第二十七話 酒宴を開こう
翌朝。
目を覚ますと、目の前に傲然と立ちはだかる幼女がいた。
両の足を肩幅に開き、手を腰に当てて、ボクを見下ろす。
「ゆーね、昨夜はとってもねぐるしかったの」
「えーと、そう?」
「あつくてくるしくて、だから少しだけミルクを口にしたの。これはきっと『うんめー』なのね」
舌っ足らずな口調で、精一杯威厳を込めて、告げる。
そこには女神と言う種族名に恥じぬ威圧感が備わっていた。
「そんな夜なら、こらえられないほどの熱い情熱がほとばしっても、それは仕方ないことよね?」
ポタリ、と頬を流れる汗。同時にボクの下腹の辺りが冷たくなっていく……
「わたしがなにを言いたいかと言うと――」
「つまり……オネショ、したんだ?」
「ごめんなさい」
ボクのお腹はオネショでぐっしょりになっていた。
そんな訳で、小屋の裏手に世界地図の描かれた毛皮のシーツを干す事にする。
ついでに干草マットレスも交換時期だろう。これも入れ替える事にした。
「おはよーございまーす、あれ、今日は朝から何してるんです?」
そこへ早朝のお弁当販売のお手伝いさんがやってきた。
ボクが朝から行動できると素材の収集率が段違いなので、組合の人が特別に雇ってくれたのだ。
二十歳前の可愛い感じの人で、赤毛にそばかすが子供っぽさを演出している。
「なんにもしてないの。ちょっとお布団干してるだけなの!」
「いやぁ、アリューシャがオネショしちゃって」
「ゆーね、ばらすなんてヒドイ!」
あっさり醜態を開示したボクのお腹に、アリューシャが全力パンチを叩き込んでくる。
その打撃音がドスン、ズバンと、幼女が出していい音を遥かに超えていた。
まぁ、彼女の筋力は一般成人より少し低い程度なので、ボクにはほとんどダメージないけど、痛いことは痛い。
「ちょっ、アリューシャさん! あなたの腹パンは子供の域を超えてるから、手加減してください」
「ゆーねがわるいのー!」
「ごめんごめん! わるかったから」
「あーはいはい、今日も仲いいですねー」
昨夜のうちに仕込んでおいた三色芋饅頭に木箱から取り出し――た振りをしてインベントリーから取り出す。
いくら葉っぱで包んで保湿していると言っても、一晩置いたら乾燥して美味しさが逃げてしまう。
なので前日に大量に作っておき、インベントリーにしまいこんでおくのだ。
お手伝いさんには知られたくないので、大きめの木箱を利用してこっそりと取り出す振りをして誤魔化している。
「いつも思うんですけど、よく一晩もちますねぇ」
「潤い保湿成分がたっぷりな葉っぱで包んでますので」
「うる? え?」
「気にしないで。それじゃ後はお願いしますね。ボクはアルドさんに粘土の採取をお願いされてるので」
「はい、では売り上げは組合に預けておきますので」
ボクらの小屋には地下室や隠し部屋なんかを増設していて、色々な素材を放置してある。
いくら鍵を付けたとはいえ、所詮木製。しかも主不在。いくらでも盗難に入ることが出来てしまうのだ。
そこで組合の倉庫を借りて、高価な素材や装備を預けることにしている。
組合の倉庫はプライバシーの厳守が為されているので、何を預けているのかは組合員すら知らない。
そしてそれらの担当者を、支部長が直轄で指揮している。
だから安心して預けることが出来るのだ。
お手伝いさんがお弁当販売をやってくれている間に、ボク達は洗顔朝食を済ませ、装備を整えて迷宮に向かう。
アリューシャはいつもの天使羽で、道行く人もほんわかした表情を向けてくれる。
迷宮に入ると、獣脂を染み込ませた縄で作った松明に火をつけ、アリューシャに持たせる。
ボクは背にクニツナを背負っておく。
いつもの光源を利用しないのは、人が増えてきたので珍しい装備を見せたくないからだ。
幸いアリューシャもアイテムインベントリーを使用できる様になったので、装備の組み換えは戦闘に入ってからでもすぐに出来る。
そもそも第一層ではアリューシャのサポートは必要ないけど。
「んぅ? ゆーね、今日はこっちじゃないの?」
「うん、噴水の部屋に寄っていくよ」
「わかったー、今日も切るんだね?」
「……まぁ、切るけどね」
あの教育によろしくない部位を切り落とす作業は、寄るたびに繰り返している。
その見事な切断面と惨状に、男性冒険者は前屈みになりながら部屋を立ち去るとか……
だが残念、今日の目的はそれじゃない。
おなじみの噴水の小部屋に到着すると、中央に有る台座の上に上る。
アリューシャはさすがに嫌そうな顔をしていたけど、ここは我慢してもらおう。
閉じ込められていたんだから気持ちは判るけど、今は必要な事なのだ。
「それじゃ行くよ? 『転送、六層』」
「わわっ!?」
ボクが指定を出した途端、台座が光を放ち、周囲の景色が変わる。
そこは人通りが多く、生活感の有った一層の台座ではなく、ボク達以外訪れたことの無い、さびしい部屋だった。
「ゆーね、ここ六層?」
「うん、あの台座って転送装置も兼ねてたんだね」
もちろんボクが自力で発見したわけじゃない。
これは台座を持ち帰れないか試した時に、気付いた事だった。
つまり……ヘルプ機能である。
ミッドガルズ・オンラインでは全てのアイテムにイラストと説明文が追記されている。
そこで、台座のアイテム説明を表示させてみたら、転移装置と言う文字が記載されていたのだ。
この階層はベヒモス以外のモンスターは存在せず、そしてボクらは一度ベヒモスを討伐しているが故に、再び襲われる事はない。
つまりここは、ボク達にとっては完全なセーフティゾーンになっているのだ。
「という訳で、敵が来ないから存分に粘土を回収していくよ!」
「おー!」
アリューシャと二人で粘土を持てるだけ持ち出した。
ついでに床に使われている石畳も剥ぎ取っていく。これも何かに使えるかも知れない。
四層の海エリアでも岩はあるのだけど、ここのだと平らに加工する必要がないのだ。
お昼まで粘土収集に時間をかけて、汚れた身体は東の泉で洗う。
さっぱりしたところでお弁当の芋饅頭を食べながら、ふと思い出した。
「あ、そう言えば、もうお芋無いね」
「おべんとー、よく売れるもの」
「うーん、補充していきたいけど、タロ芋があるのは三層かぁ……丁度中間点なんだよねぇ」
「めんどくさいのー」
芋のある森林エリアは三層。つまりここから上がっても、一層から降りてもほぼ同じ距離がある。
ある意味、この迷宮で最も遠い位置に存在するとも言えるのだ。
「いっそ芋の栽培とか……できるのかなぁ?」
「ゆーね、おいも、そだてるの?」
「うん、試してみようかなぁって」
あれだけの草原地帯なのだ。土地が枯れているという事はまず無いだろう。
上手く芋を栽培できれば、食糧事情も大きく改善するはず。
「それに……ちょっと興味があってね」
「んぅ?」
芋の栽培だけではない。
この土地特有の奇妙な性質を利用できれば、凄まじい収益を上げる事ができるかも知れない。
そんな皮算用をして、ニヤニヤしながら地上に戻ることにしたのだ。
夜、アルドさんの呼びかけで食堂に冒険者達が集められた。
アリューシャはすっかりおやすみモードで、毛布を蹴って寝入っている。
ついでにお腹も出していた。明日の毛布の安全も、かなり危うい。
「おう、お嬢もきたか」
「来たかって、呼びつけたのはアルドさんじゃないですか」
「がはは、まぁな! さて、それじゃ本題に入るぞ」
そういってアルドさんは指を鳴らす。
すると、お弟子さん達が大きな樽を持って、食堂に入ってきたのだ。
「まさか……」
「おう、ドワーフ伝統の芋酒じゃ!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉ!?」
アルドさんの言葉に、食堂を揺るがす程の歓声が起きた。
それはそうだ。
この地において酒は貴重品である。他都市との貿易でしか手に入らないため、量も少なく、そして高額だ。
それがこの地で地酒を作れるとなると……この意義は大きい。
「それにしても、もうですか? 依頼したのは昨日ですよ」
「お嬢も今日粘土を取ってきてくれたろう? 仕事が速いのはお互い様じゃよ」
本来、酒というのは一日で作れるものじゃない。
アルコールと言うのは発酵の作用によって生み出されるだけに、それ相応の時間が必要になるのだ。
だが、この世界は錬金術や鍛冶術に分類される行為の場合、過程をすっ飛ばすことが出来る。
水と糖と菌からアルコールを作り出す。これは一種の錬金術といえる。
だから料理として分別されず、錬金効果が発揮されたのかも知れない。
「一日で酒が造れるって言うのはありがたいですね。娯楽的な意味でも、医学的な意味でも」
ヒルさんも満足そうに頷いている。
酒が飲めるというのはストレスの解消にもなるし、強いアルコールは消毒にも役に立つ。
【ヒール】と言う魔術が存在するこの世界でも、殺菌の重要性は変わらない。
皆が早速木彫りのカップを手に取り、樽の中から直接掬い取っていく。
全員に酒が行き渡った所で、アルドさんは音頭を取った。
「迷宮に!」
「おう、ユミルの迷宮に乾杯だ!」
「その名前、やめてもらえませんかねぇ!?」
ボクは悲鳴のような声を上げた。迷宮に自分の名前が付いてるとか、こっ恥ずかしくて仕方がない。
それどころか、迷宮によって町が成立した場合、その町には迷宮の……すなわち発見者の名前が付けられるのが慣習だそうだ。
つまりここに町が出来ると、その町の名は『ユミル』と言う名が付く事になる。
「って、誰も聞いてないし」
周囲はすでに、酒を勢いよく流し込んでいるダメな大人たちで一杯だった。
仕方ないので自分も手にした酒を口に付ける。
カップが大きいので持ちづらく、両手で支える必要があるというのは、どうにも……可愛いからいいか。自分で言うのもなんだけど。
「あ、おいしい……」
ドワーフ謹製だけあって、酒は複雑な風味を持ちながら、しっかりと芋の味を残している。
それが土臭いともいえる素朴な味わいを演出し、きついアルコールが後味を吹き飛ばしていく。
「きつめだけど、口当たりはいいですね」
「当然じゃろ。ドワーフの酒が不味くてどうする!」
背後にやってきたアルドさんは両手にカップを抱えて、交互に口に運んでいる。
その飲み方は心底ダメな大人の見本のようだ。
「でも酒ばかりだと、さすがにつらいです」
「なら、あてを作ってくれんか?」
「……まぁいいですけどね」
たった一杯で酔いが回ったのか、少し足元がフワフワしている。
それでも思考には狂いが無いので、そのまま小屋に戻って地下室から、肉や果物、野草類を取り出して袋に詰め、食堂に戻った。
そこはすでに……戦場だった。
口当たりの良さ故に際限なく喉に流し込み、結果として一気に酔いが回ってしまったのだろう。
飲み比べを始める者、歌い出す物、踊りだす者、脱ぎだす馬鹿。
何も口に入れずに酒ばかりを流し込めば、そりゃこうなるだろう。
ボクは急いで肉を焼き、野草を添え、果物を切って配って回る。
芋の風味に果物の甘みがよく合う酒だと、この時に気付いた。今度果物を漬け込んだ酒にも挑戦してみよう。
料理酒に使うのもいいかも知れない。
いつも塩と魚醤で肉を焼いているが、今回は芋酒でフランベして芋の風味を足してみた。
ちょっと切り取って試食してみたら、アルコールの効果か肉が柔らかく感じ、芋の甘みが足されたようで、これはなかなかに美味い。
料理のバリエーションが増えそうだ。
「お嬢、あてはまだか!」
「はいはい、今作りますよー」
その夜のサバトは明け方まで続いたという……