第五十六話 橇完成
「それじゃ、ボクらは用事がありますので」
あまり内輪の問題に口を出すべきじゃない。軽くカロンを後押ししたけど、これ以上は過剰になるだろう。
自分の目的を思い出して、早々に立ち去る事にした。
「ああ、手間を掛けさせたな。ユミルには世話になりっ放しだ」
「全部貸しにしておいてあげますよ」
ピッと指を立てて、歌うように宣言する。
そんなボクを見てヤージュさんは参ったとばかりに頭を掻いた。カロンは顔を赤くしてるけど、これはいつもの通り。
それにそろそろアリューシャを救出しないと、お菓子とジュースで肥満体になってしまう。
「はい、アリューシャちゃんこっちのドーナツ食べる?」
「ええ、こっちの焼き菓子の方が美味しいわよ。ほら、食べさせてあげるから。お口開けてー」
「あーん」
夜間にお菓子を食べさせるでない。アリューシャを子豚さんにしてしまうつもりか、キサマら。
せめて低カロリーの物にしろ。
「アリューシャ、お待たせ」
「ゆーね、おかえりー!」
椅子から飛び降り、ボクの胸に飛び込んでくるアリューシャ……その手にはしっかりとドーナツが握られている。
うえぇ、この服はもう洗濯しないといけないな。
油塗れの手でがっしりと掴まれ、思わず肩が落ちる。まぁ洗濯は宿のサービスでやってくれるのだが……
ボクはそのまま、カウンターに向かって馬具の販売をやっていないか聞いた。
「すみません、馬具――」
「あ、ユミルさんは用事済まれたのですか? いやぁ、お昼の制服可愛かったですよー!」
「ダマレ、元凶」
アリューシャの後を追うようにやってきたエミリーさんを、ジト目で睨みつける。
「あはは、感謝してますよ。おかげで私の初担当が無事完了しましたから」
「エミリーさんも貸しですからね。それもでっかい奴」
「お、お手柔らかに……それで今日は何の御用ですか?」
「ばぐー、ウララとセイコの!」
「ばぐ? うらら? せいこ?」
唐突に割り込んだアリューシャに、エミリーさんが小首を傾げる。
この人、こういう態度はとても愛らしいのに、なぜ中身がああも残念なんだ……
「馬を二頭購入したんですよ。草原に戻らないといけないですから」
「ああ、馬具ですね。しかし専用の馬ですかぁ、結構高かったんじゃないですか?」
「商人の方が安く譲ってくれたんですよ。一頭八万で」
「それは割安ですね。二割引きくらいかな?」
奥の棚に置いてある雑貨から馬具を一揃え取り出しながら、エミリーさんは世間話を開始する。
お喋り好きな人だな、相変わらず。システマチックなこの支部において珍しい人かも知れない……いや、そうでもないか。
アリューシャ構っていた女性職員の姿を思い出して、それは無いと首を振る。
ここの女性たちは基本可愛い物好きだ。その欲求を抑えながら仕事をしているのだろう。
エミリーさんのように駄々漏れの職員は少数派なだけだ。まぁ、活気があっていいけどね。
「よいしょっと、これが一つ二千ギルですね」
取り出してきたのは鞍に鐙、それを固定する腹帯に手綱のセットだ。
「い、意外と高いんですね……」
「まぁ、一つあれば使いまわし出来ますし」
まさか千ギルを越えるほどとは思わなかった。雑な造りの木製革張りだからもっと安いと思ってたんだけどな。
二組買うと四千ギルか……だけど、これも初期投資と思う事にしよう。
「じゃあ、それを――」
そこで袖を引く存在に気がついた。アリューシャだ。
「何、アリューシャ?」
「ゆーね、それサイズあわないよ?」
「ん?」
言われて、取り出された馬具を見る。
この街で見かけた馬は、サラブレッドよりは大柄ではあったけどそこまで体格的に差のある物ではなかった。
目の前にある馬具も、普通テレビの競馬中継で見かける物と大差ない大きさだ。
だがこれが、ばん馬顔負けの体格を誇る、セイコとウララに合うかと言うと――
「合わないね、確かに」
「へ、これ標準サイズの馬具ですけど? 大抵の馬はこれで合うはずですよ」
「農耕用のゴッツイ馬を譲ってもらったんです。体格は普通の馬の二倍近くあるんですよ」
「うっわぁ……それ、普通の農耕馬と比べても規格外ですよ」
こういう馬具は普通の体格に合う様、余裕を持ったデザインをしている物だ。
だが流石に二倍の対格差となると、鞍の曲面より背の太さの方が大きくなる。
このサイズの馬具をあの二頭に取り付けると、鞍が浮いて怪我させてしまうだろう。
エミリーさんはそれを聞いて、更に大きな馬具を持ち出してきた。
「うーん、農耕馬は普通乗馬しないし、農民の人も乗る時は裸で乗る場合が多いから、専用のは置いてないんですよね。冒険者も農耕馬の騎乗はあまりしませんし」
そう言って持ち出したのは、鞍の後ろが奇妙に切り取られた装具だった。
確かに冒険者が乗るなら、乗馬に適した馬が大半だろう。農耕馬というのは、ある意味特殊な馬ではある。
「これはグリフォン用なので、通常より大きめです。多分これくらいなら合うんじゃないですかね?」
昼に見た胴の太さを想像して、鞍と比較する。
うん、多分大丈夫そう……かな?
「これなら多分……合わなかった時は返品とか出来ますか?」
「ええ、三日以内なら大丈夫です。そのときは私に言ってくれれば、処理が簡単に済みますよ」
「じゃあ、これ、お願いします」
「あ、ではコレつけます、コレ。グルーミングセット!」
ついでに取り出したのは馬用ブラシと目の粗いタオル。
これで馬の世話をしろという事だろうか?
「馬は意外と寂しがりやですからね。極力手間を掛けてあげてくださいよ」
「わかりましたよ。でもアリューシャは、言われなくても構うと思いますけどね」
元の世界でもそんな話を聞いた事があったな。グルーミングは大事なコミュニケーションの手段だとか?
幸い鞍自体の価格は変わらなかったので、無駄な出費は抑えることができた。
エミリーさんに組合証での支払いを済ますと、彼女は少し寂しそうな顔をする。
「三日後には出発しちゃうんですね、二人とも」
「そうですね。村もあまり長くは空けられませんし」
往復で二週間以上掛かるのだ。簡単には往復できる距離じゃない。
「寂しくなっちゃいますね。この職場には潤いがないので……」
「いや、女性職員さんは沢山いるじゃないですか」
「あんなの、もう乾燥しきってますよ! 枯れ木です、枯れ――イタタタ!?」
「誰が枯れ木ですって?」
背後から忍び寄った年上の先輩に、耳をつねられるエミリーさん。自業自得だ。
「でもアリューシャちゃんの様な癒しが無くなっちゃうのは私も残念ですわ。良かったら残りの滞在期間、用がなくてもいいので、顔を出してくださいな」
「あはは、善処します。それじゃアリューシャ、帰ろうか。そろそろ寝る時間でしょ」
「はぁい。またね、おねーちゃん!」
元気に手を振るアリューシャに女性職員たちの大半が手を振り返す。
男性職員も数名手を振っていたのが、なんだかおかしかった。
「あ、ユミルさん。ボクが荷物持ちますよ」
「向こうで宴会やってるのに主役が抜けてどうするんです。気配りとはそういう所からする物だよ?」
背後には、新リーダー就任祝いにロビーで酒を取り出しているアドリアンさんと、軽い軽食を注文しているヤージュさんが見えた。
このロビーは依頼主との面談なども行う場合があるため、軽めの食事くらいなら対応している。
そのための食堂だって隣接しているのだ。値段は安いけど味はイマイチらしい。
「う……たしかにそうですね、迂闊でした。それじゃまた」
「はいはい、またね」
あまり長く一緒にいると奴の特性が発動してしまう。人前で辱められるのだけは勘弁してもらいたい。
その間、アリューシャは別の職員さんからお土産のドーナツを貰っていた。
この子……意外とちゃっかりしてるなぁ。
翌朝になって、鍛冶屋のカザラさんの元へ向かう。
今日は待ちに待った橇の試作品が完成する日だ。これが上手くいくと行動範囲がぐっと広がる。
アリューシャと二人、馬達のハミを引きながら、鍛冶屋に向かう。
幼女と比較にならない程の巨体を持つ馬は、逆らうことなく付き従っている。
「おはようございます、カザラさん。橇、できてます?」
「おう、早いな。試作品なら完成してるぞ。馬車の部品や既存の橇を組み合わせただけだから、大した手間じゃなかったな」
店の横手に回り、そこにある荷台を見せてもらう。
そこには車輪の代わりにスキー板のような物を取り付けられた荷台が置いてあった。
大きさは横三メートル、長さ四メートルほど。中型トラックの荷台ほど大きさだ。
だけどこれは……
「足回り剥き出しですね?」
「ああ、まずは乗り心地を……と思ってな。足回りは後で皮を被せるから、草が絡む心配はない」
「それなら良かったです。それじゃ、馬を繋ぎますね」
カザラさんの指導で二頭の馬達を荷台に括りつける。
二頭立てを計算して作られているので、セイコとウララの巨体でも問題なく繋ぐ事が出来た。
「しかしこの馬はでかいな……ここまでの巨体は想定してなかったぞ。幅をもう少し取るか?」
「いえ、これ以上大きいと、街中や往来で苦労します。これでも充分ですよ」
「荷台が少し大きいかと心配していたんだが、これなら全く問題ないな」
そのまま馬車に乗って街の外へ向かう。
ボクは馬車の操縦とか初めてだったので、カザラさんが運転する事になる。
街の外に出てからボクも教えてもらう予定だ。
車輪でなく橇という抵抗の大きい足回りにも拘わらず、二頭はまるで何も牽いていないかの様な軽々とした足取りで歩く。
その馬力の強さに、カザラさんも目を丸くした。
「こりゃ凄いな。高かったんじゃないか、この馬」
「え、いえ。普通より安いくらいでしたよ?」
「儲けたな。いや、それともそれほどの投資対象と見られたか……」
あの商人……キースさんの細い目は確かに計算高さを連想させる。
「多分、そうでしょうね。一応ボクも権利者ですから」
「権利者!?」
「あれ、言ってませんでしたっけ? 草原に見つかった迷宮の――」
「あれか!」
そう言えば、言ってなかったような気がするなぁ。
「確か草原の中央付近だったか……そりゃ橇がいるはずだな」
門に到着し、カザラさんが住民票を見せて外に出る。
街の住民の証である住民票を見せれば、入市税を支払わなくていいそうだ。銀貨一枚、百ギルくらいは全く問題ないけど、面倒な手間が省けるのは嬉しい。
街の外に出て、草原――と言っても大草原ではなく、周囲の小さな範囲のものだが、そこを疾走する。
この近辺の草は背も低く、それほど頑強ではないため、足回りに絡む事は考えなくていい。
×字に組まれた足がサスペンションの代わりになって、想像以上に快適な走りを見せてくれた。
橇を牽くセイコとウララも、思う存分駆け回れて満足そうだ。
一通り居住性や操縦性を確認した後、カザラさんが橇のチェックをする。
「ふむ、金属部品の劣化はあまり起きていないな。まぁ、一時間程度の試験だから、長距離だとどうか判らんが」
「充分な手応えでしたよ? もうこれで買ってもいいくらい」
「まぁ待て。この馬が牽くのなら、この捻り棒を鉄に換えれば耐久性が増すぞ」
カザラさんの言う捻り棒というのは×字に組まれた部分で、元の世界にあった捻り棒とは少し意味合いが違う。
だが、サスペンションを担うという意味では同じかも知れないかな?
とにかくそこを、今の木製から金属製に変更しようというアイデアを出してきた。
「それだと重く……まぁ、この子達なら大丈夫か」
「だろう? だが帰りは長距離試験も兼ねるから、荷物は少なめにしておいた方がいいだろうな」
こっそり米の苗を多めに持ち帰ろうと思っていたのがバレたのだろうか?
なんだか先に釘を刺された気がする。
「えへへ、そうします」
「後は幌を取り付けれるようにしたら、テント代わりになるな」
「あ、それはいいですね。野宿は辛いですし」
馬車自体にサスペンションがついてるので、地べたに寝るよりは安眠できそうだ。
それに雨の対策になるのもいい。この地方は雨が少なめだけど、全くない訳ではない。
荷物が濡れるのも防げるし、幌を付けるのは賛成だ。
その後も、細々と打ち合わせをして、ようやく完成品の目処が経った。
「では、これのアイデアはアコに渡せばいいのだな?」
「ええ、ボクじゃ普及は難しいですしね」
「お前さんの名前を出しておけば、かなりの金が入ってくるだろうに」
「橇は元々、アコさんのアイデアなんですって」
ボクはそのアイデアを完成させたに過ぎない。
それに橇が普及して、冒険者達が村との往来が増やせば、間接的にボクの収入増にも繋がる。
長い目で見れば、きっと損にはならないだろう。
こうして、ボク達は長距離移動の足を手に入れたのだ。