第二十九話 畑を作ろう
早朝恒例のお弁当販売に加え、通常人用に調整した酒は人気商品になった。
女性向けのカクテルも売れ行き好調で、アルドさんへのキャッシュバックもそれなりの額になっている。
そこで、貯まった資金を放出して、待望の『アレ』を作ってもらうことにした。
「そう、お風呂である!」
「いや、そりゃ井戸が出来たんだし、作ってもいいけどよ」
「粘土はまだ余ってるんでしょ? 作ってくださいよぉ」
「つくってぇ」
ボクの横でアリューシャも、ボクのポーズを真似ておねだりしている。
ちなみに両の拳を胸元に引き寄せるぶりっ子ポーズだ。
「とは言っても、こっちも建築に酒造と手を広げ過ぎちまってなぁ。芋も足りなくなってるし」
「あー、それはありますね」
芋の採れる三層には、まだ一般冒険者は到達していない。
あそこまで行けるのは現状ではボク達だけなのだ。
それなのに、五十人分の酒の原料と朝食用の芋饅頭、それに夕食の主食と出番は多い。
アリューシャの成長のためにも、肉と野菜、炭水化物のバランスは非常に重要である。
「まぁ、そこは今日でも対処します」
「お、採りに行ってくれるのか。ありがてぇ」
「問題は人材不足の方ですよね」
村の住人の大半は冒険者だ。
それ以外というと、組合職員が十人ほど、アルドさんの弟子達が五人ほど、それにボクらと数人の商人しかいない。
これでは生活基盤を作るどころではない。
「そっちの方はさすがにヒルの奴もマズイと思ってるのか、あちこちに手を回してるみたいだけどな」
「ここからじゃ、他の都市への連絡も簡単にできませんからね」
何せ片道二週間である。
ボクが全力疾走すれば、片道四時間もあれば走破できる距離ではあるけど、その間アリューシャを一人にしておくのは不安だ。
往復で八時間も彼女が一人で居ることになってしまう。
「とにかく、風呂は今日作りに行ってやるよ。家の裏にでも建てときゃいいか?」
「はい、お願いします」
人材不足はボクではどうにもならないし、ここは任せておくか。
今日は家の裏を草刈りしておいて、新しい作業を始めることにする。
「という訳で今日は農作業だ」
「のーさぎょー?」
「お芋植えようと思う」
「おー」
いちいち三層まで行かないと主食が手に入らないのは、さすがに問題だ。
だがこの草原の特性を考えてみよう。
ここらは草を刈っても一日で生え揃ってしまう程に生育がいい。というより、これは迷宮の復元力が漏れ出しているのかも知れない。
もし、植えた農作物にもその成長力が影響を及ぼすとしたら、あっという間に収穫できる可能性があるのだ。
「まずはこの辺を耕して、芋を植えようと思うんだ。アリューシャは耕している間にお芋を四つに切っておいてくれるかな? 皮は剥かなくていいよ」
「はぁい!」
五歳児に刃物を扱わせるのは本来危ないことなんだけど、ボクには【ヒール】やポーションと言う切り札もある。
目の届く範囲なら、特に問題は無いだろう。
それにアリューシャも、その辺は判っているのか、刃物を扱う際はとても真剣に作業している。
この辺りは、さすが女神様である。でも女神が出てくるゲームって何があったっけかなぁ……?
裏庭の脇の作業台で芋を切り分け始めたアリューシャを見届けてから、ボクも畑を耕しに向かう。
ただし、その前に念のため、ブリューナクをアリューシャのそばに立てかけておく。
すぐに【ヒール】を掛けれるようにする為だ。
刃が当たると危ないので、地面にざっくりと刺し込んで固定しておく。
「もー、ゆーねはしんぱいしょーすぎ」
「いいの、これでボクが安心できるんだから……さて、それじゃこっちも始めるか。【オーラウェポン】!」
このスキルは武器全般に効果がある。
鍬に効果があるか疑問の余地が有ったが、まぁ素手でも使えたんだから、鍬も使えるだろうと思っていた。
案の定、鍬にスキルの効果の乗ったエフェクト光が纏わりついた。
「……【エンチャントブレイド】」
コマンドを唱えてみたが、こちらは起動しなかった。
やはり両手剣専用スキルと言う縛りはきつい。
ただでさえ百にまで強化された筋力は【オーラウェポン】の効果で更に破壊力を増し、やすやすと土を抉り、掘り返していく。
「うりゃあぁぁぁぁぁ!」
どがががが――と土煙を上げながら周辺を一気に掘り返していく。
井戸を掘った時も気付いたが、この近辺の土は色が黒い。黒い土は滋養が豊富だという俗説もあるので、そういう意味でも期待は膨らむ。
アリューシャが三十個の芋を四等分し終わるのとほぼ同時に、耕し終わることが出来た。
時間にして、ほぼ一時間と言うところか。
この種芋に、焼き炭なんかの肥料を付けて植えるのが通常なんだろうけど、この草原においてはそういう心配は要らなさそう。
そのままアリューシャと一緒に百二十個の種芋を植え付けていく。
百二十個の芋をテンポ良く植えて行って、日が傾きだす前に全ての種芋を植えた。
次に植えた場所の周囲に木切れを突き刺して柵を作って、蔦のロープを張り巡らせて行く。
これでここに作物を植えていることは判るだろう。
粘土を固めて出来たバスタブだが、乾燥させるまで時間をおく必要があるとの事なので、今夜のお風呂は噴水までお出かけする事にした。
食堂仕事前に水浴びで畑仕事の汚れを落としてはいるが、炊事をした後は食材の臭いやら薪の煤やら、汗やらでなんやらで、すぐにでも汗を流したくなるのだ。
風呂釜はの方は、乾燥熟成期間が本来の数十分の一の時間で済むので、すでに完成していると言ってもいい。だが、無理に水を入れて乾燥工程が台無しになってしまうのは困る。
そんな訳で今日までは噴水温泉にお出かけする事にした。
「そろそろ石鹸とかシャンプーが欲しいね」
「せっけん、ほしいね!」
「確か苛性ソーダを水に溶かして、天然油脂で固めるんだったかなぁ?」
「そーだ? じゅーす?」
「ダメ、飲んだら死ぬよ?」
「きゃー!?」
苛性ソーダの水酸化ナトリウムは……あ、そういえば。
ふと噴水広場の光景を思い出す。上手く行けば代用できるかな?
「ふむ、ちょっと試してみようか」
「うん?」
噴水広場に到着したボクは、例によって像のアレを切り落とす。
その後台座を使って、六層の噴水に移動して、【ファイアボール】でお風呂を沸かして、アリューシャを入浴させておく。
その間にボクは斬り落とした像のアレをすり潰しに掛かる。
大理石の主成分は炭酸カルシウムだ。これは鍾乳洞なんかで鍾乳石を作り出すことでも有名。
そしてこの成分が固まったものは、水垢とも石鹸とも呼ばれる。つまり、石鹸の材料になる……はず?
砕いてすり潰し、粉末状になった大理石を水に溶かし、牛脂で固めて乾燥させる。植物油が有れば香りのいいものが出来るけど、まだそれは入手していない。
本来の乾燥期間は記憶が定かではないが……確か一ヶ月は掛かったはずだ。さすがにすぐには出来ないだろう。
ただ、硬水だと水に溶けない金属石鹸と呼ばれる水垢の一種になるそうので、水は三層の川の水を使うことにする。
「まぁ、上手く行けばご喝采って奴だね」
「せっけんできた?」
「まだ判らないよ。今日はいつもどおりタオルで洗おう」
「うん、でもゆーねはいつも手で洗ってるよね?」
「う……女の子の肌はビンカンだから、タオルでも刺激が強いって聞いたから」
なんていう言い訳をしているが、実際は自分の身体を弄りたいだけである。
前回の一件以来、性欲の解放は随時行っているのだ。やりすぎると逆効果になってしまうけど。
「わたしもやるー!」
「アリューシャはまだ必要ないよ、うん。丁寧に洗って綺麗にする方が優先」
「えー、わたしもゆーねを洗ってあげるよ?」
「絶対ダメ」
最近気付いたのだが、この身体の感度はとても高い。もちろん感覚的な意味でだが。
その感知能力の高さが、いい意味でも悪い意味でも影響しているのだろう。
口を尖らせるアリューシャを誤魔化す為に、タオルを手に取り背中を洗ってあげる事にする。
そのまま頭も洗ってあげると、すっかり機嫌が戻っていた。
身体を拭いて、焚き火の熱で髪を乾かす。
問題はこの後だ。
ユミルはいつも蜂蜜のような濃い金髪をサイドで纏めているのだが、元男のボクはこの髪を纏めるという作業があまり上手くない。
何度も結んでは解いてを繰り返していると、アリューシャがボクの髪を結んでくれた。
「ゆーねって器用だか不器用だかわからないねー」
「慣れてないんだよ」
「じぶんの髪なのに?」
「うっ、それは……ほら、ボク記憶がないし!」
心苦しいけど、以前吐いたウソを流用して言い訳しよう。
誤魔化すように服を着込み、そそくさと部屋を後にしようとアリューシャをせかす。
もう遅い時間になっているので、早く帰ることにアリューシャも異論は無かったらしい。
着替えを終わらせ、一層の噴水部屋に戻ると、外から悲鳴が聞こえてきた。
「は、早く! こっちだ!」
「この先の部屋が安全地帯になってるはずだ、急げ!」
「グルァウ! ガウギャウ!」
「くそっ、もう来やがった!」
声の様子からかなり切羽詰っている。
どうやらシャドウウルフの群れに追われているらしい。
「アリューシャはここに居て、ボクは様子を見てくる」
「わたしも行く」
「大丈夫だよ、この階層なら。それに怪我してる人も居るかも知れない。ポーションで助けてあげて」
ボクの持ってるポーションの回復量は、この世界の物と回復量の桁が違う。
これも補充の利かない品だけど、人の命には替えられない。
出来るだけ少なくすむといいなぁと、不謹慎な事を考えつつ、扉を押し開いた。
「あ、アリューシャ。聖火王の冠はインベントリーに。ボクも光輪をしまっておくから」
「うん」
明かりが心許ないが、ここは魔剣『紫焔』の薄明かりで……いや、オートキャストが働くとまずいか。
武器はクニツナに変えておく。
明かりはアリューシャに、乾かしたばかりのタオルを燃やして、通路に投げ捨ててもらった。
しばらくして、こちらに駆けてくる人影が見えてきた。
「こっちへ! はやく!」
「すまない、シャドウウルフ五匹だ!」
「松明をボクの足元に。明かりをまだ用意して無いんです」
「判った!」
指示を出していた男性が、擦れ違いざまに松明を落としていく。
続いて三名が転がり込むように部屋に飛び込んでいった。一人は背中から出血していて、意識が無いようだ。
そして彼らを追うようにシャドウウルフがやってきた。
「早くこっちへ! 扉を閉めるぞ」
「必要ないですよ」
この程度の相手がたった五匹なら、立てこもる必要なんてない。
スキルすら必要ないだろう。
狼どもを充分に引き付け、擦れ違い様にクニツナを一閃。
噛み付こうとした口に刃は吸い込まれ――そのまま狼の身体を縦に両断する。
流れる様に剣を翻し、もう一頭へ。さらに身体を反転させ、薙ぎ払う様にまとめて二頭。
ほんの数秒の間にたった一頭になってしまった狼は、状況を理解出来ずに動きを止めてしまった。
時速百キロを超える機動を行うボクに、その隙は致命的過ぎる。
あっさりと首を刎ね飛ばし、戦闘を終了させた。
ボクは刀身に流れる血を一振りして払い、冒険者達の待つ室内へと戻っていった。
水酸化ナトリウムではなく、炭酸カルシウムで代用してみましたが、これでは洗浄力のある石鹸は出来ないと思います。
つまりこれは失敗作ですね。
次の更新は来週中に……そろそろ半竜も再開したいし。