番外編 第六話 北部の住人
ガイエルの協力により、セラはキーヤンの元に案内されることになった。
問題はその方法である。
「よし、ではいくぞ」
「ええ、案内ヨロシク。ここから先は危険生物が多いって聞くから、頼りにしているわ」
それは彼女にとって精いっぱいの愛想だったが、ガイエルはそれを聞いて首を傾げた
「危険生物? そんなものに襲われたことはないな」
「はぃ? だってこの先は『人が住めないほど危険な領域』だって聞いていたんだけど」
この北部の聖域でガイエルに襲い掛かるような生物はいない。
知性のある上級のモンスターは元から襲おうとは思わないし、知性がないモンスターすら彼の発する威圧感を感じ取って敬遠してしまうからだ。
しかしそれはセラの知るところではなかった。
「で、でも手前の町じゃ……」
「人の噂など適当なものだからな。それにわざわざ歩く必要もあるまい。歩くことで鍛錬になるという面もあるが、最初はまあ優遇してやろう」
「はぃ?」
そう言うや否や、ガイエルはセラの肩に軽く手を置く。
そもそもこの男が本当にキーヤンの師匠なのか、確認する術がないと思い至ったセラは、思わずその身を硬直させ、目をつぶった。
しかしそこから何かの暴挙が起きるということはなく、数秒が経過する。
そして肩から手が離され、恐る恐る目を開いた。
「え、ここ……どこ?」
目を閉じていたのは数秒程度。それなのに目前の光景は、崖横の隘路から鬱蒼とした森の中へと変化していた。
ガイエルはそんなセラに頓着せず、黙々と足を進め始めた。
「ついて来るがいい。こっちだ」
「ちょっと待って!?」
こんな森の中に放置されてはかなわない。不審な人物ではあるが、森の中を一人でいるよりはましだ。そう判断して、慌てて彼の後を追う。
実際、周囲からはバサバサと巨大な羽音が鳴り、数メートルはあろうかという巨鳥が何羽も飛び立っていた。
「ひぃっ!?」
セラも熟練の冒険者である。このモンスターも、一羽程度ならどうにか対処できるだろう。
二羽でもどうにかできるかもしれない。
ところが周囲から飛び立ったのは優に五羽を超える。これだけの数に襲われては、一瞬で敗北するだろう。
事実は、この巨鳥は唐突に現れたガイエルに驚愕し、その脅威を悟って慌てて逃げだしているに過ぎなかった。
もちろん、当のガイエルはその様な些事、気にも留めていなかった。腐っても古竜王、そこいらのモンスターなど歯牙にもかけていない。
「店の中に直接跳んでもよかったのだが、ヴィーがうるさくてな。嫁に行ってからは、妙に細かくなって困る」
「いや、跳ぶって……?」
ガイエルお得意の空間歪曲能力を利用した転移なのだが、これまたセラには知りようがない。
ガイエルも細かいことを説明する性格ではないため、意識の齟齬はさらに大きくなっていく。
「この先の森を切り開いて酒造りの蔵を作っておってな。最近は若い衆も弟子入りしているので、にぎやかになってきておる」
「そう、なんだ?」
「キーヤンの奴も一応、そこの主人ということになっていてな。鍛錬が怠り気味ではあるのだが、酒には代えられん」
「へぇ?」
「我が酒を買いに行ってもよいのだが、どうやら若い衆は自分の作った酒を飲むという行為にハマっているらしくてな」
「あー、それはなんとなくわかる」
どのような時代、どのような世界でも、自分で何かを作り出し、それを愉しむというのは、別格の味わいがある。
セラ自身も、独特な戦闘スタイルを編み出した時は、数十分ほど小躍りしたものだ。
「古来より我らは常に消費者だった、故に創作者たる側に回ることが物珍しいのであろうな」
「へ、それはどういう――な、なに!?」
会話を遮るように、遠くから轟音が響く。同時に森の上に頭を覗かせていた巨木が、勢いよく倒れていく。
それは一度だけでなく、二度、三度と何度も繰り返されていった。
まるで、巨木を草のように踏み分けていく巨人が進軍するかのように。
「ム、来たか……」
戦々恐々としてその様子を見るセラとは別に、ガイエルは迷惑そうに額に手を当てうなだれた。
だが緊張した様子は見えないので、敵襲ではないと悟る。
「ちょっと、さっきから一体何よ? 少しは説明して――」
「うむ、我の熱烈な信奉者がやってきたのだ」
「信奉者が来るだけで、あの巨木がへし折れるんかぃ!?」
「この近辺では普通にある」
「なにそれ、こわい」
すぐさまにでもガイエルを放置して逃げ出したいセラではあったが、見知らぬ土地に連れてこられ、しかも森の中とあっては単独で生き延びられるか保証がない。
しかも先ほど、身の丈を超える巨大な鳥を見たばかりである。一人になるのは非常に不安だった。
「逃げたい……けど、一人になるのも……」
「逃がさんけどな」
「見逃してよ! ってか、なんであんたはそんなに落ち着いてるのよ?」
「いつものことだと言っただろう? ここでは日常だ、今のうちに慣れておけ」
いう間に騒動は間近にまで迫っており、もはや逃げることもかなわない距離となっていた。
木々の合間には、ちらちらと金色の光が見え、それがこの惨事の原因だとわかる。
よく見ると金の光はどうやら小さな女の子の髪のようで、それがものすごい勢いでこちらに迫ってきているのが理解できた。
「え、女の子?」
疑問も一瞬。こちらに駆けてくる少女……いや、幼女がその小さな腕を一振りすると、進行方向にそそり立っていた巨木が根元からへし折られ、吹き飛んでいく。
それはどこから見ても現実離れした光景で、まるで自分が白昼夢を見ているかのような錯覚に陥っていた。
「がいえるさまー」
叫んでいるの声も甲高く、やや舌っ足らずな口調が愛らしい。少し間の抜けた感じがするが、それも魅力的に聞こえていた。
しかし、その腕から繰り出される破壊力は、見ての通りだ。
やがてその勢いのまま、彼女はガイエルの胸……には届かないので腰の辺りに飛びついた。
ズドン、と何か人が立ててはいけない音を立てて、ガイエルが受け止める。
「リンドブルム、森を破壊するなといっただろう?」
「えへへ、ごめんなさーい」
グリグリと額をガイエルの腹に押し付け、悪戯っぽく舌を出して謝罪する。
その姿も、一見するとあざといポーズをする幼女にしか見えない。
「ああ、紹介しよう。彼女は新しい弟子だ。名前は……なんだったかな?」
「今さら聞くんかい! いや、セラだけど」
「そう、セラというらしい」
「へー、わたしリンドブルム、よろしくね。仲のいい子はリンって呼んでくれるよ」
「リ、リンちゃんね、よろしく」
ここは愛想よく右手を差し出し、握手して見せたが、セラの腰はすでに盛大に引けている。
この娘は幼い見た目とは違い、何かが違う。そもそも幼女は片手で巨木を薙ぎ払わない。
手の中にあるプニプニした手が、巨木を容赦なく薙ぎ払うのを、先ほど目撃したばかりだ。
「がいえるさま、その前に逃げたおじさんたちは?」
「うむ。限界だったようだから、放してやった」
「ペットじゃないんだから、ちゃんとおうちまで返してあげないとダメなんだよ」
「ふむ? 確かに食料も金も持っていなかったようだな。あのままではケンネルまで辿り着けんか」
「ね? だからちゃんと送ってあげないと」
「しかし我はこの娘を送ってやらねばならん」
「それはわたしがやっておくから」
小さな少女が腰に手を当て、壮年の男を説教するというのは、一見すると微笑ましい光景である。
しかしこの両名、セラにとっては未知の能力を持っていた。
ガイエルは空間を捻じ曲げ、転移する能力が。リンドブルムは純粋に腕力の桁が違う。
どちらを敵に回しても、セラには勝てる気がしなかった。
「なら案内はリンドブルムに任せよう。お主がしっかり者で助かる」
「えへへぇ」
頬に手を当て、くねくねと身をよじらせる幼女。その仕草に一瞬目を奪われたセラが、再び視線を上げた時には、すでにガイエルの姿は掻き消えていた。
「うぉ!?」
「それじゃセラお姉ちゃん、いこ?」
「あ、いや、さっきの、そのガイエルは?」
「もうおじさんたちを送りに行ったよ。がいえるさまはお仕事が早いの」
「そーなんだ」
もはやセラには言葉もない。どうも北部に来ていきなりとんでもない人材と行き会ってしまったようだと、観念する。
リンドブルムは無邪気にセラの手を取り、そのまま駆けてきた方向へと引っ張った。
「キーヤンさんのお店はこっちだよ」
「あぃたたたた! 手、手が潰れる!?」
彼女は気楽に手を取ったつもりなのだろうが、セラにとっては手を握り潰されるかと思うほどの剛力だった。
その握力に思わず悲鳴を上げる。
「なんだ、客人か?」
その声を聞きつけたのか、再び新たな声が掛けられた。
背の高い、二十代半ばに見える男が丸太を担いで現れていた。
気配は消していたようだが、さすがに正面からやってきたらセラでも気付く。何より丸太を担いでいるのだから、目立ってしかたない。
それでも足音を忍ばせ、気配を絶つ技量から、男が並々ならぬ凄腕だと見抜いた。
「なにこれ。どいつもこいつも、化け物揃いじゃない……」
この依頼を受けてから、セラが出会う人間は彼女を軽々と超越した達人ばかり。それも若手といっていい年齢で。
今回現れた男も、正面から戦って勝てるイメージが湧いてこないほど、力の差を感じさせていた。
「あ、ハウエルおじさん。こんにちわ」
「お、おう。あんたにおじさんとか呼ばれると釈然としねぇモンがあるよな。いつものことだが」
「この人は、がいえるさまが新しく拾ってきた弟子のセラさん」
「また拾ってきたのか……ご愁傷様」
「えっ……え? なんでご愁傷様?」
「この先、故郷に生きて帰れることを、切に願ってやるよ」
「なにその不穏な歓迎の言葉!?」
心底から憐れむ視線を送るハウエルに、セラは困惑を隠せずにいた。
そんなハウエルの腹をリンドブルムが軽く叩く。
ドムッという、これまた人体が発してはいけない音が響き渡る。
「ぐぅえ――!」
「もう! セラお姉ちゃんを脅かしちゃダメでしょ。それにがいえるさまも死なないように加減して鍛錬させているんだから」
「それ、死ぬ寸前までは絶対に追い込むってことなんだぞ?」
「あ、平気なんだ?」
ヤバい音を立ててその場にうずくまったハウエルだが、どうやら平気だったようで即座に言葉を返してきた。
そのタフさにセラは間の抜けた声を返した。
ガイエルに出会ってからこっち、驚愕しっぱなしで、この程度では驚かなくなったようだ。
「まあいいさ。キーヤンは今、蔵の様子を見に行ってるから、俺が案内してやるよ」
「だめー! わたしががいえるさまから申しつかったんだから、わたしが案内するの」
「あーそうですか。でもどうせ俺も薪用の木を集め終わったんで、今から店に戻るんだけどな」
「むぅ」
ぷっくりと頬を膨らませるリンドブルムだが、セラはその動作にどこか『わざとらしさ』を感じ取っていた。
彼女はひょっとすると、見かけ通りの年齢ではないのかもしれない。しかしそれを指摘していいのかどうか、迷ってしまう。
もし見抜いてしまったことが何らかのスイッチを入れてしまった場合、味方のいない現状では命が危ない。
ガイエルは正体不明過ぎて味方にする気は起きなかったが、このハウエルという男ならどうだろうと考えてみる。
一見すると粗野な若者。しかし年齢に見合わぬ強さを身に付けていることは窺い知れる。
年齢の若さは思慮の浅さにも繋がり得るため、上手く操縦すればキーヤン暗殺の手足になってもらえるかもしれない。
タルハンで聞いたハウエルという剣豪の姿とは、一見かけ離れて見える。もっとこう、触れれば切れるような刃物のような男と聞いていたのに。
「じゃあ、帰りは一緒に行きましょ」
「えー、わたしが案内するのに!」
「リン……ちゃんも一緒に、ね?」
「まー、一緒ならいっかな」
不承不承という態で、リンドブルムは承諾した。
なんにせよ、波風立てずキーヤンに近付くには、彼女の機嫌も取っておかねばならないだろう。
そう考えて、セラはリンドブルムと手をつないで、森の中を歩き始めたのだった。
新たなる幼女リンちゃん。いったい何者なのか(スットボケ