番外編 第九話 ラストモンスター
抜けるような青い空を、巨大な緑に包まれた枝が覆っている。
その枝の隙間から抜けてくる日の光のように、金髪の少女が空を舞った。
軽く、小さく跳躍し、やがて重力に引かれて落下に移る。
もちろんその足元に足場はなく、元いた枝よりも遥か下方、大地へと向けて自由落下を始める。
その光景を目撃した観衆から、悲鳴のような、歓声のような、何とも言えない声が上がっていた。
もちろん跳躍したユミルも、何の安全策もなしに飛び降りたわけではない。しっかりと足元をゴム製のロープで結び、地面よりも五十メートルは上で止まるように計算されていた。
ヒュルヒュルと音を立てて宙を舞うロープ。やがて足首に負担がかかり、頭を下にした宙吊りの状態になる。
しかし急激に停止しては足首が脱臼、下手をしたらちぎれてしまう可能性がある。
そのため、柔軟に伸びるゴムがなければ、このバンジージャンプというイベントは開けなかったのだ。
しかしトラキチがゴム製のゴーレムという敵を作り出してくれたおかげで、ゴム製のロープを入手できるようになった。
ゴーレムとしては打撃系や刺突系の武器が効かず、斬撃用の剣や斧だけが有効で、雷撃系は一切効かないという、非常に癖のある敵だった。
アイスゴーレムの対策として世界樹の枝を木刀にした武器が普及していたため、この敵には一般冒険者もかなり苦戦することになった。
しかし大量のゴムという資源は非常に魅力的であり、また高額で取引されるため、こぞって対策を立てられていた。
そうしてゴムの開発が進み、今回が初めての試作品である。
一般人がこのイベントを試した場合、万が一が発生しては危険なので、なにがあっても平気と考えられているユミルが、これを行うことになった。
実際に足にかかる負担は、かなり大きい。
落下するユミルは、一般的な女性なら脱臼してもおかしくはないと考え、改良の余地を脳裏に刻む。
その間にもゴムロープは伸び続け、落下を続け、減速を続け――
「あっ!?」
――そして千切れた。
バツン、という弾けるような音とともに、足首への負担が消える。
落下する自分とは逆に、上空へと跳ね上がるロープ。
減速から再び加速を開始する身体。
「ぁぁぁぁぁぁああああああうわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
バタバタと手を振ってもがいてはみるが、人間の身体は飛べるようにはできていない。
ロープの切れた五十メートル近い距離を落下し続け……ユミルは大地に激突した。
ユミルを繋いでいたロープが切れた時、地面からそれを見上げていた観衆からは、今度こそ明確な悲鳴が上がっていた。
セラもまた、唐突に始まった残虐なショーに、思わず息を飲んだほどである。
一瞬隣でのんきに見上げるリンドヴルムに目をやるが、彼女に慌てた様子はない。いや、事態を理解していないのかもしれない。
対してアリューシャはというと、慌てたように群衆を掻き分け落下地点へと駆け出していた。
セラもまた、その後を追って駆け出す。
ユミルは確かに暗殺対象ではある。が、こんな間抜けな理由でその目的が達成されるのは、セラとしても消化不良といわざるを得ない。
しかし仕事は仕事。その生死を確認するまでが、依頼の内容である。
まれに対象の死を確認しなかったせいで相手に生き延びられてしまう三流がいるが、自分はそんな雑魚とは違うと、セラは思っていた。
ユミルの落下点に土煙が立ち起こり、セラの元にまでグシャリという肉と地面が激突した音が響いてきた。
これは助かるはずがないと確信しつつも、その安否を確認しに走る。
落下点には深さ二メートルにも及ぶクレーターができており、墜落の衝撃の強さが窺えた。
その底にある無残な遺体を想像し、ごくりと唾をのむセラ。
しかし、クレーターの淵からにゅっと手が飛び出したことで、目を丸くした。
「あああああ! 死ぬかと思ったぁぁぁぁ!?」
高い、まだ幼さの残った声で穴から顔を出したのは、間違いなくユミル本人だ。
彼女は様々な面で有名なので、その顔はセラでもよく知っていた。
しかし今回、これほどの衝撃を受けて怪我一つ負った気配がなかった。
「ユミル姉、だいじょうぶ!?」
「ああ、アリューシャは心配してくれるんだね。ありがとう!」
感極まった声でひしっと抱き合う美少女二人。
いや、ユミルに怪我がないわけではない。あちこちに擦り傷が残っている程度には、怪我はしていた。
だがそれだけである。骨折などの怪我は一切していないように見えた。
「まぁったく、あんな高さから落ちたっていうのに、だれ一人助けに来てくれないんだもん。みんな薄情だよ、ホント!」
「みんな、ユミル姉なら無事だって確信してるんじゃないかな?」
「そんな信頼はいらないよ!」
枝の上のドワーフ――アルドに向かって苦情の声を上げるユミル。
そんな彼女を背後から抱きしめるアリューシャ。はたから見ていると、密着度がハンパない。
心なしか、アリューシャの腰の辺りがもじもじしているようにも見える。
「それよりアリューシャ、お尻の辺りに何か当たってるんだけど?」
「当ててんのよ?」
「そんな物騒な『当ててんのよ』は聞いたことがない! ちょっと離れて!」
「最終的には『これ絶対入っているよね?』って展開を希望」
「ボクは希望していないから!?」
まとわりつくアリューシャを引き剥がすべく、のたうち回るユミル。
そうはさせじと絡みつくアリューシャ。いきなり始まった美少女二人の絡みに目を丸くするセラだったが、これはこの街の住人にとっては日常茶飯事だった。
しばしあられもない姿でもみ合っていたが、ようやくユミルがアリューシャを引き剥がしたところで、セラは我に返った。
そうして次に考えたのが、どうやればユミルを殺せるのかという点だった。
ロープがついていたとはいえ、切れた場所は五十メートルの上空。そこから落ちてかすり傷程度というバケモノの息の根をどうやって止めろというのか?
いかに彼女が身体強化魔術の達人といえど、そこまでの破壊力は出せない。
毒ならどうか? 罠ならどうか? と、散々思案したのち、セラは一つの結論を出した。
「あかん、これ」
タモンならまだ本人だけに的を絞れば、殺傷することもできただろう。
キーヤンだって、ガイエルというバケモノの目を逃れれば、なんとかなったかもしれない。
だがユミルは違う。今までの二人は周辺にバケモノが控えていたが、彼女の場合、本人がバケモノである。
最後の一人ですら、このありさま。セラの脳裏が絶望に染まる。そんなセラを、ユミルは目ざとく発見した。
「あれ、そっちの人は?」
誰何の声にぎくりと身を縮める。しかし彼女にとって、せめて誰かは始末しないと自分が危ない。
すでに大陸を半周しており、そろそろ時間の余裕もなくなってきていた。
ここは是が比にでもユミルを始末せねばならないだろう。
そんな殺気を見逃す相手とも思えないのがつらいところだった。
「この人は冒険者さんで、ガイエルさんの弟子だよ」
「あー、そうなんだ」
リンドヴルムの説明に、ユミルは納得という声を上げた。ガイエルが一方的に冒険者に目を留め、強引に弟子にしてしまうことはよくあった。その事情を察したのである。
「ほら、ゆみるさまのところじゃないと、逃げきれないからー」
「うん、わかった。迎えに来たらきつめにお仕置きしておくね?」
空間を捻じ曲げれる古竜王ガイエル。そんな常識から隔絶したバケモノを相手にできるのは、同じく非常識を極めた彼女くらいである。
最終的には、成長力に優れるキーヤンも可能かもしれないが、今は未熟な――バケモノ連中と比較しての話だ――剣士である。といっても、彼女が逃げ出した時もピンピンしていたのだから、すでに人間の域は逸脱しつつあるのかもしれない。
「ふっふっふ、アリューシャの新能力の実験台にしてくれよう」
「え、アリューシャおねえちゃん、またなにか習得したの?」
「アリューシャはついに禁断の能力を手に入れてしまったのだ。おかげで貞操の危機がマッハで困ってる」
「どんなの? どんなの?」
「リンちゃんにわかるかなぁ? 『課金ガチャ』って言うんだけどね」
「かっきーん、がちゃん?」
「おしい、ちょっとちがう」
アリューシャはユミルと常にパーティを組んだ状態にある。その状態でタモン戦を乗り越えたため、さらなるレベルアップを遂げていた。
そこで得た新たな能力が、課金ガチャである。
ユミルが所持している金銭を消費し、ミッドガルド・オンラインの課金アイテムをランダムで入手できるという能力だ。
おかげでユミルは、さらなる強化装備を入手し、以前とは比べ物にならない火力を持つに至っていた。
もっともその単語や能力は、セラの知るところではない。彼女にとっては意味不明な単語が飛び交っているに過ぎず、その内容は全く理解できなかった。
「ま、ボクのところにいる限りはガイエルさんに手を出させないから安心して?」
「わたしは手を出したい!」
「アリューシャはちょっと黙っていようね! それと手は出さないでね!?」
「えー」
ユミルに引き剥がされたアリューシャが、ふてくされるように地べたに座る。足の間に手を挟み、頬を膨らませる姿はまるで子供だ。
スタイル抜群の彼女がそんなポーズを取るのは、はっきり言って非常にあざとい。腕に挟まれた胸のふくらみなど、周囲から見学していたものからすれば生唾を飲むほどの破壊力だった。
事実、数人の男たちがやや前かがみになっている。
セラも何となく自分の肘を掴んで胸を腕で挟んでみたが、彼女ほどの谷間は発生しなかった。
その仕草を見てユミルは、彼女がガイエルによほど怯えていると勘違いしていた。
「まったく、女の子をここまで怖がらせるなんて、ガイエルさんも困ったもんだ。今度こそキッチリしつけないといけないね!」
「いや、そういう意味じゃなく……」
「大丈夫、あんな爺さんをかばわなくても! ああ見えて、いまだに若いつもりでいるんだから」
「え、歳はまだ若く見えたけど?」
「うん、たぶんこの世界で一番お年寄りなんじゃないかな?」
ガイエルの人間の姿は四十そこそこといったところだ。しかし実際は神話の時代にまで起源を遡る、伝説のドラゴンである。
そんな存在にお灸を据えるというのだから、ユミルの非常識ぶりも極まっている。
「まあいいや。とりあえず街においで。空き家の一つくらいはあったはずだし。それに強くなるのは、この街でもできるよ」
今なお発展を続けるユミル市では、空き物件の余裕も大きく取っている。
大陸中央という立地と、草原を渡る草原橇の登場と発展により、交易の中継点としても大きな存在価値を持っていた。
さらに世界最大、最高難度の迷宮の存在もあり、冒険者にとっても魅力がある。
しかも迷宮は微妙に親切設計になっているため、一定以上の腕前を持つ者が、さらなる高みを目指すための修行場としても人気を博していた。
セラの手を取って強引に街に引っ張っていくユミル。
一見すると姉を遊びに誘う妹のような光景だが、心境はバケモノに拉致される町娘のごとき状況だった。
セラはそれに逆らうことはできない。時間的な余裕のなさからも、これ以上逃げ続けるわけにはいかない。
この街でユミルを始末するためには、彼女の申し出は非常にありがたいと判断したからだ。
「それじゃ、わたしはもう戻るね?」
「えー、リンちゃんも一泊していきなよ」
「だめー。だって放っておくと、がいえるさまがまた弟子を拾ってきちゃうんだもの」
「あー、リンちゃんも大変だ。がんばってね」
最近リンドヴルムがガイエルに懐いていることは、ユミルも把握している。
彼女はユミルと共に激闘を繰り返し、ドラゴンとしては上位の実力を持っていても、年齢も精神も、まだまだ幼い。
その『懐いている』状態が、恋心かどうか、ユミルには判別がつかなかった。
それはゲームにのみのめり込み、恋愛経験のほとんどないユミルにとっては、少々難しい問題である。なので有効なアドバイスをするでもなく、彼女の好きにさせていた。
それに今するべきは、厄介な恋愛問題に首を突っ込むことではなく、セラを保護することだと、気持ちを切り替える。
「それじゃ、セラさん、だっけ? ようこそ、ユミル市へ。歓迎するよ!」
引っ張っていた手を放し、両手を広げて歓迎のポーズを取るユミル。同じポーズで歓迎を表現するアリューシャ。
「ええ、しばらくお世話になるわ」
そんな彼女に湧き上がる殺意を抑えながら、セラは笑顔を浮かべたのだった。
本日、ゲームキャラで異世界転生して、大草原ではじめるスローライフが発売となりました。
すでに8日から店頭にある店もあるようなので、ぜひお手に取ってください!
また、発売に際し、特設ページも作っていただきました!
よろしければ、こちらも合わせてお楽しみくださいw
http://www.cg-con.com/novel/publication/06_treasure/06_slowlife/index.html