番外編 第一話 暗殺者の少女
カツン、カツンと響く石の階段。
地下へと続く通路へ下りながら、彼女は厄介なことに巻き込まれたと痛感していた。
元々、真っ当な闘いは苦手な方だった。
なので手を変え品を変え、あらゆる状況を利用する戦い方を身に着けた結果、不意打ちや闇討ちという特技を得てしまった。
それからはトントン拍子に話は進む。
いわゆる冒険者の中には真っ当な手段では倒せないほど、身体能力がずば抜けた者たちがいる。
そういう連中を排除したい、しかしそれだけの戦力を持たない連中から話を持ち掛けられ、あっさりと仕事を終わらせてしまったのが運の尽き。
いや、運が良かったというべきなのだろうか?
仕掛けたのが彼女だと気付かれたのなら、今こうして生きてはいられなかったのだろうから。
しかしその戦果が、面倒な連中に目をつけられる原因となってしまったことは否めない。
現に、こうして会いたくもない連中と会うため、秘密の地下室(笑)に足を運ぶことになってしまっていた。
通路の先にある鉄製の扉。
そこまで彼女が辿り着くと、勝手に扉が開く。
物々しい軋みを上げて開く扉の先は、大きなホールになっていた……と思われた。
思われたというのは、そのホールが天井まで届く仕切りによって、放射状に細かく区切られていたからだ。
彼女はその一室に案内されたに過ぎない。
部屋の中央には椅子と小さなテーブル。四方は仕切りに区切られた小部屋に繋がり、カーテンによって遮られて、その先は見えない。
だが人の気配はする。
おそらくは彼女とは別の通路からこのホールにやってきた、依頼人たち。
不愉快に眉をしかめ、しかし滑らかな足取りで椅子に腰かける。
相変わらず不気味な連中だが、依頼人に腰が引けていることを知られては、交渉が上手く行かない。
良くも悪くも、舐められたら終わりの世界に、足を踏み入れてしまっていたのだから。
「どうやらこれで、全員が揃ったようだな」
「まったく、実行役が一番最後とは弛んでいるのではないかな?」
「そういうな。彼女の実力は間違いなく一流だ。他の適任者はいない」
カーテンや仕切りの向こうから、好き放題話す声が聞こえてくる。
その内容から、今回の依頼人たちは予想通り、いけ好かない連中らしいと察した。
「前置きはいい。私も忙しい身なのよ。早々に本題に入ってほしいものね」
精一杯声音を低くして、依頼人たちに先を促す。
そうでもしないと、この馬鹿どもはいつまでたっても愚痴ばかりを垂れ流しそうだと判断したからだ。
そんな彼女の態度に、フンと鼻を鳴らして反駁する依頼人たちの気配。
「まあいい。それはこちらも同じことだ。忌々しい話は早々に切り上げるに限る」
「そうだな、『黒虫』。貴様に今回暗殺してもらいたい対象は三人だ」
やはり暗殺か、と腹立たしい気持ちになる。
彼女は暗殺者ではなく冒険者である。黒虫という二つ名も気に入らない。
それはいつの間にかそこにいる、そして敏捷で不快な、あの黒くてテラテラした虫のことを揶揄している。
彼女もいつの間にかそこにいて、不快な暗殺という事実を残して姿を消すことから、いつの間にかそう呼ばれるようになっていた。
「私は……いや、それで?」
冒険者だと反論しそうになったが、それも今更だと思いなおす。
今回の相手もそう言って聞くような相手ではなさそうだ。
「標的は三人。そのうち最低でも一人は仕留めろ。まず一人目は西部。ケンネル王国で新たに水運業者を立ち上げた、タモンという男だ」
「水運……海か。面倒だな」
この大陸には巨大河川という物はあまりない。
水運を名乗るからには、船を使って海を行き、大陸沿岸部を回るということだろう。
起業者も船で移動している可能性が高い。それに何より、その名前に聞き覚えがあった。
先の戦乱を起こしたケンネル王国の客将の名前だったはずだ。
「確かに彼なら、海という逃げ場のない場所にいるだろうな。だがそれは同時に、私の逃げ場がないことを意味している」
「それをどうにかできるから、君は『黒虫』などと呼ばれているのだろう?」
「……まぁな」
逃げ場がないといっても逃げられないわけじゃない。
空を飛ぶなり海を泳ぐこともできる。それができれば、逃げようはいくらでもあるだろう。
だが、海の中で姿が消えれば、それだけで自分の顔は知れ渡ってしまう可能性があった。
「危険な仕事だ。報酬は奮発してもらわないと、割に合わない」
「もちろん奮発するとも。君の人生を三度遊んで暮らせるくらいの報酬を用意している」
「ほう?」
「もっとも、それは標的三人をすべて始末したらという話だ。二人目は北部。新たにできた酒造店の店主キーヤン」
「待て、そいつは――!?」
彼女でも聞いたことがある。
北部のコーウェル王国でドラゴンを退治した英雄の名前。そして東部のキルミーラ王国でも一頭仕留めている。
さらには、タモンによるタルハン侵攻戦でも活躍したと聞いていた。
「超一級の英雄じゃないか。さすがに私でも荷が重い!」
「真正面から戦えと言っておらん。そういう戦いは貴様の得意分野だろう?」
「それすらできないというのなら、君の価値はないも等しいということになるな」
「おや、それではゴミは処分しないといけなくなりますな」
「それはそれで面倒なことになりますなぁ」
「くっ……」
断る、という選択肢が、彼女にはすでにない。
連中は正体を隠しているようだが、彼女もそれは調査していた。相手は冒険者支援組合の幹部だ。一冒険者が太刀打ちできる相手じゃない。
パワーバランスの不公平が、この交渉の場でも存在した。
「なに、彼は英雄といっても妻を迎えたばかり。打つ手などいくらでもあろう?」
ならばお前がやれ、と喉元までこみ上げた罵倒を無理やり飲み下す。
相手は金と権力は持っていても、それ以外の良識や良心を持ち合わせていない連中だ。
いうことを聞かない駒をどう扱うか、わかったものではない。
キーヤンという英雄を相手にして生き残れるとは思えないが、ここで断ればその場で殺されてもおかしくない。
かといって逃げることも難しい。おそらく相手はこの大陸全土に根を広げる……
「そして三人目。大陸中央部のユミル市の長、ユミル」
「それもタルハン侵攻戦で活躍した冒険者だろう? こちらには妻もいないはずだ。なにせ女だからな」
「冗談のつもりかね? 代わりにアリューシャという娘を溺愛している。そちらをどうにかして、手を下せるだろう」
どうにかしてとは、一体どうするのか。頭を抱えたい心境で、彼女は眉をひそめた。
もちろんこれも、実際に問い詰めたところで、まともな答えが返ってくるはずもない。
「この三人を始末してくれれば、一人につき五億ギルの報酬を振り込んでおこう」
「――五億だと!?」
一生遊んで暮らせるどころではない。一生を三度どころか、十度遊んで暮らせる額である。
「難しい仕事なのは承知している。相応の対価にふさわしい額だと思うが、どうかね?」
「少し考え――」
「なお、この仕事が終われば、我々が君に接触することはもうないと約束しよう」
「――っ!?」
つまり事実上の引退勧告。
この仕事を最後に、暗殺者黒虫は姿を消せという通告。そのための巨額の報酬。
確かにこれだけの報酬があれば、引退して家族や知人の世話をしながら、ゆっくりと死ぬまで暮らすことができる。
しかし危険度も、それまでの比ではない。
単独でケンネル王国を侵略国家に変貌させたタモン。
ドラゴン二頭を倒した英雄、キーヤン。
そして草原の中央に都市を作り上げたユミル。
どのターゲットも一筋縄ではいかないツワモノたちだ。
まともに行っては傷一つ付けられず返り討ちに会う可能性が高い。
しかしこの試練を乗り越えれば、安穏とした引退生活が待っている。
「……いいだろう、受けよう」
究極の二者択一。しかし報酬の大きさに彼女は屈服した。
成功したら強制的に引退させられるが、それもこの報酬ならば問題はない。
彼女は故郷に家族を置いてきた身だけに、巨大な報酬は喉から手が出るほど欲しかった。
「だがここから西部のケンネルまでは遠い。できれば足を用意して欲しい」
「いいだろう。最近定期便が引かれたから、そのチケットを後ほど郵送しておく」
「ターゲットがあまりにも強大過ぎる。準備するのに一定の時間をもらうことになるが?」
「それもしかたあるまい。あの連中に敵対を知られると、こちらの身が危なくなる。くれぐれも慎重にな。だがそれも、いつまでもというわけにはいかないぞ」
「承知している。私だって死にたくはない」
それだけ言って、彼女は席を蹴立てて立ち上がった。
要件はこれで済んだはずで、これ以上居座ったら何を押し付けられるかわからないからだ。
部屋から出る彼女を引き留める声もない。彼らとしても、用事はすでに済んでいる。
しかし、黒虫と呼ばれた女性が退出し扉が閉まった後も、会合は続いていた。
「ふん……成功すると思うか?」
「せいぜい三割というところか。まあ奴には我々の情報は伝わっていないので、こちらに矛先が向くことはあるまいて」
「それにしても五億とは、張り込んだものだな」
「なに、釣り餌だけならなんとでも言える」
「やはりな。なら代役には奴の始末を初仕事にしてもらうか」
「どっちにしろ黒虫はこの世から消えるか。因果なことよの」
「しょせん道具じゃ、仕方あるまい。では我らも元の仕事に戻るとするか」
「では、また」
そういう声が響くと、次々と席を立つ気配がする。
そしてホールは暗闇に包まれたのだった。
地下室からの階段を登り切り、誰も使われなくなった廃屋の扉を開く。
そこは人気のない裏通りで、彼女を注視するものは誰もいない。
それは彼女にとって好都合だったかもしれない。今の彼女は、最後の仕事を終えた時のことを想像し、満面の笑みを浮かべていたのだから。
不愛想な女性冒険者。そんな風評被害をひっくり返しそうな笑顔は日の光を浴びてキラキラと輝いて見える。
そこからは、黒虫などという不穏な二つ名は想像もつかなかった。
「っと、イケナイ、イケナイ」
頬をパンと叩いて引き締める。
冒険者といっても、ピンからキリまでいる。緩んだ顔を見せていれば、それにつけ込んでくる輩が現れかねない。
「それにしてもケンネルとコーウェルとユミルか……結構な長旅になるわね」
これだけの距離となると、結構な準備が必要になる。
特にケンネルでは海に出るだろうし、コーウェルは北国で寒冷な気候をしている。
そしてなにより、大陸を縦横無尽に移動することになるため、水や食料も大量に用意する必要がある。
とりあえずケンネル王国までは定期便を活用するので、それなりに食料は削減できるだろうが、それでも万が一に備えておかねばなるまい。
行きつけの食材店に足を向け、そこで顔馴染みの店主に保存食を要求する。
「おじさん、遠出するから日持ちする保存食を……そうね、ひと月分」
「おう、セラ嬢ちゃんじゃねぇか。遠出するのか?」
「ええ、そうね……多分三か月くらいかな?」
「そりゃ長ぇな。この街に戻って来るのか?」
「そりゃ、この王都キルマルは私のホームだもの。一度は戻って来るわよ」
「なんか微妙な言い回しだな、まあいいか。ハイよ、干し肉とチーズを一か月分だ」
どっかりと保存食を詰めた袋が腕に載せられた。それは、優に三十キロはある。
しかし彼女もそれをものともせず受け止めていた。冒険者の中でも一流と呼ばれる者の身体能力なら、造作もないことだ。
そして店主もそれを知っていた。
「なんか嬢ちゃんがいなくなると聞くと、寂しくなるな」
「それはありがたいわね。でもいつかいなくなるのが冒険者よ」
「何人も見てきたから、知ってるけどよ」
不愛想に切って捨てる彼女の言葉に、店主も頬を掻いて答える。
この街で地に足をつけて働いている店主の方が、より長く働いている。中には引退したり死亡した冒険者もいた。
「ま、セラ嬢ちゃんは慎重だから大丈夫か。だが気を付けてな」
「忠告、感謝するわ」
干し肉とチーズを詰めた袋を肩に担ぎなおし、店主に少しだけ手を上げて返礼する。
その際、少しだけいつもの無表情を捨てて笑顔を向けた。
彼女としては感謝のつもりだったのだろうが、店主はハッとしたように動きを止める。
何か言葉を返そうとした時には、彼女の背は雑踏の中に消えていた。
「まったく、その顔してりゃもっと仲間もできただろうに……」
不意を突かれた店主は、頭を掻きながら負け惜しみを口にしたのだった。
お待たせしました。書籍版発売に先駆け、番外編を連載したいと思います。
13話ある予定ですので、お楽しみください。
ユミルの登場はだいぶ先ですけど……
またamazonの予約ページで表紙も掲載されましたね。タイトルで検索すれば、見つかると思います。
……どや、かわいいやろ?
それと英雄の娘の6-1話も更新されました。
ニコニコ静画とコミックウォーカーから読みに行けますので、こちらもどうぞ。
今回はドヤ顔成分多めですよw