第三十七話 アリューシャの戦い
すみません、本来この日は半竜を上げる回りの日だったのですが、書き溜め分を上書きして消去するというアクシデントが発生したため、代わりにこちらを投稿しておきます。
バカはその日もやってきた。いや、カロンの事なんですけどね。
まるでワンコが飼い主にじゃれつくかの様な勢いで、ボクの所に駆け寄ってくる。
「ユミルさん! 聞いてください、僕今日大猪を倒したんですよ!」
「あーそう」
ヒュージボアは三層に出没するモンスターで、頑丈な毛皮と美味しい猪肉が手に入る。
あとは牙が武器の素材になったりするかな?
注意すべきは突進速度だけど、それだって突撃鳥よりも格段に遅いし、殺傷力も低い。
ただし、その大質量攻撃は止めることが非常に難しい。
そして体力もあるので、倒すのに手間が掛かる。
「そこまでー!」
駆け寄ってくるカロンの前に雄々しく立ちはだかったのは、アリューシャだ。
どうやら昨日のお説教が効いているらしい。
「いい? ゆーねには今後いっさい近づけさせません!」
「え? えぇ?」
唐突に目の前に割り込んだ五歳児に、どう対応していいのか判らない表情のカロン。
ムフンと鼻息も荒く、両手を腰に当て、精一杯胸を張って威嚇する幼女の姿に、ボクは思わず背後から抱きしめてしまった。
「ん~、アリューシャは可愛いなぁ」
「はーなーしーてぇ!」
背後から抱きつかれ、激しく頬擦りされて身動きが取れなくなったアリューシャがジタバタと暴れる。
そのまま抱え上げて小屋の中へ足を向けた。
「あ、ボクはこのままアリューシャとキャッキャウフフするので、君は帰っていいですよ?」
「え、ちょ? あれ?」
「だめー、今日はわたしがカロンと『けっちゃく』をつけるのー!」
まるで釣り上げられた魚のごとくピチピチと跳ね回るアリューシャを、仕方無しに解放する。
ああ、あの至福の感触が……
「もう、ゆーねはくーきよんで!」
「あ、『空気を読む』ね? はいはい」
彼女の言葉遣いはまだ舌っ足らずなので、発音が理解しにくい時がある。
ボクの腕の中から飛び降りたアリューシャは、カロンを指差して堂々と宣言してみせた。
「しょーぶよ、カロン! 勝った方がゆーねを自分のモノにできるの!」
「いや、いくら僕でも五歳児相手に……」
「ってか、勝手に人を賞品にしないで!?」
それに、勝負としてはどうだろうか?
アリューシャの身体能力は、全体的に見ると一般成人男性並にあるし、一部能力は人類の限界に迫っている。
彼女の能力でもっとも劣るのはスタミナだ。
だが、それはカロンとて同じ。
実は結構いい勝負……というか、カロンに勝ち目はあるのだろうか?
「ん、ないな。アリューシャの勝ちー」
「えへへー、やったぁ!」
「ちょ、まだ戦ってもいないですよ!?」
小屋の外で大騒ぎしてたものだから、段々観客が集まってきている。
そこにカロンが『戦う』なんて口にしたものだから、その騒ぎは決定的な物となった。
周囲を大勢の人垣で包み、口々に騒動を推測し始める。
「お、決闘騒ぎか?」
「誰と誰が?」
「アリューシャちゃんとカロンだって」
「カロンのヤツも大人気ねぇな」
「いや、アリューシャたんも大概強いでゴザルよ?」
「幼女ハァハァ」
……とりあえず最後の1人は後でヤキ入れておこう。少しキツめに。
それと『たん』付けて呼ぶな。ボクですら呼んだことが無いのに!
いや、一度呼んだことがあるんだけど……『ゆーね、きもちわるい』って言われて以来、使って無いのだ。
「どっち勝つと思う?」
「そりゃ、いくらなんでもカロンだろう?」
「でもアリューシャちゃんは、ユミルちゃんと一緒に八層に出入りしてるそうだぞ?」
「マジか!? それだと判らなくなるな……」
そんな会話が四方を飛び交いだす。
こうなってくると、いつものお祭り騒ぎになるのも時間の問題だ。
「賭けるか?」
「おう、俺アリューシャちゃんに百ギルな」
「じゃあ、俺はカロンに一ギルだ」
「もっと賭けてやれよ!」
「お前、カロンが勝てると思うのか!?」
「…………悪かった」
そんな騒ぎが起こって結局、引くに引けない決闘騒ぎに発展したのであった。
カロンとの模擬戦に発展した決闘騒ぎとはいえ、アリューシャに怪我させてはいけない。
ボクは考えうる限りの防護をアリューシャに施すことにする。
とはいえ、目立つ装備を人目に晒す訳には行かない。それにオートキャストや魔法詠唱装備もだ。
ボクらの使う魔法形態は一般のそれと大きく違う。アリューシャにもその辺の事は噛んで含めるように言い聞かせているので、詠唱装備を用意しないことに関しては納得してもらっている。
「だいじょーぶ、カロンなんかに負けないんだから!」
「アリューシャは姫騎士さんになりそうだね、そのセリフ。ともかく、負けてもいいけど怪我だけはしないでね?」
「ぜったい勝つもん」
そういって彼女の装備を点検する。
いつもの大天使の翼に薔薇模様のローブ。そして攻撃ダメージの五パーセントを反射する付与を行った銀の小盾。
これにいつものスティックを持たせて、装備完了。
ダメージを反射する盾は俗に言う反射オートキャスト狩りという手法で使用するものだ。
反射ダメージで別の装備のオートキャストを発動させ、周囲の敵を薙ぎ払う事ができる。
無限氷穴ダンジョンではあまり使うことは無い装備なのだが、いつもの狩りに持ち歩いていたので、インベントリーに残っていた。
「本当は頭とか靴とか、もっといい装備があればいいんだけど……」
「だいじょーぶだよ。ゆーねはしんぱいしょーなんだから」
その部位の装備でアリューシャに適した物が存在し無いのだ。
もちろん、ゲーム内の倉庫にはいくつか保存してあったけど、今手持ちには存在しない。
「まぁいいや。それからアリューシャ、スティックで突いちゃダメだよ? それ物凄く切れ味が鋭いから、カロンが串刺しになっちゃう」
「うん、わかった。いざという時まで突かない」
「いざという時も突いちゃダメだから!?」
この子、何気にカロンを抹殺する気!?
スティックは刺突用の武器なので、突かない限りはそう大きなダメージを与えることは無い。だが、突くとなると非常に困る事になる。
限界まで精錬してあるこの武器は、この世界の防具なんて紙の様に突き破ってしまうのだ。
アリューシャの筋力程度でも、比喩でもなんでもなく、カロンは串刺しになってしまうだろう。
「それじゃそろそろ行くよ?」
「うん!」
広場にはすでにカロンと観客が、群れを成して集まっていた。
娯楽の少ないこの村で、こういう微笑ましい決闘騒ぎはいい暇つぶしになる。
ましてやそれが、この村唯一のお子様、アリューシャの決闘となれば、それはもういいネタになるという物だ。
「お、来た来たぁ!」
「アリューシャちゃん、かわいー!」
「カロン負けろぉ」
「ユミルちゃんに手出しするお前だけは許せん!」
カロンの装備は手に木製の模擬メイスを持っただけという軽装だった。
そりゃ、まぁ……普通なら五歳児相手に武装するなんて、恥もいい所だろう。ボクだって武装しないはずだ。
だが、アリューシャ相手にその油断は致命傷だ。
彼女の敏捷度は、すでに百メートルを八秒台で走破するまでに高まっている。
「あー、それじゃ両者中央へ」
どこかげんなりした表情で、ヤージュさんが指示を飛ばす。
こういう決闘騒ぎに発展した以上、警邏担当の彼の管轄になる。
取り仕切る義務が発生してしまうのだ。
「何も言う事は無いが、まぁお互い怪我しない程度に頑張ってくれ」
「投げやりですね、ヤージュさん」
「こんな子供のケンカに駆り出される俺の身にもなってくれ」
「ゆーねがだれの物か決める、だいじなけっとうなの! ちゃんとして!」
「……はいはい」
一層肩を落とし、溜息を吐く。
彼としても、警邏の巡回に事務仕事まであるというのに、子供のケンカ……しかも片方は自分のパーティメンバーの決闘に借り出されるわけだから、心中察するに余りある。
勝っても負けても、カロンはヤージュさんに説教されることだろう。
「それでは、カロン対アリューシャ。一本勝負――始め!」
さすがにだらけてばかりはいられないと判断したのか、少しだけ声に張りを戻して、決闘の開始を宣言した。
その声に一気に駆け出したのはアリューシャだ。
まさに目にも止まらぬ速さで間合いを詰め、カロンの右に回りこみつつスティックを一閃する。
これはボクがよくやる、擦れ違い様に斬り捨てる動きだ。
相手の右に回るのは、そちら側に盾が無いから。
通常、剣を持つ右には回りこまない。剣から遠い左に回りこみ、安全を確保しながら攻撃するのが定石なのだが、回避力に自信があるなら逆をつく意味でも効果は大きい。
実際、カロンも不意を突かれ、かろうじて木製のメイスで受け止めることしか出来なかった。
速度と全体重を乗せた斬撃に、メイスが大きく跳ね上げられる。
対するアリューシャも、一撃入れて擦れ違う動きなので、せっかくできた隙を突く事ができずに通り過ぎてしまった。
「むぅ、この一撃を躱すなんて、やるわね!」
「び、ビックリしたぁ……何、今の動き?」
カロンが驚くのも無理は無い、今の速さは五歳児の常識を超えている。
むしろ人類の限界すら超えていると言ってもいい。
これはちょっとやりすぎだ。カロンだけでなく、観客達も言葉を無くしている。
「アリューシャ、大丈夫だから正面に立って斬り結んで!」
フットワークを活かすとなると、その異常性が目に付いてしまう。
ここは足を止めての斬り合いに持ち込んでもらおう。
その分危険は増すが、カロンの武器は木製のメイスだし、アリューシャの今の動きなら、正面に立っても攻撃を受けることはあるまい。
ボクの助言に従い、アリューシャは盾を構えて正面から突撃する。
その盾に撃ち下ろす様にしてメイスを振るカロン。
銀製の小盾はガツンと攻撃を受け止め、そして弾き返す。
その攻撃でアリューシャの突進も止められてしまったけど、反射ダメージにカロンの手も止まっている。
おそらく手が痺れてしまったのだろう。
だが、先に立ち直ったのはカロンの方だった。
これは純粋に体格差の勝利と言える。
痺れた右腕のメイスを左に持ち替え、咄嗟に薙ぎ払いを仕掛ける。
アリューシャはそれを余裕を持って躱す。
体勢が崩されても、回避の動きに淀みは無い。このあたりの体捌きは実戦経験の賜物と言えるだろう。
今度は慣れない逆手で薙ぎ払いを仕掛けたカロンの方が体勢が崩れている。
それを見て、アリューシャは足元への攻撃を仕掛けた。
この攻撃をカロンは避けることができず、足を払われ転倒してしまう。
そしてアリューシャの方もまた、体勢を維持できずにコロンと転がっていた。体重が軽すぎて、切り払いの反動で倒れてしまったのだろう。
それから先はまさに泥仕合と呼ぶにふさわしい物だった。
カロンの攻撃はことごとく避けられ、アリューシャの攻撃は当たるは当たるのだが、急所はさすがに防御されている。それに別の場所に当たっても、体重が軽いため反動で自分も転んでしまう。
まさに両者がコロコロと転げまわる様相を成し、しかもスタミナ切れで両者がふらふらになっていくのだ。
二分も経つ頃には、二人とも立っているだけで限界という状況になっていた。
「あー、この勝負引き分けって事で……」
「ま、まだやれる、もん!」
「僕は、まだ、負けて、ません!」
「お前ら、その有様だと実戦じゃ両方負けだ」
カロンは何度も斬られ、出血で倒れていただろう。
アリューシャだって、これがタフなモンスターならスタミナ負けしている所だ。
ここは両者痛み分けという事にしておくのが、落とし所なのかも知れない。
「そうですね、ボクもこれは引き分けだと思います」
「ゆーね!?」
「アリューシャ、ボクのためにありがとうね。でもこれ以上無理すると、身体壊しちゃうよ」
小さな子供がこれ以上無茶な戦闘を繰り広げるのは、身体にもよくないはずだ。
いい経験にもなった事だろうし、ここらで引かせておくべきだと判断した。
「カロンも。アリューシャみたいに見た目で判断できない子も居るという事は思い知ったな?」
「は、はい……まさか僕と互角だなんて……」
「むしろお前の方が押されていたがな。まぁ、ここは引き分けで納得しておけ」
「――はい」
こうしてアリューシャの初めての決戦は幕を閉じたのだった。
以降、カロンは『五歳児並』とか『幼女に負けた男』と渾名され、引き篭もってしまったのだとか。ざまぁ。