第八十一話 放火
当初、ボクはその知らせを聞いた時『ふぅん?』としか思わなかった。
だが組合の人たちは、あからさまに焦った顔をしている。
それを不思議に思って、受付の人に尋ねてみることにした。
「道具屋が火事だと何か問題あるんですか?」
「そりゃ……先ほども話していましたが、今はポーションが品薄ですから」
「ああ、なるほど」
火事になって在庫に火が回れば、ポーションが使い物にならなくなる。しかも大量に。
そうなれば、ボクの村へのサポートも受け持っているこの街としては、非常に困った事になるという訳だ。
しかも村への支援は、ヒルさんが赴任してきた際、書面にして残されているので、途切れさせる事は出来ない。
もちろん続けなければならない訳ではないが、一度契約したそれを覆す事は、街の体面に関わる。
レグルさんとしても、その事態は避けたいだろう。
「それは厄介ですねぇ」
しかもこのタイミング。何らかの意図が感じられて仕方ない。
それにしても道具屋か……ん? 道具屋?
「しまった、ラキ!?」
そうだ、アリューシャの友達のラキ君は道具屋の子供だった。
送迎で家の場所は知っている。彼の家は無事なんだろうか?
「すみません、西門通りにある道具屋は無事ですか?」
「そこは……いえ、現在も延焼中です」
「――!?」
ボクはそれを聞いて、一目散に駆け出した。
複数同時の出火。行方不明者の続出する街、屋敷への侵入者。
これが繋がっていない訳がない。
「……ひょっとして、ラキ君が狙われているのかも知れない」
夜の街を恐ろしい速度で疾走しながら、そんな事を考えていた。
夜の街がそこかしこで明るくなっている。
組合から道具屋までの途中でも二箇所、その光を見ることができた。
そしてラキの自宅である道具屋でも、炎は大きく燃え盛っていた。
「離して、まだ子供が中に!」
「くそ、ラキぃ! 離せ、俺の息子が中に残ってるんだ!」
「いかん、今行ったらお前達も巻き込まれるぞ!」
燃え盛る店の前で、二人の男女が取り押さえられている。
女性の方は見覚えがあった。ラキのお母さんだ。
前にラキに、道具屋は一階に店が、二階に在庫を保管する倉庫があり、三階が自宅になっていると聞いたことがある。
火は一階の裏手から広がり、二階の倉庫で大きく燃え広がっている様子だった。
「おばさん、ラキは?」
「ユミルさん、ラキはまだ中に……わたし達は一階で帳簿を付けていたから……」
憔悴した表情でボクに告げてくるおばさん。
一階の売り場で帳簿をつけていたので、火事には巻き込まれなかったのだとか。
その代わり、先に三階で休んでいたラキが巻き込まれてしまったらしい。
火はまだ二階の倉庫を焼いている最中で、三階までは到達していない。
しかし、この辺りは商店が密接しているので、下手をすれば他の家にまで延焼する恐れがある。
「急いで鎮火しないと、危ないな」
「おい、どこへ行くんだ!」
ボクは火が回っていない向かいの家に飛び込み、三階へと駆け上がる。
通りの向かい側にはまだ火が回っていない。ここからなら飛び移ることも可能だ。
薬品を取り扱っている道具屋ならば、ガスも発生しているかもしれない。
そこで暗殺者の衣装の襟元を引き上げ、口元を覆う。
これは本来は顔を隠すための仕様なのだが、毒を扱う暗殺者と言う職業では毒を吸い込むのを防ぐ効果もある。
準備を整えてから全速力で窓から飛び出し、ラキの家へと飛び移った。
脚力に物を言わせた、強引なエントリーである。
盛大に割れる、窓ガラス。
内部は煙で満たされていて、ろくな視界が無かった。
部屋の中にラキがいないか、大声を張り上げる。
「ラキ! ラキ君、いる!?」
囂々と燃え盛る炎の音が響き、他に人の声が響く様子はない。
最悪の事態を想像して、気温とは裏腹に背筋が寒くなっていく。
「くそ、ここには居ないのか!」
ラキの家は商人のそれらしく、敷地が意外と広い。
一階の売り場の広さがそのまま、居住空間の広さにも繋がっているのだ。
聞いた話では三階にも部屋は六つある。
扉を陰に隠れながらゆっくりと開き――バックドラフトと言う現象を警戒したからだ――廊下へと出る。
隣の部屋に移動しようとしたボクの視界に、小さな影が入った。
階段のそば、そこに半ば隠れるように倒れている人影。
「ラキ!」
おそらくは下の階へと移動しようとして力尽きてしまったのだろう。
上に逃げようとしない辺りは、冷静な判断といえる。
火事の時に上に逃げると逃げ場が無くなって、詰んでしまうのだ。
駆け寄って呼吸を確認すると、かすかに息があった。
最悪の事態は免れたが、この視界すら危うい状況では時間の問題だ。
かなりギリギリで間に合った。
「後は彼を下へ運んで……といっても、階段は無理だな。ごほっ」
二階部分の商品が焼けて、薬臭い臭いが上がってくる。
変なガスが発生しているのかも知れない。
この状況では階段は無理と判断したが、よく考えてみれば真正直に階段を使う必要なんて、まったくない。
そのままラキを抱き上げ、部屋に戻り……ボクは窓から飛び降りたのだった。
最大速度で二百キロ弱を叩き出すボクの脚力は、生半可な衝撃ではびくともしない。
ドスンと石畳を踏みしめ、衝撃を膝で吸収する。
高さにして十メートルほど。一般家屋よりも高めなその高さを、ボクは傷一つなく飛び降りて見せた。
「ラキ! ああ、大丈夫なの!?」
「意識はありませんが、息はあります。でも早く治療師に見せた方がいいですね」
「あ、ありがとう――何とお礼を言っていいか……」
「それは別に。それより、ボクは他にやることがあるので」
「す、すまない。この恩は忘れない――」
その言葉も待たずに、ラキを押し付け再び店の中へ飛び込んでいく。
次にやることは消火だ。
このまま放置しておけば、この家だけでなく隣家まで燃え広がってしまう。
即座にインベントリーを操作し、蒼霜剣を取り出す。
この剣を装備すれば、【フリーズブラスト】と言う、凍結系水属性魔法が使用できる様になる。
効果範囲は狭いが……贅沢は言っていられない。
一階部分に飛び込み、手当たり次第に魔法をぶっ放す。
一階の全てを凍結させる勢いで魔法を放ち、瞬く間に鎮火させる頃ができた。
とは言え、やはり本業よりもはるかに遅い。
【ブリザード】と言う、風と水の複合魔法を使える魔導師だったら、一瞬で収めることができたのに。
そのまま階段を上がり二階へ。
ここは薬品なども多く保管してあったので、異様な臭いも発生している。
そして、火勢は一階の比ではない。
「このままじゃ、【フリーズブラスト】で消しきれないな。もっと規模を小さくしないと」
出火の元になっている燃え種が多すぎるのだ。
範囲の狭い【フリーズブラスト】では、手間が掛かりすぎる。
「しかたない。商品は諦めてもらおう」
息子を助けたんだし、盛大に壊しても賠償とか言ってこないと思う……多分。
「h起動――テンペスト!」
魔導騎士の魔刻石は【魔刻石作成】と言うスキルがあれば、問題なく利用できる。
暗殺者に転職した今も、転職前のスキルが消える訳ではないので、使用は可能なのだ。
爆発的に吹き荒れた烈風が倉庫内を駆け巡り、在庫を粉々に吹き飛ばしていく。
同時に炎も吹き散らされ、火勢は大きく削がれる事になった。
「【フリーズブラスト】!」
すかさず残った火種を凍らせて行き、二階もほぼ鎮火するに到った。
念のため三階もチェックしてから店の外へ出る。
正直、火消しまでやるのは過剰サービスだったかも知れないけど、彼の家が焼けてしまえば、経済的な理由でラキまで引っ越す羽目になるかも知れない。
彼は、アリューシャの数少ない友達なのだ。見捨てるのは忍びない。
外に出ると、延焼を防ぐために隣接家屋を壊そうとする衛視と、その住人が揉み合っている所だった。
「だから! お前達の家を壊さないと際限なく燃え広がるだろうが!」
「ふざけるな、俺達がなにしたってんだ! そもそも出火したのはそいつらのせいだろ」
「こんな怪しい不審火がどこにある! これ以上邪魔するなら捕縛するぞ!」
「横暴だ! 訴えてやるからな!」
まぁ、自分の家が壊されるとあっては、気持ちは判らなくも無いけど……時と場合は弁えようぜ。
放置すれば、どの道自分の家も焼けるんだしさ。
とりあえず鎮火した旨を衛視に告げる。
驚いた表情の衛視は、中へ確認に入り、言葉通りであったことを見ると、慌てふためいてこちらへと戻ってきた。
ラキのお父さんには、二階の在庫を粉々に吹き飛ばしたことを詫びておく。
「すみません、火を消すために二階の在庫、消し飛ばしちゃいました」
「いえ、とんでもない! あなたがいなければラキも家も失うところだったのです。感謝こそすれ、責めるような事はまったくありませんとも」
「そう言ってくれると助かります」
「それに、在庫は少し惜しいですが、こうして家が残ったのです。店も……しばらくすれば再開できるでしょう。家財の全てを失うよりは遥かに良い状況です」
「そう言えばラキは?」
「妻が組合に連れて行きました。あそこの治療師は腕がいいので」
ここから組合まではそれ程距離はない、だが……
「いいんですか、今街は――」
「護衛に衛視の方が一名ついてます。それに馬もお借りしましたので大丈夫でしょう」
「ならいいんですが……この出火、あまりに回りが激しいので、なにかおかしいと思っていたんですよ」
それを聞いてお父さんも首を傾げた。
おそらくは家の構造を思い出して検証しているのだろう。
「確かに。ウチは厨房も二階にあるので、火の元が一階と言うのはおかしいですね。それに石造りの家なのに、火の回りが随分と早かったです」
やはり、通常の出火とは違いそうだ。
そこへ衛視が割り込んできた。
「失礼、貴殿は先ほど救助をしてくださった方で?」
「あ、はい。ユミルと言います。冒険者です」
ボクは組合証を提示して身分を証明する。
衛視はそれに目を通し一つ頷いた。
「すまない、この状況だからね」
「いえ、お仕事ごくろうさまです」
「ところで内部を見てきたのだが、ユミル殿は氷の魔法が使用できるのですか?」
「ええ、限定的にですが」
この蒼霜剣が無いと【フリーズブラスト】は使用できない。
この武器は普通、知力が低いと使いこなせない武器なのだ。通常は製造なんかをやる錬金術師や、片手剣を使用できる賢者系が使う武器だ。
通常の戦士系だと威力も低いし、あっという間にMPが尽きてしまう。
だが普通と違って、ボクは高知力型だ。MPが尽きると言うことはあまり無い。
「他にも火の出てる場所が複数あります。よろしかったら協力してもらえませんか?」
衛視は氷結系魔法の使えるボクに、あっさりと協力を申し出た。
この状況で素性が未確認のボクに協力を申し出るとは、随分と柔軟な対応だな。
まぁ、ボクとしても一般家庭が燃えていくのを放置するのは、いささか寝覚めが悪い。
それにレグルさんに貸しを作っておくのも悪くない。無理しない程度に協力するのならば、望む所だ。
「判りました。出来る範囲で良ければ協力します」
「本当ですか! 感謝します」
そう言って次の火災現場へとボクを案内してくれた。
この夜、ボクは明け方まで駆けずり回る羽目になった。
だが、人助けは別に悪い気分じゃない。
それに最近屋敷で穀潰しと化してる気がするし、ここらでアリューシャには良い所を見せておかないとね!
本人、まだ寝てるけど……