番外編 第十三話 幻の戦艦
ウェリントン伯爵は密偵からの報告を聞き、即座に荷物をまとめ、王都キルマルから飛び出していた。
彼のもとに届けられた報告では、組合保守派たちが集まる会合で『謎の爆発事故』が発生し、参加していた貴族たちがすべて爆殺されたというのだ。
これが事故であろうはずがない。その日の会合はケンネル海運やキーヤン酒造、ユミル市長の暗殺の報告を聞くためのモノだった。
これが意図的に起こされた事故なら、実行者が参加していなかった者たちを見逃すはずがない。
現にもう一人の不参加者だったマイルズ子爵は、すでに連絡が取れなくなっていた。
次に狙われるのは、間違いなく自分。そう確信したウェリントンは、暗殺の魔手から逃れるべく、南へと逃亡していた。
南部のドルーズ共和国は、ケンネル帝国の侵略に遭い、復興途上。その混乱の最中では、組合の目も完全とは言い難い。
この大陸の中で北の聖域をのぞき、唯一組合の目が届かない場所とも言える。
こればかりは、一介の暗殺者であるセラでも知らない事実だった。
「まさか敵がこうも早く手を打って来るとは……」
豪華な馬車に揺られながら、ウェリントンは親指の爪を噛む。これは彼が苛立った時に行う癖だが、馬車内には他に人がいないので、見咎められることもない。
馬車の周囲には護衛の騎士が六騎付き従っていた。
馬車馬も騎馬も、全速力で走らせているため、おそらく南のタルハンに辿り着く頃には使い物にならなくなっているだろう。
それでも敵の動きの速さを見るに、遅すぎるということはない。
馬の体力を惜しんで敵に追いつかれ、命を落とすなど、本末転倒極まっている。
「ええい、もっと速度は出んのか! タルハンはレグルの支配地、できるだけ早く通り過ぎろ!」
「ハッ、申し訳ありません! ですがこれ以上の速度では、タルハンにすら辿り着けませんので」
「わかっている。街に着けば馬を買い替えればよい。できるだけ飛ばせ」
「ハッ!」
ひょうたん状の領地を持つキルミーラ王国では、南に亡命しようとするなら、まずタルハンを通らねばならない。
もちろん草原を抜ける手もあるが、車輪を持つ馬車で草原を踏破するのはかなり難しい。
長く頑丈な草が車輪や車軸に絡み、馬車が使い物にならなくなるのは、この世界の者なら周知の事実であった。
整備された街道といえど、これほどの速度で疾走すれば揺れは相当なものになる。
それは騎乗している御者はもちろん、ウェリントンの体力も大きく削ぎ落としていく。
不自由な夜営を強いられて一泊し、翌朝になってまた馬車を走らせる。
この頃になると、馬も口元から泡を噴き出し、限界が目に見えてきていた。
「クソッ、もう馬が……」
「ええい、どうにかしろ!」
御者の悲痛な声を聴き、馬車の窓を引き開け怒鳴りつける。
そもそも彼が豪華な装飾の施された馬車に乗っているからこそ、馬の負担が増えているというのに。
「ハッ、しかし……!」
御者はウェリントンの声に答えようとしたところで、急遽馬車を止めた。
その動きを一瞬敵襲かと身構えたウェリントンだが、実際は馬が限界を迎えた影響のようだ。
止めた直後、二頭立ての馬車馬の片方が横倒しに倒れ、泡を吹いて痙攣し始める。
もし走ったまま倒れていたら、馬車は馬の上に乗り上げ、車輪か車軸を傷めていたかもしれない。
下手をしたら、横転していた可能性もある。これは御者の的確な判断に命を救われたと言える。
しかし、ウェリントンはそんな事情は頓着しなかった。
「くっ、ここまでか」
「なんだと!? どうにかせんか!」
「しかしこの馬はもう使い物になりません。代わりの馬を用意せねば」
「ええい、役立たずのクズ馬め! そうだ、貴様の馬を代わりに繋げ!」
「ハ? いや、しかしそれでは護衛が……」
突然、ウェリントンは護衛の騎士に馬を譲れと迫り、その騎士は困惑を隠せないでいた。
ここはまだ街道の途中。タルハンの街までは徒歩では数日もかかる。
馬に積んでいる夜営道具なども背負って歩かねばならないため、かなりの苦行を強いられることになるだろう。
誰しも望んでそんな強行軍を送りたいわけではない。ましてや自分のせいではない理由で。
しかし彼も、伯爵家に仕えてきた血筋であるため、この命令を断ることはできなかった。
不承不承という態で、馬を馬車に繋ぎ替え、徒歩の身となる。
もう一頭もすでに限界に達していたため、もう一人の騎士も、馬を降ろされる羽目になっていた。
馬車を引く馬に比べ、人と夜営道具を乗せただけの騎馬の方がまだ疲労が軽かったので、余力があるらしい。
「よし、これでしばらくは持つな。急げ、余計な時間を食ったぞ」
「は、はい!」
ウェリントンの声を受け、御者は再び馬に鞭を入れる。
騎士二人を残し、馬車は再び疾走を始めた。
人数を二人減らし、四騎の騎士を従えて馬車はタルハンに辿り着く。
そこで金貨をばらまくようにして支払いを済ませて馬を替え、一泊することなく再び街を出た。
タルハンの街は彼らと対立するレグルの本拠地であり、ユミルの別邸も存在する。
ここに長居することは、致命傷になり兼ねなかったからである。
それから二日。馬と騎士を使い捨てるようにして、ウェリントンは南へと駆け続けた。
すでに護衛の騎士の姿は無い。彼らは馬を奪ったためついてくることができなくなり、徒歩でタルハンの街に戻る羽目になっている。
「犠牲は大きかったが、どうにかモリアスに辿り着くことができたか?」
「はい。この調子なら、明日の朝には到着するかと」
「騎士たちの無念に答えるためにも、必ず再起せねばならんな」
すでに予備の馬を使い尽くしていたが、どうにか南の都市モリアスに辿り着けそうな気配だった。
それを察しウェリントンは失った部下に悲嘆にくれたような声を上げたが、これは単に自分に酔っているだけである。
御者も、部下の馬を奪った時の彼の狂態は目撃していたので、その本性はすでに知っていた。
モリアスは南の大都市であり、レグルともパイプを持つ貴族リビ=エルデンが支配する街でもある。
本来なら敵陣営とも言える街だが、同時に戦乱で多数の難民を受け入れ、その混乱は今なお残っている街でもあった。
その混乱に紛れれば、タルハンよりは安全を確保できるだろう。
ここで再び馬を替え、街を出ればその先はドルーズ共和国。組合の監視は極端に弱くなる。
もはや逃げ切ったも同然と安心し、今度は馬の体力を残すために速度を落として走らせていた。
「まったく、余計な手出しをするからこういうことになる……」
自分も暗殺に賛成しておきながら、まるで人ごとのように悪態をつくウェリントン。
御者もそれを認識してはいたが、保身のため特に言葉を返さない。
彼としてもすでにウェリントンは切り時と感じていた。金を持って逃げだしてはいるが、彼が復権する可能性はほとんどない。
ドルーズ領内に入って一息吐いたら、暇乞いするつもりだった。
「あれは……なんだ?」
しかしそれはあくまで彼の願望である。現実はそれほど甘くなかった。
沖合に浮かぶ黒い染みを御者の男は発見し、思わず声を漏らす。
その声に釣られるようにウェリントンも窓を開け、海を覗いた。
周囲は崖沿いの街道。道の左側は海に面しており、左側は切り立った崖が塞いでいる。
タルハンから南に抜ける数少ない難所である。
その街道に面した海上に、巨大な浮遊物が存在していた。
鉄の塊、いや海に浮かぶ鉄の城のごとき威容。
岸壁から数百メートルも離れているというのに、その巨大さは手に取るように理解できる。
そんな巨船を持つ者は、この世界では一人しか存在しない。
「まさか――タモンか!」
暗殺者をけしかけた相手はユミルとキーヤンだけではない。
その存在を知られてはいなかったが、ユミルが魚雷を持っていたということはタモンにも伝わっていたということでもある。
ならばこの報復劇に参加していないはずがない。特にタモンは組合保守派への恨みが深い。
この岸壁の街道は、タモンにとって絶好の襲撃場所でもあった。
「と、飛ばせ! 死ぬ気で馬車を飛ばせ!」
「は、はい!」
タモンの攻撃能力は、組合員ならば嫌というほど知れ渡っている。
地形すら変え得る攻撃は、この世界では成しえないほどの破壊力を持っていた。
ましてや、あの海に浮かぶ巨城は、それまで見たどの船よりも巨大だった。
「紀伊。主砲斉射用意」
艦橋に座るタモンが厳かに告げる。
戦艦紀伊。大和を超える船をというコンセプトで設計され、完成に至らなかった幻の超弩級戦艦。資料すら残されていない、まさに空想上の産物である。
ゲームだからこそ存在を許された、タモンの切り札でもあった。
もしタルハン沖海戦にこの船を使っていたなら、ユミルとてタダでは済まなかっただろう。
しかしこの船にも、もちろん欠点はある。
それは絶叫したくなるほどの燃費の悪さだ。組合から搾り上げられ、資源の調達に四苦八苦していた当時では、到底運用できなかった船である。
「標的、街道上の馬車。この至近距離だ、外すなよ」
「もちろんです、提督」
タモンの声に女性の声が答える。しかしその姿は存在しない。声の主が、この戦艦そのものだからだ。
巨砲が旋回し、岸壁を捉える。多少馬車が速度を上げたとて、誤差の範囲内。逃げ延びようはずもない。
「――撃て」
タモンの声に応えて、船の主砲である五十一センチ砲が一斉に火を噴いた。
鼓膜を破らんばかりの轟音が響き、船体が大きく傾ぐ。高すぎる威力の反動に、船体が横転しかけそうになっていた。
そして船体が持ち直したころには、砲弾はすでに岸壁に突き刺さっていた。
桁外れの大質量攻撃と爆発が巻き起こる。もちろんその近辺には、ウェリントンの馬車も存在していた。
「ぬおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっ!?」
「ひ、ひいぃあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
直撃こそしなかったものの、至近弾の余波を受けて悲鳴を上げるウェリントンと御者。
距離からすると、豆粒にも等しい大きさの馬車に、直撃弾が当たるわけがない。
しかし至近弾だけでも余波で地形が変わり、押し寄せる土砂の波に馬車が飲み込まれていく。
ウェリントンも御者も、それを躱す手段など存在しない。
しかも撃ち込まれた砲弾は一発ではない。三連装五十一センチ砲三基。計九発が雨あられと降り注いだのだ。
人も馬も、無事で済むはずがない。しかも――
「第二射、用意。撃て」
タモンは容赦なく追撃を指示する。
再び砲弾は放たれ、目標地点を木端微塵に磨り潰していく。
その後もう一度斉射し、合計三度の斉射で岸壁は完全にその形を変えていた。
完全に岸壁は消え去り、粉々に粉砕された岩が土砂となって堆積している。
もちろんそこに存在した馬車は、跡形もない。
たとえ直撃を逃れていたとしても、着弾の衝撃波と押し寄せる土砂によって、完膚なきまでに磨り潰され、血の染み一つ残っていないだろう。
「ふん、この期に及んでまだちょっかいを出してくるとはね。組合の膿はそう簡単に出し切れんというところかな?」
ゴミを見るような目でぐずぐずに破壊された崖を眺め、吐き捨てるように感想を述べる。
その目にはかつてタルハンに侵攻してきたときと同じ、暗い光が残っていた。
ウェリントンがユミルたちを恨んでいたのと同じように、彼もまた、組合への恨みを解消できないままでいたのだから。
「帰投する。後はユミルに任せよう」
そう宣言すると紀伊はゆっくりとした速度で回頭を始める。
こうしてユミル暗殺騒動は、首謀者を徹底的に排除されて終結したのだった。
次の14話で番外編は終わる予定です。
書籍の方でも書き下ろし短編を2編追加していますので、よろしかったらそちらもお楽しみください。