第四十二話 激戦
異形の爪を剣で受け止める。弾き返す。そして斬りかかる。
やはり、速い。
この異形はボクの速さに付いてくる。攻撃自体はベヒモスと比べるべくも無く軽いが、その速さが補って余りある。
ヤージュさん達は三人が戦闘不能。
リビさんはまだ無傷だけど、激しく位置を入れ替えるボクたちの戦闘には付いてこられていない。
詠唱と魔法陣の展開を終了させているけど、支援砲撃すら出来ずに立ち尽くしている。
魔法というのは掛ける対象を認識していなければ、発動すら危険な技だ。
異形に向けて魔法を放ち、次の瞬間その位置にボクが移動したら、ボクに命中してしまう。
なので、後衛と前衛の連携は不可欠。もちろんボクとリビさんに、そんな連携は存在しない。
そんな中、アリューシャは事態を把握したのか、涙を流しながらもヤージュさんの元へ駆けつけている。
「【ヒール】!」
無詠唱で魔法を発動させるアリューシャに、リビさんは驚愕の視線を送るが、すぐさまこちらへと目を戻す。
この敵には、一瞬たりとも視線を外せないのだ。
アリューシャもボクと一緒とはいえ、迷宮での戦闘経験は多い。
今がどういう状況か、どれほど切羽詰っているかを理解してくれている。
だからこそ、出し惜しみせずにヤージュさんの傷を治しに掛かったのだろう。
ヤージュさん達は、きっとこれで大丈夫だ。
アリューシャの【ヒール】はボクの回復量とは比べ物にならないが、それでもそこらの治癒術師より効果が高い。
一瞬だけ視線を流すと、そこには少しずつ千切れた足を再生させつつあるヤージュさんの姿が目に入った。
その状況に安堵しつつ、ボクも自己支援を強化する。
【アクセルヒット】に【オーラウェポン】、【エンチャントブレイド】、【ソードパリィ】、そして【コンセントレイト】。
攻撃速度上昇、威力上昇、魔法攻撃力付与、回避強化、命中強化。
だが、これだけ支援して尚、異形はボクと互角以上に動いている。
攻撃速度重視の装備だから、ボクの攻撃速度は現在限界値にまで達している。
その速度、実に秒間十度の攻撃を可能にするほどである。
雨のように降り注ぐ剣撃を、まるで動じる事もなく受け止め、弾く異形。
それどころか、防戦一方にならず合間に反撃の一撃すら挟んでくる。
その一撃を【ソードパリィ】のスキルで受け流すが、攻撃の手が一瞬止まる。
ほんの一瞬の隙。
その一瞬だけで攻防が入れ替わり、今度はボクが防戦に立たされる。
この時、明確に理解した。
初めて会った時、やはりこいつはボクの知覚外から、一瞬で目の前に飛び込んできたのだ。
だが、そうなると疑問が残る。
あの時、完全に気を抜いていたあの瞬間――なぜコイツは攻撃しなかったのだろう?
目の前に立たれて、視線を合わせた時の、逡巡するかのような態度。
あの時に攻撃されていたら、ボクは反撃の余地もなく殺されていた。
原因が判らない。だが命拾いしたことは確かだ。
ボクの油断とあいつの失態。お互いのミスが均衡しあって、運良くイーブンの状況。
ならばここは一気に押し返さなきゃ、ウソだ。
じわじわとリビさんたちから距離を取りつつ攻撃を捌き、ポーチに手を突っ込み切り札の魔刻石を起動する。
現在装備しているストームブレイドは破壊不可の属性が付与されていない。
そもそも、そういう付与を施すスロットが開いていないのだ。
なので今回、武器破壊の効果を持つtとkの魔刻石は使用できない。
使用したのは……
――thの魔刻石。
雷神の魔刻石であり、慎重さを意味する。
効果は四層からなる防壁の生成。
――zの魔刻石。
鹿を表し、群れを暗示する魔刻石。友情や保護、防御を意味する。
効果はHPの減少と防御力の超強化。
前回、ベヒモス戦で防御を軽んじたが故の危機があった。
今回は同じ轍を踏むわけには行かない。防御優先だ。
それにこいつ相手では、攻撃の切り札であるkを使用したところで当たりそうもない。
ボクが防御を強化した事で、事態は膠着状態に陥った。
ボクの攻撃は悉く躱され、異形の攻撃もほとんど当たらない。当たった所で高い自動回復力を持つ魔導騎士の力によって無効化される。
だがこの均衡は、魔刻石の使用によってようやく維持できている物だ。
現に今も、パリンパリンと音を立てて、thの防壁が砕かれていく。
異形が防壁の破壊に手間取っている間に次の切り札を放つ。
「【マキシブレイク】!」
ボクの声と共に周辺十メートル近くに紅い爆風が吹き荒れる。
【バーストブレイク】の最上位スキルで、広範囲に最大級の威力を撒き散らすこの攻撃は、魔導騎士最大の攻撃スキルの一つだ。
両手剣のみという難点は例によって存在するが、そのダメージ倍率は実に三十倍を超える。魔刻石のように回数制限が無いのも助かる。
炎を纏う烈風を叩きつけられ、異形の体にビシリと大きな罅が入る。
だがヤツは攻撃の手を緩めることなく、防壁を破壊し尽くした。
ボクはダメージを与え、やつは防壁を破壊した。ここでも決定的な差は生まれない。
ギリと歯を食いしばり、再度thの防壁を展開。
この防壁の効果は、破壊されなければ三分は持つ。この高速の攻防では充分すぎる効果時間だ。だがこの高速の攻防では、ほんの数秒で破壊されてしまう。
問題があるとすれば、残り個数……二十個を超えて同種の魔刻石を持てない魔導騎士の難点。
できれば高威力な武器に持ち替え、一気に片を付けたい。
だが、目の前の敵がそんな隙を許さない。
仮想キーボードを展開するボクのアイテムインベントリーでは、ほんの数秒といえ時間を浪費してしまう。
その数秒で数十回の攻撃が飛んでくるのだ。
これはいくらthやzの防壁を張っていても、耐えられるものではない。
ゲームならばショートカットキーを使って一瞬で持ち替えられるのだが、あいにくゲーム的な機能はあっても、この世界はゲームじゃない。
戦況はボクの持つ在庫の数と、ヤツの耐久度の持久戦の様相を呈してきた。
「【マキシ――ブレイク】!」
通算にして二十度目の攻撃。
そして最後の防壁の破壊。もはやthの魔刻石は残っていない。
すでに異形の姿はズタボロだけど、未だ破壊には到っていない。
「くそっ!」
ボク自身も疲労しない身体とはいえ、綱渡りのようなスキル使用の連打に精神が磨り減ってきている。
すでにthは使い尽くした。
あとはzの防御力と、自身の回避能力のみで攻撃を凌ぐ。
ガリガリと爪が身体を掠め、あっという間に血塗れ状態に変えられる。
「うあぁぁぁああぁぁぁぁっ!」
HPを削りながら、こちらも剣を振るう。
このまま防御に徹しても状況は変わらない。攻撃しないと敵は倒れない。
そして攻撃を通す事ができるのは、ボクだけなのだ。
このままでは敗北する。
それが判っていながらも攻撃しなければならない。
なんて拷問……だが立ち続けなければ、戦わねば……アリューシャやヤージュさんの身に危ない。
アコさんたち商人に到っては身を守る術すら持たない。
zの防御があるからこそ、立っていられる。これがなければヤージュさんのように手足が千切れ飛んでいることだろう。
だが、この魔刻石も長く持つものではない。一個当たりせいぜい三分。
一時間は持つ計算だが……もちろんボク自身がそれまで持たないだろう。
攻撃の合間に【マキシブレイク】を挟みつつ、絶望的な戦闘を続ける。
このスキルは使用後にわずか数秒だけど、クールタイムが存在する。そのため連打できないのが難点だ。
止まらない出血に、剣を持つ手が滑る。
いよいよ終わりが見えてきた。そう覚悟した所へ暖かな光が降り注いだ。
「【ヒール】!」
もはや視線を外す余裕は無い。だが声で判る。アリューシャだ。
彼女なら、この高速の戦闘にも付いて来れる。
本来なら微々たる回復量。だがzで強化された今では、その回復の意味は数倍にも跳ね上がる。
――それでも……足りない。
圧倒的手数が彼女の回復量を上回る。
続けざまに飛ばされる【ヒール】も、僅かに異形の攻撃を中和するに足りないのだ。
今なら、まだ間に合う。
ここでボクが敵を引き付けている内に……せめて彼女だけでも逃がさないと!
「アリューシャ、逃げ――」
「『神よ、彼の物に癒しを。再び立ち上がる力を与えたまえ』――【ヒール】!」
「――え?」
今度の【ヒール】は誰が掛けたのか理解できなかった。
いや、理解はしていた。だが――感情が飲み込めない。
ダメ押しの【ヒール】を飛ばしてきたのは、カロンだ。
アリューシャによって癒され、意識を取り戻した彼が魔法を掛けた……この高速の戦闘空間で。
脳裏に、昼に話したヤージュさんの言葉が蘇る。
『ああ見えて、あいつは目がいい』
続けざまに飛んでくるアリューシャとカロンの【ヒール】。
その的確な支援は確実にボク達の動きを捉えていることを意味する。
――くそっ、ここまで目がいいのか!? 完全に見損なっていた。
散漫な注意力、霧散しがちな集中力、冒険者と失格といえる資質……
だが、そんな無能をベテランのヤージュさんが連れ歩くはずが無いじゃないか。
見込みがあるから連れていたはずなんだ。ボクがそれを信じられなかっただけ。
どんな乱戦にあっても、精密に癒しを飛ばせる後衛。
リビさんですら無効化されるこの状況でも、戦力になれる動体視力。
そんな支援者が後ろに控えていれば、どれだけ心強い事か。
そこにはアリューシャの速さに翻弄され、動揺して泥仕合を演じた未熟者の姿はなかった。
「この土壇場で……やってくれる!」
回復が飛んでくる。
それだけで、ボクの心を奮い立たせるには充分だった。
見えなかった勝機が――見える。
勢いを増し反撃に転じたボクに、異形の動きが僅かに……ほんの僅かに停止した。
そこへ満を持してリビさんの魔法が飛ぶ。
「【ファイアジャベリン】!」
炎の矢を、更に強化した上級魔法。
その巨大な炎の槍が、異形の足に突き刺さった。
ガクリと体勢を崩す異形。
さすがと言わざるを得ない、見事なタイミングだ。一瞬のチャンスを物にする技量はまさに一流。
そしてボクも、このチャンスを逃す訳には行かないだろう!
「k、起動――ヴォーパルストライク!」
単体攻撃の切り札、kによって発動するスキルを使用。
剣に淡い光が纏わりつき、ビリビリと振動する。
今にも砕けそうなほどの強振動。これこそがkの本質。
「くたばれぇぇぇぇぇ!」
そのまま、限界を超えた破壊エネルギーを内包した剣を、異形へと叩きつける。
ベヒモスの外皮すら切り裂いた一撃を受け、異形は――限界を超えた剣と共に、粉々になって砕け散ったのだった。
アリューシャ「バイタリティアクティベーション使えば余裕だったよね?」
ユミル「えと、ほら、順番だから……」