第四十一話 招かれざる者
それからの数日は何の問題も無く旅程を進めることが出来た。
元々生物の少ない草原である。いくら最近は増えたといっても、トラブルに出会う確率は元々高くない。
その間ボクは、橇のアイデアについて、熟考する事にした。
車輪に草が絡むという問題点を、その根源から一気に手を離してしまった発想はすばらしい。
この辺りはさすが商人というべきだろうか? アコさんのトラブルへの対処能力が覗える。
だが実際彼の使っている橇は、先頭部分が反り返っただけの木の板である。
これでは石などを踏んでしまったら、早々に破損してしまうだろう。
そこで脳裏に浮んだアイデアは三つ。
一つはスキー状の足を取り付ける事。
これは……冬季オリンピックのスケルトン競技の橇なんかを思い浮かべればいいだろうか?
これなら石を踏む可能性を大きく減らすことが出来るし、スキーと橇の合間にサスペンションの機構を組み込めば、乗り心地も向上する。
もう一つのアイデアは、戦車のような履帯を取り付ける方法。
車軸も馬車の本体に取り込んでしまえば、草が絡む事はなくなるだろう。
ただし、これは馬車という構造に問題点が発生する。
馬車の推進力はあくまで馬であり、車輪は地面との摩擦の結果回転するに過ぎない。
履帯を動かすには車輪自体を回転させねばならないので、下手したら履帯が回らず引き摺る羽目になり、馬の負担が増える可能性もある。
これはクランク機構とか発明した方がいいのだろうか……?
もう一つは馬車の構造を変化させる事だ。
現状の馬車は車輪が剥き出しで、車軸の上に荷台を置いている構造である。
これを逆に車軸に荷台をぶら下げる構造にしたらどうだろう?
これなら荷台が防壁になって、車軸に草が絡まる可能性は低い。
更に荷台に切れ込みを入れ、車輪も荷台内に大半を格納してしまえば、車輪も草の絡まる危険性も下がる。
「だけど、これは……釣り下ろされる部位に負担が集中しちゃうか。消耗は早そうだなぁ」
「んぅ?」
「やはり橇が安定かな?」
「つかれたの? ゆーねも乗る?」
「乗りません。ボクが乗っちゃったら護衛の数が減っちゃうでしょ」
先頭をボクとヤージュさん。サイドをアドリアンさんとリビさんが固め、最後尾をカロンという隊形を維持している。
これはカロンができるだけボクから離れたいという意見を酌んだ結果ではあるけど……
「彼もかなりトラウマになっちゃってるな。まぁ、悪意が無いだけにさすがに少し可哀想かも」
「だぁめ! ゆーねはわたしの」
「やれやれ、お前さん達は本当に相思相愛だな」
「でしょー」
橇の上で自慢げに胸を反らすアリューシャ。
その横でアコさんは苦笑染みた笑いを浮かべている。
「でも大丈夫なんですか? 最後尾ってある意味最も警戒が必要な場所だと思うんですけど」
「あ? ああ、カロンか。ああ見えて、あいつは目がいい。それに臆病な分、危険には鋭い。問題があるとすれば、集中力が散漫すぎる所なんだが……それさえ無ければいい冒険者になるんだがなぁ」
何か考え事があると、その臆病故の危険感知力がいきなり低下するのだそうだ。
それで迷宮内で不意打ちを受けたらしい。
「心構えがまだ未熟なんだよ。後は身体作りだな」
「それ、全然ダメじゃないですか。一人前は遠そうですね」
「まぁ、冒険者にとってみたら、一山超える前に真っ先に死ぬタイプの人間なんだろうなぁ。だがそれさえ乗り越えれば、いい冒険者になれると見込んでるんだよ」
「いい冒険者ですか?」
真っ先に死ぬような人間じゃ、いい冒険者にはなれない気がするけど。
「俺達ゃ、いろんなタイプが居るからな。それこそ箸にも棒にも掛からないようなのから、最初から功績を残せる早熟なのまで。あいつはその中でも変り種だ。大器晩成型ってのか? ちょっと違うか」
ヤージュさんはカロンの説明をするのに頭を悩ませている。
彼が言うにはカロンは冒険者として集中力が足りない、だがそこさえ乗り越えてしまえば、功績を残せるはずだと見込んでいるということだろうか。
確かに集中力というのは、鍛えて伸ばす事が可能だ。
だがそのためには、落ち着きのある精神状態なんてのも必須になってくるはず。カロンにはそれが致命的に足りない。
ちょっとしたことで喜び、慌て、混乱し、気を失う。その度に集中を切らしていたのでは、他のメンバーにも負担が掛かる。
ボクがそう述べると、ヤージュさんは意外そうな表情を浮かべた。
「ま、それもまた事実なんだがな。だが……いや、ユミルでも見かけ通り、まだ青い所が残ってるもんだな」
「なんですか、それは!」
「俺はな、アイツは化ける、そう思ってる」
キッパリと断言。
そこには確信すら存在している様に見える。
よく考えてみると、彼はかなり実績のある冒険者だそうだ。それが見込みの無い素人を連れ歩くはずが無い。
きっと、まだボクが見たことの無いカロンの素質を評価しているのだろう。
「でも、ゆーねはわたしのモノなんだからねっ。カロンにはあげないもん!」
でもアリューシャは断固として認めない。
よほどボクと引き離されるという説教が効いたようだった。
旅は半ばを超え、大きな問題も無く順調に進んでいる。
アリューシャも橇のおかげで体力の消費が少なく済んでいた。
どうにも補給の出来ない水が心配だったが、途中でアコさんが水分を蓄える性質のある草を教えてくれたりして、消耗を抑えることができている。
長旅でよく利用する植物らしいが、長距離を往来する交易商人の知識の産物らしい。
これにはヤージュさんたちも驚き、『組合に報告すべきだ、これで旅の補給がかなり楽になる』と興奮していたくらいだ。
ただの雑草に見えた草の根が、大量の水分を含んだ袋状になっているとか、よく知っていたものだ。
順調すぎるほど順調な旅程だが、さすがにアリューシャも完調を維持出来ている訳ではない。
揺れる橇の上にずっと座っているのだから、疲労しない訳無いのだ。
ましてや、馬車ですら揺れが激しいというのに、サスペンションも無い木の板の上である。
疲れが溜まらないはずが無い。
この日も、食事を終えると糸が切れたように眠りに落ちている。
ボクはそんな彼女を膝枕して、見張りに付いていた。
冒険者は五人。ボクとリビさん、カロンとアドリアンさん、そして最後はヤージュさんという見張りを立てて、夜を明かしている。
リビさんは攻撃役を受け持つ魔術師で、ヤージュさんたちのパーティでは参謀役と言ってもいい立ち位置だそうだ。
アリューシャが元気な時は過去の冒険話なんかも聞かせてもらえ、ヒョロリとして頑固そうな表情の割りに意外と子供好きな一面も見せてくれる。
アリューシャはすでに眠ってしまっているので、今日聞かせてもらっているのはちょっとドス黒い系の体験談である。
どこそこの貴族に騙されたとか、盗賊たちと血で血を洗う抗争になったとか――さすがにオークに襲われた女性の末路に関しては、話しきる前に正気を取り戻し、咳払いして話題を変更していた。
その後リビさんは『大自然に栄養を分け与えに行って来る。ちなみに大だ』とトイレに立ち、その間ボクが一人で周囲を見張ることになった。
周囲は静かで……いや、幽かにリビさんの奮闘が聞こえてきた。ちょっとへこむ。
とにかく気分を落ち着けるために、膝の上で眠るアリューシャの髪を撫でる。
僅かにむずがる表情を見せるが、ボクの手を抱え込んで来る姿は子猫の様で、愛らしい。
その時、ザンという音と共に、焚き火の灯が――翳った。
火が消えたのかと顔を上げたボクの目の前に、奇妙なお面をかぶったなにかがいた。
頭を横に向け、まるで首を傾げるような姿でボクを覗き込んでいる。
「う、わあぁぁぁぁああああああ!!」
「きゃあぁぁぁ!?」
ボクは咄嗟に背負った剣を抜き薙ぎ払う。同時にアリューシャを背後にかばっておく。
アリューシャは悲鳴を上げて背後に転がったが、この際勘弁してもらおう。
だが、ボクの斬撃に手応えは残らなかった。そのまま立ち上がって戦闘態勢を取る。
ボクの一撃を躱し、一瞬にして数メートルも飛び退った『なにか』は、ゆらりとその全貌を明かりの中に現す。
まるで子供が白い粘土を捏ね繰り回して作った人形のような姿。手足には指すらなく、ひょろりと長い。
胴体もくびれや凹凸のような物は無く、まるで生命として破綻したかのような寸胴。
何より首が腕のように長く、頭との境目すら区別が付かない。
その頭と思しき部位には、切れ込みを三つ入れただけの簡素な面を被っている。
一言で言って――異形。
――避けた? いや、それよりもどこから来た!? さっきまでは誰も居なかったはず?
ボクの探知範囲は軽く五十メートルはある。
その範囲内であれば、微かな草擦れの音すら聞き分けてのける。それなのにコイツはその探知に引っかからなかった。
いや、草音が聞こえなかった訳じゃない。唐突に現れる直前には、確かに音が聞こえた。
つまりコイツは、ほんの数秒……おそらく一秒程度で五十メートル以上を駆け抜けたことになる。
ボクと同等。もしくはそれ以上。
「さっきの叫びはなん――なんだ、コイツ……」
「ユミルさん、何事です!?」
「どうした、敵か!」
ボクの叫びに反応し、次々と起き出してくるヤージュさん達。
リビさんも服を調えながら戻ってきた。
「アコさん、他の方達と馬の影へ! あまり遠くへは行かないように」
「カロン、下が――来たぞ!」
一瞬で草を掻き分け、ヤージュさんの元へ到達する異形。
振り上げたその腕の先に爪のような刃が伸びる。
「ヤージュさん、逃げて!」
ボクは瞬く間に理解した。『アイツはヤバい』と。
あの速さだけでも、技術や経験をあっさりと押しのけてしまうアドバンテージになるだろう。
ヤージュさんの力量は理解している。だからこそ判る。勝てない、と。
「ちっ、この――ぐあぁぁぁあああぁぁぁ!?」
とっさに剣で攻撃を受けようとしたのが功を奏したのか。刃は胴体を逸れ、足を切り飛ばすだけで済んだ。
それでも彼が戦闘不能になった事に変わりは無い。激痛に悶え、出血は止まらない。そのままだと死に到る程の傷。
「くそぉ!」
ヤージュさんを倒された穴を塞ぐべく、アドリアンさんが前に――出ようとした出鼻を挫かれた。
異形は勢いを止めず、アドリアンさんの懐に飛び込んで腕を振るう。
剣をへし折られ、胸甲を砕かれ鮮血を撒き散らして――倒れた。
そのいきなりの惨劇に腰を抜かしたカロンが、ふらりと腰を落とす。
……運が良かった。そのおかげで彼は爪(?)の直撃を受けずに済んだ。
頭を掠めるように刃が通り過ぎ吹っ飛ばされる。
コメカミに深い傷を負ったカロンはピクリともしない。赤黒い傷跡の向こうには白い物が見えている。
おそらくは頭蓋骨にまで達したのだろう。だが、そこより深くは入っていない。
ほんの瞬き一つするかの間に三人が薙ぎ払われた。
異形は次にリビさんを狙うかのように動くが、その前にボクが立ち塞がった。
「リビさん、アリューシャを――頼みます」
こいつの相手はボクじゃないと務まらない。
こうして、唐突な激戦の幕が上がった。
敵の外見は、ROのグルームアンダーナイトをシンプルにしたようなモノを想像してください。
次回ガチバトル第二回。