これなに……」
「あ、ああ! それ俺の!?」
「え、って――きゃああぁぁぁぁ! なに脱いでるんですか、アーヴィンさん!?」
「違っ、誤解だ!」
「水着脱いでナニするつもりだったんです!」
「なにもしないわぁ!?」
大混乱の二人を見て実に満足した。そろそろネタばらしして上げてもいいだろう。
これ以上は禍根が残る。
ローザの背後でぷかりと頭半分だけ海面に出したボクは、アーヴィンさんに向かって親指を立ててあげた。
「ユミル、てめぇええぇぇぇぇぇぇ!!」
「リア充には報いを、なのだー!」
フルチンで追っかけてくるアーヴィンさんから逃げながら、ボクは思いの丈をぶちまけた。
この後、アーヴィンさんは少女をフルチンで追っかけた冒険者として、その威名を世に轟かせたのである。