番外編 第五話 運命の出会い
船を逃げるように降りたセラは、次の標的の元に向かうことにした。
タモンが北回りの航路を取ったおかげで、次の標的はおのずとキーヤン酒造の主、キーヤンということになる。
このキーヤン、生まれはタモンと同じくどこ出身かわからないが、その戦績は華々しいの一言に尽きた。
彼が世に出て最初に行ったのが、人を襲う下級ドラゴンの討伐。
下級とはいえ、軍で対応せねばならないほどの戦闘力を誇るドラゴンを、なんと単独で撃破。
その戦闘痕は地形すら変容させ、戦闘の激しさを窺わせた。
彼はその後、北部のコーウェル王国から姿を消していた。
しかし数か月後、コーウェル王国とキルミーラ王国の国境付近の山岳地帯で、またもドラゴン討伐を成功させている。
これにはキルミーラ王国に所属するユミル村(当時)の長であったユミルも参加していたらしい。
こちらの戦闘も激しさを極め、なんと山頂付近が吹き飛ばされ、さらに近隣に巨大なクレーターを作るほどの激闘が行われている。
それはキーヤンの持つ破壊能力がそれを成し得るレベルであると、明確に証明された瞬間でもあった。
そしてタルハン沖合で行われた対タモンとの戦闘。
これにはキーヤンとユミルの外、領主であるレグル・タルハンやベテラン冒険者のヤージュも参加しており、まさに大陸東部のオールスターともいえる戦闘が行われていた――らしい。
実際のところは目撃した者がいないためわからないが、戦闘に参加したことだけは組合の資料から証明されている。
あのタモンと正面から五分に戦い抜いたキーヤンは、やはり超絶の存在といって問題ないだろう。
それを今から暗殺しに行く。
「正直、あれを見せられた後じゃ、倒せる気がしないんだけど……まあ、タモンと違ってキーヤンは人だって話だからなんとかなるかも?」
タモンの本領は艦隊戦にある。
それ故に本人のそばに潜り込めば倒せるかと思っていたのだが、なぜか従者はこちらを警戒しまくり、近付くことすらままならなかった。
しかも船員たちもまるで蛮族のごとき有様である。
もし暗殺を企んでいることが露見したら、ただでは済まなかっただろう。
いやそれだけではない。
泳いで逃げるという逃亡手段すら、選択できなくなってしまう。
タモン暗殺が露見すると、あの従者たちは容赦なくその犯人を捜すだろう。
そして一人だけ姿が見えなくなっている自分に目星をつけるのも、時間の問題のはずだ。
普通なら、その目星をつけられたところで、すでに姿を消しているので、追われる心配もない。
しかしあの砲だけはいただけない。
あの砲の射程は、泳いで逃げ切れる範囲を超えている。
しかもあの威力。至近弾だけで肉体が木端微塵にされてしまいかねない。
タモンを狙うなら陸上。それも従者のいない隙を狙うしかない。
交易に出た今狙うのは、愚の骨頂である。だからこそ、今は退くべきなのだと、そう考えていた。
「時間はかかるって言ってあるし、とりあえず誰か一人の命さえ奪っておけば、言い訳のしようもあるってものよ」
依頼主の組合幹部は、タモン暗殺が長引くことにいい顔をしないだろうが、別の誰かを仕留めているなら、それで依頼は成功となる。
そのためにはキーヤンには、是が非にでも死んでもらわねばならない。
「そのためには、コーウェル王国のさらに北にあるっていう奴の店に、何とかして潜り込まなきゃ……」
交易船によって、すでにコーウェル王国の領内には入っている。
しかしキーヤン酒造はそのさらに北にある、聖域と呼ばれる場所に存在しているらしい。
そこはドラゴンたちがたむろする、人跡未踏の地と呼ばれていた。
いや、正確には人の出入りは少なからず存在する。しかし命の保証はないため、好んで出入りしようという人間はいないというべきか。
「つまり私も、そのモノ好きの仲間入りってわけだ。ここから先は命の保証もないわけだし、慎重に行動しないと」
ブツブツと独り言を口にしながら、グッと拳を握り締め、気を引き締めるセラ。
慎重にと決意した直後に、前方から土煙を立てて数名の男たちが駆け寄ってきた。
いや、彼女の元にやってきたのではなく、何かから逃げるかのように必死の形相で街道を南下してきていた。
「え、なに?」
「そこの女、邪魔だ! 道を開けろ!」
「ちょ、待って待って!?」
もちろんセラだって進んで衝突したい訳ではない。男たちに言われるまでもなく、道の端に避けようとはしていた。
しかし、男たちは我先にと暴走しており、五人ほどが横一線に並んで道幅いっぱいに広がっていた。
現在の道は、左は海に面した崖になっており、右は森が広がっていた。
そしてちょうど彼女のいる場所は木が邪魔になって、森に逃げ込めない状況になっていた。
逃げ道なく右往左往するセラに、男たちは容赦なく衝突する。
結果、もつれ合うかのように地面に転がったセラと男たちは、数メートルも転がったのち、動きを止めた。
「いったたた」
「う、ぐううう……ハッ、奴は!?」
「いてぇ……いや、目視はできないな」
「どうやら撒いたか?」
「いや、まだわからん。なにせ相手はあのガイエルだぞ?」
セラの声に続き、男たちの言葉が発せられる。
その内容から、彼らが何者かに追跡されていることが聞き取れた。
「ちょっと、あんたたち。ひょっとしてヤバい事に首突っ込んでるんじゃないでしょうね?」
「ヤバい事ではない。ヤバい奴に目をつけられているんだ」
「ああ、奴の『訓練』をあと一日でも続けたら……死ぬ!」
「もう嫌だ、俺は生きて故郷に帰るんだ!」
「ああ、こんなところにいられるか。俺は故郷に帰るぞ!」
セラはガイエルという名に聞き覚えがなかったので、どうやら危険な男としか認識していなかった。
それがドラゴンたちを統べる古竜王の名前とは、知る由もない。
「目に見えないからといって、安心はできん。奴はどこに潜んでいるかわからんからな」
「一刻も早く、この地を去らねば……」
「ああ、アンジー。パパはもうすぐ戻るからね」
「おいそこ、不吉な事いうんじゃねぇ」
男たちはぶつかったセラではなく、自分たちの背後のみに注目し、セラのことは目に入らない様子だった。
そのまま謝罪も挨拶もせずに立ち上がり、そのまま街道を走り出す。
「あ、ちょっと!」
「女、お前も早く逃げた方がいいぞ! 奴は見境が無いからな」
「俺は逃げる、逃げるんだよぉ!」
「待ちなさいよ! 事情くらい話してけぇ!?」
あまりの扱いにセラは珍しく怒号を放つ。
しかし男たちはその叫びに耳を貸さず、問答無用に街道を爆走していった。
「もう、なんだってのよ!」
徹頭徹尾、ないがしろにされた扱いに、地面を蹴って苛立ちを示すセラ。
男たちはすでに街道の遥か彼方。戻ってくる気配は微塵もない。
「この私を突っ転がして一言もないなんて。今度会ったら殺してやろうかしら」
「ほう、それはいい考えだな」
「――っ!? 誰!」
不満を軽口に変えて冗談交じりに口にした言葉に、背後から何者かが答える。
不意に沸いた気配に、彼女は腰の剣に手をやりながら振り返った。
そこには一見すると壮年に差し掛かった男が、無表情に立ち尽くしていた。
これにはセラも驚きを禁じ得ない。
背後を取られたのはタモンの時もあったが、今回は寸前まで目の前を向いていた。
それなのに彼女の近くに姿を現すというのは、不可能に近い。
森の中を抜ければそれも可能だろうが、そうなると深い下草を踏み分ける必要があるため、必ず足音がするだろう。
それを聞き洩らすほど、彼女の感覚は鈍くない。
「フム、誰と聞いたか? 我が名はガイエル。先の連中の師匠をやっていた者だ。多少強引に、だがな」
「あんたが? 確かに不審人物っぽくはあるわね」
先の男たちが口にしていたガイエルという名。その持ち主が目の前に現れたとあって、セラは警戒を隠せない。
男――ガイエルは相変わらずの無表情だが、その目はどこか楽しそうにセラを眺めていた。
目だけが不穏に笑っている。そんな状況で警戒するなという方が無理な話である。
「先の連中はあまり見込みがなくてなぁ。やはり無理やり連れてきて弟子にするのは、質の面で問題が出るか。キーヤンやハウエルほどの逸材は、なかなか見つからん」
ブツブツと愚痴を漏らすガイエル。だがセラはその言葉の中から、聞き捨てならない名を聞きつけていた。
「ちょっと待って。あなたキーヤンと知り合いなの?」
「奴か? 我は奴の師匠でもある」
「師匠って、あのドラゴンスレイヤーの?」
もしそうだとすれば、この男は凄まじい手練れということになる。
あのドラゴン二頭を蹂躙し、戦争を終わらせる決戦に参加したキーヤンの師匠というのだから、ただ者のはずがない。そうセラは考えていた。
もちろんガイエルは、今は人の姿を取っているがドラゴンなので、人ではない。
「その呼び名は我はあまり好きじゃないのだが」
「あんたの事じゃないから、別にいいでしょ?」
「それもそうだが……それよりお主、なかなか良さげな素質を持っておるな?」
「良さげなってなによ?」
「剣の素質だ。我は強者を育てるのが趣味でな。キーヤンやハウエルも、その一環として育てた」
ハウエルの名も、セラは聞いたことがあった。
キーヤンほどではないが、大陸東部においては有名な剣士の名だ。
あまり目立った戦績は残していないが、今では剣匠アーヴィンに匹敵すると言われている俊英。
キーヤンのみならず、ハウエルすら育てたというのなら、それこそ歴史に名を遺す育成の腕といえよう。
「フム……」
ここでセラは瞬時に思考を巡らせた。
ガイエルの言葉を信じるなら、この男についていけばキーヤンの元に辿り着ける。
それに、この先は危険地帯で、彼女の腕ではキーヤンの元に辿り着けるかどうかも怪しいところだ。
だがガイエルの言葉が真実ならば、安全にキーヤンの元まで連れて行ってもらえるはず。
そして教えを受けることができれば、セラの戦闘技術も、一段上昇する可能性があった。
「……悪くないかも?」
「そうであろう、そうであろう。我の教えを授かるのは、そう簡単なことではないぞ」
「無駄に偉そうなのが、余計に怪しいんだけど」
「我、えらいはずなのだが」
自信なさげにしょんぼり肩を落とすガイエルの姿は、どうにも一流の師匠には見えない。
だがそれが事実でなくても構わない。キーヤンの元に辿り着けるなら、それだけでも価値はある。
そこまで考えて――
「まぁいい。才能のない五人の男を失ったが、代わりに才能ある一人の弟子を得た。それもまた運命」
「そんなのはどうでもいいけど、キーヤンさんには会えるんでしょうね?」
「なんだ、おぬしもキーヤン目当てか。あの男、自分はモテないなどと吹聴しておるわりに、言い寄る女が多いな」
「あ、やっぱり?」
古来より英雄色を好むとは、よく言ったものだ。
キーヤンもどうやら、女性にはだらしない性格のように聞こえた。少なくとも、セラには。
だがそれはセラにとっては御しやすい相手と言える。
地味ではあるが、整った容貌の彼女は、そう言った相手に言い寄るのに便利だ。
目立たない分、向こうから言い寄られることは少ないが、自分から売り込んだ場合に断られる可能性も低かった。
あまり使いたい手ではないが、今回は色仕掛けが有効そうだと、セラは判断したのだった。
キーヤン編開始です。
今週末の9日に書籍版も発売予定ですので、よろしくお願いします!