番外編 第十一話 実力行使
「やるしかないわ……もはや、自分の手で!」
その日の夜、自室に戻ってから、セラは真剣な表情でそう決心していた。
ユミルの強さを目の当たりにし、半ば放心状態で戻ってきたものの、逃げ場など彼女にあろうはずがない。
この大陸において、冒険者組合の目は全土に広がっている。それはタモンが勢力を伸ばす西方でも変わらない。
少なくとも誰か一人は手にかけねば、依頼人は納得しないだろう。
そしてその先にあるのは、狙う側から狙われる側になるセラ本人の姿だ。
自分が狙われる側になった場合、どう考えても生き延びられるとは思えない。
「問題は手段よね。落下しても死なない、毒でも死なない。どうやったらダメージを負わせられるのか?」
ただ一つ救いがあるとすれば、それは彼女がユミルの落下をきちんと目視してはいないこと。
つまり、何らかの落下対策が取られていたと考えられることだ。
「そもそもあんな遊びするのに、落下対策をしてないはずがないのよね。なら実際はダメージが通るかもしれない」
それとダメージの質。落下による面のダメージではなく、一点を突破する点のダメージなら、あの鉄の防御を貫けるかもしれないと考えていた。
「念のため、一点集中の武器……となると、槍か?」
軽装で速度重視の彼女としては、槍はあまり好みの武器ではない。武装としても大きく、目立ってしまう。
彼女の好みは、袖口に隠せるような小さな武器で、敵の急所を抉るような戦闘方法だ。
「私は持ってない……そういえば、この街にも店ってあったわよね?」
ここ十数年で一気に成長してきたユミル市は、不足する品も多い。
移住者に対し、流通が追い付いていない状況だ。だからと言って貧乏な街ではない。単純に品が不足しているだけの状態。
普通なら貨幣の価値が暴落しかねないのに、かろうじて持ちこたえているのは、やはり迷宮の恩恵があるからだった。
「しかたない。好みじゃないけど、もう選り好みしている余裕はないし、調達してみるか」
そういうと彼女は、この街にある老舗のよろず屋に、足を向けたのだった。
その店は、非常にみすぼらしく、しかしやたらと頑丈な店だった。
柱などは丸太を直接大地に打ち込んだ物を使っており、他の建物よりも頑健そうに見える。
「すみませーん」
ギィギィと音を立てる扉を開くと、薄暗い店内には様々な品が乱雑に積まれているのが目に入ってきた。
毛皮のクッションや、浮き輪、水着、中には土産物の木刀なんてものもある。
これだけの品数なのに、埃一つ積もっているように見えないのは、店のカウンターに鎮座するスライムの仕事か?
このユミル市における最大の特徴が、やたらと人懐っこく、知性も高いスライムの存在である。
本来ならば知性もなく、獲物を捕食するしか能のない存在のはずである。
しかしこの街に住むスライムは、人を襲わず、意思疎通でき、茶目っ気すら発揮してみせる。
現に目の前のスライムも、セラが入店した途端、手元の紐を引っ張って、どこかへ合図を送っていた。
「はーい、いらっしゃい。あ、セラさんだ!」
店の奥から顔を出したのは、ユミルといつも一緒に居るアリューシャと呼ばれていた少女だった。
いや、少女と呼んでいいのかわからない。彼女の股間には『ついている』らしいのだから。
「えっと……あ、そうだ。今日は槍を見に来たんだけど、置いてるかしら?」
「槍? あー、ここの迷宮、短剣だけじゃ厳しいもんねー」
いつも腰に短剣しか差していないセラを見て、アリューシャは気楽に答えた。
突然の標的のそばの人物との遭遇に一瞬困惑を隠せなかったが、別にここにアリューシャがいても問題ないと思い直し、目的の品を注文してみる。
それを聞き、アリューシャは木刀のあったあたりをゴソゴソと漁り始めた。
「あの、その木刀って……」
「これ? ここって刃物の効きにくい敵も多いからねー。そういうの対策に便利なんだよ?」
「オモチャの木刀なのに?」
セラにとって、木刀は模擬専用のオモチャ程度の認識しかなかった。
しかもここの木刀は刀身が細く、到底鈍器として使えるようには見えない。
しかしアリューシャは、そんなセラの意見を軽く笑い飛ばす。ニパッという擬音が聞こえてきそうなくらい、屈託のない無邪気な笑顔。
彼女の保護者をこれから手を掛けようとするセラは、その笑顔に罪悪感を覚えずにはいられない。
「あはは、これってオモチャに見えるけど、この街では立派な武器なんだよ。なにせ世界樹の枝を削りだしたモノだしぃ」
「えっ、予想外に貴重品!?」
世界樹はこの街のそばにそそり立つ、巨大な樹木のことである。
迷宮から持ち出される品とは別の、この街のもう一つの特産品でもあった。
この木から採れる世界樹の実と種は、貴重な回復剤の材料になる。
しかしその樹木本体は非常に硬く、枝一本へし折ることすらできなかった……はずだ。
「それなのに、なぜその木の木刀が、こんなに存在するの?」
「まあ、ユミル姉のやることに常識なんて当てはめてたら、発狂するよ?」
「いや、そういう問題じゃ……」
言葉をなくし、何気なく視線をその他の品に流していく。
そこには毛皮の柔らかそうなクッションや、無造作に瓶に詰められた謎の薬などが積み上げられている。
「ひょっとして、あっちのアレも?」
「それはシャドウウルフの毛皮とチャージバードの羽毛で作ったクッション。そっちのは世界樹の実で作った回復剤」
「ひと財産じゃない!?」
シャドウウルフもチャージバードも、危険度の高いモンスターだ。それを素材にした品も、相応に高額で取引されている。
世界樹の実で作った回復剤など、家が買える価格で取り引きされる高級品である。
それが山のように積まれているのだから、信じられない。この山一つで、セラの人生の収入を何倍も越える。
「あったあった。これ、世界樹の竹槍」
「待って、いろいろ待って。なんかツッコミどころが多すぎて追いつかない」
「あっ、違うか。世界樹の槍だった」
頭痛が抑えられず思わず頭を押さえるセラ。そんな貴重品が乱雑に積まれていることが信じられなかった。
しかもその価格はそこいらの鉄槍と大して変わらない価格で投げ売られていた。
これを聞き、セラは今度こそその場にへたり込んだのだった。
翌日もユミルは迷宮の中に潜っていた。
その後ろに、セラもついていく。むろんその存在はユミルには気付かれていない……と彼女は思っていた。
「今日もついてきているねぇ」
「セラさん、実はユミル姉に一目惚れとか?」
「それは丁重にお断りしないとね。ボクはもうお相手がいるし」
「それってわたしのこと? わたしのこと?」
「言わせるなよー」
アリューシャの前を行くユミルは恥ずかし気に後頭部を掻いてごまかしている。こういう姿を見ると、本当にそこいらの娘にしか見えない。
この少女が炎の弾を雨のように降らすのかと思うと、目の前が暗くなり、正気を手放したくなるセラである。
しかし、この日に限っては、その誘惑に囚われるわけにはいかない。
その後、第二層で幾度かの戦闘を終え、ユミルが休息のために一つの小部屋に入った。
無論そこにもモンスターは存在したが、瞬く間にこれを一掃する。
そして部屋の中でアリューシャが休息の準備を取っている最中、ユミルが入口の方を振り返った。
「そこの人も一緒に休む?」
「うぇっ!?」
「ボクの感知力は高いからね。後をつけてきているのは気付いてたよ」
さして自慢する風でもなく、まるで当たり前のことのようにユミルが述べる。
だがセラとて、伊達に暗殺を生業にしているわけではない。隠密に関しては、通常以上に自信を持っていた。
それをあっさりと見抜いておいて、この言い草である。
これにはむしろ、誇りを傷付けられた気分になっていた。
「言ってくれるじゃない。なら、私がなぜついてきているか、もう理解しているのね?」
「うん。悪いけどセラさんの期待には答えられない」
「それでも、私は貴方を倒さなきゃいけないの!」
「え、倒す?」
「え?」
すっかりセラが自分のストーカーになっていると勘違いしていたユミルは、この発言に大きく首を傾げた。
そしてユミルに自分の意図が読み取られていると勘違いしていたセラも、首を傾げる。
しばしの間、沈黙がその場を支配していた。
「と、とにかく! 私は貴方の暗殺を依頼されたのよ。だから覚悟して!」
「真正面から襲いに来る暗殺者って、初めて見た」
「しょうがないじゃない、あなた毒を盛っても死なないんだもの!」
「毒?」
「首を傾げないで、悲しくなるから!」
象すら殺す毒を盛ったのに平然としていた経緯を、わざわざ説明してやる義理はない。
セラは腰溜めに世界樹の槍を構え、ユミルに相対した。
ユミルも、ここまでされて殺意が無いと思うほどマヌケではない。背中の大剣に手を伸ばそうとして……それをやめる。
「私を侮っているの? 武器を取りなさい」
「いやー、セラさん、なんか悪い人に見えないし?」
「暗殺者がいい人なはずないじゃない。それは芝居よ」
感情のない、平坦な声で警告を発するセラ。
だがユミルの方も、これに怯える素振りは見せなかった。
「なんか、タモンを相手にしてたときみたいだ。無理やり感情を押し潰したような?」
「うるさい!」
セラはいまだ戦意を見せないユミルに対し、問答無用とばかりに世界樹の槍を突き立てていく。
しかしユミルも、これを全く避けようとしなかった。
ガツンと、まるで鋼を叩いたかのような手応えが返ってきて、セラは困惑する。
「ごめんね。今日は防御重視の装備だから、それじゃあダメージが通らないんだ」
「な、まさかこの事態を見越して偽物を――?」
「いや、それはさすがに買いかぶり過ぎ」
先日アリューシャから買い取った世界樹の槍が、セラを騙すための偽物ではないかと、一瞬疑ってかかる。
しかしユミルはその懸念を一蹴した。
慌てて引こうとした槍を、あっさりと掴み、そして取り上げる。
その力強さに、セラは抵抗すらできず槍を手放してしまった。
「これは本物。ほらね」
ユミルは気楽にそう言うと、槍を壁に向かって投げつけた。
世界樹の槍は、まるで水に沈むかのように石壁に突き刺さり、周囲にひび割れを走らせた。
しかも槍の半ばほどまで埋まっていて、セラには到底抜けそうにない深さだ。
「今日の装備は盾とセットの効果で防御力が上がる奴で、しかもこっちの装備は無属性の攻撃を四分の一カットする奴だから、ちょっとやそっとの攻撃じゃダメージ受けないんだよね。あと鎧にも一工夫あって――」
「お、おかしいでしょ、世界樹の槍なのよ!?」
「それもボクが取ってきたやつだし?」
「そんな、本当にバケモノじゃない……」
「しっつれいな!」
やはり、この相手はバケモノだ。今までの相手は近付くだけで危険とわかる、明確な怖さがあった。
しかし彼女がその気配が全くない。そして実際に戦ってみて、初めて桁違いに気付く。
炎の弾を降り注ぐ戦闘シーンを目の当たりにしても、それが怖さへと繋がらなかったのだ。
それこそが、セラにとって一番恐ろしい。
じりじりと後退るセラの腕を掴み、容赦なくユミルが引き留める。
「おっと、逃がさないからね。誰からの依頼でボクを狙ったのか、しっかり話してもらわないと」
「離して!」
「うん、話して?」
「そうじゃなく!」
相応の少女のような悲鳴を上げて、セラは身悶えする。
掴まれた腕は、今では千切れそうなほど痛みを発している。それほどの握力で掴まれている。
ミシミシという骨の軋む音が聞こえてくる気がするほどに。
「さあ、答えてもらおうかな。誰の依頼? さもないとこの腕、潰れちゃうかもよ?」
「話す、話すから離して!」
「しゃべる方が先ー」
気楽な少女の表情の奥に、剣呑な光が初めて宿った。
このユミルという少女は、やるといったらやる。それも徹底的に。
タルハン沖海戦でタモンを見逃した一件から、甘い判断を下すのかと考えていたが、それも改めるべきだった。
彼女は、組合の悪党よりも、よほど怖い。それを今、思い知った。
そしてセラは、自分の依頼主を洗いざらい、告白してしまったのだった。
Def1000くらい+無属性25%カット+念属性付与だと思いねぇ