第二百五十五話 出会い
「弓削さん、今日は二時からリハビリですから」
「はーい」
病室の入り口に看護婦が顔だけ出して、そう告げてきた。
俺は別途で寝そべり、読んでいた雑誌を横において返事を返す。
清潔な個室。至れり尽くせりの介護。
誠にありがたい限りだが、今の俺にはそれだけの手が必要だった。
リハビリまではまだまだ時間がある。
俺はベッドの脇に立てかけてあった松葉杖を引き寄せ、売店まで遠征する事にした。
そう、松葉杖だ。今の俺は、これが無いと歩く事もままならない。
あの日、俺は――弓削徹はドアを開けた瞬間に意識を失った。
血栓による急性の脳梗塞。これにより俺は廊下を出た所で昏倒していたらしい。
幸い、通りがかった隣人によって救急へ連絡され、速やかに搬送、手術を受ける事で一命は取り留めた。
だがその後が滅茶苦茶だった。
あまりにも不審な倒れ方だったために警察が介入。ゲームしか趣味の無かった俺は、頻繁に……世間的に見たら過剰な量の残業なども引き受けていたため、会社に行政指導が入る事になった。
そんな状況だから俺にヘタな事は喋らせまいと、上司が病室まで押しかけてきたが、その当時の俺は意識朦朧としていて、ろくに判別がつかない状態。
無駄に会社への忠誠心の高い上司は、これ幸いと俺の手を取り、なにやらアヤシイ書面に拇印を捺印しようとしていた所を、様子を見に来た警察に発見される。
そこまで来れば、悪評はもう留まる事を知らなくなる。
上司は逮捕され、上司の上司のそのまた幾つ上かわからないくらい上の上司……すなわち社長が直々に顔を出して謝罪と今後のすり合わせを行う事になった。これも前歴が前歴なので、警察の監視下で、である。
結果、俺は多額の見舞金を受け取り、更には入院費や手術費まで面倒見てもらえる事になった。
無論、その後は退職予定である。
俺は病気の影響で右腕が全く動かず、右足も不自由な身になったからだ。
営業職だった俺が、この身体で仕事を続けることは不可能。だが生活は障害者年金を受け取る事ができるようになったため、それなりには生きては行けるようだ。
事が一段落し、ようやくなんとか身体を起こせるようになってからが、俺の地獄の始まりだった。
とにかく暇なのである。
今まで暇潰しと言えばミッドガルズ・オンラインをやるくらいしかなかった俺だ。
コミュニケーション能力は悪くはなかったが、絶望的に暇を潰す手段が思い浮かばない。
しかもこの身体では散歩すらままならない。売店まで往復するだけで、息が切れてしまう。
最悪なのは右腕の麻痺だ。
パソコン端末の操作も、マウス操作もできないため、長年続けてきたゲームができなくなってしまった。
こういう時、レトロゲームのミッドガルズ・オンラインは、非常に不便と言える。
「はぁ……ユミルに会いてぇなぁ」
溜息を吐きながら、廊下の壁沿いを歩く。
動かない右腕を手摺に置き、つっかえ棒代わりにして身体を支える。力は入らないので、気持ち程度の効果しかない。
それでも、左足と左手に持った松葉杖だけでは、少々バランスが覚束ないから、役には立っている……気がする。
なんとか廊下を歩き、ある病室の前まで到着した時――中から聞こえてきた声に俺は足を止めた。
「ほら、あーちゃん! そこなんか竜巻起きてるよ?」
「え? あ、ほんとだ。ちーちゃん、ありがとね。でもこれ、どうやって止めるの?」
「そんなの、私がわかるわけないじゃない?」
「ひっどい!」
病院内で竜巻? と思って開いたままの扉から病室を覗き込む。
その先では、大人しそうな少女とやたら活発そうな少女が、パソコン端末を使ってゲームをしていた。
それだけなら、別に不審には思わなかっただろう。だが彼女の脇には話題のVR機までセットされている。
普通、あの機械は頭に嵌めて横になり、眠ったような状態で使用するものだ。それがパソコンに繋いでいるが頭にセットされていない。
「あっ、こっちの川が氾濫してるって!」
「わ! わ! どうしよ。なんだかいっぱい溺れてるんだけど!?」
「とりあえず避難させればいいんじゃない?」
思わず俺は廊下の向こうから声を掛けた。どうもゲーム慣れしてない娘のようだ。
だが、唐突に掛けられた俺の声に、少女達はきょとんとした表情でこちらを見つめている。
そりゃそうか。見知らぬ男に声を掛けられて、不審な目を向けない若い娘はいない。
「あ、ごめん。迷惑だったかな? ちょっと声が聞こえたからさ」
「え、あ、いえ。別に迷惑って訳じゃ……」
そそくさと立ち去ろうとするが、この足ではそれもできない。
ヒョコヒョコと歩き出した俺を見て、活発な方の少女がこちらに声を掛けてきた。
「お兄さん、ゲームは詳しいの? 良かったらアドバイスしてくれないかな?」
「は? 俺が?」
「ちょっと、ちーちゃん!?」
大人しい少女が慌てて声を上げるが、活発な方は止まらなかった。
「これ、今度出るゲームなんだけど、よくわからなくって。教えてくれるとありがたいんだけど」
「どんなゲーム?」
「アースシムっていうの」
聞いた事がある。確かVR機の処理能力をシミュレーション能力のみに転用した斬新なゲームだ。
ネット環境を利用して、世界を繋ぎ無限に広がっていく世界。そしてVR機の膨大かつ緻密な処理能力を最大限利用した世界。
そこには人の一人に到るまで計算された、まさに世界をシミュレートするゲームである。
ただし、斬新過ぎて発売延期が相次ぎ、来年にならねば手に入らないはず。
「それ、まだ売ってないヤツだよね?」
「うん。この子のお父さんがそこの開発部長なのよ。これはそのデバッグモード」
「へぇ、興味あるな。じゃあ、お言葉に甘えて……すこしいいかな?」
図々しい頼みだとは思うが、向こうから声を掛けてくれたのは千載一遇のチャンスである。
未発売のゲームに触れる機会なんて、普通はあり得ない。しかもデバッグモードという事は、いろんな事も楽しめるはず。
「あ、俺は弓削徹っていうんだ。よろしく」
「私は斉藤亜理紗です。私も足が悪くって」
大人しい子が足を引きずる俺に挨拶してくれた。ひょっとしたら、そのせいで親近感を持たれたのかもしれない。
「私は町田千里よ。友達からはちーちゃんとかセンリって呼ばれてるわ」
「そっか。じゃあセンリちゃんって呼んでいい?」
「ぜひ!」
「あれ、町田って言えば……この病院と同じ名前だね?」
「うん、ここの理事長、私のお爺ちゃんだし」
「うぉ!?」
これは驚かざるを得ない。まさかのお偉いさんの登場だった。
「私、ゲームはマギクラしかやった事ないから、よくわかんないんだよね」
「マギクラって、マギクラフト・オンライン? VRの」
「うん、知ってる?」
「ゲームはちょっと詳しいからね」
俺がレトロゲーマーだとすれば、彼女は最新ゲームのプレイヤーだったか。
そして亜理紗ちゃんに至っては、時代のさらに先を行っている。
俺自身がゲームできなくても、人がやっているのを見ているだけでも楽しめる。それにそこに接続されているVR機は、俺に新しい可能性を示唆してくれた。
レトロゲームができないなら、VRでやればいい。そこに思い到っただけでも、この出会いは充分に価値がある。
それに可愛い女の子達とコミュニケーションするのも、悪くない。
俺の身体なら、不埒な真似をするとは思われまい。それに……
「亜理紗ちゃんだっけ? どっかで会った?」
「うーん、でも私もお兄さんはどこかで見た気がします」
彼女とは初対面の気がしないのだった。
裏設定ですが、この病院にはキーヤンやオックス、キシンやタモンの中の人も入院していたりします。
ラミとキーコは、この病院の一般用回線からキャラデータをコピーしたんですね。
最終話は13時に更新する予定です。