第八話 第二次接近遭遇
アリューシャと迷宮のそばで暮らし始めて一ヶ月が経った。
あれからアリューシャの体力練成をかねて迷宮に潜り、素材を持ち帰って日々の生活に使用するという毎日を送っている。
この迷宮について判った事は非常に広いという事と、生態系が滅茶苦茶だと言う事。
そして、倒しても一時間としないうちにモンスターが補充されていくという事だ。
おかげで食料に困る事はなくなった。
迷宮一階では鳥と狼、二階では樹木生物とスライム。そして三階に下りたら、なんと森が広がっていたのだ。
そこには果物や木が繁り、しかも一時間程度で再生するため、無限に果実や材木が手に入る。出現するモンスターは熊や猪、蛇などの野生生物だったので肉も旨い。
更には川も存在した為、魚を入手する事もできた。
大きめの葉、材木、そして蔦に木の芽。肉に皮に骨。多彩な材料は生活の質を大きく引き上げる事に成功した。
さらに四階。
ここはなんと海だった。
広さは上層と同じく数キロで壁に当たる程度だったが、フロア全体が海水で満たされ、なぜか波が起こり、魚や海棲生物達が繁殖していた。
五階への階段は十メートル以上底の海底にあり、階段には水が流れ込まないという不思議仕様。
どういう仕組みになってるのか頭を捻ったが、アリューシャ曰く『迷宮とはそういうもの』らしい。
この階層では、待望の塩を入手。さらに魚醤の製作にも挑戦して、一定の成果を上げた。
ありがとう、某サバイバル系アイドル! まさかバラエティで得た知識を実用する事になろうとはね。
そしてトドメは五階。
ここも広さは上と変わらぬ程度だが、平原が広がっていて、そこには牛や豚、馬や羊や山羊のモンスターが存在した。
牛肉だよ、牛肉!
もっとも、日本で販売されているような柔らかく質のいい肉ではなく、硬い野生の肉ではあったけど、癖のない脂の旨味に思わず涙してしまった。
雌牛や羊からは乳も採れたため、飲料に関しても質の向上を図る事ができた。迷宮万歳!
この階層にも下に続く階段はあったが、この段階ですでに生活の質がかなり確保されていたので、六階にはまだ下りていない。
ただ、判った事は五階までの敵は大して強くないという事だ。
この迷宮が初心者向けという推測は、間違ってなかったっぽい。
それをアリューシャに言うと、『それはない、ぜったい』と真剣な表情で首を振られてしまったけど。
とにかく、塩と魚醤そして果物による甘味で味付けが豊富になり、アリューシャも大喜びの食生活を送れている。
さらに持ち帰った材木で迷宮から少し離れた場所に小屋を作り、雨風を凌ぐ場所も確保しておいた。
さすがにいつモンスターが出てくるか判らない野晒しの岩の上では、落ち着いて眠れないのだ。
他にも、草を刈って乾燥させて干草を作り、蔦で固めた干草ブロックで形を整え毛皮を掛けてふわふわのベッドを作ったり、皮袋を作り、作った袋に羽毛を詰めて枕を作ったり、枕と同じような工程で羽毛布団も作った。ただしこれも布ではなく皮で包んであるので、通気性に関しては最悪なのだが……
これだけの物をたった一ヶ月で作り出すのは、現実では不可能だろう。
だが加工過程をすっ飛ばせるこの世界では、製作速度が半端なく早く済む。おかげでサクサクとモノ作りに励む事ができた。
水袋の数も百個を超え、馬や牛、羊の胃袋で作れるようになったため、大量の水を輸送できるようになった。
アリューシャの体力さえ付けば、いつでも旅に出る事はできるだろう。
もっとも彼女は、魔力的な成長は目を見張るべきものがあるが、体力的な成長は激しく遅い。
どうも魔法側に適性があるようだ。
長旅をこなすには、まだしばらく掛かるだろう。馬を調教して、馬車を作ったほうが早いだろうか? だが背の高い草が車輪に絡みそうで、踏ん切りがつかない。
朝。
胸に掛かる重みと、甘美な感覚によって目が覚める。
この原因にもすでに慣れたもので、胸元に目をやるとアリューシャがボクの服を捲り上げて、ボクの胸に吸い付いていた。
まだ子供だから、そういう昔の記憶が再生されてしまう事もあるのだろう。
ましてや親元と引き離されて、ボクと迷宮暮らし。甘えたい時もあるはずなのだ。
とはいえ……
「ん、ちょ……あ、ダメッ! アリューシャ、起きて!」
ボクの胸はまだ小さい。
しかも先端部分も育っておらず、豆粒程度の大きさしかないのだ。それを強引に吸い出されると痛いやら気持ちいいやらで、変な気分になってしまう。
小さな子供相手なので、無体な真似は出来ない。揺り動かすようにして起こす。
それがまた微妙な感覚を増幅させる。
最近はこの朝の攻撃が一番つらいのだ。
「んぁ、おふぁよう、ゆーね」
「ハイ、おはよう。今日もベトベトにしてくれたね?」
「んー、えへへ」
「笑ってごまかさない!」
「ごめんなさぁい」
最近アリューシャのボクに対する呼び方が『おねーちゃん』から『ゆーね』に変わっている。
どうやら『ユミルおねえちゃん』が短くなって『ゆーね』になったらしい。
呼び方が変わったのはアリューシャだけじゃない。『ボク』も自分の事を心の中でも『ボク』と呼ぶようになっている。
長く使い続けていると、使い分けるのが馬鹿らしくなってきた事と、後は慣れだろう。
「ほら、さっさと着替えて。顔洗いに行くよ」
「はぁい」
外に出て、木を組み合わせて作った桶に、インベントリーから取り出した水袋の水を移す。
もっとも、素人のボクが作った隙間だらけの桶に水が貯められるはずもない。
なので内側に皮を張って水が漏れないように工夫してあるのだ。
二人で歯ブラシを取り出し、わしわしと歯を擦る。
木を削って刳り貫いたコップに水を汲み、二人並んで同じポーズで口を濯ぎ、ペッと吐き出す。
「む、アリューシャ、ボクの真似したな」
「ちがうよ、ゆーねがまねしたんだよ?」
「口が達者になってきたね」
「せいちょうしてるもん」
彼女の態度は最近、実にボクによく似てきてる。
元々が男のボクは平気で胡坐をかいて座ったり、足を大きく開いて歩いたりする。
女の子としては、激しく落第点だ。
それをアリューシャが真似るというのは、あまりいい傾向じゃない。
「他の女の子と触れ合う機会を持たないとなぁ」
「ゆーね、わたしがいるじゃない」
「そういう人をダメにする台詞は言っちゃダメ。アリューシャに惚れちゃうじゃない?」
「いいよー?」
「むぅ……とにかく、水浴びしに行くよ。誰かのおかげで胸元がベトベトだし」
「わかったぁ」
アリューシャが外用の装備に着替える。
彼女もレベル的に成長してきたせいか、着れる装備が少しずつ増えてきている。
今彼女が手に取ったのは、薔薇の意匠があしらわれたローブである。地水火風の四大属性への攻撃力を上げる装備であり、特に火属性への効果が高いカスタマイズがされている物だ。
ただしサイズが合ってないので、あちこち縛ったりして裾の長さを調整する必要がある。
その上に、いつもの大天使の翼を装備して完了。
「かんせー!」
「よし、今日も可愛い」
「えへへぇ」
太陽のようにニパっと笑うアリューシャに、クラクラしてくる。
この子はきっと将来天性の誑しになる。男も女も魅了して回るに違いない。
ボクも詠唱妨害阻止のローブに着替え、両手剣を背負って準備完了。明かりになる装備は迷宮のそばで付ければいい。アリューシャは少しでも軽くしておかないと、体力が持たなくなってしまう。
ついでに空になった水袋もインベントリーにしまいこむ。水浴びついでに補充もしてこよう。
干し肉や皮はまだ余ってるし、材木も問題ない。あ、牛乳が少ないかな?
「水浴びしたら五階まで降りるよ。牛乳が少ないし」
「じゃあ、とちゅーで海にもぐるんだね? やった!」
彼女は泳ぐのが好きなようで、四階の海ステージがお気に入りだ。
それでも十メートル以上の海底まで潜るのは、この歳じゃきついはずなのに。
狼の腸を束ねて作った浮き輪が出来てからは、特に遊びに行きたがっている。
最近暑いからなぁ……転生する前は真冬だったが、こっちに来てからはまるで夏だ。しかも日に日に暑さがきつくなっている。
「ボクはあんまり好きじゃないんだけどね。五階に着いたら塩水でベタベタだもん」
「お水で洗えばいいよ」
「簡単に言ってくれるなぁ」
とはいえ、行かない訳にはいかないのだ。牛乳はクリーム作りとかにも使えるのだから。
小屋を出て、迷宮へ向かおうとすると、アリューシャがいきなり声を上げた。
「ゆーね! あれ! ほら、ほら!」
迷宮とは違う方向を指差し、ピョンピョンと跳ねる。
何事かとそちらに視線を向けると……
「人、だ……人だ!? おーい!」
そこにはこちらに歩いてくる数人の人影が見えた。
ボクは両手を振って人影にアピールした。この世界で、アリューシャ以外の初めて出会う人。
近づくに連れて身に着けている物も区別が付くようになっていく。
半数が金属製の鎧を身にまとい、残りは皮製の鎧だろうか? 剣や杖を手に持ち、揃ってマントなどで直射日光を防いでいる。
顔立ちは全員彫りが深く、金髪や赤毛。しかも揃って体格が良さそう。性別は男性三人に女性二人、かな?
マントのせいでよく判らない。
こちらが手を振っている事に向こうも気付いたのか、愛想よく手を振り返してきた。どうやら友好的な人たちのようだ……まだ判断するには早いけど。
「やぁ、おはよう。お嬢さんたち」
「お、おはようごじゃいますっ」
初めて会う人と言葉を交わすため、緊張で少し噛んでしまったが……まぁ今はボク女の子だし、可愛げがあっていいよな?
「遠くからこの小屋が見えてやってきたんだ。良ければ少し水を分けてもらえないかな?」
「あ、いいですよ。アリューシャ手伝って」
「うん!」
一旦小屋に戻って、桶に水を貯めて外に出る。
アイテムインベントリーについては……なんだかあからさまに剣と魔法の世界に反する機能だから、内緒にした方がいい気がした。
小屋に戻って小声でアリューシャにそう注意を促しておく。
性格は良さそうな人たちだけど、何が起こるか判らない。ボクはこの世界にはまだ疎いのだから。
二人で桶を抱えて外に運び出すと、いそいそと水を袋に詰めだす。こちらも水袋を使用している。どうも文明レベルはそう高くないらしい?
他の男二人は手で水を掬って喉を潤している。相当喉が渇いていたのだろう。
「助かったよ。平原を渡るには充分な水を用意してたんだが……うっかりいくつか破いてしまってね」
「いえ、それより破いたって……?」
「ああ、狼に襲われたんだ」
「うわぁ、よく平気でしたね」
「こう見えても冒険者だからな!」
水を飲んでいた男が胸を張る。胸の辺りまで濡らしている様はどうにも間が抜けているけど。
「もう、そんなの見れば判るわよ。それに彼女も冒険者よ?」
「えっ、そうなの?」
「だって凄い大剣背負ってるんだもの」
そういえば迷宮に向かうために剣を装備したままだったか。
まぁ、無防備に思われるよりはいいか。
「そういえば自己紹介がまだだったね。俺はアーヴィン。このパーティでリーダーをやっている剣士だ」
「俺、クラヴィス。よろしくな!」
「私はルイザよ。魔術師をやってるの」
「私はルディスです。神官を務めてますの」
「俺、ダニット。斥候」
立て続けに名乗られても、覚え切れん!
でも名乗られたら名乗り返すのが礼儀だしな。
「あ、ボクはユミルです。こっちの子はアリューシャ」
「ん」
アリューシャは人見知りをして僕の後ろに隠れたままだ。
「いや、本当に助かったよ」
改めて礼をするアーヴィン。
これがアリューシャ以外の人間との、初めての遭遇だった。
続きはまた明日投稿します。