第七十四話 幽霊屋敷
エミリーさんに紹介された物件を、実物すら見ずに契約を済ます。
正直こんな買い方ってありえないとは思うけど、ビビッと眉間に電流が走ったのだ。
これはきっと、この家を買えと言う神の告げに違いない。
「だからって、別についてこなくても……」
「紹介した手前がありますし。それに堂々とサボ――げふんげふん」
「……まぁ、叱られないようにしてくださいね」
本当になぜこの人は職に就けているのか、全く謎だ。
契約は済ませてあるので、荷物と一緒に橇を馬車モードに変更させて向かう。
二年前ぶりのタルハンの街は、過去に襲撃があったとは思えないくらい、賑わっている。
「この家は元々、この地方を治める貴族が住んでいた屋敷なんですよ」
行き掛けに家の説明をエミリーさんがしてくれた。
こういったサポートを忘れない所はきちんと受付の仕事を果たしている。
「治める? この街ってレグルさんの街なんじゃないんですか?」
「支部長はあくまで迷宮の権利者ですから。一応市長としての役目も負ってますけど」
つまりレグルさんの上に、まだ貴族がいるという事なのか。
「この西方地域はキルミーラと言う王国が支配していまして。ただ、王国中央部を草原地域が海岸沿いまで侵食しているので、王国が南北に分断されたような形になっているわけですね」
「ふむふむ?」
エミリーさんが空中に地図を描く。その指はまるで瓢箪のような形をしていた。
その中央のくびれの部分を、指差す。
「で、ここにタルハンがある訳です。南北の中継点。交易の通過点。まぁそういう訳で結構な重要拠点になってるんです」
「つまり、その拠点の市長であるレグルさんは、それだけ重要人物ってことなんだ?」
「はい。迷宮があって資源の湧出地でもあり、交易の中心点で国防の要ですから、発言力もかなりの物がありますよ」
草原で分断されていると言っても、踏破できない訳じゃない。
他国がこのくびれた地域を狙えば、キルミーラ王国はあっさり南北に分断することができる。
この地形でこの街の位置は、かなり重要な意味を持つ。
「もちろんここの市長であるレグルさんも重要人物ですが、ここを治めるために赴任する貴族もまた重要人物だった訳です」
「その人は?」
「亡くなりました。二十年ほど前ですかね。海側で大氾濫が起きた時に」
前回は陸だったが、もちろん海にも生物やモンスターはいる。
なら海側でも大氾濫が起きる可能性はある。
前の貴族はその大氾濫を治める為に、自ら最前線に立って戦死したらしい。
「以来ここは国の直轄地です。後継者が足の引っ張り合いをして、なかなか決まらないんですよ」
「しかも街の実力者がレグルさんですからねぇ」
無能で居丈高な貴族がやってきても、彼が居ればそう無茶な真似は出来ない。
それどころか、無茶を押し通そうとすれば、政武両面から叩き潰されるだろう。
「今から行く屋敷は、その時の領主が使っていた物です。当時は管理者の家令がいたのですが、その方も亡くなってしまい、ついに売りに出されてしまいまして」
「家令が居た……のに幽霊が出るんですか?」
「あー、出る幽霊は領主じゃなくて、その家令さんです。どうも前領主様に『屋敷を頼む』と言い遺されたらしく」
なるほど、それで今も屋敷を守っていると。
話だけ聞いていると、なんだか悪い幽霊じゃ無さそうだ。
屋敷の説明を受けていると、街の南にある目的地が見えてきた。
「うおぉぉぉ……」
「これは……予想以上に大きいわね」
目の前に広がった塀の高さや広さに、ボクとセンリさんは度肝を抜かれた。
市の外壁ほどではないが、十メートルはある柵が延々と伸びて敷地を囲っている。
その広さはちょっとした学校ほどもあった。豪邸とは言えないなんて言ってた気がするけど、前言撤回である。
くの字に建てられた屋敷は三階建てで、古ぼけてはいたがしっかりとした造りだ。
屋敷に囲まれる形の内庭は、それこそ運動場ほどの広さがあるので、セイコとウララも運動不足にはならないだろう。
「これ、いいですね。この屋敷があの値段ってすごくお得じゃないですか?」
「まぁ、幽霊付きですから」
「そんなの、斬ればいいんですよ、斬れば」
「そんな大雑把な解決策を出せるのは、ユミルさんだけです」
霊属性に効果のある剣は……あるにはあったけど、ゲーム倉庫の中なので今は持っていない。
だが杖型の片手剣、スティックの【フォーススラッシュ】は霊属性魔法なので、効果はあるはずだ。
中に入ったら装備を変更しておこう。
それにセンリさんの作った火属性のファイアダガーや、アリューシャの退魔系魔法なんかは充分切り札になる。
屋敷の敷地には厩舎まであったので、早速馬車を繋いで二頭のスレイプニールを放してやる。
内庭は長年手入れがされていないため、草が鬱蒼と生い茂っているが、あの子達なら全く気にせず走り回れるだろう。
外にある井戸もきちんと蓋がされていたので、ゴミ等が浮かんでいる事も無く、すぐに使用可能な状態だった。
とりあえず馬車の荷物は防水布を掛けておき、屋敷の内部を見て回ることにする。
中は石造りのしっかりとした、砦兼屋敷といった風情で、前任の領主の質実剛健さが窺える造りになっていた。
さすがに絨毯は擦り切れ、蜘蛛の巣があちこちに張っていたけど、建物としては充分以上に利用できる。
「雨漏りなんかもなさそうね」
床を眺めていたセンリさんが、そこに雨染みが無いのを確認して、そう呟いた。
「窓もしっかりしてますよ。外部からの侵入を警戒したのか、全部柵が付いてますけど」
油を差していないので、蝶番から軋みを上げる音が立ったが、その機能に問題は無い。
外開きの窓なのに、その窓の稼動範囲に沿って柵を作ってあるのは、さすがにどうかと思う。
でも全ての窓が出窓みたいになっているのは、面白いかも知れない。
「けほっ、お布団は全部ダメだよぅ」
早速部屋の探索に出ていたアリューシャが戻ってきて、報告する。
そりゃ、二十年も放置されていたんじゃ、埃も積もるだろう。
「物干し台は内庭か屋上に設置されてますよ」
「それは……運ぶだけでも一苦労ね」
「使用人を雇いますか? 雇用の斡旋も組合で行ってますけど」
まぁ、布団の類は干草ベッド生活を送ってきたボク達なら、なんとでもなる。
ぶっちゃけると、数日はスプリングの効いている橇で寝てもなんら問題は無いのだ。
「その辺は追々……ですね。むしろこれだけ広いと警備の方が心配です」
「それはあるでしょうねー。そちらも斡旋してますけど?」
「さすが組合は手広いわね。でも、そっちもしばらくは大丈夫かな? セイコとウララを放しておけば、そこらのコソ泥じゃ侵入できないわよ」
あの二頭は種族的に進化した影響か、身体能力だけでなく感知能力も半端なく上昇している。
いまや、セイコとウララの背後を取ることは、盗賊系に転職したボクでないと不可能なほどだ。
「スレイプニールってそこまで警戒心高いんですかぁ」
「上位種族だけはあるんですよ」
「ウララたちはすごいの!」
エヘンと胸を張るアリューシャ。そのすごいのを誘発したのはキミだけどね。
心臓に悪いので、今後は自重していただきたい。
とりあえずは物はしっかりしていると言うことで、今日から即入居することにした。
組合としても幽霊付きの物件とあって持て余していたらしく、契約を済ませた後はどうぞお好きにと言うスタンスだった。
三人総出で荷物を屋敷内に運び込んで、それぞれが自由に部屋を決める。
アリューシャは自然とボクと同じ部屋を。
センリさんは自室と素材置き場と工房用に三部屋確保していた。
全部で二十部屋くらいあるので、全然問題ないけど。
その後は夕食、久しぶりにきちんと調理したモノが食べたいので、厨房を大掃除する。
これには解放されたスラちゃんが大活躍してくれた。
張り切って台所を高速で這い回る姿は、もはやスライムの鈍重さを感じさせないほど俊敏だった。
スラちゃんは厨房を小一時間で清掃し終わると、そのまま屋敷内を清掃しに出て行った。
あの子が居たら、別に使用人はいらないかも知れないな……
その夜。
スラちゃんはまた新しい芸を見せ付けてくれた。
その名もウォーターベッドならぬスライムベッドである。
布団の清掃に中綿の内部まで浸透したスラちゃんの上にアリューシャが飛び乗ったのが始まりだった。
スラちゃんはとても頭がいいので、アリューシャを取り込むようなことはしない。
怪我しないように柔らかく受け止め、ポヨポヨと弾んで見せたのだ。
身体の大半が水分なので、乗ってみるととてもひんやりしていた。
夏場のベッド代わりにはいいかも知れない。
問題はお腹が冷えそうな事だけど、その時は床の寝袋にでも移動すればいいか。
「いい、スラちゃん。マッサージは禁止だからね?」
「――――――」
全身でぷにゅんと頷いて寝台の上に広がる。
あのマッサージはボクはともかく、アリューシャにはまだ早い。
そんな訳で、アリューシャと二人並んでスラちゃんベッドで眠ることになったのだ。
かたん……
そんな音でボクは目を覚ました。
組合証を取り出し時刻を表示させると、深夜の二時。
横のアリューシャはおとなしく寝ているし、工房への改造を予定しているセンリさんは、ホールを挟んで反対側の棟に入っている。
スラちゃんもおとなしくベッドになってくれているし、セイコとウララは屋敷に入れてない。
「幽霊のお出まし、かな?」
そう判断してアリューシャを起こす。
夜中に起こすのはかわいそうだが、相手は壁すら通り抜けることができるかもしれないのだ。
寝かせたままでピンチになっては、目も当てられない。
「……んぅ?」
「ゴメンね、アリューシャ。幽霊が出たかも知れないから」
ボクの一言に飛び起きて装備を取り出すアリューシャ。
この辺りは着実に冒険者として経験を積んでいる。
ボクもスティックとファイアダガーを取り出して、装備しておく。
鎧とかは残念だけど、着ける暇は無い。
装着時と言うのは、やはり大きな隙になる。
アリューシャも、センリさんに魔法攻撃力増加を付与されたメイスを持って進み出る。
その姿はネグリジェのままなので、迫力は無い。
ゆっくりと扉を開き、廊下を確認する。
そこに、やはりセンリさんの姿はなかった。
ふと、視界の隅に白い影がよぎる。
視界を外さず、背後のアリューシャを手招きで呼び寄せ、廊下を進む。
今のボクは戦闘モードに入っている。その反射能力を持ってすれば、如何に幽霊といえど、不意を打つのは難しい。
堂々と廊下の真ん中を進み、影の後を追う。
背後のアリューシャは、幽霊が怖いのか、ボクの肩に手を置いて付いてきている。
もう少しで、影の消えた曲がり角……と言うところで、アリューシャから声が掛かった。
「お姉ちゃん……」
小さく遠い声。
そこで、ボクは奇妙な違和感を感じた。
アリューシャの年齢はまだ七歳。
身長もそれ相応に伸びているとは言え、彼女は高い方ではない。
ボクも背は高い方ではないが、それでもアリューシャとは四十センチ以上は差がある。
つまり、ボクの肩に手を置くのは、彼女には不可能。
では今、ボクの肩に手を置いているのは?
先程のアリューシャの声、遠く感じたのはなぜ?
ボクは嫌な予感に苛まれながら……背後を振り返った。
文字数的に変なところで切れましたが、これはこれで演出と言うことで。
続きは明日です。