第七十一話 さらにレベルアップ!
最初に視点の変更があります。ご注意ください。
◇◆◇◆◇
「チッ、やはり通常のボスでは足止めにもならんか」
薄暗い部屋の中で、男は吐き捨てるように呟いた。
その手は水晶玉に翳されており、水晶玉には別の場所の光景が映し出されていた。
「キングベヒモスを真っ先に潰されたのが痛いか……いや、それを言うと無理して迷宮外にゴーレムを派遣したことが……」
ブツブツとこれまでの『干渉』を反芻して、一人ごちる。
この迷宮内に封じ込められて、すでに数年。独り言でも口にしない事には、正気を保っていられない。
見た目はまだ二十歳そこそこの痩せぎすの青年なのに、その口調は早くも老成して聞こえた。
「まあいい。どうせ『ポイント』は時間経過で回復する。『彼女』もアイツが保護してくれていると思えば、悔しくも無いさ」
そう言って映し出されたのは、暗殺者の衣装を着た少女と、大司祭の衣装を着た幼女。
そして彼女達と話す、開発師の女性。
「苦労して呼び出した彼女を掻っ攫われた時は、本気でブチ殺そうと思ったけど……まぁ結果オーライってことにしておこう」
そう言って別の部屋へ移動していく。そこには二つの巨大な、緑に輝く鉱石が宙に浮いていた。
男はそのまま、部屋の外へ向かおうとするが、門の辺りで見えない壁に阻まれたように動けなくなる。
「まだ……ダメか。もっと力を溜めないとな」
そうして奥へと引き返し……闇に消えた。
◇◆◇◆◇
地に落ちたオルトロスから、冒険者達が素材を剥ぎ取りに掛かる。
ボスの制限が解除されたと見て、ボク達も部屋の中へと入っていく。
「お疲れ様、センリさん。ベヒモスじゃなかったですね」
「そうね。まぁ最初のフロアボスからレイド級なんて、おかしいとは思ってたけど」
「ボスってランダムで変わるとか、そういうことはあるの? ミッドガルズ・オンラインにはなかったけど」
「こっちでも無かったわね。わたし達が特別だったのか、あなたが特別だったのか……」
センリさんとボク達の時との違いを相談していると、アーヴィンさんもこちらにやってきた。
「お疲れさん、一時はどうなるかと思ったぜ」
「そのわりには余裕を持ってましたね? 冷静に勝てると計算してたみたいだけど」
あの時アーヴィンさんは混乱する冒険者の中で、数少ない『冷静に』戦況を判断できていた一人だ。
勝てるという確信が彼にはあったのだろうか?
「ああ、オルトロスなら戦力としてはケルベロスとトントンだからな。ケルベロスならば何度かやりあったことがある」
ケルベロスは主に迷宮内に生息するモンスターだ。
三つの首を持つ巨犬で、そこから炎のブレスを吐きかけてくる。
打たれ強さという点ではオルトロスより劣るだろうけど、攻撃力はそれを上回る。
もっともこの世界のモンスターがボクの知識のそれと一致するなら、だけど。
「すでにキングベヒモスという前例が出てるからなぁ……」
「ん、なにがだ?」
「なんでもないですよ?」
この話はアーヴィンさんには関係の無いことだ。
転移者だとか転生者だとか、そういうのを話すと薮蛇になりかねないから、黙っておく事にする。
なにせボク達とセンリさん以外の冒険者の後ろには、あの古狸のレグルさんが付いているのだから。
「ベヒモスじゃなかったんだなぁって」
「ああ、迷宮のボスっていうのは大体固定なんだけど、珍しい事もあるな」
ふむ、やはりこちらの常識でもボスは固定敵か。
だとすると、今回違う敵が出たのは……うーん、まぁいいや。どうせ倒せたわけだし。
「今はセンリさんもいるしね」
ポーション不足はセンリさんが錬金術師へ転職してくれたおかげで、大きく改善されている。
しかも彼女は元開発師なので、【武器修復】のスキルも所持している。
今のボクには非常にありがたい、頭の上がらない存在である。
「お姉ちゃん、わたしも! わたしもいるよ!」
「うん、アリューシャも大事だよねー」
なでなで、なでなで。
必死に自己主張するアリューシャも丁寧に撫でてあげる。
「そうだ、アリューシャ。怪我してる人も多いし、癒してあげたら?」
「あ、うん。そうだね」
てててっと駆け出して、ビシッとメイスを構える。
いや、そのメイス、魔力補助の機能は全然無いでしょ?
「いくよー、【聖域】!」
触媒の代用として、十一層のクリスタルゴーレムから取り出した魔石を消耗しつつ、アリューシャの広域回復魔法が発動する。
本来、この魔法はブルークリスタルという触媒が必要になるのだが、運良く十一層のクリスタルゴーレムのコアが代用できるのに気付いた。
最近はアリューシャのためにこの魔石を集めに行くことも多い。
「うおぉ、範囲ヒールか!」
「こりゃスゲェ、アリューシャちゃんマジ天使!?」
「すごい、かわいい、嫁に来て!」
「お前にはやらん!」
寝言をほざいた阿呆に怒りのゲンコツ二刀流攻撃を加えておく。
もちろん死なない程度に手加減はしてるけど。
「とにかく、ここはボス以外は出てこないみたいですから、ゆっくり身体を休めましょう」
「そうだな。あと転移装置は左の部屋だったか?」
「はい」
「じゃあ、態勢の整ったパーティから左の部屋で転移を試してみてくれ。どうもユミルたちとは状況が違うっぽいから確認しておきたい」
「うぇーい」
アーヴィンさんの声に数人の冒険者が立ち上がる。
比較的ダメージを受けてなかったパーティだ。彼等はアリューシャの【聖域】ですでに全快していた。
のそのそと左の部屋に入っていき、数分程度で戻ってきた。
「ちゃんと一層に転移できたぜ」
「そうか、これで一安心だな。とりあえず今日はここまでで帰還しよう。いいかな?」
「いいぜー」
「ボスとやりあった後で探索とか気力が持たねぇって」
アーヴィンさんの提案に、方々から賛成の声が上がる。
今日の探索はここまでの様だ。剥ぎ取りアイテムの清算もあるしね。
無事帰還して、アーヴィンさんたちは顛末を組合に報告しに行った。
ボスの種類が違うという事は、今後も何が出てくるか判らない可能性もあるという事だ。
これは充分に報告事項に当たることである。
ちなみにボクはただ付いていっただけという事で、報告は免除してもらった。
一緒に行くと、ボクの時との違いとか根掘り葉掘り聞かれそうだったから、早々に逃げたということだ。
「それにここ数日は迷宮潜りっぱなしで、少し品薄になってきてるしねー」
「ねー」
モラクスの腸を乾燥させ、表面に樹脂を塗って空気の抜け道を塞ぐ作業をする。
最近、大量に売れまくった浮き輪の補充である。
前はただ腸を乾燥させて輪にしただけだったのだけど、最近は樹脂を塗ることで気密性を高めることに成功している。
いわゆる漆である。
「三層の植層って謎だよねー。あ、アリューシャ、漆は手で触っちゃダメ! かぶれるよ」
「えっ!?」
漆の樹液は茶色い粘液状になっているので、チョコレートか何かと勘違いしたのか、こっそり指を伸ばしてきていた。
かぶれると聞いて、びくっと指を引っ込める様はまるで子猫だ。
「ホント、最近のアリューシャは油断も隙も無いなぁ」
「成長してるでしょ」
「そっちに成長しなくてもいいじゃない」
漆を全面に塗ってから取り出して、屋外に吊るしておく。
漆は乾燥すると硬化するのだけど、今回の目的は細かな空気の抜け道を塞ぐことなので、表面がパリパリになってしまっても全然構わないのだ。
「という訳で、これに触っちゃダメだからね?」
「チョコかと思ったのに残念ー」
「カカオはまだ発見できてませーん」
発見できてないと言ったが、この迷宮、他所の迷宮と比べても収穫できるものが実に多彩だ。
少なくとも最低限の生活を営むくらいの資源は供給してくれる。
砂糖はないので、甘味は果物頼りだけど。
一通りの作業を終えて、余った材料を片付けていると、風呂場からスラちゃんが出てきて作業スペースの辺りを這い回ってくれた。
おかげで床が作業前よりピカピカになった。
ちなみにトイレは他所のスライムを株分けしてもらい、スラちゃんは新たに室内清掃要員として活躍してもらっている。
安全性が確認できたら、村の路上清掃員としても活躍してもらおう。
あれだ。お掃除ロボットみたいな感じ?
さて、そのスラちゃんだが、予想外の活躍をしてくれた。
お風呂場での事である。
いつもの様にアリューシャの背中を洗ってあげていると、スラちゃんがボクの背後に回りこみ、同じように背中を洗ってくれたのだ。
少々ピリッとした感覚があったけど、火傷などの被害が出るほどではない。
むしろ古い角質を食べてくれて、アリューシャ顔負けのツルツルお肌になったのだ。
「スラちゃんは銭湯に派遣したら大活躍しそうだね」
「スラちゃんのお仕事?」
「うん。これは――ハッ! これって実はスライムプレイ!?」
「すら……ぷれい?」
「いや、なんでもないです。ハイ」
これは今度センリさんに試してもらわねばなるまい。目の前で、是非に。
ボクは、固い決意を秘めながら、お風呂から上がったのだった。
もちろん事前に自分で試しておいたのは、ナイショである。
翌朝、スラちゃんを連れてトーラスさんのところへ顔を出す。
かなりカクカクした足取りでスラちゃんを連れ出し……まぁ、人体実験の結果である。凄かったとだけ言っておこう。
なおスラちゃんには、アリューシャにナイショにする様に、固く言い含めておいた。
ともあれ、堂々と村の中をスライムが歩いているのを見て、ぎょっとした表情で擦れ違う冒険者達。
その慌てた表情を見ると、少し愉快な気分になった。
トーラスさんも例に漏れず、スラちゃんの姿を見て驚きの表情を浮かべたが、この村は周囲の堀にスライムを放流しているくらいである。
意外とすぐに順応して、平然と対応してくれた。少し悔しい。
「なんていうか……馴染みましたね、トーラスさん」
「ユミルさんのする事ですから、深く考えても無駄でしょう?」
「なんだろう、この理不尽な感覚は……」
そもそもアリューシャのせいなのに、なぜかボクのせいになっている。
ともかく、スラちゃんの特性を説明し、労働力に使える点を強調して雇用を交渉する。
「へぇ、そんなに人懐っこいんですか?」
「うん、スラちゃん、お手!」
アリューシャがビッと手を出すと、間髪置かずスラちゃんが手(?)を乗せる。
いつの間に芸を仕込んだんだ……?
「ごらんのとーりです!」
エヘンと胸を張るアリューシャとスラちゃん。
いや、スラちゃんには胸ないけど……アリューシャにも無いけど……
「まぁ、まだ建屋が完成してませんし、そっちが完成してからしばらく様子を見るって事でいいですか?」
「ええ、全然構いませんよ」
「っていうか、これ組合に相談した方がいいんじゃないですかね?」
「や、やっぱまずいっすかね?」
各家屋のトイレ用スライム達が謎進化を始めたらという懸念を持つのは、当たり前の事である。
トーラスさんはアリューシャの能力を知らないのだから。
ボクだって、レベル限界突破と転職制限解除が、この様な意味不明な生物を生み出すとは思わなかった。
とにかくアリューシャには固く口外禁止を命じておいて、スラちゃんは二層で発見した新種という事にしておこう。
なお、自宅に戻るとセイコとウララの足が八本になっていた。
アリューシャああぁぁぁぁ!?
ちょっと一足飛びに育てすぎたかも?
でも移動速度の強化は必須なので、そう言うものかと納得してください。