番外編 第二話 標的との接触
大陸東方のキルミーラ王国の首都キルマルから大陸西方のケンネル王国までは、最速の定期便を使っても十日はかかる道のりだった。
途中でユミル市に寄ることになったが、ここは素通りした。
ターゲットの一人、ユミルが町に不在で、先にタモンを始末することにしたからだ。
ケンネルの首都は新国王即位の際、近年沿岸部の港町の方に遷都したため、比較的新しい街だった。
先の大戦でも目立った戦禍に見舞われなかったので、建物の被害などは存在しない。
しかも新たな迷宮が最近見つかったとかで、冒険者組合によって経済的に締め上げられていたころの不況は、今では見る影もない。
道行く人は皆活気に溢れ、明るい喧騒が街を包み込んでいた。
「といっても、国王の治世があって始めて活気に繋がるわけだから、まあ悪くない王様ってことなんでしょうね」
セラはケンネルの新首都リガ・ドヌの目抜き通りを、足音もなく歩いていた。
つい足音を殺してしまうのは、彼女の悲しい職業病である。
いつもなら街に着いたその足で、冒険者組合に顔を出すのが一般的なのだが、組合から睨まれているこの国では、冒険者組合の支部は軒並み撤退していた。
なので冒険者は大抵、別の組織……つまるところ新興の大企業であるケンネル海運に顔を出すことになっている。
「確かこの辺のはず……」
下調べはしておいたので、ケンネル海運の事務所の位置は大体把握している。
しかし初めて来る街では、やはりスムーズにとはいかない。道に迷っていると、彼女に声をかけてくるものがいた。
「お姉さん、冒険者? 道に迷ったのかな?」
「え?」
熟練の冒険者である彼女の背後を容易く取ったその声の主に、セラは驚愕を隠せず振り向いた。
彼女が不意を突かれるなんて数年ぶりの出来事だからだ。
「あ、驚かせちゃったかな? ごめんね」
「……いえ」
その声の主はまだ年若い少年に見えた。そして彼の背後には、これまた年若い少女の姿。
どちらも端正な顔つきをしており、育ちのいい貴族の子息と紹介されても信じてしまいそうだった。
「僕はタモン。彼女はヒリュウ。よろしくね」
「え、ええ。私はセラよ」
しかも声をかけてきたのがターゲットのタモンと聞き、思わず本名を名乗ってしまう。
これはどう考えても失策なのだが、まさか街に到着して十数分でターゲットが目の前に現れるなど、誰も想像できないだろう。
油断していた彼女の失態も、むべなるかな、である。
「見たところ冒険者っぽいけど、海運に用かな?」
「そうよ。初めてきたから少し道に迷ってしまって」
「だよね。ここはまだ、区画整理が行き届いていないから。こっちだよ」
「案内してくれるの?」
「僕も海運に用があるからね。ついで」
「そう、ありがと」
人懐っこい笑顔を浮かべ、先を行くタモン。しかしその背後のヒリュウと紹介された少女は、一目見てわかるほど膨れっ面をしていた。
どうやら彼女は私が同行することが、気に入らないらしい。
「あの……いい、のかな?」
「え?」
「いや、彼女が……」
「ああ、彼女のことは気にしないで。ちょっと独占欲が強いだけさ」
「そ、そう?」
独占欲と断じてしまうところに、タモンの強い自負が現れている。自分が慕われていることに、疑いを持っていないようだ。
それはそれで、セラにとっては有用な情報だった。
「そういえば、海運の関係者でタモンって、ひょっとして?」
もちろんセラにとって既知の情報ではあるが、だからといっていかにも前もって知ってましたという態度では怪しまれる。
そこで初めて知ったかのような素振りを見せ、相手を油断させようとしていた。
タモンも、今のところセラに疑いの目を向けるような真似はしていない。
「うん。一応こう見えても経営の責任者でね。ついでに運送業務も最高責任者」
「そ、そうなんだ」
知ってはいたが、実際少年にしか見えない彼が最高責任者と聞き、違和感に苛まれる。
十代の半ば、下手をすれば前半にすら見えかねない彼だが、記録によると二十年ほど前からすでに活動していることになる。年齢はもう三十を超えているだろう。
「……若作りにもほどがある」
「ん、なにか?」
「いえ、すごく若く見えるなって」
「ああ、僕はちょっと特殊でね」
案内されながら、世間話をして情報を集めにかかるセラ。その質問に気分を害するでもなく、だが要点ははぐらかせて答えるタモン。
表面上はにこやかだが、腹の探り合いのような様相を成していた。
いや、探り合いをしているのはセラだけなのだが、タモンは重要な情報を漏らそうとはしなかった。
彼がどうやって高速大火力な船を用意できるのかなど、その力の大元は一切口にしない。
それでも背後に付き従う少女が秘書であることだけは、聞き出せた。
「ここが海運の事務所。ちょうど荷運びの人手を募集してるんだけど……女性にはちょっと難しいかな?」
「そんなことないわよ。身体能力を強化する魔法とか使えるから」
「それは心強い。ぜひ引き受けて欲しいな」
「そうね、機会があれば、また」
あまり印象に残るようでは、この後の仕事に差し障るかもしれない。
そんな思いもあって、話を早めに切り上げようとしていた。タモンも急ぎの用事があるのか、その尻馬に乗って右手を差し出してくる。
「そうだね。じゃあまた」
「ええ」
互いに握手を交わし、タモンは事務所の奥へと向かっていった。
セラはその背中を見送った後、事務所のカウンターへと向かっていく。タモンが仕事を受けるのなら、近いうちに出発する船があるはずだ。
ならばその船に乗り込む仕事を受けておきたい。
「こんにちわ。悪いんだけど、登録お願いできるかしら」
「冒険者の方ですか? でしたら冒険者組合の登録証を提示していただければ、こちらで情報を引き継げますよ」
「あ、そうなんですか?」
情報の引継ぎがほぼ自動で行われるのは、彼女としてもありがたい。
ここで『組合の登録証は使えないので、また試験から受けてください』などと言われたら、第一歩目から躓きかねないところだった。
登録証を提示し、海運の下部構成員として登録する。
このケンネル王国では、冒険者支援組合の恩恵がほとんど受けられないため、この海運登録証がその代用となる。
ケンネル海運の急成長こそ、冒険者組合の目の上の瘤というところなのだろう。
「だからこそ、今回の仕事……か」
「どうかしましたか?」
「いや、なにも」
「そうですか? えっと、こちらがケンネル会員の登録証になります。サービスなどはほぼ冒険者組合と同じですので、説明は――?」
「必要ないわ」
「それは手間がかからなくてありがたいですね。あ、でも口座の金銭は向こうと繋がってないので、空っぽの状態なんです。そこはお気をつけて」
「組合のカード決済が使えないということか。それは少し不便だな」
セラは上手く会話が流れてくれたので、この流れに乗っていくことにした。
『金がない』から『なら仕事を』と行けば、タモンの船に乗る仕事にありつけるかもしれない。
「そうですね、すぐに仕事というと、少し悩ましいところですが……」
「今日明日の宿泊費くらいはあるんだが、さすがに数日ゆっくりとできる状況じゃないんだ。何かいい仕事を紹介してくれないか?」
できるだけ冒険の経験豊富そうな、低い声で仕事を要求してみる。今回の流れなら、おかしなところはないと判断していた。
カウンターの受付嬢も、こういった問題はよくあるらしく、疑問には思っていない。取り出したファイルから書類をめくって、仕事を選び始めた。
「セラさんは見たところ、冒険者としての経験は豊富そうですね。荷運びや料理などのスキルはありますか?」
「筋力強化の魔法が使える。というかそれしか使えないんだが……あと、料理はできる。こう見えても女だからな」
「いえいえ、とても可愛らし――ゴホン、女性的ですよ?」
成人女性としてはやや小柄な体躯に細い手足。普通に町娘の服装を着れば、冒険者には見えない容姿。
だからこそ、様々な場所に潜り込める。それが暗殺者黒虫の強みである。
しかしそれでは、冒険者としては非力に過ぎる。強力なモンスターを狩ることもできなくなるので、戦闘力と目立たなさの両立は難しいところだった。
さいわい、彼女は身体強化の魔法を使えるので、その不足を補うことができていた。
「身体強化、使いどころの多い魔法です。なるほど、それで戦闘をこなしていたわけですね」
「ああ、運よくその魔法だけは相性が良くてな」
魔法の相性が悪いと、どれだけ経験を積んでも習得できないということがある。
彼女の場合、この魔法とだけ相性がズバ抜けて良く、他の魔法は逆に相性が悪い。
見た目か弱い少女なのに、身体強化をかけると、クマよりも剛力を発揮できるようになるのだから、不意を突くのに適していた。
「そうですね、荷運びもありますが、せっかく料理ができるんですからコックということでどうでしょう? ちょうどタモン様が長期の運航に出ますので、そこはどうでしょうか?」
セラは『来た!』と思わずにやけそうになるのを必死で堪えていた。
ここで待ってましたと食いついては、逆に怪しまれるかもしれないと、そう考えていた。
「タモン、というとこの街の実力者だろう? さっきは知らずに馴れ馴れしい態度を取ってしまっていたが……」
「ああ、一緒に入ってきましたから、顔は知ってるんですね。でも提督、名乗らなかったんですか?」
「提督?」
「水運業者の社長なので。そう呼ばれたいと本人が強く主張してまして」
「そうなんだ? いや、最初に名乗ってくれたんだが、まさかあんなに若いとは思わなくて、本気にしてなかったんだ」
「若作りですからねぇ、うちの提督。その秘訣を教えてもらいたいです」
「あなたも充分に若く見えるが?」
「セラさんがそれを言ったらイヤミですよぉ」
受付嬢は実際に若く、どう見ても二十代半ばには届いていない。しかしセラは実年齢からして二十歳に届いていなかった。
それでも五年も暗殺に携わっているのだから、もうベテランの域である。経験だけは。
「裕福な者に出せる料理が作れるか、少し不安なんだが……」
「ではこっちの荷運びにします?」
「いや、少し不安なんだが、苦手なことだからこそやってみようと思う!」
謙遜してから不承不承仕事を受けるという流れを想像していたセラだが、受付嬢があっさり手のひらを返したため、慌てて引き受けることにした。
その慌てようはまだ少女っぽい幼さがにじみ出ていて、受付嬢は思わず口元に手をやって笑いを堪える。
「はい、承知いたしました。でも提督が若作りだからって、手を出しちゃダメですよ?」
「あいにくと趣味じゃない」
「そうなんですか。まあ提督の周囲はガードが堅いですから」
「護衛とかついているのか? なんなら、そっちでも――」
「いえ、護衛というか恋のさや当てといいますか……秘書の方々が牽制しあっているんです」
「チッ」
セラは思わず舌打ちが漏れていた。男という奴は、どうしてこう若い女を囲いたがるのかと考える。
彼女も整った容姿をしているため、これまでにも散々男に不快な思いをさせられたことがある。それが反射的に嫌悪感が顔に出てしまったらしい。
「まあ、誰にも手を出している様子はないので、まだ狙い目はあるかもしれませんけどね」
「いや、その発言は、忠告したいのか、煽りたいのかわからない」
「気にしないでください。見てる分には面白いだけですので」
「性格悪いな!」
セラは珍しく声を荒げるが、受付嬢に反省した様子は見えない。これも荒くれ者を相手にしていた経験の差だろうか。
ともあれ、依頼票を受け取ってから宿へと向かう。
仕事の開始は翌朝から。現地にこの依頼票をもっていけば、タモンの乗る船の厨房に配属される。
後は長い航海の中で、どう始末するかを考えればいい。
こうして暗殺者黒虫は、一歩タモンに近付いたのだった。
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