第七十九話 視線を感じます
巨大な馬が牽く馬車が街中を闊歩する。
その荷台には子供たちが賑やかな声を上げて乗っており、保護者の親も興味深げな視線を周囲に飛ばす。
「この馬車はいいですね。これでまとめて送り迎えしてくれるなら、私の面倒も大分無くなります」
「そうですか? 役に立てているのだったら幸いです」
肉屋の奥さんであるフェニさんが、そう声を掛けてくる。
彼女からしたら、朝の開店準備の時間を削ってまでして子供を送迎しているのだから、特に苦労してるだろう。
他にも商店を開いている保護者の人がいたりして、スクール馬車の評価は上々のようだった。
「ユミルさんは……最近この街へ越してこられたとか?」
少しこちらを窺うかのような表情。例の行方不明事件の事を懸念しているのだろう。
確かに現状で、新参のボクらを疑わしく思うのは仕方のないところだ。ここは気にしないでおこう。
「ええ、でも一年前にもここに来てましたよ。その時は旅行みたいなモノでしたけど、この街が気に入ってしまいまして」
正確には『気に入られて』、かもしれない。主にレグルさんに。
まぁ、厄介な人ではあるが、悪意は無さそうなので嫌な気分ではない。
「一年前と言うと、あの大氾濫のあった頃ですね」
「ええ、丁度行き当たりましたよ」
と言うか、ど真ん中で戦っていた。特にアリューシャが。
するとフェニさんは、声を潜めてこちらに話しかけてきた。
「あの……ユミルさんはもしかして、あの時テマを救ってくれた……?」
「あ、はい」
「すみません、あの時はお礼も言えずに。街も混乱してましたので、息子を見つけ出すことも出来ず」
「あまりにも急でしたから、仕方ないですよ。それにどちらかと言うと活躍してたのはアリューシャですし」
「とても可愛らしいのに、すごく強いんですね。お二人とも」
あの時の事はテマから伝わっていたみたいだ。
もっとも、クラスメイトになる人間が兵器級の活躍をしたとか知られるのは問題があると判断したのか、フェニさんも内緒話にしてくれている。
そこらへんの気の利かせ方は、さすが商売をやってる人だろう。
「良かったらお礼に今度お食事でもいかがです? それにお店にいらしてくれたら、いくらでも持っていって構いません」
「いや、それは悪いですって。ちゃんとお金は出しますよ。それに、なんと言ってもアリューシャのお友達を助けるためでしたから」
「あら、テマもあの烈風姫を味方につけるなんて、商売上手になったものだわ」
少し冗談めかして、そんなを事を言っている。
おっとりしてるように見えて、しっかり者だ。この美人の奥さんは。
当のアリューシャは子供たちを相手にお喋りしている。
今は彼女の唯一のアクセサリーである星型の髪飾りの話をしている。その片割れの月の髪飾りはボクの頭を飾っている。
やはり女の子たちは飾り物に目が行くものだね。
男の子たちはテマとラキを囲んでヒソヒソ話をしている。
「それにしてもユミルさんもお若く見えるのに、こんなに大きなお子さんが居るなんて」
「ぶふぉ!?」
フェニさんとの会話に恰幅のいい女性が割り込んできた。
それにしてもアリューシャがボクの娘!? いくらなんでも無理がありすぎる。
僕の外見は十三の頃より変わらない。今のアリューシャは七歳相応の体格だ。
ならばボクは、アリューシャよりも幼い時に産んだと思われている事になる。
「いくらなんでもそれは無茶ですよ。彼女はボクが保護した子です」
「まぁ、それはあの一年前の?」
「いえ、それ以前からです。でももうボクの娘も同然ですね」
「あら、カワイイ子同志でもったいないこと」
この流れは「ウチの息子の嫁に」とかいう、あれか?
残念だがボクの中身はまだ男である。可愛い女の子ならともかく、男はノーサンキューだ。
だが、ご近所付き合いは大事だ。この辺の矛盾が悩ましい。
「奥さん、ユミルさんはあのお屋敷に越してきたそうですよ?」
「え、あのお屋敷って……南地区の?」
「ええ」
その一言でオバサンはドン引きになる。
イゴールさん、どれだけ悪評を広げていたんだよ。
「それにこの馬。足元を見てくださいな」
「足……? は、八本ある!」
一応目立たないように掛け布をしているので、気付かない事も多いだろう。
それにセイコも気を利かせて、足を半分布の中に隠している事もある。
「神獣と呼ばれるスレイプニールですわ。彼女、高名な冒険者らしいですわよ。しかもお屋敷にはあの『爆炎の女王』までご一緒だとか」
「あのセンリ様ですか!? それは……すみません、出過ぎた事を」
「いえ、お気になさらず。ボクも冒険者という訳ではないので」
いや、正しい意味で『冒険者』なのかも知れない。なにせ真の『何でも屋』だ。
それにしてもフェニさん、わりと容赦ない脅しかけるね。
「あら、冒険者では無いと言うことは迷宮には行かないんですか?」
「いや、それは少し試してみようとは思ってますよ。『普通の』迷宮って言うのも経験してみたいんで」
「『普通の』?」
「あ、いえ……」
ボクが権利を持ってる迷宮は、かなり風変わりらしい。
なので、一般的な迷宮と言うのも体験しておきたい。
暇な時にアリューシャとセンリさんを連れて挑戦しようとは思わなくもない。
そこで、奇妙な感覚を覚えた。
肌の表面を舐めるような、この嫌な感覚……監視されている?
しかも敵意を持って。
そっと腰の短剣に手を伸ばす。
周囲を探ってみるけど、人が多すぎて特定が出来ない。
「――チッ」
ちいさく舌打ちして、軽くセイコに鞭を入れる。
警戒の意味を込めたそれを、彼女は理解してくれる。僅かに歩みを遅め、警戒の仕草を取った。
噂の人攫いか? そんな警戒心が漏れたのか、監視の目が消えた気がする。
「あの、なにか……?」
「いえ、少し見られてた気がしたので」
「ホホ、これほどの名馬ですもの。注目は集まりますわ」
フェニさんの薬が効き過ぎたのか、少しばかり腰の引けたオバサンが返す。
まぁ、オバサンも見た目小娘のボクがレグルさん以上の剣士とか、普通は思わないか。
少しかわいそうなくらい腰の引けたオバサンを乗せて、ボク達は学校へ向かったのだった。
この街は管理する領主が不在だけど、貴族がいない訳ではない。
各街の領主には、配下となるさらに下位の貴族だって存在するのだ。
主に領地を持たない成り上がりなどが主なのだが、この学校はそういった貴族の子息も受け入れている。
つまり、送迎用の馬車を停める厩舎が設置されているのだ。
セイコをその厩舎に繋ぎ、学校での警戒をお願いしておく。
彼女もスレイプニールに成長した事で、話す事は出来なくとも、人語を解する程度の知性は有している。
元々頭のいい馬だったけど、今ではスラちゃん並にウィットに富んだ行動を取ってくる。
百メートル走で妨害したりとか。ちくしょうめ。
「それじゃ、セイコ。一応繋いではいるけど、君ならすぐ外せる様にはしてある。アリューシャに何かあったら、頼んだよ?」
話しかけると、判ったとばかりに首を上下に振る。
その首筋を撫でながら、囁く様に続けた。
「途中でなんだか怪しい視線は感じたね? 品定めするような……どうにもキナ臭いから注意してね」
セイコも不快感を感じたのか、ガスガスと蹄を叩きつける。
その威力は周囲の馬が怯えるほどの破壊力があった。地面が抉れてるし。
人攫いは今のところ目立つような行動を取っては居ない。
おそらく校内に居る限りは問題ないだろうけど、セイコを護衛につけておけば、ほぼ万全といえるだろう。
こういうキナ臭い問題は、アリューシャには無関係でいて欲しい所だ。
関わらずに済むなら、それに越したことはない。
馬車を学校に置いた状態で、ボクは組合へと足を向けた。
やはり続報が気になったからだ。
アリューシャが授業を受けている間は、ボクはやることが無いので、お昼までに話を聞きに行こうと思ったのだ。
入り口のドアを開けて中に入ると、いつもの明るい声がボクを出迎えた。
「あ、いらっしゃいませ、ユミルさん。今日は何の用ですかぁ?」
「いや、特に用事は無いんだけどね。ちょっと昨日の続きとか……」
エミリーさんの応対を流しながら、ロビーを見渡すと、さすがに冒険者の数が多い。
朝一番のこの時間は、迷宮に向かうものや依頼を受けるものが殺到するので、混雑するのだとか。
「そう言えばセンリさんから聞きましたか? 少しポーションが足りなくなってるって」
「そんなこと言ってましたねぇ。この街から送るんじゃ、ダメなんですかね?」
今では村まで一週間で届けることができる。
それに、スレイプニール達を使えば往復で四日しか掛からない。
安定的に在庫のあるこの街から輸送すれば、村の錬金術師達の未熟もフォローできるはずだ。
「そうは言われましても、実はこの街の供給もギリギリでして……」
おい、それは一介の冒険者に言っていいことか?
冒険に必須のポーション不足をバラすなんて、パニックが起きるぞ。
ましてやこの街は迷宮で成り立っている所も多い。消耗は他所の街以上なのだから。
「そこはまぁ……こっそり原料になる薬草の採取依頼を増やしてはいるんですけどね。処理する錬金術師が少しばかり不足してまして。センリさんは街としても非常にありがたい存在なんですよ」
「あー、あの人、戦闘力も結構ありますからね」
半製造と言うどっちつかずなビルドは、ゲームではあまり好まれてはいなかったが、この世界ではその汎用性が非常に高く評価されている。
ましてや現在は、武器防具の他に薬剤まで取り扱えるとあって、その万能性は垂涎の的だそうだ。
「正直、少しばかり羨ましいですねぇ」
必要とされると言うことがあまり無かった元魔導騎士としては、嫉妬を感じ得ない。
そのボヤキを聞きつけたエミリーさんは、あり得ないとばかりに憤慨した。
「トンでもない。ユミルさんは必要ですよ! 主にアリューシャちゃんの保護者兼私達のオモチャとして!」
「オーケィ、少しばかり長い話をしようか。拳で」
「冗談です」
ゴキッと音を立てて拳を握り締めてあげると、エミリーさんは冷や汗を垂らしながら両手を振ってくる。
その後慌てたように書類を一枚取り出して、こちらに差し出してきた。
「でもお暇でしたら、薬草採取、行ってきてくれません? 規定の料金はお支払いしますから」
その書類には、薬草の種類と特徴を捉えた絵が記載されている。
とはいっても、その報酬額は駆け出しに丁度いいレベル。それを今更ボクが受けるって言うのもなぁ……
そんなことを考えて逡巡していると、背後から呼びかけられた。
つい最近まで聞きなれた声。
「お、ユミルじゃないか。早速会えるとは思わなかったよ」
「ん、ああ。アーヴィンさんじゃないですか。こっちに戻ってきたんです?」
そこには埃塗れの旅装をしたアーヴィンさんが立っていた。
背後にはルイザさんとダニットさんも一緒に居る。
「あれ? ルディスさんとクラヴィスさんは?」
「ああ、アイツら……引退しちまった」
「へ!?」
ルディスさんとクラヴィスさんが引退? どこか怪我でもしたんだろうか?
そんな心配が表情に出ていたのか、アーヴィンさんは手を振って溜息を吐いて見せた。
「心配すんな、寿引退だよ。アイツら結婚することになってな」
「ええ!?」
あの口の軽いクラヴィスさんと、お嬢様なルディスさんが!?
クラヴィスさんの片思いは気付いてたけど、相性は悪そうだったのに……一体どうやって攻略したんだろう?
「おかげで人員不足でね。一旦こっちに戻って募集を掛けようと思ったのよ。あのウラギリモノ……」
ゴメン、ルイザさんがちょっと怖いです。
「じゃあ、しばらくは冒険者家業もオヤスミですね」
「まぁ、回復役がいないのは少しばかり怖いからな」
「ふぅん……でもそうなると村はドイル君たちだけなんです?」
「ああ、丁度ヤージュ達が入れ替わりで来てくれてな。引っ越したって聞いてカロンは寂しそうだったぞ」
「まだ諦めてないんですか、あの坊ちゃん……」
一年前のムーンゴーレム戦以来、カロンは少しボクと距離を置いてる気がしていた。
それでも諦めきれないと言うことなのかな?
「いや、アレはもう恋愛感情じゃ無いな……なんというか、一種の信仰レベルに達している気がする」
「なにそれ、こわい」
村だけじゃなく、宗教まであの地で起こしたりしないだろうな。
そんなことを考えながらも、ボクはアーヴィンさんとの再会を祝っていたのだった。