第三十六話 半年経ちました
展開が遅くなっている気がしたので、少し時間を飛ばします。
あれから更に月日は流れた。
六ヶ月が経過し、二次、三次と入植者は増えて、村は急速に拡大していった。
食堂業務はボク達の手を離れ、宿屋を運営する人も来てくれたので、冒険者達の生活は急速に安定して行っている。
現在ボクの店舗では、クッションと燻製肉、それに植物油脂を使った石鹸なんかを商品として取り扱っている。
何でもかんでも手を広げていたあの時より収入的には減っているけど、代わりに迷宮からの産出資源が増えているので、ボクの資産としては以前とトントンのペースで増えて行っている。
冒険者達も一層や二層を安定して突破できるようになっており、現在は三層での採取が主な収入源になっていた。
一部は四層にも足を延ばしているらしいけど、この層は海という天然の要害があるため、攻略はなかなか進んでいないらしい。
そのおかげか、革のベストに木切れを縫いこんだ救命胴衣が、少しずつだが売れ出している。
ボクは組合で塩と魚醤の作成方法を公開しているので、泳げない冒険者達でも、四層に行くだけでそれなりの資源は入手できるらしい。
無駄足にならないようにしておくのは、冒険者のモチベーションを保つ意味でもとても重要だ。
農耕についても大きく進歩が有った。
元来、この地は耕作には向いていないと判断されていた。その理由が雑草の繁茂と、その根の頑丈さである。
一晩で繁茂する雑草。その根は鍬の刃すら阻む。
そのあまりに優良すぎる繁殖環境が、逆に農耕を阻む壁となっていた。
そこでヒルさんは、一計を案じたのだ。
彼は言ってのけた――『土で栽培できないなら、土を使わなければいいのですよ』と。
つまるところ、水耕栽培である。
土の養分を水に溶かすため一度土の中を水にくぐらせ、その水を集めて容器に詰め、苗を育てる。
水耕栽培でよくある問題が根腐れなのだが、たった一晩で繁殖するこの地ではその心配はない。
その代わり物凄い勢いで養分が吸い上げられるため、毎日のように水を換える必要がある。
その手間は確かにあるのだが、この高サイクルな収穫は新たな魅力となった。
その情報が知れ渡るや否や、幾人もの開拓希望者がここを訪れ、この地に根を下ろす事となっている。
「という訳で、最近忙しいんですよ」
「嬉しい悲鳴じゃないですか」
小屋にやってくるなり、開口一番、ヒルさんはそう主張した。
ボクは明日やってくる商人さんに出荷するためのクッション作りに忙しいのだ。
一応来客の礼儀としてお茶は出してあるけど、ここで手を止める訳には行かない。
「あ、こら! アリューシャ、羽毛で遊んじゃいけません」
目を離すとアリューシャは積み上げた羽毛の山の中に潜り込もうとする。
子供ってこういうのは確かに好きそうだけど――今は遊んであげる時間が無いのだ。明日には商人が商品を受け取りに来るのだから。
「ほら、ちゃんと使える羽毛を選別して」
「はぁい。ほら、こっちの山のは使えるよ!」
四角く袋状に縫い合わせ、羽毛が漏れ出ないように、更に端を袋縫いに補強する。
頑丈な皮を縫うのは女性としては大変な作業なんだけど、ボクの筋力はもはや人外の領域まで伸びている。
更に針に向かって【オーラウェポン】を使用してあるので、まさに革を紙の様に縫い進める事ができる。
なんて便利なスキルなんだ……武器種別を問わないスキルはもっと見直されるべきだ。
ちなみにアリューシャは、もちろんこのスキルは使えない。なので袋を縫うのはボクの役目なのだ。
その代わり、彼女は羽毛の選別と袋詰めを担当している。
すぐ飽きて、羽毛に潜り込もうとするので止めるのが大変だけど、手伝おうとする心意気は買うべきだろう。
「一つ聞いていいですか? 収入も安定してきているのに、なぜ内職してるんでしょう?」
「街に引っ越すためですよ。アリューシャを学校に行かせてあげたいし」
「わたし、学校行くの?」
今のアリューシャはボクと同じく、文字は読めるけど書けない。
文明国日本の出身者であるボクとしては、このままではいけないと思う訳ですよ。知識は重要な財産である。
それに人が増えたとはいえ、ここはコミュニティとしては狭い。
そんな場所で小さく育っていくのを、ボクとしては了承できないのだ。
「友達、一杯作れるよ」
「わたしはゆーねがいればいいよ?」
「こ、ここを今離れられるのは困りますっ!」
ヒルさんは悲鳴のような声を上げた。
視線を向けると、絶望に染まる顔が見える。そこまで重要なの、ボク?
専業農家もやってきた。宿屋も出来た。大工さんもいる。塩も果物も木材も冒険者が持って帰れる。
何でも屋のボクの出番なんて、それほど残ってるとは思えないんだけど。
「肉の確保がまだです。現在五層に足を運べるのはあなただけなんですから!」
「あー、そういえば……でも鶏肉や猪肉ならすぐ手に入りますよ?」
チャージバードは一層に出る。たんぱく質の補充は問題ないはずだ。
それに熊肉や猪肉も三層で手に入るし、魚だって四層の海魚は無理でも、三層の川で川魚くらいなら入手可能だ。
「羊肉はともかく、牛肉というのはやはり嗜好品として重要だと思うのですよ」
「モラクスの肉、美味しいですもんね」
「ええ、これは譲れません」
羊肉の代用であるフレイムゴートは、非常にあっさりした風味で脂肪分が少ない。
逆にモラクスの肉は、脂分がまだらに入っていて、とてもジューシーな舌触りをしている。
この肉は燻製にはやや向いていないが、単純にステーキにすると、とても美味しいのだ。まさに蕩ける食感である。
「でも、冒険者達もすぐ到達できるんじゃないですか? ここの迷宮って成長率が他と段違いだって聞きましたよ?」
「それは確かにありますね」
迷宮では戦闘や経験を積んで、ステータスやレベルが上がっていく。
この迷宮は、その上昇率は他と比べ物にならないほど高いらしい。
その分スタートの難易度も半端ないので初心者向けとは行かないが、壁に当たった中級冒険者がその壁を乗り越えるのに丁度いい舞台なのだそうだ。
そう言えばアリューシャもここで超成長している。
ボクはカンストしてしまったため、能力は伸びていないが、彼女はこの六ヶ月でレベルが九十に到達している。
ベヒモス以来無理な戦闘をしていないと言うのに、この上昇率である。
他の冒険者達も、この半年で三から五は上昇しているそうだ。
「高難易度でどうなる事かと思ったのですが……この成長率はまさに脅威ですね」
「みんながボクみたいになる日も近いですね!」
「いや、それはないから」
ヒルさんが一瞬素に戻って否定してくれる。
みんなして人を人外扱いしやがって!
「最近は七層より下にも潜っているんでしょう? どんな様子です?」
「あー、喜んでください。ついに金属を発見しましたよ!」
そう、最近は落ち着いてきたので、七層以下にも足を伸ばしている。
六層までショートカットできるので、すぐ下に何か有益なものが無いか調べてみようと思ったのだ。
結果、七層で金属を発見する事ができた。
具体的に言うと、七層ではブロンズゴーレムとアイアンゴーレム。八層ではクリスタルゴーレムやフロライト(蛍石)ゴーレムが徘徊していたのだ。
数はあまり多くなかったが、破壊したゴーレムの身体を持ち帰る事で、念願の金属を入手する事に成功。
しかも純度が馬鹿げて高いため、かなり良質の工具が作れる様になった。
「鉄が手に入りましたか! それなら鍛冶屋を呼び寄せるのもいいかもしれませんね」
「アルドさんがいるじゃないですか」
「彼はあくまで大工ですよ。最近は酒造もやってますが」
「小屋作りも一段落着いて、最近は村の周りに柵を作ってますけどね」
少し前まで、この村は何の防備もない野晒しの状態だった。
最近人通りも増えてきたので、野盗の存在を懸念し始めたアルドさんは、村の防備を固めに柵作りに着手している。
もちろん、野盗以外にもこの大草原の中央にある水場というのが、大きな意味を持つ。
対極の町への中継点として、そして補給ポイントとして、この村の存在はとても大きな意味がある。
組合の保護がなければ、軍事的な使用価値の高さから制圧されていてもおかしくはないと聞いた時は、背筋が凍ったものだ。
「さらに木材、水、肉の安定供給に加え、銅と鉄、それに水晶に蛍石まで……確保しておいてよかったですね」
「いや、ホントに。アーヴィンさんには感謝してもしきれません」
そのアーヴィンさんは三ヶ月前にタルハンの町へと戻っていった。
交代期限がやってきたのだ。
今は警邏業務はヤージュさんが跡を継いでいる。彼等も三ヶ月の契約を結んでいるので、もうそろそろ交代の時期に来ていることだろう。
アーヴィンさんと別れた時、アリューシャの大泣き具合は凄まじかった。
ボク以外で初めて出会った人たち。
ルディスさんもルイザさんもアリューシャの世話をよく見てくれたし、アリューシャも彼女達に懐いていた。
もう一度この村を訪れると約束してくれたけど、今度会うのはいつになる事やら。
「アーヴィンさん、元気にしてますかねぇ」
「元気だそうですよ。先ほどもタルハンの迷宮に潜って十二層まで到達したんだとか」
「先ほどもって……ああ、伝達魔法ですか」
「はい、こういう時は便利ですね」
この世界、地理的に大きく分断されているだけに、伝達系の魔法はかなり発達している。
情報はまさに命に関わるからだ。
例えば北の地で不作が起こったとしよう。
そうなれば近隣の町から支援を送るにしても、一週間以上は軽く時間が掛かってしまう。
それは、人が餓死するには、充分な期間だ。
そこで開発されたのが伝達魔法【ウィスパー】である。
これを付与した魔道具を持っていれば、すぐにでも情報を送る事ができる。伝令を送り、支援の準備を整え、到着する。その伝令の時間を省く事ができるのだ。
この村にも、組合支部を設置するに当たって、その魔道具は配備されている。
ヒルさんはそれを使って近況を聞きだしたのだろう。
「参考までに、タルハンの迷宮はどれくらいの深さがあるんです?」
「十六層だそうですよ。その半分を踏破したのだから、彼はなかなかに優秀といえますね」
「まぁ、ボクに試合を申し込んできたくらいですし」
あれからも、週に一回は試合を挑んでは全裸にされていた。
しかし、彼の方も進歩が無かった訳ではない。
最後の方では、身体能力を封印してなんていう余裕が無いくらいには、腕を上げていたのだ。
今ではヤージュさんと互角か、下手をすればそれ以上はあるんじゃ無いだろうか?
「ヤージュと互角ですか……彼はタルハンでは十四層まで潜れるトップだったんですけどね。これはカロンもうかうかしてられません」
「そこでカロン君がなぜ出てくるのか判りませんけど……いくらなんでも、あの坊やには負けませんよ?」
「彼も前途多難ですね。まぁ、フラれるのもいい経験になるでしょう」
「きっぱりと迷惑です」
カロンもあれから何度もアタックをかけてきている。
もちろんその度に『アクシデント』が発生するので、毎回蹴りだされる羽目になるけど。
「ゆーね、かわいそうだよ?」
「あのね、ボクにそんなつもりは無いから」
「えー、でも――」
「いい、アリューシャ?」
この子は、今は面白がって囃し立てているけど、その重大な問題点に気付いていない。
ここはキチンと釘を刺しておくべきだろう。
「もしボクがカロンと付き合うとして……」
「うん」
「そうなったらアリューシャはどうなっちゃうのかな?」
「え?」
きょとんとした表情。まるで子猫が驚いたみたいな顔だ。
「いい、万が一……いや、億が一、結婚とかまで漕ぎ付けられたとしたら――アリューシャと一緒に暮らせなくなるんだよ?」
新婚さんと同居なんて、針の筵もいいところだ。いくら幼児といえど居心地がいいはずが無い。
アリューシャもその問題点にようやく気付いたみたい。
「え、やだ――わたしはゆーねといっしょがいい!」
「なら、カロン君には悪いけど、諦めてもらわないとね」
「うん、わたしがカロンをやっつける!」
ガッツポーズでやる気を見せるアリューシャ。いや、そこまでしなくてもいいから。
そんなボク達の姿を見て、ヒルさんは深く深く、溜息を吐いて見せたのだった。