番外編 第七話 セラの修業
森の中を切り拓いた場所に、小さな集落のような建物が並んでいた。
それは、巨大な生物がいるこの周辺にしては、一見無防備ともいえる光景だった。
しかし、往来する人々の顔には、そんな危惧は欠片も浮かんでいないように見えた。
それがセラにとっては、奇妙な違和感を覚えさせた。
「ねぇ、この村、少し無防備じゃないかしら?」
「ン~? でもこの村を襲う獣っていないよ?」
「そうだな、そんな命知らずはこの近辺にゃいねぇな」
「さ、さすが英雄キーヤンの治める村ね」
「いや、あいつのせいじゃないんだけどな」
実際は往来する人間の大半は、中位から上位のドラゴンたちである。それぞれが変身の魔法を使い、人に擬態しているだけだった。
近隣の巨獣たちは、その正体を本能的に感じ取り、村に近付こうとしないだけだった。
特に最近では、ドラゴンたちの中で人間のライフスタイルを堪能するブームがやってきていた。
「ンじゃ、俺はこの丸太を薪にしてくるからよ」
「乾燥の魔法は使えるようになったの?」
「俺にはまだ無理。センリにでも頼んでくるわ」
「センリお姉ちゃんを便利に使っちゃだめだからね?」
「そんな恐ろしい真似、できるかよ」
センリはユミルの親友であり、この村の長でもあるキーヤンと同郷の存在だ。
それを雑に扱った場合、その双方から睨まれる可能性がある。
万が一そんな状況になった場合、彼女たちの仲間でもあるガイエルやリンドブルムも敵に回してしまう。
三大経済圏の一つ、キーヤン商会を敵に回し、草原中央のユミル市まで敵に回した状況など、考えただけでも背筋が凍る。
しかしそんな事情を知らないセラにとっては、ハウエルほどの剣豪が何を恐れるのかと、不思議に思っていた。
「あなたほどの剣士でも、怖いものはあるんだ?」
「あん? 怖い物なんていくらでもあるぞ。特にこの村ではな」
「ハウエル、こんなところにいたのか。センリが探していたぞ」
そこにやってきたのは、明るいブラウンの髪を短く刈り込んだ、小ざっぱりとした男。
見るからにさわやか系のイケメンで、人生裏街道を驀進中のセラにとっては、逆にどこかうさん臭さを感じる男だった。
それともう一人。男の横に立つ黒髪で、微妙に印象の薄い男。これはもう一人の印象が強すぎるせいだろう。
「アーヴィンか。スマン、薪は今持っていくよ。それと彼女の部屋も用意してやってくれ」
「彼女の部屋? 客かなんかか?」
ハウエルの言葉に反応したのは、黒髪の男の方だった。印象は薄いが、セラはその顔を知っていた。
「キーヤン?」
「お、俺のファンか? いやぁ、モテる男はつらいよなぁ」
「お前がモテた記憶なんて一度も、いや、一回だけあったか」
「ヴィーのことは計算に入れるんじゃねぇ!」
ハウエルのヤジに過剰に反応するキーヤン。しかしハウエルはそんなキーヤンの剣幕を受け流して、セラを紹介する。
「喜べキーヤン。次のオッサンのおもちゃは女だぞ。セラっていうらしい」
「なに!?」
ハウエルの言葉を受け、キーヤンは目を剥いて驚愕した。
そのまま、一息にセラに詰め寄り、両肩を掴んで前後に激しく揺する。
「悪いことは言わん、考え直せ! あのオッサンは俺たちをおもちゃ程度にしか考えていないんだ!」
「は? えぇ?」
しかしセラは、そのキーヤンの動きに戦慄した。
このいかにも目立たない、無害そうな男は、裏の世界で殺し合いを続けてきた彼女に勘付かれることなく、間合いを詰めて肩を掴んだ。
それは彼女をいつでも殺せたという証拠でもある。
彼女とて、物騒な世界の住人である。特に異性の距離という物には敏感だ。
明日をも知れぬ世界の住人は、実に即物的な、欲望に忠実な行動に出ることが多い。地味ではあるが、整った顔立ちの彼女は、そういう欲望に晒される機会が多かった。
だからこそ、異性に関しては警戒を解かない。だというのに、この男はそれをあっさりと突破して見せたのだ。
「この、無害そうな顔してるのに――」
「まったくだ。ヴィーという存在がありながら早くもほかの女に手を出すとは、油断も隙も無い」
「ヒィィィ!?」
思わず本音を漏らしたセラの背後から、聞き覚えのある声が掛けられた。それを聞いてキーヤンは悲鳴を上げる。
背後を見ると、いつの間にかガイエルが戻ってきていた。
これもまた、セラには気配を感じ取ることができなかった。
それだけでも、ここの住人がどれほど常識を逸脱した存在か、よくわかる。
「とりあえず修業は明日からにしよう。今日のところは旅の疲れをとるといい。キーヤンは部屋を用意してやれ」
「お、俺は薪を届ける用事があるから! じゃあな!」
ガイエルの登場と同時に、そそくさとその場から離れようとするハウエル。
それを見逃すキーヤンとアーヴィンではなかった。
「ハウエル、てめぇ一人だけ逃げる気か!?」
「ずるいぞ、昔から一緒に地獄を見た仲じゃないか!」
「うるせぇ、お前だけ竜人少女を嫁にもらいやがって! 抜け駆けした恨みは忘れてないぞ!」
「ヴィーのことを持ち出すなんてずるいじゃないか! 俺だってもう少しボンキュッボンな体型の方が――」
「……ほぅ?」
そこに響く、高い、しかし低く迫力のある声。
明らかに少女の声であるにもかかわらず、底冷えのするような威圧感が込められていた。
「ひ、ヴィー!?」
ガイエルの後ろに隠れるように、まだ年若く見える少女が隠れていた。
見かけはとても愛らしいにもかかわらず、巨大な卵を抱えているところが非常に違和感を漂わせていた。
少女は軽い足取りでキーヤンのそばにやってきて、耳に手を伸ばすと、容赦なく引っ張った。
「いた、いたたたた! 待て、悪かったって、いやー俺はシアワセダナァ」
「しらじらしい。今日こそ二個目の卵仕込んでもらうからね?」
「らめぇ、もう出ないのぉ! それ、人間の限界超えるからぁ!?」
「キーヤン、なむ」
拉致されるキーヤンに向けて両手を合わせるアーヴィンとハウエル。最近キーヤンとセンリから広げられた『健闘を祈る』という合図らしい。
だが使用される場面を考えたところ、そこに悪意が潜んでいることは否めない。
「しかたないな。キーヤンは大事な仕事が入ったらしいから、アーヴィンが部屋の準備をしてやれ」
「お、おう……」
負け戦で逃げ遅れた兵士を見るような目でセラを見るアーヴィン。
何がなんだからわからないが、不味いことになったことは、彼女にも理解できたのだった。
セラがアーヴィンに案内された部屋は、客用の物だったらしく、質素ではあるが居心地のいい部屋だった。
ヴィーが夕食を運んでくれたおかげで、彼女はその日は湯を浴びた後はすぐベッドに倒れ込み、朝まで眠りこけてしまった。
暗殺者にあるまじき行為だが、旅の疲れと気疲れには、どうにも勝てなかったらしい。
翌朝、目が覚めた時、食事の質が良かったからか、彼女は全く疲れを感じなくなっていた。
着替えを済ませて部屋を出ようとした段階で、突然背後から声をかけられた。
「どうやら準備は整ったようだな」
「ひゃっ!?」
「驚かせたか? しかし安心するがいい。我には心に決めた女性がおるゆえ、お前に色目を使う気はない」
「い、いや、そういう問題じゃ……」
背後に現れたのは例によって神出鬼没なガイエルだった。
確かにガイエルからはそういった危険は感じなかったが、それ以前の気味悪さを感じていた。
しかしガイエルはそんなセラの態度には一切頓着せず、マイペースに話を進めていった。
「そんなことより修行の時間だ。行くぞ」
「ちょ、そんなことって――!?」
セラが反論する間もなく、周囲の景色が歪み、そして一変する。
そこはあたたかな村の一室ではなく、吹き曝しの崖の上だった。
すぐ横には轟々と爆音を立てて流れ落ちる、巨大な滝。
そして簀巻きにされたアーヴィンとキーヤンの姿。
「おいまて、こら! なぜ二人だけなんだよ!?」
「三人だ。ほら、セラもつれてきたぞ」
「ハウエルはどうしたんだよ?」
「奴は酒造りの仕事があったらしい。残念なことだ」
「それなら俺も行くべきだろ! 一応商会長だぞ」
「あいにく、お前よりも奴の方が美味い酒を造るんだ……」
フイッと視線を避けながら、ガイエルはぼそりとつぶやいた。
実際、器用で感覚の鋭いハウエルは酒種の変化に敏い。それだけに対応が早く、キーヤンよりも良い酒を造る職人に成長していた。
対してアーヴィンはそのような技術はなく、ここにきて後悔の日々を送っている。
実際強くなってはいるのだが、毎日が命がけでは、ルイザという待つ者を持つ身では哀れを誘う。
「くっ、それはまあいい。で、今日は何をやらされるんだ?」
「うむ、そうこなくてはな」
「まさか人を樽に突っ込んで滝に落とそうっていうんじゃないだろうな?」
「な、なぜわかった!?」
「定番じゃねぇか!」
現代日本に馴染みのあるキーヤンにとって、滝で修業となれば、大抵このシチューションが脳裏に浮かぶ。
しかし周囲には樽の姿がない。キーヤンがそれを指摘すると、ガイエルはしたり顔で樽を空間から取り出して見せた。
「樽ならこれ、この通り」
「それ、この間ハウエルが行方不明になったって探してたやつじゃねぇか?」
アーヴィンがすかさず指摘すると、ガイエルは再び視線を逸らす。
「また盗み飲みしたな? しかもひと樽丸ごと!」
「いや、樽が必要だったのだが、ちょうど良い物がなかったから、つい」
「一応酒がメインの商品なんだから、パトロン自ら勝手に持ち出すのはやめてくれよぉ」
アーヴィンが指摘するとガイエルは情けなさそうな声で反論する。それを聞いて、一緒に探し回る羽目になっていたキーヤンが半ば涙声で抗議していた。
「ええい、男が細かいことをぐちゃぐちゃ言うな」
「それをやらかした側が言うんじゃねぇよ!」
「うるさい、さっさと樽に入れ。うやむやにしようとか、そうはいかんぞ!」
「逆ギレか!?」
言うが早いか、キーヤンの姿が掻き消える。
一瞬後には樽の中から『出してくれ!』という哀れな声が聞こえてきた。
「て、転移魔法をそんなつまらんことに……」
「え、転移魔法って、あの?」
無駄に驚異的な能力を無駄な修行のために濫用するガイエルに戦慄の声を上げるアーヴィン。
そして、存在はしても個人で使えるはずのない魔法をあっさりと使用したガイエルの技術に、信じられないような声を上げるセラ。
そんな二人を無視して、ガイエルは樽を横に流れる川に蹴り落とした。
「ひあぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ……………」
最初はか細い声だった悲鳴が、滝に差し掛かったところで絶叫に変わる。
そしてその悲鳴も、流れ落ちる水の音にかき消されていった。
死んだ魚のような目でそれを見送るアーヴィン。だが次の瞬間、その姿が消えた。
続いて聞こえてきたのは、なにかが泡立つような音だった。
「がぼ、げごご、ごぼぼぼぼぼぼ……」
「む、いかん。あっちはまだ中身が入ったままだったか」
「大変じゃないですか!?」
人の生き死ににはドライなセラだったが、さすがに無関係の人間の危機に慌てた声を上げる。
ガイエルが指を鳴らすと、不意に宙に濁った液体が現れていた。それは地に落ちることなく浮かび続けている。
「げほっげほっ」
「よし、準備は済んだな、行ってこい。中身は責任を持って我が処理してやろう」
「そういう問題じゃ――ひぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
アーヴィンの答えは聞かず、容赦なく川へ樽を蹴り落とす。こちらも瀑布の中に悲鳴が掻き消えていった。
「ちょっと、あれ、生きてるんですよね?」
「なに、心配するな。わりとよくあることだ」
「あっちゃダメでしょ! っていうか質問に答えてない!!」
悲鳴を上げたセラだったが、次の瞬間には目の前が真っ暗になった。
いつの間にか手足も、小さく折りたたまれていて、壁のようなものに突き当たる。
「な、なに、ここ! ひょっとして樽? 樽の中なの!?」
悲鳴とも疑問ともいえない声を上げるセラ。続いてゴンという異音と共に、樽が転がり始める。
やがてその動きは縦へと変化し、落下が始まった。
「きゃあああああああああああああ!」
まだこの段階では悲鳴らしい悲鳴を上げる余裕があったと言えよう。
だがやがてザブンという音と共に、ふわふわとした浮遊感に襲われる。それは再び縦への動きへと変化した。
樽も上下左右へと不規則な変化をはじめ、あちこちに身体や頭をぶつけてしまう。
「あぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ここに至っては悲鳴もただの奇声へと変化し、女性としてはどうかと自分でも思ってしまうほどの絶叫へと変化した。
全身を覆う苦痛と落下による恐怖。
周囲の音は水音ですべてかき消され、自分が叫んでいるのか気絶しているのかすらわからない。
やがて、より一層強い衝撃がセラを襲い、ついに明確に意識を手放すに至ったのだった。
意識が暗転する間際、セラは全身全霊の恨みを込めて、ガイエルにこんな言葉を残したのだった。
「ぜったい……逃げてやるからな!」