第五十話 発注してみた
なんだかボクにとっては無駄な試合だったけど、逆にレグルさんにとってはとても有意義な手合わせだったらしい。
考えてみれば、ボクは彼の後ろ盾があって迷宮の権利者になった訳で、そうでありながらレグルさん本人には会った事が無かった。
これでは、ボクの事を不安に思うのも、無理はないところだ。
そこで、ざっくりと人柄を自分の最も得意とする手法で知ろうとするのは、まぁ理解してあげるべきなのかも知れない。
この世界は、ボク一人の都合で成り立っている訳では無いのだ。人と人の関わりは大事にしていかねばならない。
アリューシャを連れて控え室に下がり、剣に巻いたクッションを解く。
そして扉に閂をかけてから服を脱いで、汗を拭っていく。
ボクはここに来てから、あまり男か女かを意識しないようにして暮らしてきた。
そうでもしないと、性別が変わってしまったというのは、物凄いストレスになってしまうからだ。当初のサバイバル生活でストレスを溜めすぎてしまっていたら、ここまで持たなかったかも知れない。
幸か不幸か、ボクはアリューシャと二人っきりの生活が長かった。そこに性別を意識するような問題はあまり発生していない。だからこそ、気楽なサバイバル生活を営めていたのかも知れない。
それはともかく、女になって判ったことだが、汗の臭いと言うのは中々に鼻に付く。
これは男だった時代より、遥かに敏感に嗅ぎ取っている気がするのだ。
そもそも男女の性差以前に、日本人というのは異様に綺麗好きな一面もある。
「ああ、お風呂入りたい……シャワー浴びたい」
「おふろ? わたしもはいる」
「残念、ここにはありませーん。宿に戻ってから入ろうね」
「うん!」
アリューシャもボクの影響か、かなりお風呂好きになってきている。女の子は清潔が一番なので、実にいい事だ。
汗をかく、埃に塗れる、そんな状況を嫌う訳ではないが、やはり常にさっぱりはしておきたいものである。
そして、このタイミングでやってくるのが、やはりアイツだ。
「ユミルさん、さっきの試合凄かった――あ、あれ鍵が掛かってる?」
「……やっぱりくると思った」
こいつも戦闘時に発揮できる集中力を、少しでも日常的に発揮できればマシになるのに……
まぁ、ボクもこいつの対処法は少しずつ学んできている。漫画的な『お約束』ポイントを潰していけば問題ない。
「来ると思って鍵を掛けておいたの。今着替え中」
「あっ、そ、それは申し訳ありません! また出直してきますんで……」
「すぐ着替え終わるからいいよ。何か用があったの?」
ただ感想だけでわざわざやってくるとは思いにくい。
ゴーレム戦以降、少し自分を見直すかのように塞ぎこむ事が多かったのだ。
そのせいか、ボクが受ける迷惑は飛躍的に軽減されていたので、ありがたかったけど。
「あ、そうだ。受付のエミリーさんがユミルさんに仕事を依頼したいって言ってました。後アリューシャちゃんにも」
「ボクはともかく、アリューシャにも? 昨日やっと街に着いたばかりで、しばらくはゆっくりしたいんだけど」
「なんだか、ユミルさん達じゃないとできないとか何とか……?」
さっきの剣技を見て、早速依頼を押し付けようというのかな?
これだから目立つのは嫌だったんだ。
とはいえ、せっかくレグルさんの信頼を築いた訳だし、安易に断るのもなぁ……
「わかった、後で話だけは聞きに行くって伝えてくれるかな」
「了解です」
せっかく待たせておいたのに、使いっ走りにするのは少し悪い気はするけど、連絡は早い方がいいだろう。
あとで飲み物でも奢ってあげよう――アドリアンさんの金で。
ボクを賭けのネタにして稼いだんだから、それくらいは許されるというものだ。
アリューシャの埃も払ってから、カウンターへ向かう。
彼女も修練場に飛び込んできたので、地味に埃縺れになっていたのだ。
「すみません、エミリーさんという方がボクに依頼があるって聞いたんですが」
「あ、はい、エミリーですね。ちょっと待ってください」
受付にいた二十代半ばくらいのお姉さんにそう伝えると、すぐさま奥に駆け込んでいった。
こういう対応の速さは、結構気分がよくなる。レグルさん、社員教育はきっちりやってる人だな。
「お待たせしました、わたしがエミリーです……やっぱりかわいい」
「は? あ、ユミルです、よろしく」
なんだか不穏なセリフが聞こえてきた気がするけど、挨拶されたからにはきっちり返そう。
やってきたのは十代半ばから終盤という、いかにも新人受付って感じの人だった。
美人って訳ではなく可愛い系の人だ。制服に着られている感があって、一部の趣味の人なら垂涎の的だっただろう。
「それでボクに依頼があるとか聞いたんですけど」
「はい! ユミルさんなら一目見た時から、適任だと思ってたんですよ!」
「アリューシャもって聞きましたけど……」
「あ、そうですね、もちろん彼女の分もお給金でますよ」
「お給金?」
普通依頼料とか言うものじゃないだろうか? 段々と嫌な空気が流れてきたぞ。
ジワリと額に汗を流すボクを他所に、エミリーさんは一枚の依頼票を取り出す。
そこに書かれていたのは……
「急募、給仕。日給六百ギル。カフェ『ブロッサム』?」
「はい、そこはお茶の美味しいお店なんですが、中々固定のお客さんが付かなくて」
「給仕って事は、ウェイトレス? なぜボクが……」
「可愛いからです!」
ぐっと握り拳を作って断言するエミリーさん。
「アリューシャも?」
「看板娘にぴったりです」
「…………」
ボクは理解した。
この人はダメな人だ。
「ボク、今日は別の用事があるからダメです」
「あ、別に今日じゃなくても……」
「一週間、いえ六日後には街を出るので、そんな暇はありません」
「せ、せめて1日だけでも……制服、カワイイの作るっていってたから」
わざわざ作るのかよ!?
「私が初めて担当したお仕事なんですよぅ」
「知らんわい! そこまで言うならエミリーさんが行けばいいでしょう。見掛けは可愛いんですから」
「ハッ、その手があったか!?」
今気付いたとばかりに手を打つエミリーさん。
この人、間違いなく残念系だ。
その背後に忍び寄る、年上のお姉さん。さっきエミリーさんを呼びに行った人だ。
「まさか、組合の仕事サボって行こうとか思ってないわよね、エミリー?」
「ひいィ!?」
「申し訳ありません、ユミル様。ご都合が付かないようでしたら、無理にお引き受けする必要はございませんので……」
「あ、はい」
物凄い迫力でエミリーさんの耳を捻り上げ、ボクに向かって優雅に一礼してみせる。
なんと言うか、戦闘とは一味違うプレッシャーを感じる。
「とりあえず、今日明日は予定が詰まってるので無理です。申し訳ありませんが」
「ええ、滞在が一週間なのですから、事情は理解しております。断っていただいても問題ありません」
「そう言ってもらえると助かります」
組合から発せられる指名依頼というのは、別に断っても何のペナルティも発生しない。
ただし、その結果組合側の心証が悪くなるのは事実だ。根無し草の冒険者の唯一の後ろ盾。そこの印象が悪くなるのは冒険者として避けたい事例の一つとされる。
ただし、今回は先約がある上で無理に割り込まそうとしてきたので、言うなれば組合側の不手際……とまでは行かないが、まぁ、そんな感じで処理されるだろう。
余計な仕事を断って一礼してから、逃げ出すように組合を飛び出す。
ボクのタルハン支部の印象は、『嫌いではないけど厄介な場所』という風に固まりつつあった。
さて、組合で用事があるといっていたのは、別に方便じゃない。
アリューシャも少々ギクシャクしてるが普通に歩いている。この辺りの回復力は、さすが子供という所なのだろうか?
ボクが子供の時はもっと苦しんでた気がするんだけどな。
今日の用事は橇の発注である。
アコさんの発想は実に面白い。あれを活かさない手は無いだろう。
昨日の武器屋の裏にある鍛冶場に足を運び、門を叩く。
ノックに応じて出てきたのは身長二メートルを超える巨漢だった。
「誰だ?」
「あ、はじめまして。アコさんにこちらを紹介されたのですが……」
「ああ、アコ屋か。まぁ入れ、汚い所だが、そこは我慢してくれ」
うわ、紹介状とか貰ってたのに、提示するまもなく招き入れられたし。
警戒心の薄い人なのかな?
鍛冶場の中には、所狭しと武器が放置されていた。
それらにはキチンとタグが付いている辺りを見ると、本人にはどこに何があるのか理解しているのかも知れない。
「椅子は……まぁそこらのを適当に使ってくれ。仕事中で炉に火が入ってるから、暑いのは我慢してくれよ?」
「え、ええ。ありがとうございます。あの、お仕事中では……?」
「いや、丁度昼飯にしようと思ってた所だ。気にするな」
ぶっきらぼうだけど、なんだか初めて会った時のヒルさんよりはフレンドリーかな。
これなら依頼を出しやすいかも知れない。
「それでですね、いきなりですけど、その……橇とか作れますか?」
「そり? ああ、子供がよく遊んでるアレか」
「アコさんが荷物を運ぶのに橇を使ってましてね。草原では長距離の移動に車輪が使えないので、これはいいアイデアだと思って」
「なるほどなぁ。確かに草がよく滑るから、そういう手もあるな。中々やるじゃないか、アコ屋の奴」
感心するように顎を撫でる。
そこでふと凄く失礼を犯している事に気が付いた。
「あ、申し訳ありません、ボクはユミルって言います。この子はアリューシャ」
「ん」
「おう、俺はカザラだ。よろしくな」
自己紹介を忘れるなんて、先走りすぎだろ、ボク。相手が鷹揚な人で助かった。
それから橇の形状について、カザラさんと議論を詰めていく。
途中でアリューシャが暇そうにして居たので、カザラさんがケンダマの様な玩具を渡してくれてた。
重い槌を振り続けていると、逆に指先の感覚が鈍るので、こういうのを置いているのだとか。
「底面は平板の方が滑りはいいんじゃないか?」
「いえ、それだと石とか踏んだときの耐久性が――」
「足のここ、接続部はこう……斜めに組んだ方がサスペンションが利くだろう?」
「でもそれだと、隙間に草が絡むんですよ」
「なら、この部分に覆いを付けてしまえば、草の入り込む余地はなくなるだろう」
「その手があったかっ」
二人で意見のやり取りをして、橇の構造を詰めていく。
大きさは普通の馬車くらい。スキー状の足を取り付けて、荷台との間に斜めの棒を組み込み、サスペンションの効果を持たせる。
その棒に草が絡みつかないよう、足のサイドに革製の覆いを取り付け防御する。
牽引の負担が馬車よりも大きくなるので、二頭引きにする。
等々、当初の予定よりかなり本格的な橇の構造が出来上がっていた。
構想図が完成したときにはすでに陽は傾き、アリューシャはテーブルに突っ伏してお昼寝している有様だったのはナイショだ。
放置してごめんね。でもこれで、帰りはずいぶん楽になるはず。
「それで、ボク達の出発は六日後なのですが、これ間に合いますか?」
「ああ、急ぎの仕事は今は無いし、構造自体は単純なものだ。有り合わせの物で何とかなるから充分間に合うだろうな。でも馬はこっちでは用意できないぞ」
「それはボク達の方で用意します」
幸い大金が手に入ってる。
それに帰りは牧畜用の獣もいる訳だし、その伝を頼れば、きっと馬くらいは入手はできるだろう。
こうしてボク達は、草原の移動手段を確保したのだった。