第二百五十四話 出立
タルハンの戦いから、およそ一年が過ぎた。
ケンネル王国は相変わらず組合に締め上げられ、ドルーズ共和国とキルミーラ王国への賠償金で崩壊の一歩手前という有様で踏みとどまっている。
ケンネル王国が崩壊しないのは、ボクやガイエルさんが裏からこっそり手を回しているおかげだ。
アイテムインベントリー機能をフルに使い、アリューシャの転移魔法を利用して、ケンネルに迷宮の資源を横流ししているのだ。
ガイエルさんにしても、西方の酒を優先的に買い取り、それをキーヤンを経由して販売させるという事で、経済の復興に協力している。
正直言うと彼の場合、鱗の一つでも与えてやった方が金になると思うのだが。
ケンネル王国で囮役を完遂した別動隊や、国王拉致に加担したカルバート君やエルドレット君も、今年めでたく高等学園を卒業し、国元に戻っていった。
アリューシャの卒業に伴いボクも教員職を引き上げ、非常勤という立場にしてもらった。
無論、マニエルさんなどは非常に強硬にボクの慰留に努めたのではあるが……
「アリューシャと一緒に居られないのに、騎士科の教師なんてできないよねぇ?」
「んふー♪」
ユミル村の自宅。その前に設置した揺り椅子に座りながら、ボクは一人ごちた。
そのアリューシャはボクを後ろから抱きしめ、ベッタリと引っ付いて離れない。
こうなったのはもちろん理由がある。揺り椅子に座りながら、その混乱を思い出した。
そう、あれは――ついにアリューシャが、女神の泉に宿願を願った時のことだ。
彼女の願いが『ボクの赤ちゃんが欲しい』だった。これに斜め上の結論を与える事で有名な女神の泉は、『赤ちゃんを作るための器官』をアリューシャに授けたのである。
「ふたな……いや、それってどうよ?」
「目的を果たしたら消えちゃうみたいだけど?」
「それってボクが妊娠したらってこと? それまでひたすら責められるなんて勘弁してほしい」
この加護を得た結果、アリューシャはそれはもうハッスルした。ボクも、いい加減アリューシャのを受け止める覚悟を決めようと思っていたので、いい区切りになったとも言える。
アリューシャが求めるなら、ボクは女でも男でもなってやる。性別という概念はすでに捨てている。
そして彼女と一緒に居られないなら、騎士科に留まる意味もない。
マニエルさんも、ボクの決意を知っては、引き留める事も叶わなかった。
とは言え、事はそう簡単には済まない。
なにせ【ヒール】によって無限の生命力を持つアリューシャの相手をするのは、ボクであっても一苦労だ。
このお返しは絶対してやると決意したボクは、次の泉の利用権をアリューシャから確約してもらっていた。ボク達は揃って男であり、女でもある。
そういうカップルがいても、いいじゃないか。
「あ、それより早く用意しないと。そろそろ出発の時間のはずだよ?」
「え、もうそんな時間? もう少しゆっくりできると思ってたのに」
ボクは今、非常に満ち足りた気分で日々を過ごしている。
トラキチは既に迷宮から解放した。ケンネルも一段落付け、こちらに手を出すような余裕もないだろう。
そもそも手を出した瞬間、ボク達からの支援が途切れ、ケンネルの財政は崩壊する。
なので朝からこうしてアリューシャとべたべた引っ付きながらのんびりしていると、いつの間にか日が落ちているなんて事も珍しくない。
だが今日だけは、そうもしていられなかった。
今日はタルハンの屋敷から、センリさんが引っ越す日なのだ。
センリさんはボクより三か月ほど早く、カザラさんと結婚していた。
残念ながらまだ子宝には恵まれていないが、毎晩カザラさんが干物になるまで頑張っているので、近いうちには朗報が届く事になるだろう。
干からびてもあっさり回復させる世界樹のポーションって凄い。
そのセンリさんは拠点をタルハンに置いていた訳だが、この度めでたく大陸北部のコーウェル王国へ引っ越す事を決意した。
理由はキーヤンの手伝いをするためだ。
ボクは彼女について行くかどうか悩んだのだが、新婚の彼女の邪魔をするのも気が退ける。
それに平和が訪れた現在、しばらく彼女に活躍の機会を与えてやる事ができない。
そこで、今後は組合から嫌がらせがあるであろうキーヤンが立ち上げた酒造商店を手伝う事にしたらしい。
キーヤンも自ら酒造りを学びつつ、大陸各地の酒を仕入れるという荒業を行いつつある。
通常ならば数か月かかる仕入れの旅も、ガイエルさんがいれば一瞬だ。
そうやって手早く仕入れをこなしつつ、酒造の勉強をしていた。
とは言え、勉強だけで酒は作れない。材料の仕入れや酒造りのため、そういった装置は必須不可欠である。
そこでセンリさんに泣きついてきたキーヤンのため、一肌脱ぐことを決意したという訳だ。
「まぁ、カザラさんにとってはいい迷惑なんだけどね」
「カザラおじさん、少し可哀想」
「でもセンリさんと一緒に居られるなら、それもいいんじゃないかな? あの人、フリーダムなセンリさんに振り回されっぱなしだし」
「センリ姉に会えなくなるのは、少し寂しいよね?」
ボクを心配するように、表情を窺ってくるアリューシャ。
確かにボクにとって、センリさんはアリューシャに次ぐパートナーだ。
同じ転移者として、同じ思いを共有し、アリューシャと一緒にタルハンの屋敷で過ごしてきた。
その彼女がタルハンを去る。それは一つの区切りの時になるとも言える。
「でもアリューシャがいればいつでも会えるじゃない。【ポータルゲート】の位置情報は取ってあるんでしょ?」
「もっちろん!」
アリューシャの転移魔法があれば、いつでもセンリさんに会いに行く事ができる。
そして、向こうもガイエルさんがいるので、いつでもこのユミル村に訪れる事はできる。
別れと言っても、同居してた人間がちょっと離れた家に引っ越したという感慨しかないのが実情である。
だがそれ以外にももう一つ、ボクには別れが訪れていた。
「でも、リンちゃんまで一緒に行っちゃうとはなぁ」
「向こうは山が多いから仕方ないよ。それにリンちゃん、なぜか最近ガイエルおじさんと一緒にいる事が多いし」
「むぅ……もしリンちゃんに手を出したら、ガイエルさんを討伐しようね?」
「それは、難しいんじゃないかなぁ?」
最近、ガイエルさんにリンちゃんが付きまとっている。リンちゃん『に』ガイエルさんが付きまとっているのではない。
しかしガイエルさんはいまだボクを諦めていないので、リンちゃんは切ない片思いだ。
いい加減、ボクがアリューシャ一筋という事は理解しているのだから、諦めて欲しいとは思う。
大量の家財道具を満載したリンちゃんの竜車がタルハンの屋敷に停まっていた。
その他にもガイエルさんを始め、複数のドラゴンが竜車を付けて待機している。
これはリンちゃんの引っ越しと聞いて、手伝いに来た若いドラゴン達だ。相変わらずリンちゃんはドラゴン達のアイドルである。
センリさんは自身の道具は全てインベントリーに収めているので、これはカザラさんの道具がほとんどだ。
鍛冶師である彼の道具は、一般的な市民のそれよりも遥かに多い。引っ越すとなると大仕事になる。
「ユミル、遅いじゃない」
「ゴメンゴメン、ちょっとアリューシャとイチャついていたら時間がね?」
「またなの?」
ここ最近、ボクは非常に爛れた生活を送っている。
それはセンリさんも知る所であり……彼女もまた同様の生活をしていた。
「人の事言えますか?」
「んー、聞こえませーん」
センリさんもアリューシャと一緒にボクを狙っていた事もある。だがそれは、アリューシャのように真剣な想いではなく、親愛の情を示すための行為に過ぎない。
自分の幸せを手に入れた現在、彼女も自分の意志で旅立つ時が来たのだ。
よたよたと荷物を抱え、竜車に運ぶカザラさんを、センリさんが手伝いに行く。
その甲斐甲斐しい姿を見て、一緒に居ようとはとても言えない。
カザラさんも満更ではなさそうに、顔をニヤけさせていた。
「やっぱり邪魔してこよう」
「やめて差し上げろ」
ポコンと背後から、ボクの頭を叩く者がいる。もちろん背後に忍び寄ってきた気配はボクも察知しているが、知り合いだったので無視していた。
「痛いじゃないですか、ヤージュさん」
「馬に蹴られるよりはマシだと思え」
タルハン沖海戦の際、最後まで街に残って冒険者などの自衛組織を維持していた彼は、今も杖が手放せない。
その足は、ボクとトラキチの抗争に巻き込まれて負った怪我の後遺症だ。
治癒魔法によって神経までしっかりと完治されているはずなのだが、今なお重傷の記憶が彼の足を引き摺らせている。
「足は――」
「ああ? これはもう、死ぬまでこうだろうな。死を覚悟した傷だったから、まぁ仕方ない。生きているだけ儲け物だ」
「その、すみません。巻き込んでしまって」
「今更だろ。それにおかげでいい助手を手に入れる事ができた」
ヤージュさんはタルハンの組合支部長を、いまだに続けている。
だがその助手に、今はトラキチが就いているのだ。ラミとキーコも彼と一緒にタルハンにやって来ている。
コアを失ったユミル村の迷宮は、その成長を止めて内部での資源を浪費しつつあるが、それだって百層に届こうかという大迷宮の資源が、そう簡単に尽きるはずもない。
もはやあの迷宮は一つの世界である。
内部でモンスター達が勝手に繁殖し、狩りつくされる事もないだろう。
資源も週一でラミ達を連れ戻れば、一気に再生する。
かつてボク達がやっていた週末帰還を、今はトラキチがやる羽目になっていた。
「いきなり腹ボテ幼女連れの怪しい男が、目の前で土下座した時は何事かと思ったぞ」
ヤージュさんの怪我はボクだけの責任じゃない。それはトラキチもよく理解していた。
なので解放されてしばらくこの世界に慣れさせ、落ち着いた後に謝罪に向かわせている。その時の事を言っているのだ。
「まぁ、彼も悪い人じゃないんで。それはあのタモンにも言える事ではあるんですけど……」
「お前等転移者とやらは、いろんなモノに染まりやすいからな」
ヤージュさんにもボク達の事情は説明しておいた。トラキチを雇う以上、知っておかねばならないからだ。
そして、ボク達の事情を知った彼が出した結論が、そう言うモノだった。
草原の中で孤独だったボクはアリューシャに依存し、悪意に晒されたタモンは憎悪に染まった。
闇の中にあったトラキチは人の温もりを求め、センリさんは常に街中の喧騒を求めていた。
いきなりドラゴンに襲われたキーヤンは、今はドラゴン達を相手に商売すらしている。
そうやってボク達は、この世界に染まりながら生きていく。
いいモノ、悪いモノ、いろんな影響を受けながら……そしていろんな影響を与えながら。
「ユミル、そろそろ出発するから!」
「え、もうですか!? 少し早くないですか?」
「いい加減出ないと、今日中に向こうに辿り着かないのよね」
「そっか……リンちゃん、センリさんを頼みましたよ?」
「がぅ!」
「スラちゃん達も、しっかりサポートしてあげてね?」
「――――!」
株分けされたスラちゃんズが、触腕を伸ばしてサムズアップサインを返してくる。
自由に数を増やせるスラちゃんも、センリさんと一緒に北国行きだ。向こうに着くと半分凍って、フローズンな感じになるのが少し面白い。
「じゃあユミル……どっちが先に子供を作るか競争ね」
「負けないんだから!」
「アリューシャ、ボクの意見を横取りしないで。それと、ボクは気長にやりますんで」
「なによ、張り合いないわね」
カラカラと笑いながら、リンちゃんに跨るセンリさん。
向こうではタルハン沖海戦で『ドラゴンライダーにしてドラゴンキラー』と名を馳せたキーヤンもいるので、彼女の事は大丈夫だろう。
大きく翼を一打ちし、空へ舞い上がる彼女を見て、ボクは大きく手を振った。
「じゃあ、また!」
「ええ、またね!」
去って行く者。定住する者。変わって行く者に変わらない者。
この世界に来て、多くの人と触れ合って、おそらくこれからもずっと……こんな風に繰り返していくのだろう。
リンちゃんの姿が小さな点になって、消えてしまうまで……ボクは手を振り続けていたのだった。
本編はこれにて終了です。
後はエピローグとして2話、明日は昼と夜に2回投稿して完結となる予定です。