第四十六話 宿に泊まろう
組合支部を出て、ヤージュさんに紹介された宿へ向かう。
料理が美味くて、風呂が付いているという条件に合う宿だ。
ヤージュさんは風呂のない安めの宿に泊まっているらしい、これは彼らに入浴の習慣がなく、身体を拭く程度で日々を過ごしているからだ。
これは彼らが不潔なのではなく、中世レベルのこの世界では、それが当然なのだ。
紹介された宿は少しばかり高くつくが、ボク達の収入なら問題の無い範囲でもある。
それに先ほどの護衛の収入もある。牧畜の輸送は一週間後なので、それまでなら余裕で生活できる。
「それじゃアリューシャ。ご飯に行こう!」
「わぁい!」
「お肉だー!」
「ヨモギー!」
「えー……」
この子は野菜マニアにでもなる気なのか?
紹介された宿は三階建ての建物で、一階は食堂になっている。
宿泊費が高めなので泊り客はそう多くないが、昼前だというのに、すでに食堂は盛況だった。
「いらっしゃい、何名さまですか?」
「あ、二人です」
「テーブル席でいいですか?」
「あ、いや。宿泊をお願いしようかと。一週間ほど」
案内をしている娘さんにそう告げると、驚いたように口元に手を当てた。
宿屋の娘としてその態度はどうなのよ?
「その、ウチは少し高いですよ?」
「ええ、聞いてます」
「風呂を付けているので、どうしても色々と費用が――」
「シーナ、無駄口叩いてないで仕事しな!」
そこへ厨房から怒声が響いた。どうも彼女の母親のようだった。
宿泊したい旨を告げると、奥からひょっこり顔を出す。出てきたのは、なんというか……そばかすの似合う娘さんの母親にしては、凄まじいプレッシャーを放つオバちゃんだった。
「宿泊したいんだって?」
「はい、この辺で風呂のある宿屋でお勧めと聞いたので」
「三食付きで一泊五百、一週間なら三千に負けてやるよ」
大体十パーセント引きかな? この世界で一泊する場合、大体三百ギルくらいが相場なのだそうだ。
それと比較するとやはり高い。だがそれでも風呂の魅力は捨てがたい。
それに料理が美味いというのなら、なおさら他に選択肢は無い。
「二人分お願いします。支払いは組合のカードでできますか?」
二人で六千ギルなら銀貨六十枚。
先ほど一万五千ギルの収入があったのだが、それだけの貨幣を運ぶ訳には行かないので、報酬をカードに登録してもらっている。
「その子も同室に泊まるんだろう? ならそっちの子の分の御代はいいよ。飯だって大して食べられやしないだろうし」
「それはありがたいです」
「風呂は一階の裏に大浴場があるよ。言ってくれれば、いつでも入れるようにしてあげる。飯は朝は七時から十時、昼は十二時から十四時、夜は十八時から二十一時までの間に食っとくれ。その時間以外だと追加料金を取るからね。部屋は二階の北側、三つ目の部屋だ」
こちらに鍵を渡しながら、矢継ぎ早に告げてくる。
今の時間は昼前なので、荷物を置いてくればほぼ昼食の時間に合う。
でもそれより……
「じゃあ、荷物を置いてくるので、先にお風呂、お願いできますか?」
「この時間に来て、先に風呂かい? あんたも変わってるねぇ」
「長旅だったもので。せっかくの食事を埃まみれで食べたくないじゃないですか」
「ふん、いい心掛けだね。シーナ、風呂の準備してきておあげ」
「はーい」
昼前という時刻もあって、徐々に忙しさを増していく。そんな中を給仕一人風呂の世話に充てるとか、申し訳なく思えてくる。
部屋に荷物を置いて武装を解く。久しぶりの開放感に思わず伸びをしてしまった。
アリューシャもボクを真似て背伸びする。顔を見合わせて軽く笑いあった後、部屋に鍵を掛け、浴場へ向かう。
シーナちゃんに案内されたそこは、まさに大浴場というにふさわしい物だった。
二十メートル四方の大きな浴室に、大半を占める浴槽。
そこには絶え間なく湯が流れ込み、掛け流しになっている。
「これは凄い……」
「こっちが脱衣所ですよー」
「街中にこんな凄い浴場があるとは思いませんでした」
「この宿は源泉を直接引き込んでいますからね。湯には困ってないんですよ」
「でも費用が掛かるから割高だって――」
彼女は『色々費用が掛かる』と言っていた。ボクはそれを聞いててっきり薪代が掛かっているのかと思っていたんだけど。
源泉を引き込んでいるのなら、薪代なんて掛からないじゃないか。
「あー、薪じゃなくて石鹸とかタオルとか洗濯代とか……その辺ですね」
消耗品の類か。そう言えばそういうのも金の掛かる物だったな。
「着替えはこちらに。洗濯はどうします?」
「あ、やってくれるんですか?」
「ええ、サービスの一環です」
もはやホテル並のサービスだ。着替えは持って来ているし、せっかくなのでここはお願いする事にしよう。
ついでに旅の途中の服も洗濯を頼んでおく。
たっぷりのお湯と石鹸で身体を洗い、湯に身を沈める。
そうすると澱の様に溜まった旅の疲れが溶け出していくような感じすらする。
「んふー」
「はふぅ」
アリューシャと並んで息を吐く。
あまりの気持ちよさに、このまま眠り込んでしまいそうだ。もちろんそんな真似をしたら溺れてしまう。
ここは鋼の意思をもって風呂から上がることにする。
あまり長く浸かっていると、昼食の時間を逃してしまう。
「危ない……何という強敵だったのか……」
「ゆーね、わたし眠い」
「うん、ご飯食べてからお昼寝しようね」
詳細を話しに、また後で支部長の所に行かないといけない様な気もしたけど、もうどうでもいい。
とにかく身体はともかく、精神的に休息を欲しているのだ。
そもそも現代日本人であるボクが、猛獣のうろつく草原を二週間も掛けて渡ったのだ。心が疲れないはずが無い。
そしてそれはアリューシャも一緒のはずだ。特に彼女は旅の半ばですら、疲労が激しかった。
服装を整え、食堂に行くとすでにほとんどの席が埋まっていた。
「昼食かい? 特別な物じゃなければ、宿代に含んでいるから何でも頼んどくれ」
「それじゃ、ボクは肉料理を」
「ゆーねとおんなじのがいい」
「それと、この子にヨモギのサラダもお願いします」
アリューシャがボクと同じモノを食べたがったので、代わりにサラダを頼んでおく。
自分の好みより、ボクと同じがいいと言うのは、少しばかり嬉しい。
まるで『パパといっしょがいい!』と子供に言われている気分だ。
今はママだけど。
「はいよ、おまち!」
しばらくしてやってきたのは、香辛料を利かせた豚肉のサイコロステーキと、ヨモギを和えた温野菜のサラダ。
それにコンソメスープに……ライスだった。
「米!?」
「な、なんだい。ライス、見たこと無いのかい?」
「え、あー、えっと……今まで芋が主流だったもので」
「ああ、北の方だと芋とかパンがメインなんだってね」
この大陸東側は基本的に温暖だが、南北から海流のぶつかり合う立地条件ゆえに、気候の変化が激しい土地柄でもある。
雨に風、そして台風に雷。
そういった災害レベルの気候の変化は、逆に土地に栄養を与えることもあるそうだ。
肥沃な土地と豊富な水、そして温暖な気候。これらが揃っているなら米を作らないはずが無い。
苗があれば、という大前提があるけど。
「米があるんだ……パンばかりかと思ってたけど」
「あきれたね。どんな田舎から出てきたんだい」
呆れられてるけど、ボクにとっては大事件だ。この世界に米がある。
よく小説では米がなくて、頑張って探し出したり品種改良する作品を見るけど、ここには元からある。
ならば栽培するしかあるまい。あの草原で――!
「雑草が強すぎるから、やはり水耕栽培で――でも作付け面積が……」
「な、なんだい、この子は?」
「ゆーねのわるいクセなの。考え事があると一気にのめりこむの」
「そ、そうかい?」
「でも耕作期間の短縮でリカバリーして……」
一夜にして繁茂できる草原の特性を利用すれば、面積が十分の一でも、耕作期間的にその倍、いや五倍は行ける。
そんな皮算用をしてるボクを、オバちゃんが気味悪そうに眺める。
「何でもいいから、冷めないうちに食べとくれよ」
「ありがと、おばちゃん」
「アンタはしっかりした子だね」
アリューシャの頭を一撫でして、オバちゃんは厨房に戻っていった。
そこで我を取り戻し、アリューシャと食事を開始する。
久しぶりの美味しい食事だったけど、アリューシャの疲労は限界を迎えていたようで、お風呂と美味しい食事のダブルパンチには耐えられなかったようだ。
ご飯を食べながら時折手が止まり、そのままコクリコクリと船を漕ぎ出す。
カクンと大きく傾いた所でハッと目を覚まし、再び食事を開始する。そしてまた船を……というサイクルを刻みだした。
食べながら眠ると言うのはいかにも子供らしくて、見ていて可愛いのだが、さすがに放置する訳には行かない。
食事の途中、完全に眠りに落ちたアリューシャの手からフォークを取り上げ、横抱きにして部屋へ戻ることにした。
「おや、部屋に戻るのかい?」
「ええ、アリューシャが限界のようでして」
「食事もまだ途中じゃないか。なんだったら折りに包んで、残りを部屋に持って行かせようか?」
「あ、そうしてもらえると助かります」
この身体はあまり大喰らいな方ではないが、それでも現状では食べた量が少なすぎる。
それに米をもっと味わっていたい。
部屋に戻ってアリューシャをベッドに寝かせ、包んでもらった昼食の残りを一人で食べる。
やはり、一人の食事と言うのは味気ない。アリューシャの世話を焼き、世話を焼かれながら食べる食事には程遠い。
彼女が目を覚ました時の為に少し残しておいて、ボクも一緒にベッドに横になる。
部屋の鍵は確認してあるので、安心して眠りにつける。
ふわふわのベッド、安心できる寝床、満ち足りたお腹に気怠い湯上りの疲労感。
隣には体温高めで抱き心地最高のアリューシャ。
これで眠れないわけが無い。おやすみなさい。
ボク達が目を覚ましたのは、結局日が傾いてからだった。
あと二時間ほどで夕食の時間だが、さすがに食べて寝たばかりなのでお腹が空いていない。
少々遅い時間なのだが、腹ごなしに武器屋に行って剣を見繕ってくることにした。
「という訳で、夕食は少し遅くなります。時間に間に合わなかったら食堂閉めちゃっていいですよ」
「はぁい、了解ですよー」
夕食の仕込をしているシーナちゃんに出掛ける事を告げて鍵を預ける。
街中なので、いつもの魔導騎士の衣装や、防具は付けておらず、街娘の様なノースリーブのワンピースで外出だ。
アリューシャもボクと色違いの服装で揃えているので、一見しただけでは冒険者には見えない。
ただし、壊れたストームブレイドと、護身用にピアサーだけは装備しておく。
アコさんに紹介された武器屋は、中央広場の北側にあり、居住区とは少し離れている。
毎日のように鉄を打ち、大量の水を使用する鍛冶場は騒音が激しいため、居住区に作れないのだそうだ。
そこは、そこそこに大きな武器屋で、店の裏には鍛冶場が隣接して作られていた。
冒険者も数名出入りしていて、人の出入りが激しい所を見ると信頼できる腕のようだと判断できる。
ボクとアリューシャも少し気後れしながら店の中に入っていく。明らかに街娘風のボクらに突き刺さる視線が、少し痛い。
「ま、場違い感は確かにあるよねー」
「ゆーねは強いからいいじゃない」
「そりゃそうなんだけどさ」
「いらっしゃいませ、お嬢様方。今日はどのようなご用件で?」
声を掛けてきたのは、いかにも販売担当と言う感じのひょろっとしたお兄さんだった。
メガネを掛けていて、どちらかと言うとインテリ風。
「あ、アコさんの紹介で、この武器を直してもらえるかなって思って……」
取り出したのは袋詰めになった粉々のストームブレイド。
柄だけが袋から飛び出している様は、哀れを誘う光景だ。
「これですか……これは、ひどいですね」
「少し無茶な使い方をしてしまいまして」
粉々の剣身を見て、お兄さんが首を振る。
「ここまでの状態を直せる鍛冶師はいないと思いますよ。新しく購入した方がよろしいかと」
「ですよねぇ」
予想された返答にがっくりと肩を落とす。
やはり武器の買い直しをした方が早いのか。割とお気に入りの剣だったんだけどな。




