第ニ話 洞窟探検、してみる?
翌朝、幸運にも上空からの襲撃などを受けることなく目を覚ますことが出来た。
俺はやや乾燥してしんなりした草を地上に下ろし、最大の問題に立ち向かう。
――すなわち、尿意。
性別が変わっても人間である以上、訪れる問題である。
しかも水分不足気味だと、余計に尿意を感じやすくなると、何かの書物で読んだ記憶がある。
アイテムインベントリーの機能を活用できたことで当面の食糧危機は回避できたが、水分不足だけはどうしようもない。
インベントリーにあった水物と言えば、加速系ポーション二種各二十本に、属性抵抗力を上昇させるポーション四種各十本のみ。
アイスクリームは水分豊富ではあるが、さすがに当てにするには量が少ない。
アイテムドロップ装備で敵を倒せば入手することも出来るけど……ゲームならともかく、実際に戦うなんてゴメン被りたい。
「とにかく飲めば出るし、食えば出る。自然の摂理だから仕方ない」
ガリガリと装備の片手剣で穴を掘りながら、準備を整える。
まさか剣もスコップ代わりに使われる日が来るとは思わなかっただろうな。
女性は事後拭かないといけないらしいので、昨日の毛布代わりに使った草を準備しておく。
魔導騎士の服は汚れると困るので、昨日の胴衣に着替えてから用を足した。
マントだの前垂れだの色々と装飾が付いていて、汚れそうな気がしたのだ。
幼げな少女の服を自分の手で脱がせるというのは、背徳的な興奮があって……実にいい。
「――ふぅ」
ガサガサした草で後始末をしたので、ちくちくと少し痒い。この辺の草は柔らかい肌には合わない素材のようだ。
もっと柔らかい草を探したいが、それは後回しにしよう。他にも調べないといけない事はたくさんある。今、無駄に体力と時間を消耗する訳には行かない。
痕跡を念入りに埋めなおして消しておく。さすがに放置して平気なほど、図太い神経はしていない。
「さて探索前に……機能の確認が先かな?」
昨日の夜、アイテムインベントリーと装備ウィンドウの使用方法は理解した。
だがそれ以外の機能は精神的疲労で眠り込んでしまったので調べていない。
「まずは、マップ機能――」
ショートカットキーを操作して、マップを呼び出してみる。
すると目の前に半透明の三十センチ四方の窓が開き、周辺マップが表示された。
「おお……でもこれ、常時表示するのは邪魔だな」
目の前だから邪魔になって仕方ない。必要な時に開く仕様になるだろうな。
「それにしても……使えねぇ!」
表示されたマップを見て、絶望の声を上げる。
最大範囲に拡大しても灌木以外表示されない。しかも三つ。
実際に見える潅木の距離から推測するに、このマップの表示範囲はせいぜい五キロ四方という所だろうか?
本来地形を表示する機能があるので、目的地まで迷わず辿り着くのに大きな助力になるが、この状況では何の意味もない。
「地平線の見えるここじゃ、まったく意味が無い機能だなぁ」
続いてパーティウィンドウを開く。もちろんソロプレイ専門の俺にパーティを組んでくれる人などいないので、何も表示されない。悲しい。
そこでタグを切り替えて、フレンドリストを表示する。
ネタキャラだけに、こちらには登録している知人が数人いる。
ミッドガルズ・オンラインは複数のキャラクターを登録できるので、もちろんまともなキャラクターを作った経験もある。そちらの関係で、それなりに親交は広いのだ……が、接続の印が付いている者はやはりいなかった。
さらにクエストウィンドウも開いてみるが、現状受けているクエストは無い。この状況はゲームの新機能という訳でもないようだ。
「そりゃそうか。だってMGOって、いまだにモニター表示ゲームだもんな」
続いてステータスウィンドウとスキルウィンドウ。
こちらはゲームの物とまったく変更が無かった。
「攻撃力や魔法攻撃力、回避力に変更は無し。ステータスの計算式はそのままか。スキルは……使ってみないことには判らないけど、実際に命のやり取りとか遠慮したいな」
魔導騎士のスキルは基本攻撃の物が主軸だ。待機状態の時にHPの回復速度を加速させるスキルもあるが、怪我してない今では意味がない。
後は騎乗用スキルなどもあるが、騎乗する動物も存在しない。
GMコールやウィスパー機能も試してみたが、何も反応はなかった。ログアウトに関しては機能自体が見つける事ができない。
結局機能では現状を打開することも出来ず、午前中を過ごす事となった。
「さて、それじゃ……まずは北側から調べてみるかね?」
洞窟内に水音が聞こえる以上、内部に水場が有る可能性が高い。あまりここから離れて迷子になりたくない。
マップ機能では地形は表示されるが、道や看板、敵の位置は表示されない。川などがあれば表示されるのだが、それはマップに出ていない。という事は近場に水場は無いのだろう。
洞窟内の水場という最終手段を確保しつつ、安全な道を探し出すのが目的だ。
「ついでにスタミナも確認しておくか」
ユミルの耐久値はスタン攻撃に耐えられる程度の物を持たせているが、それが持久力にどれだけ影響しているのかは判らない。
自ら進んで戦闘とかしたい訳じゃないけど、ゲームのキャラっぽい姿で見知らぬ土地に放り出された以上、ゲームっぽい敵に襲われる可能性だってある。
戦闘中にスタミナ配分失敗して、へばったりしたら致命傷になりかねない。
自分の身体能力は早急に把握しておくべきだと思う。
「よし、行くぞ!」
腰まである草を掻き分けながら、俺は北に向かって走り出した。
マップを最大まで縮小し、ぎりぎり岩が残っているのを確認する。これ以上進むとマップから消えてしまうだろう。
ここまで新たに発見できたのは、灌木一本のみ。
北側十キロ範囲には道や川、村などは存在しないという事になる。
「それにしても、凄いな……」
背の高い草を掻き分けながら五キロほど。そんな重労働をこなしながら、まったく疲労を感じていない。
確かにゲームでは、スタミナ的な数値は設定されてなかったけど、これは驚くべき持久力といえるだろう。
これが装備補正値込みで百に調整されたユミルの能力なのか、現地人の能力なのかは判らないけど。
「何よりこの速度だよな。不整地を五キロ走破してこの時間……」
整地なら歩いても1時間程度だろうが、この草と荒れた地形だ。3倍は掛かってもおかしくない。いくら走ったとはいえ――
「多分……まだ五分も経ってないだろ?」
百メートル十秒で走った場合でも時速36キロ。五分で五キロ走った場合は時速六十キロに達する。
しかも俺は、まだ全力で走った訳じゃないのだ。
いくらユミルの敏捷値が限界値に達していると言っても……これはおかしい。
「目測誤ったかな? 実はマップの表示範囲が一キロだったとか?」
それなら五分で一キロ、時速十二キロ相当。不整地ということを計算に入れれば、やや早めと言うことで妥当な範囲かも知れない。
そうなると俺の身長って、実はすっごく低い?
「いやいや、そんな低いとかそういう誤差の範囲じゃないし……とにかく岩まで戻ろう」
結局『疲労するまで走ってみよう』と、東西南と駆け回ってみたが、灌木が数本しか発見することができなかった。
「本格的に何もねーでやんの……」
収穫は何も無かった……訳ではない。
およそ三十分駆け回ってもまったく疲労しないということがわかった。
背中に長大な剣を背負いながらなので、この体のスタミナはかなりのものがあるのだろう。
「うーん……岩がマップの外に出るところまで調べてみるべきだろうか……?」
昼食代わりにインベントリーから取り出した魚を齧りながら思案する。
マップを展開すれば東西南北くらいの判別は付くので、一方向に進むだけならきっと岩を見失うことはないと思う。
問題は、万が一見失ってしまった時のリカバリー手段が存在しない事。
「見失って、水場を失うのは怖いが……どのみち洞窟内には入りたくないし、無いも同然か? そもそも存在するかどうかも未確認だし。いっそ洞窟内も調べてみる……なんて言ってみても、怪しい獣の声が響く洞窟なんて入りたくはないんだよなぁ――ん?」
独り言で不安を紛らわせていたら、何か聞こえた気がした。
「どこから……洞窟か?」
微かに……だが確かに、人の声らしき物が聞こえた。
「……っく……ひっく……ふえぇ」
「誰だ! 誰かいるのかぁ!?」
1日ぶりに聞く人の声に、思わず大声を出してしまった。この穴の中には謎の獣の声がしていたと言うのに。
いや、そんな場所から声が聞こえてくると言う方がおかしい。そもそも幼い子供の声だ。
「……だれかぁ……たす……」
「くそっ、やっぱり中か!」
いや、落ち着け……人の声を真似る猛獣の話とか有るじゃないか。この声で餌……この場合は俺を呼び寄せようとしているのかも知れない。
でも……もし本当に子供の声だったら?
見捨てたと言う事実に、俺は耐えられるのか?
そもそも、ユミルなら――
「そうだ、ユミルなら……こんな時無視したりしない!」
大抵、MMOのアバターに性格なんて設定されていない。ストーリーの設定されている物ならともかく、ミッドガルズ・オンラインはフリーシナリオなゲームだったので、キャラの性格というものは設定されていないのだ。
でも俺は――彼女の性格を想定して楽しんでいた。ロールプレイというやつだ。
ダウングレードされたとはいえ、騎士の最高位職にいるユミルが、子供を見捨てたりとか……そんな性格にした記憶は、ない。
俺は弱気を吹き飛ばすように気合を入れ、背中の大剣を引き抜いて、洞窟の中に足を踏み入れた。
洞窟の中は真っ暗で、明かりがないとホンの少し先も見渡せないほどだった。
ミッドガルズ・オンラインには明かりと言う概念は無かったので、松明やらライトと言う魔法の類はない。ユミルも、もちろん持っていない。
「この剣を選んでて良かったというべきか……」
明かりになる程ではないが、俺が選んだ剣は火属性のオートキャストが発動する物であり、暗闇の中で仄かに光を放っていた。
十メートル以上を照らし出すと言う程ではないが、自分の周囲数メートルを照らす程度の光源にはなっている。
入り口近辺の床は埃が積もっていて、一歩足を進めるごとに舞い上がる。
「これは獣とかここまで来てないという事か……」
埃が積もっていると言うことは、往来が無いという事だ。
光を嫌う夜行性の動物たちなのかもしれない。入り口付近は安全なのか?
それよりも入り口を見て思ったけど、この洞窟、明らかに人の手が入っている。
入り口付近は狭かったが、階段を下りて地下に到達すると、人が五人は並んで歩けるほど道が広くなっている。幅は……五メートルを遥かに超えるか。
そして通路は平坦に均され、壁は垂直に立っている。明らかに手を加えられた物だ。
「やはり人工物か。とにかく、声はもっと奥からだか……声、意外と響くな」
今更だけど、出来るだけ足音と立てないように歩を進める。
しばらく進むと左右に道が分かれている場所に到着した。洞窟、しかも人工的に作られた物なら当然かも知れない。
どっちに進めばいいか判らない。なので俺は控えめに奥に対して呼びかけてみた。
「おーい……どっちだぁ?」
「キュケケケケケ!」
「ひぃ!?」
俺の声に返ってきたのは、怪しい動物の鳴き声だった。
「こっちの道はヤバイ……反対側にしよう。って、マップがあるじゃないか」
キーボードを出して、マップを呼び出す。
すると複雑に入り組んだ道筋が目の前に浮かび上がった。
「おお、やっぱダンジョンマップは出るんだ?」
ミッドガルズ・オンラインのマップは各エリア、各階層ごとに一括表示される仕様だった。
ゲームと違って、外ではエリア単位で表示することは出来ないようだったが、ダンジョンだとエリアの全景が表示されるようだ。
表示されたマップは右に左にと入り組んでいて、結構な広さがあるようだった。
その中で俺は、一つの小部屋に注目する。
進行方向右側に進んだ先にある部屋で、部屋の壁際には半円形の影が見える。
ゲームだと、こういう影は柱だったり池だったりして、何かの進入不可オブジェクトが存在した印だったのだけど……
「どっちにしろ何かあるのは確実かな。行ってみるか」
それに小部屋なので、扉があれば一息つけるかもしれない。
俺は僅かに期待を抱いて、部屋に向かって進むことにした。
今日はここまでです。
続きはまた明日投稿します。