第八十五話 蹂躙
残酷な表現があります。苦手な方はご注意ください。
気が付けば、アリューシャにもたれかかる様にして倒れていた。
どうやら一瞬だが気を失っていたようだ。
ボクの身体には、感じ取れる限り四発の銃弾が撃ち込まれている。
そのダメージはHPの半分近くを奪い取っていた。
半分……ボクだから半分で済んだのだ。
HP係数が低く、生命力の低いアリューシャならば、即死確定のダメージである。
「くっ、こんな物を……子供に向けるなんて……」
アリューシャの身体には銃弾が届いた様子は無い。
彼女に付いた返り血は、すべてボクの体から流れたものだ。
身体のダメージを確認する。
右腕は肘から下がまったく動かない。関節が砕けているのかもしれない。
右足は太腿に一発喰らっている。
苦痛を無視すれば動けない事は無いけど、いままでの様な機動はできそうに無い。
銃弾を避けると言うのはもう不可能だろう。
肋骨にも一発当たっている。
砕けているのか、呼吸するたびに激痛が走る。
その他にも脇腹にもう一発。
喀血していると言う事は、内臓にもダメージが受けているのだろう。
継続ダメージが発生して、HPの自動回復が阻害されている。
今までのような戦闘力は発揮できそうに無い。
まだ消耗戦に持ち込んで、削り合うという手も残ってはいるけど、アリューシャを背後に抱えた状態では分が悪い。
状況的には詰みと言っていい。だが……
「ごふっ、ごほっ」
「へぇ、四発も喰らってまだ息があんのかよ。さすが転移者、しぶといモンだ」
その言葉と同時に、バンと言う破裂音。
反射的に左手の武器を捨てて、アリューシャを抱き寄せ、かばう。
その顔のすぐ横に銃弾が撃ち込まれていた。
「俺と対等にやれんのは、あのセンリって女くらいだと思ってたよ。聞いた話じゃグレネード連発してたんだって?」
ボクはアリューシャを背後にかばい、男を睨み付ける。
この男は典型的なバトルフリークと言うヤツなのかもしれない。
手段と目的が入れ違い、戦うことが最優先で目的なんて二の次。そういう種別のゲーマーは確かにいる。
アリューシャが狙いで襲い掛かったのかも知れ無いけど、今のこいつは彼女の命はまったく気にしていない。
この位置を離れる訳には行かない。
滴り落ちる血が太腿を伝い、床に血溜まりを作って行く。
体内に残った弾丸が毒のような効果を発揮しているのか、回復が発揮されないどころか、微妙に減少してる気配すらある。
だがまだ、切り札は残っている。
圧倒的武器の性能差。それが決定的勝利を見逃してしまったのだ。
ボクのしぶとさを警戒していたのかもしれないが、勝つつもりなら気を失った一瞬に追撃して置けばよかったのだ。アリューシャごと。
「気に入ったよ、お前。どうだ、俺と組まないか。そうすりゃ……少しは楽しませてやるぜ?」
遠くから間合いを確保しつつ、そんな事を口にする男。
ボクは返事をせず、左腕だけで【スローエッジ】を牽制を放った。
もちろん男も警戒を解いていなかったので、これは横っ飛びで躱される。
それは想定内だ。
そして流れるように、次の操作を行う。
「ハッ、そうかよ。死にたいってのなら、それでも構わねぇ!」
崩れた体勢のまま、銃弾を放ってくる男。
だがそれでいい。
銃と言うのは存外当てるのが難しい。
ましてや閉鎖空間向きの短機関銃。
集弾性と言う面では、大きなものよりも遥かに劣る。
四発でこちらのHPが半減と言うことは、八発までは喰らっていいのだ。
それとこの戦闘で気付いた事がある。
それはボクの敏捷性。
通常、人間の速度は時速にして四十キロを越える事は無い。
だがそれ以上の速さを視認できないのかと言うと、そうではない。
現にプロ野球選手などは、その四倍の百六十キロと言う球だって打ち返せるのだ。
何かのバラエティ番組では、二百キロの球も打ち返している映像があった。
もちろん、クリーンヒットとは行かなかったけど。
ボクの足は百八十キロ……いや、今では百九十キロ近く出せる。
動体視力も、それに応じて上昇している。
その五倍と言うことはつまり……千キロ近い速さを視認する事ができるということだ。
そしてそれは、ほぼ銃弾の早さに匹敵する。
実際、飛来する影は見る事ができている。
そうでなければ、この閉鎖空間で銃弾を避け続けると言う事は、できなかったはずなのだ。
「うぅあああぁぁぁぁああああああ!!」
叫びとともに、足の力を振り絞って突進。
太腿の銃創から、鮮血が飛び散っていった。
左手には、インベントリーから取り出した紅蓮剣。
短剣で無く片手剣なのは、攻撃範囲を確保するためだ。
ぬめる様な空気の流れを、肌に感じる。
その中を飛来する弾丸を、ボクは確かに認識していた。
無造作に剣を振り抜き、銃弾を斬り払う。
だが斬り払った所で弾の運動エネルギーが無くなる訳じゃない。
破片がこめかみを掠り、右側頭部から皮膚を抉られる。
一拍遅れて、飛沫く鮮血。
だが銃弾の雨は止まらない。
次の一発は剣の側面で叩くように弾き飛ばした。
三つ、四つ、五つ――
男に到達するまで、七つの銃弾を弾き、そこで剣は砕けた。
だがこれでいい。男との距離は詰めた。
あとは――ゴリ押しでも充分いける!
「だああぁぁぁりゃあぁぁぁ!」
そのまま、圧し掛かる様に体当たりを敢行する。
剣を取り出す猶予なんて、すでに無い。
動く左腕に力を込め――全力で殴り倒した。
グシャリと響く、鈍い音。
男もとっさに右手で応戦しようとし、結果、その腕が盾のような役割を果たす事になった。
「ぐ、あああぁぁぁ!? て、テメェえぇぇぇぇぇ!」
人間の枠を超えた腕力が、男の右腕を殴り潰した。それはもう、木っ端微塵に。
骨の砕ける感触と同時に、ぶらりと垂れ下がる右腕。
まるで関節が一つ増えたかの様な有様。
その腕を押さえるべく動く左腕。それを潰すのが、ボクの本来の目標だ。
「がああぁぁぁぁぁ!」
獣のような咆哮を上げ、その腕に……手首に噛み付く。
そのまま肉を裂き、血管を引き千切って食い破る。
かなり不恰好だが、右腕が動かないのだから仕方ない。
「ひぃ、ひゃああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
噴水のように溢れ出る、赤黒い血。
食い千切ったのは左手の浅い位置だ。おそらく切れたのは静脈だろう。
だが目的は血管ではなく、腱だ。手を使えないようにさえできればいい。
静脈では致命傷にならないのだが、男は混乱したのか距離をとるのも忘れ、動かない腕で必死に何かを操作しようとしている。
何を意図しての行動か、ボクにはそれが痛いほどよく判った。
「メ、メディカルキット、早く治療を――」
「無理だね。お前はまず右手ではなく左手をかばうべきだった」
VR系のゲームでは、利き腕をフリーにするため、大抵のゲームでは左手でメニューを開く。
この世界に転移してきて、ボクもその法則に巻き込まれている事を実感した。
ベヒモス戦では、それでメニューを開けず長い間苦痛に耐える嵌めになったのだ。
「メニューが開けなければ、回復はできない。右手が無ければ銃は使えない。この世界では、命の次に大事なのは左腕だよ」
この世界はゲームじゃない。ゲームのシステム的なスキルを使用する事が出来るだけの、現実だ。
だからこそ、ゲーム的な領域を操作できる左手は死守しなければならない。
地面に倒れ、のた打ち回る男の上に跨って、マウントポジションを取る。
そのまま、ポーチから小さなビンを取り出し、握り潰した。
強力な刺激臭が周囲に漂い、液体は拳に纏わり付いて消える。
「【デッドリーヴェノムウェポン】……さぁ、お前、さっき言ったよな? お楽しみの時間だ」
そう宣言して左腕を振り上げ、振り落とす。
男は反射的に左腕で顔を護ろうとする。
手首の腱が切れているだけで、腕自体はまだ動くのか。面倒な。
ガツッと言う手応えと共に、男の腕を押し潰そうとするが、やはり素手では効率が悪い。
ならば、もう一手だ。
「どこまで耐えれるか見物だよなぁ! ほら、次だ――【狂化】!」
暗殺者系の最強の攻撃増強スキルである、【デッドリーヴェノムウェポン】。
武器に毒を纏わせ、攻撃力を強化する暗殺者の切り札的スキルだ。
このスキルの攻撃力の増強幅は、【狂化】に勝るとも劣らない。
しかもこのスキルは、使用した状態で別のスキルも使えるのだ。
この爆発的な攻撃力は、魔刻石満載の魔導騎士にも匹敵する。
しかも毒瓶には魔刻石と違って所持上限が存在しない。
魔導騎士は狩りに時間を消費し、暗殺者は金を消費する。
そんな言葉が流れるほどに、用意に金はかかるけど。
そして、この二つの増強スキルの重ね掛けは、本来のゲームシステムでは利用できない。
これはアリューシャのおかげで使用できるようになった、言わばチートだ。
【狂化】の効果で急速に傷が塞がり、体内から銃弾が排出される。
右腕も使用できるようになったので、こちらも男を殴るために動かしだした。
両の拳を容赦なく顔面に叩きつける。
「ハハハハ、アハハハハハハハハ!!」
「ひぃ、や、やめ――ぐぶっ、ひゃめてぇぇぇ!?」
最初は必死で左腕を使ってかばってはいたが、その腕だって数回受けた段階でグシャグシャに砕けた。
その後、かばう腕さえ無くなった顔面に、問答無用で拳の雨を降らす。
「ドイル達を傷つけ、アリューシャを攫った屑どもが! やめる訳無いだろう? ふふふふふ」
「たしゅけ、ひゃぶ、びゃ、ふぐっ」
顔面の骨は砕け、顎の形も崩れ、もはやまともな声すら発生できなくなっている。
だがボクは、こいつを助けるつもりなんて毛頭無かった。
もちろん情報を聞きだすためには、生かしておいた方がいいのだろう。
それでも、転移者は危険だ。
特に近代兵器を操るFPS系では、どんな装備を持っているか判らない。
たった一人で、タルハンの組合支部を壊す事だって、不可能じゃない。
だからコイツは、生かしておくつもりはない。
「死ね! 死ね! しね! シネ、シネシネシネシネ――!!」
ボクが剣を砕いたのは、こいつにとって不幸としか言い様が無い。
そのせいで即死もできずに苦しむ羽目になったのだから。
しかも、今のボクにはトドメの大威力スキルを放つ事はできない。
【狂化】中はスキルの使用ができないのだから。
腰の下でビクビクとヤバい感じの痙攣を行い始めた男に、せめてもの情けとばかりにさらに加速して連撃を加えていく。
気が付けば、後頭部からどろりとしたピンク色の何かを垂れ流しながら、男は息絶えていた。
完全に男が死んでいる事を確認してから、【狂化】を解除する。
このスキルは解除するとHPが一にまで減少するので、敵がいる場所では解除は危険なのだ。
強烈な脱力感と、筋肉疲労でぐったりと倒れそうになった。
すぐさま、左腕でインベントリーを開いて、ホワイトポーションを喉に流し込む。
HPを適当な量まで回復させてから、アリューシャに解毒薬を飲ませた。
毒が抜けたとはいえ、すぐに目を覚ますものでもない。
アリューシャは、いまだすやすやと寝息を立てている。
「もう終わったのか?」
そこへアーヴィンさんが扉の隙間から顔をのぞかせた。
銃声が止み、ボクの哄笑が収まり、静かになったので、戦闘は終わったと判断したのだろう。
「ええ、全員滞りなく」
アーヴィンさんは頭の厚さが三分の一以下になった男の死体を見て、さすがにドン引きしていた。
男の死体を漁って、鎖の鍵を探し出し、アリューシャを解放する。
「他の子供たちは?」
「たぶん船だろう。そこの平べったい男は船着場から出てきたからな」
「じゃあ、すぐに確保しましょう」
「ああ、そっちはすでに組合の人間を派遣してある。後はここを調べるだけだ」
「ぐぬ、それは任せるしかないですね」
ボクは隠密や忍び足と言う技能はスキルでフォローできているが、調査や探索と言う技術はない。
ミッドガルズ・オンラインに於いて、盗賊とはあくまで戦士系のバリエーションの一つに過ぎなかったのだ。
こういった知識を必要とする専門技能には、やはりそれなりの経験が必要なのだ。
アーヴィンさんが外に合図を送ると、包囲していた五人が小屋の中に入ってきた。
そして毛布に身を包んだローザさんも。
彼女はアーヴィンさんを目にすると、そそくさと彼のそばに駆け寄ってその腕に手をやる。
その姿は、まるで襲われた小動物のようだ。
いや、実際そうだった訳だけれど……どうやらアーヴィンさんはまた、余計なところでフラグを建てたようだ。
ローザさんはボクに抱きかかえられたアリューシャを見ると、痛ましげな視線を送ってきた。
「アリューシャちゃんは無事?」
「ええ、おかげさまで薬で眠っているだけでした」
「ごめんなさい、わたし達がキチンと護衛をしていれば……」
「こいつ相手に、それは無理です。むしろよく生き延びて伝えてくれました」
「そうだ、ドイルとハンスは? おまけにカインも」
今になって仲間の安否が思い浮かんだのか?
いや、それだって無理は無いか。自分の身が危険に晒され、そして目の前には昏睡する幼女。
それを目にしてこの場にいない仲間を心配しろと言うのが、無理な話か。
少しかわいそうではあるけど。
「三人とも無事です。かなり際どい状況でしたが。身体も……まぁ、アリューシャがいれば元に戻せるでしょう」
「よかった……ドイルなんて顔が――」
「思いださなくていいです。辛いでしょ」
仲間の顔が三分の一吹っ飛ぶところとか、思い出すだけで気分が悪くなるはずだ。
それでも確認すべき事をきちんと聞いてくる。彼女はいつもの気丈なだけの女の子じゃなく、冒険者として動いてる。
それは評価すべき点だ。
「ま、お礼はウララに言って上げてください。あの子が強引にドイル達を組合に連れてきたんですよ」
「うん、今度いっぱい餌持っていってあげる」
こうして、アリューシャたちは無事救出する事が出来たのだった。
戦闘時にテンポが悪くなったので削除しちゃった補足
突撃前に【狂化】を使用しなかったのは、回避力の低下を嫌った事と、狂乱して左手を潰す目的を忘れる事を恐れたせいです。
殴り倒してから毒を先に使ったのも、まだ警戒心を残していたから。
腕を使って防御した事で罠は無いと判断し、【狂化】を使うに到った次第です。
機銃弾は9mmパラを、拳銃は45ACPを想定しています。
ちなみにあまり意味が無い情報なので本文には描きませんでしたが、男が使ってる拳銃はスタームルガーP90、短機銃はMP5SDをイメージしていました。