第三話 幼女との出会い
剣の放つ赤光に照らされた洞窟内を慎重に歩く。
周囲からは時折ギャアギャアという獣の声が聞こえてくるが、こちらに近づいてくる気配は無い……と思う。
「そもそも、気配とか読める人じゃないしなぁ」
一般日本人で『気配読めます!』とか言ったら、速攻生温い視線で見られてしまう。
なので、そういった技能を鍛えている人も、もちろんほとんど居ない。俺だって例外じゃない。
「一応武器はあるし、灯かりはある。戦闘になっても何とか対応はできるはず……」
自らを鼓舞する意味で、声に出して確認する。
現在装備しているのは、オートキャストで範囲火属性攻撃魔法【メテオクラッシュ】と【ミストフリーズ】を発動させる両手剣と、詠唱中断されないローブ。
そして、攻撃速度を大幅に引き上げるマントとブーツのセットだ。
こいつがあれば、一秒間に最大七回以上の攻撃を発生させる事ができる。
「魔刻石は……もったいないか? 補給できないしなぁ」
魔導騎士の最大の弱点、それは戦場での持久力だ。
この職業最大の攻撃力を持つ魔刻石は複数種類存在するが、同種の魔刻石を一定数以上を持つ事ができない。お互いが反発する性質を持っていて、一定数以上を持った状態で使用すると爆発して即死してしまうからだ。
ゲームのレベル上げにおいて、持久力というのは必須といえる項目なのに、瞬間的にしか最大戦力を発揮できない。
これが魔導騎士が不人気に陥った一因でもある。
下方修正以前は、それを補って余りある攻撃力が魅力だったのだが。
「どうにか倉庫を開くことができれば……お、あれか?」
倉庫とはアイテムを預けることができるサービスの事だ。
ゲーム内通貨を支払う必要があるが、これで千五百項目以上のアイテムを預けることが可能。
食料まで回復アイテム化しているMGOでは必須の機能と言える。
そんな愚痴を漏らしながら進んでいると、鉄製の扉が視界に入ってきた。
重厚な、如何にも何かありそうな鋼鉄製の扉。両開きのそれは頑丈そうで、中央に何か丸い珠が嵌っている。
あの向こうが小部屋になっているはずだ。
「テーブルゲームだったら盗賊に罠を調べてもらうところなんだがなぁ……俺そんな技能ないし」
MGOにも盗賊というクラスはあったが、罠を解除する能力は無い。
このゲームでは、戦闘での傾向が表れているだけだ。
恐る恐る扉に向かって手を伸ばすと、パリッとした感触があって思わず手を引っ込める。
「うおっ!?」
反射的に一歩飛び退って剣を構える辺り、自分でも臆病だと思うが――慎重な分には問題ないはずだ。
剣を構えて数秒、何も変化がないので……いや、中央の珠の色が少しくすんだ?
とにかく、もう一度手を伸ばそうかと考え始めた頃、ゴゴンと重い音を立てて扉が開いた。
さらに数十秒様子を見たが、中から何か出てくる様子は無い。
明かりもないので真っ暗な室内の様子は見て取れない。ただ、チョロチョロと水音が響き――子供の泣き声が漏れてくるだけだった。
俺はへっぴり腰になって真っ暗な室内を覗き込む。そのまま剣を室内に差し込んで様子を探ろうとした。
小部屋といっても十メートル四方広さはあり、高さも五メートルはある。
床は一転、掃き清められた様に塵一つ無く、奥の壁際には噴水が取り付けられていた。
そして壁にはダビデ像もかくやと言う立派な像が設置されており、その股間から小便小僧のように水が不定期に漏れ出している。
だがモデルはどう見ても成人男子。しかも小便小僧と違って、股間の象さんは雄々しく立ち上がって、天を突いていたのだ。そこから水が不定期的に噴き出す様は……つまり、あれだ。成人指定な何かを連想させる。
「って、誰だよ、この像をデザインしたやつはぁ!」
「ひぅ!?」
その像を見て俺が思わず叫んだとしても、仕方ないことだろう。
そして俺の声に反応したのは、噴水の中に据えられた台座に乗せられた子供だった。
なぜか台座の上に全裸で座らされていた幼女。その周囲に薄い膜の様な物が張り巡らされていて、おそらくあれで動きを封じられているのだろう。
「あー、えっと……キミ、無事かぃ?」
「う、うん。おねーさん、だれ?」
「――う」
名前を聞かれて言葉に詰まった。
日本に居た時の名前はあからさまに男な感じの名前だったので、この姿で名乗るのは違和感があるだろう……多分。
となると、ここはゲーム内の名前を名乗るべきか。
「俺――ボクはユミルって言うんだ。キミは?」
一人称も俺じゃ、違和感があるよな。
でも『私』とか言うのも変な感じなので、ここは『ボク』で妥協しよう。ボクっ子の誕生だ。
会社では普通に自分のことを私って言えるんだけどな。
「……ありゅーしゃ」
「アリューシャちゃん? いい名前じゃない」
答えに日本語が通じることがわかって一安心だ。
アリューシャも金髪碧眼で、あからさまに日本人じゃない。いや、そもそも俺が話しているのは日本語なのか?
なにはともあれ言葉は通じたようで、アリューシャは俺の世辞に満面の笑みを浮かべた。
「えへへ、ありがと」
「アリューシャはこっちに来れる?」
「……だめ。このキラキラがじゃまなの」
「ちょっと待ってね」
アイテムインベントリから短剣を取り出す。この短剣は攻撃命中時に一定のMPを回復させる効果があるので、緊急回復用に持ち込んだ物だ。
あの膜がどれくらい硬いのか判らないけど、さすがに両手剣を叩きつけるのは中のアリューシャが怖がるだろう。
水に手を突っ込み、刺激物などではなく安全な事を確認すると俺は噴水の中に足を踏み入れた。
膜に軽く手を添えて、短剣を振りかぶろうと思っていたが……薄い膜は俺が触れると、シャボン玉のように弾けて消えた。
「うわわっ!?」
「きゃう!」
支えになると思って体重を掛けていたので、前のめりになってバランスを崩す。
体勢が崩れ、前のめりになったので短剣がアリューシャに当たるコースに変更された。
とっさに身を捻り、短剣を明後日の方角に放り投げたが、俺はそのまま噴水の中に倒れこむことになった。
「わぷっ!」
どぱーん、と音がするほど勢いよく沈んだ俺を見て、アリューシャはきょとんとした顔をした。
きっと彼女は今の一瞬、自分がどれだけ危険だったか判っていないのだろう。
頭から水を被っている俺を見て、指差して盛大に笑い出した。
「あは、あははははは! ユミルおねーちゃん、ドジぃ!」
「なにをぉ! この、食らえぃ!」
「きゃー!」
笑われたのがイラッと来たので、仕返しに噴水の水を掛けてやる。子供っぽいと思うかもしれないが、これくらいのコミュニケーションは許されるだろう。
俺に水を掛けられ、アリューシャも台座から飛び降り、反撃してきた。
数分後には、二人揃ってびしょ濡れの濡れ鼠と化していたのだった。
水は彫像から不定期とはいえ豊富に流れ出しているので、噴水を使って汗を流すことにした。
アリューシャも一緒に身体を洗うことにする。
裸の付き合いは口を軽くするから、情報収集の一環という訳だ。
幸運なことに入り口の扉は閉めることができたので、硬く閉ざした後に鞘を使って閂を掛ける。
これで怪しい動物に襲撃されることもないはずだ。
「アリューシャはどこから来たの? お母さんは?」
「……わかんない。気がついたらここに居たの。おかーさんはいない」
「そっか。悪いこと聞いちゃったかな、ごめんね?」
「ううん」
アリューシャの年は五歳くらいだろうか? 長い金髪を背に流した、正統派の美幼女だった。
肌も白く、手足に傷一つないのを見ると、結構育ちのいい所の子供なんだろうか?
最初に着ていた胴衣をタオル代わりにしてお互いの背中を洗う。
水面で自分の顔も確認できたが、やはり俺はユミルになっているようだった。
「いつからここに居たのかわかる?」
「わかんない、おひさま見えないもの」
「それもそっか。時計も無いもんね」
「うん」
「……ね、アリューシャはここがどこか判る?」
今俺が一番聞きたいこと。それを、期待に満ちた眼差しで口にした。
俺の記憶ではMGOにこんなだだっ広いだけのマップは存在しない。日本にもこんな地形は無い。
という事は、ここは日本でもMGOでもない、別の場所ということになる。
「んー、わかんない。なにも思い出せないの」
「思い出せない……まさか記憶喪失とかじゃないだろうね」
冗談交じりに、そんな事を口にした。だが、アリューシャはにっこり笑って肯定した。
「うん、そう。おねーちゃん、かしこい」
「えっ、マジで!?」
「わたし、じぶんのことは、名前しかおぼえてないよ?」
「うっそぉ……」
絶望的な気分で身体を洗い、頭を流す。
このくらいの子供だと、頭から水を掛けられると泣き出しそうなものだけど、アリューシャは平気だった。
我慢強い子なのかもしれない。
それにしても、せっかくの水浴び……美少女化した自分の体が目の前にあるのに、堪能する余裕がまったく無かったな。
「……まぁ、いつでも愉しめるか。アリューシャも居るし」
「んぅ?」
さすがに魔剣の明かりがあるとはいえ、暗い洞窟内で水浴びは寒気がする。
持ち込んだ食料は、魚、餅、アイスにポーション類と、身体を温めるものはまったく無かった。酒類も一応倉庫にはあったんだけどな。
まぁ、熱い料理がないのも当然だ。戦闘中に食べることもあるのに、熱かったら食いにくいじゃないか。
「あ、そうだ――」
温かい食料は無いが、装備ならどうだろう?
アイテムインベントリーから頭用の装備を交換する。
月桂樹の冠が燃えているようなその装備は、だが装備者を傷付けることなく周囲を照らす。
炎が噴出す葉はほんのりと周囲を暖めるが、所持者の俺には全くダメージを与えはしない。
「じゃじゃーん、聖火王の冠~」
「わー、あかるい! かっこいい!」
「これを……こうじゃ!」
噴水の水に向かって手を伸ばす。
聖火王の冠は、火属性の攻撃力と耐性を上昇させると同時に、水属性への耐性が低下する。そして何より……【ファイアボール】のスキルが使用できるようになるのだ。
スキルウィンドウから、聖火王の冠を装備したことで追加されたスキルを起動した。
「【ファイアボール】!」
突き出した腕の先と自分の足元に、円形の魔法陣が展開され、細かな文様が描かれていく。
一秒程度で全ての紋様が完成し、手の平から火の玉が飛び出していった。
「おお!?」
ゲームならともかく、実際に魔法を使うのは初めてのことなので、自分のやらかした事なのに驚愕の声が上がった。
飛び出した火球は水面に着弾。そのまま爆裂し、どばしゃあ! っとばかりに水を巻き上げる。
さらに開放された熱量が一気に水を沸騰させて、室内はサウナの様な湯気に覆われた。
「わあぁぁぁ! すごーい! おねーちゃん、すごい!」
服が乾いてないので、裸のままのアリューシャがピョンピョンと跳ねて、興奮を表す。
しまった、最初からこうしてれば風呂になったのに。
「まぁ、今更か。は、ははは……」
温泉の様になって室温が上がればいいかと思ったのに、サウナになってしまった。
この湿度では濡れた服を乾かすのに時間が掛かりそうだ。
「――あ!」
ふと思いついて、聖火王の冠を外す。
この装備は先も言ったとおり、月桂樹の冠が燃えているエフェクトなのだが、装備者や所持者にダメージを与えない。
だがそれ以外ならどうだろう?
初期に着ていた胴衣の裾を切り取り、冠を床に置いて切れ端を掛けてみる。
すると、布切れは一瞬にして燃え出した。
「おー、もえた」
「うん、これは火種として使えそうだね」
どういう法則で自分にダメージが行かないのかよく判らないけど、これは便利。
ライター代わり……というか、持ち運びできる焚き火みたいな扱いができそうだ。
アイテムインベントリを開いていくつかの鎧を取り出し、そこに服を掛けて冠の傍に寄せる。
これでしばらくすれば服も乾くだろう。
室温も上がって風邪も引きそうにないし、万事問題なし!
「アリューシャ。服が乾いたら、ここから出ようね」
「うん!」
こうして俺は彼女と出会ったのだった。
夕方にもう一度更新します。