番外編 第三話 セラの計略
準備を整えたセラは、船に乗り込むために埠頭へとやってきた。
西の辺境と思われたケンネル王国だが、港の大きさに関しては他の国々の追随を許さない。
それもこれも、タモンの船を着岸させるために拡張工事されたのだが、それは彼女の知るところではない。
今の彼女にわかることは、その港がとにかく巨大だということだけだった。
そして、そこに停泊している船も桁外れだった。
「うげー、でっか……」
少女にあるまじき言葉使いで、感嘆の声を漏らす。
さっさと乗り込んで自室に籠もり、目立たないようにしようと思っていた目論見は早くも崩壊していた。
「説明しよう。これは高速かつ大火力を実現させた画期的な駆逐艦で……」
「うわっ!?」
唐突に背後からかけられた声に、悲鳴のような声を上げるセラ。
彼女とて、暗殺を請け負うことが多い冒険者である。実戦経験はかなり多く、背後を取られるようなことは滅多にない。
だというのに背後の男は、その気配を微塵も感じさせずに近付いてた。
その正体は、言うまでもなくタモンである。そして背後には、ヒリュウと紹介された女性が付き従っていた。
「ああ、驚かせたかな? ゴメン、ゴメン。でね、戦時における当たらずに当てるという、当時としては画期的な現代的な視点による戦術を実現するため――」
「あ、あの……」
適当な謝罪をあっさり切り上げ、船の説明を続けるタモンに、思わず腰が引ける。
その目はキラキラと輝いており、如何に船が好きなのか懇々と語り続ける。
その肩をヒリュウが叩いて話を止めた。
「提督、さすがに女性にその話題はいかがなものかと。それにそろそろ船に乗り込みませんと」
「ああ、そうだった。ゴメンね、続きはまた後で」
「いえ、結構です」
せっかく近付く機会なのだから、この提案は受けるべきなのだろうが、反射的にセラは断ってしまう。
実際、顔を突き合わせて、興味のない話題を延々と語られてはたまらない。
「それにしても、大きな船ですね?」
「ん? これでも小さい方なんだけどね。残念だけど、向こうの港がこれ以上の大きさだと受け入れられなくて」
「そうなんだ?」
同意をしてみたセラだが、正直これ以上大きな船とか、想像もつかない。
この船の段階で、この世界の一般的軍艦の規模を越えている。
「それに、足もこの船が一番早い。交易に出るなら、速さは武器になるから」
「そっか、青果とかだと傷んじゃうから」
「一応冷蔵設備くらいはあるんだけど、やっぱりね」
タモンの船はもともと数百人が乗りこむ駆逐艦。その胃袋を満たすための倉庫もかなり大きい。
しかもこの船は、彼が呼び出す擬人の憑依体でもあるため、操船要員は必要としない。
そのため、商品を管理する者と、それらを賄うための料理人、あとは護衛と雑用要員くらいしか乗りこまない。
その人数の差を利用して、足の速い駆逐艦が交易船として使われていた。
「それじゃ、僕は指揮を執らないといけないから、お先に失礼」
「ええ、私もすぐ乗り込みますので」
「商会から聞いてるよ。コックだって? 期待してる」
にこやかに笑いながら、肩を叩いてから先に行くタモン。
その後ろをヒリュウが追っていったのだが、追い抜かれ様に鋭い視線をセラに投げかけてきた。
殺意すら籠ったそれに、一瞬セラの腰が引ける。
無論彼女とて、相応の修羅場は潜り抜けている。生半可な殺気など無視することができる。
しかし意図しないところから不意に投げかけられたそれに、思わず身を竦めてしまった。
「気付かれてる? ……まさか、ね」
さっきの意味を理解できず、セラは首を傾げる。
ここまでの彼女の態度に、不審な動きはない。それを思い浮かべながら、首を傾げつつ乗船タラップへと足を向けたのだった。
◇◆◇◆◇
「ヒリュウ姉さん、少し怒ってる?」
「そりゃ、後から出てきた女と提督が機嫌よく話してるのを見ると、ね」
積み込み作業の指揮を終えたタモンは、汗を流すために自室に戻っていた。
艦船の擬人化した姿とは言え、女性がそこまで押し掛けるわけにもいかず、ヒリュウは用意された控室に下がっていた。
そこには、彼の補佐を受け持っていない別のアバターたちもいる。特に姉妹艦とも呼べるソウリュウは良く会話していた。
「その……セラっていうの? どうなのかな?」
「どうって言われても、別に……船に感動してた様子だったから、会話が弾んだだけだと思うけど」
「そのわりに、牽制してたじゃない?」
「そりゃ、ねぇ?」
擬人化された姿が女性である以上、精神もそれに引き摺られる。
ましてや敬愛する主君に近付く女となれば、いい感情を持てという方が無理だ。
「大丈夫だとは思うけど、あなたたちも気を付けておいて。ああ見えて提督ってば、艦の中では油断してるから」
「そりゃもちろん。特に夜は警戒しておくわね」
「夜這いは断固阻止よ。お願いね」
セラは暗殺を気取られたかと心配していたようだが、実際のところはこんなものだったのである。
すっかり色恋に逆上せてしまっていた。戦乱を終えて最も緩んでいたのは、実は彼女たちかもしれなかった。
◇◆◇◆◇
セラが船に乗り込むと、上司に当たる女性コックから嵐のように艦内を案内された。
出港してしまえば、昼食の準備が始まるまで、彼女は暇になる。その合間を縫って、艦内を案内しようという心配りでもあった。
その後、艦内の配置を覚え、道具の位置や倉庫の場所を覚え、嵐のような調理地獄を終え、後片付けを終えてセラはようやく解放されていた。
人数を大幅に縮小できているとはいえ、それでも数十人はいる。
それだけの食事を用意するとなると、結構な重労働となってしまっていた。
「うう、腕が痛い……明日は筋肉痛だわ、これ」
ひたすら野菜を刻む作業を任された彼女は、準備の間、休むことなく包丁を振り続けていた。
そんなこともあって、肩から上腕にかけてがずっしりと重く感じている。
その熱を冷ますためという口実を作って同室の者に断り、彼女は甲板へと出ていた。
新入りかつ下っ端の彼女には、個室など与えられるはずもなかった。
「とはいえ、二人部屋ってだけでも、まだ好待遇かな? 男たちは四人部屋とかに押し込まれてるって言ってたし」
やはり女性ということも有り、一人では心細かろうとタモンが無駄な気を利かせた事実は、彼女にはわからない。
むしろ、毒物を始めとした各種暗殺道具を隠す手間が必要になったため、いい迷惑である。
しかも艦内ですれ違う、彼の秘書らしき女性たちからは、警戒心剥き出しの視線を剥けられる始末。
実際に命を狙っている彼女からすれば、その視線は肝を冷やすに値するものだった。
「どうも警戒されてる感じがするのよね。そんな素振りは見せていないはずなんだけど……どこかから情報が洩れているのかしら?」
甲板の手すりにもたれかかって、首をひねる。
彼女としてはかつてないほど順調に、相手の懐に潜り込んだと思っていた。
しかしなぜか、相手の従者がこちらを警戒してくる。この違和感に納得がいかない。
だからといって、すでに出港してしまった以上、仕事を終えねば、戻るに戻れない。
「問題はどこで仕掛けるか、よね。できるだけ沖合の方が、自然に姿を消せるんだけど」
今回彼女は、モンスターを呼び寄せることで戦闘状態を作り、その戦闘に巻き込まれた風を装って船から消えようと考えていた。
沿岸部の海棲型モンスターは小柄なモノが多く、大規模な戦闘に発展しにくい。
しかもこの船は百メートルを超える大型艦。ちょっとやそっとのモンスターでは敵にもならない。
「でも大砲が少ないのは不幸中の幸いね。これくらいの船だったら五十門はあってもおかしくないのに」
この世界の一般的な戦艦は、舷側に大砲を大量に装備し、一斉に射撃して砲弾の雨を降らせるのが基本戦術である。
対してこの船は二門の大砲を乗せた砲台が三つに、さらに小さなモノがいくつかある程度だ。
小さな砲……機銃のおかげで、数の上では戦艦に迫るかもしれないが、その迫力という点では比べるべくもない。
ましてやそれが左右に配置されているため、全火力を集中することはできない。
「交易目的だから速度を優先したのかな。いわゆる輸送艦ってやつ?」
セラの勘違いも無理はない。海上を疾走する駆逐艦の速度は、彼女が知るどの船よりも遥かに速い。
積み込んだ荷物の量も、かなりの量があったようだ。
甲板からちらりと覗いた程度だが、あれほどの量をこの速度で運べるとなれば、流通の革命児となるのも無理はない。
「この速度だと、二、三日もすればかなり沖に出るわよね。決行は明後日にして、召魔香をありったけ使えば、そこそこの大きさのモンスターが来るはず」
召魔香というのは、今回彼女がこの船を混乱に陥れるために用意した切り札である。
その場に放置すればモンスターを呼び出し、惹き寄せ、狂暴化させる薬だ。
これは海の中でも有効で、水の中に浸ければそこら中からモンスターやサメを始めとした猛獣を呼び寄せる。
しかし、空気中よりは効果が広がらないため、逆に限定された範囲内のモンスターを集中的に呼び寄せ、範囲が限定された分より凶暴にしてしまう。
「明日の夜にでも舷側から紐に吊るしてぶら下げておけばいいか」
船は移動しているわけだから、舷側に吊るしておけば移動した分だけ、ただ浸すよりも広範囲に薬が撒かれることになる。
モンスターの群れは船を追うように動き、やがて大群となって押し寄せてくるだろう。
その群れならば、この船とて危機感を覚える大きさになっているはずだ。
「それまでにこの筋肉痛、なんとかしなきゃ」
沖合から陸地まで、モンスターが群れを為す中で戻らないといけない。
その方法として、彼女は実にシンプルな方法を選んでいた。つまるところ、力技である。
彼女の身体強化魔法は、それしか適性がない分、効果が高い。
最近出回り始めた、動物の腸を利用した『浮き輪』を使って、モンスターの群れを振り切ろうと考えていたのだ。
ずば抜けた身体強化魔法を使える彼女だからこそ、選べるゴリ押し。だからこそ逆に、他人は候補に選ばない手段。
まさか、かなりの沖合から泳いで帰るなど、普通は考えたりしないだろう。
「あ、こんなところにいた!」
「ひぁ!?」
その時、艦内に繋がる扉が勢いよく開いて、同室の女性が顔を出した。
セラより年上とはいえ、世間的にはまだ若いと言えないこともない、微妙な年齢。
三十路の女性が、少し怒ったような表情でセラを呼びに来ていた。
「ほら、早く部屋に戻らないと」
「あ、はい。えっと門限とかあるんですか?」
「そうじゃなくて、あなた初日なんだから、腕張っているでしょう? 解してあげるから、部屋に戻りなってこと」
どうやら彼女は、初日から張り切り過ぎた彼女を心配して、やってきたらしい。
下手をすれば明日にでも消える身の上なので、あまり顔を覚えられたくはない。
しかし、腕の張りは確かに心配事項だ。モンスターの群れを突っ切る際に、腕が攣っては致命傷になりかねない。
「背に腹は代えられないかな……?」
「ん、なぁに?」
「いえ、ご厚意に甘えさせていただきます」
「そうそう。若いうちは他人に甘えておくものよ。っと、だからって私が若くないわけじゃないからね!」
「それはもちろん」
余計なことを自分から暴露する先輩コックに含み笑いを返しながら、セラは自室へと戻ったのだった。