第八十七話 戦力不足
あれから二週間の時が過ぎた。
屋敷に不審な侵入者も現れず、センリさんも無事に帰ってきて、アリューシャの登下校も平穏無事。
不穏な状況は完全に一段落付いたように見える。
あのFPSから来た男、首にかけた認識票にはオックスと書いてあったが、彼の蘇生は失敗に終わった。
どうやらこの魔法は、気絶者を起こす程度のものらしい。
それを確認した後に、死体は焼却処分して埋葬された。これはアンデッド化を恐れての事だ。
彼の持っていた銃器や火器はタルハンの組合が押収していた。
何とか複製しようとしてるらしいが、部品の精度や精緻さが桁違いに高いせいで、上手く行っていない。
これにはボクも一安心と言うところだ。
あんな武器は広がらない方がいい。
割符についても、取引先は不明のままだ。
どうやら、よほど周到に身を潜めているみたい。
もちろん、これですべてが丸く収まった訳じゃない。
ラキの家は、組合から保障が降りたとは言え、商売を再開する目途は立っていないのだ。
それに組合自体も大量の解雇者に逮捕者を出して、再び人手不足の状況に追い込まれている。
だが、その捕縛者から裏事情を聞きだす事には成功しており、関係各所から援助を引き出すことには成功している。
なんと、西のブパルスと、北のマクリームの有力者まで後ろに付いていたらしい。
大氾濫を聞きつけて、タルハンの勢力を削ぎ落とす事と、そこで活躍した未来有望な若手の引き抜きが主な目的だったらしい。
もっともそれは表向きの情報に過ぎないとは、レグルさんの弁だ。
そのレグルさんも今回の騒動で、組合支部長を引責辞任する羽目になった。
彼本人の判断の甘さを追及された形になったのだ。
これは本人も納得尽くと言うか、自らそういう方向に誘導した可能性が高い。
損害を受けた者達にとって、糾弾の的が必要だと判断しての事だろう。
支部長の後任には、ヤージュさんが着く事になった。
ちょうどタルハンに戻ってきていたのと、彼の年齢的にそろそろ後任に役目を譲ればどうかとレグルさんに迫られ、現役を引退したのだ。
カロン達のパーティは、ヤージュさんの離脱で一時活動休止となった。
メンバー集めも、リーダーの仕事とカロンに押し付けたのだ。
そう、次期リーダーにはカロンが着く事になっている。
だが、優秀な前衛が居なくなって活動停止状態なので、彼の成長を窺うことはまだできて居ない。
レグルさんも支部長の座を退いたとは言え、まだ町長ではあり続けている。
今後は貴族相手の政治戦がメインとなると、本人が話していた。
まぁ、ボクには関係のない話である。
その日、組合に迷宮の分配料を受け取りに行ったらドイル達が揉めていた。
ちなみにアリューシャは学校。センリさんは道具屋支援のための薬剤作り中である。
彼らは周囲の注目も無視して、激しく口論していた。
「ちょっと、ちょっと、君達。一体何騒いでるのさ?」
「あ、ユミルさん。聞いてくださいよ! ドイルとハンスが引退するって!」
「はぁ!?」
確かに彼らは二週間前の騒動で瀕死の重傷を負っている。
だがその怪我はアリューシャの無駄に高レベルなヒールで、完全に癒えているはずだ。
「何か後遺症が出てるの? なんだったらもう一度、アリューシャに――」
「いえ、出ていると言えば出てますし、出てないと言えば出てないとも……」
もごもごと口篭るドイルは、いつもの勢いが存在しない。
代わりにローザが彼の状況を代弁してくれた。
「『犬』に取り憑かれたんですよ」
「『犬』?」
また聞いた事のない単語……いや、単語自体は聞いた事があるけど、用法が出てきたな。
「あ、『犬』って言うのはですね――」
生意気口調だった彼女も、あの一件以来、ボクに一定の敬意を表してくれている。
そもそもモンスターを追い払う程度ならともかく、あれだけの手練れを一方的に殴り殺したところを見てしまったのだ。
あの後彼女、ちょっと腰が退けてたもんな……
それはともかく、ドイルが取り憑かれた『犬』と言うのは、俗に言う『負け犬』の略語らしい。
彼はあれ以来、敵と対峙すると手足が震え、まともに前衛の仕事が果たせなくなっていたらしいのだ。
そりゃ、顔の半分を潰され、片足を千切れ飛ぶ羽目にあったら、心的外傷も負おうって物だ。
これに関してはドイルを責めるのは酷だ。
ハンスも似たような状況にあり、カイン以外の前衛が全滅した状態にあるらしい。
「ローザ、それを責めるのはちょっとかわいそう。誰だってあんな目に遭えば心に傷を負うよ?」
「でも……」
「すみません、ユミルさん。俺、どうしても震えが止まらなくて――」
「仕方ないって。でも引退するのは早計かも知れないよ? しばらくすれば治るかもしれない訳だしね」
ヤージュさんの時も、一月は後遺症が出ていた。
彼の場合、まだ二週間しか経っていないのだから、結論を出すのは早いかもしれない。
「でも、自分でも判るんですよ……これはもう、治らないって。あの恐怖は、もう忘れられないんだって」
震えながら顔を覆うハンス。
ボクも瀕死の重傷を負うことは、わりと多い。
特に【狂化】直後の筋肉痛とか、マジで命に関わるレベルだし。
でも、敵の攻撃で瀕死と言うのは、実はまだ一度も無い。
キングベヒモスの時は、アイテムで急場を凌ぐ事ができた。
ムーンゴーレムの時、かなり追い詰められてはいたけど、瀕死までは行って無い。
オークたちとの戦いは【狂化】以降は一方的に殲滅した。
あのオックスと名乗る男との戦いも、そうだ。
死に瀕する恐怖と言うのは、ボクには理解できていない領域の物があるのだろう。
結局、ドイルとハンスは引退の意思を覆す事は無かった。
これでこの二十日の間に、アーヴィンさん、ヤージュさん、ドイルの三つのパーティが相次いで活動を停止した事になる。
もちろん、冒険者の多いこの街ではそれほど問題になる事ではない。
だが、カリスマ的存在であるレグルさんの引責は、やはり冒険者達の動揺を誘うに足る出来事だった。
後任のヤージュさんもそれなりに知名度のある人だけど、やはり経験と実績の差と言う物が不安材料になっているらしい。
彼も大概なベテランだけどねぇ。
そんな訳で、カロン達のパーティと、アーヴィンさん達のパーティ、それにローザとカインを交えて緊急会議をする事になった。
新任のヤージュさんを支えるためには、腕利きの冒険者が遊んでいる状況と言うのはよろしくないのだ。
「それは判るけど、どうしてボクんちな訳?」
「え? 別に一緒に夕食くらい、いいんじゃない、かな?」
そう顔を赤らめながら了承の意を示すのはセンリさんだ。
まぁ、彼女としたら、アーヴィンさんがいれば問題ないんだろうけど。
もっともそのアーヴィンさんのそばには、ルイザさんが張り付いて牽制している訳で。
ついでにローザの視線も鋭くなっている。
「はぁ、いいけど……頼むから我が家でドロドロの人間関係を展開しないでね?」
「そ、そんなことする訳無いじゃない!」
「そうよ、私は良識ある『大人』だし!」
ここぞとばかりに大人を主張するルイザさん。
せめてローザを牽制しようと言う腹か?
「それにしても、カロンがリーダーねぇ? 当時はエロいドジばっかり踏んでたのに」
「もう、その事は忘れてくださいよ。僕はなんて恐れ多い事をしたのかと、後悔してますから」
そのカロンも、この二年で一気に背が伸びている。
まだまだ線が細い感は否めないが、成人を過ぎて大人っぽさが僅かながらに感じられるようになった。
こういうのは成長しないわたしとしては、非常にうらやましい。
「そっか、成長しないって事は、あまり長くはいられないかも……」
こっそりと、小さな声で一人ごちる。
成長しない身体は他の人の不審を買うのに充分な効果がある。
あと五年もすれば、ボクの幼さに疑問も感じるものも出るだろう。
それまでに元の世界に戻れるかどうかが、鍵になるかな?
何はともあれ食事は大事だ。
アリューシャの成長にも関わる問題である。
この街には米と新鮮な魚があるので、それを利用してみよう。
好みとしては炊き込みご飯がベストだけど、醤油が無いので、魚醤とサフランを使用してパエリア風になってしまった。
どこかに醤油を開発してくれる腕利き――はっ、センリさんがいるじゃないか!
「助けて、センべーさん!」
「誰がセンベーよ!?」
「先生、醤油が欲しいです」
「あきらめろ、そこで試合終了だ」
身も蓋も無い返事を返して、胸を張るセンリさん。
もう少し考慮してくれても、いいんじゃないですかねぇ。
「そもそも醤油のレシピなんて、私知らないわよ? ポーションとか万能薬なら知ってるけど」
「万能薬!? 作れるんですか!」
それに食いついてきたのはアーヴィンさんだった。
冒険者として、ポーション系の在庫については切実な物があるのだろう。
「え、ええ。一応……」
「効果は? 万能薬って言うからには毒とか麻痺にも効くんですよね?」
急に迫ってきた彼に、顔を真っ赤にして対応するセンリさん。
なんだこの、乙女な反応は……実は中の人はかなり若いのか?
「毒と麻痺、それに盲目や混乱、呪いも行けますよ」
「混乱に呪いまで! それってかなり高品質なものじゃない?」
次に乗ってきたのはルイザさんだ。
あれ、どうも品質面で目立ってる?
「通常の万能薬って、毒と麻痺と場合によっては盲目も治す程度よ。すっごい効果じゃない!」
説明どうも、ローザ。センリさんの製造チートが、ここでも発揮されてたって訳ですね。
「センリさんの薬は高価なので、そう簡単に流通させる訳には行きませんよー」
「なんでよ!」
ボクの対応に目をむいて怒るローザ。冒険者にしたら、命に関わる薬品を押さえられているんだから、まあ無理もない。
「考えてみて、ローザ。今なら少量とは言え流通させる事はできるけど、もし大量に市場に流してごらん?」
「え、えーっと……」
「組合はもちろん、流れの商人ですらその出所に注目するようになるわね。そうなったら争奪戦よ。下手をしたら、こないだみたいな非合法な事も起きるかもしれない」
「う、いくらなんでも、それは行き過ぎ……」
ルイザさんのフォローに、少し引いた感じになるローザ。
でも、実際二週間前に起こった事は、そう言う事なのだ。
大氾濫でセンリさんとアリューシャに目を付けた連中が、無茶をやらかしたのだから。
「行き過ぎでも、それを躊躇しない連中がいるわ。優れた技量を持つ者はそれだけ慎重にならないと」
そう諭しながらも、ボクとアリューシャに視線を流す。
「あはは、ボクらも注意しておきます」
「はぁい」
ボクの戦闘力とアリューシャの治癒力は狙われるに値する。
幸いボクは一年前の大氾濫では目立った活躍はしていないが……いや、見られていないが、それでも注意するに越した事は無い。
科学が発達せず、剣と魔法が主体のこの世界では、元の世界以上に個の力は重視されるのだ。
「さて、それじゃ食事しながら会議と行きますか!」
マズい話の流れを切り替えるように、ボクはそう宣言したのだった。