第二百四十六話 極秘任務
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三十名の潜入部隊。
それがアーヴィンに与えられた戦力。
それ以上の兵力を連れてくれば動きが遅くなる。だからこそ、手練れを選抜した。
「ケンネルの首都まであと少しだ。潜入したら一気にことを済ませて脱出する。つまりこの先休みはない」
「この休みが最後の休息って訳ですか」
アーヴィンの説明にカルバートが応える。
二人の話を聞いてエルドレットが察して手を上げ、部隊を小休止させた。
「それで、この後の予定は?」
「ユミルの話では、この先でガイエルという人と合流して事に当たる」
「ガイエル? 高等学園の理事長じゃないですか」
「そうだったのか? なんでも転移魔法を使えるとか」
「ええ、タルハン遠征の際に使っていただきました。便利ですね」
アーヴィンはガイエルと会った事がない。彼を知るカルバートの存在は実にありがたい。
首都までおよそ半日の距離。既にケンネルの勢力圏内に入っている。
発見されれば彼等はただでは済まないし、この少人数では対抗する事も難しいだろう。
だが戦力になるほどの部隊を連れてきた場合、進軍速度が遅れ、事が露見する可能性が増える。
エルドレットの指示で、思い思いの方法で身体を休める兵士達。
中にはトムやナッシュ、キーリという特薦組の姿が多い。そしてルイザやローザ、そして斥候役のダニットの姿もあった。
そんな彼等の元へ一人の男が気楽そうな風情で歩み寄ってきた。
「あー、済まないが――」
「誰だ! トム、監視はどうした!?」
「見てたよ! だけど、一体いつの間に?」
カルバートが監視に就いていたトムを叱責し、アーヴィンは反射的に剣を抜く。
ダニットやルイザも即座に戦闘態勢を取っていた。
「ふむ、そっちの年嵩のは合格だな。若いのはまだまだか」
「何者かと聞いた!」
「ガイエルさん!?」
誰何の声を飛ばすアーヴィンの声に、カルバートの声が重なった。
そこに現れたのは、タルハン遠征で世話になった理事長の姿だったからだ。
カルバートとエルドレットが歩み寄ってきたガイエルに駆け寄っていく。その様子を見て、アーヴィンは剣を下げる。
「あなたが? ユミルの紹介した助っ人の?」
「ということは、お主がアーヴィンという男かな?」
背の高い壮年の男。腰には飾り気のない剣が一振り吊るしてあるだけ。
鎧も着用しておらず、街の外を歩く姿には到底見えない。だがアーヴィンは対峙しただけで、底知れぬ圧力を感じ取った。
恐らく学園の生徒達は気付いていないだろうが、アーヴィンの背中は冷たい汗が滝のように流れていた。
「協力、感謝します」
「我は何をすればいいのかな?」
「タモンと呼ばれる男がタルハンを攻めるそうです」
「ならばそいつを殺せばいいのか?」
「いや、ユミルですらてこずると言っていた相手です。下手に割り込めば被害が増える。彼女本人が相手するでしょう。それより、ケンネル最大の戦力であるその男がタルハンを攻めるという事は――」
「ふむ、首都が手薄になるという事か。ならば目的は……」
「ええ、ケンネル国王。その身柄を拉致し停戦命令を出させ、力ずくで戦争を終わらせます」
アーヴィンの言葉に、さすがに驚きの表情を見せるガイエル。
その意図を聞き、エルドレットとカルバートを除く兵達も驚愕の表情を浮かべた。
指揮官である二人は、すでにアーヴィンから話を聞いていたのだ。
「転移魔法を使えるという話ですが、ここから直接国王の下に飛べたりしますか?」
「いや、我の転移術は一度訪れた場所にしか飛べぬ。あいにくあの港町には入った事はあるが、そこの領事館――いや、王城は足を向けた事は無いな」
「そう……なんですか。という事は侵入には使えないか」
「代わりに地下水路なら覚えておるぞ。下水にも使われておったから、大半の建築物に繋がっているはずだ」
「ふむ、それで行きますか」
そこでガイエルは部隊を一瞥する。そこには休養を取る三十人の兵士。
かつての記憶と照らし合わせ、その人数が潜入には多すぎる事を悟った。
「さすがに全員は無理だぞ。転移魔法はともかく、下水にその大人数は不可能だ。人数は我とあと数名。全員で十人以下にしてもらう」
「了解しました。俺とルイザ、ローザ、ダニット、カインで五人。それにガイエルさんで六人か……あと四人」
「我はお前たちをよく知らん。人選は任せる」
「ではエルドレットとカルバート。後はナッシュとトムで」
「潜入するとなると夜がいいな。今から出れるか?」
「問題ありません。ナッシュ、トム、出発の準備をしておけ。他のメンバーは市街に潜り込んで馬車を確保するんだ」
カルバートは続け様に指示を飛ばす。国王を拉致した後おそらく追撃が掛かる。
ガイエルとその周辺の人間ならば転移魔法で戻る事ができる。
だが部下と合流する余裕があるとは限らない。残る二十余名は置き去りになってしまう可能性がある。そこで彼等は拉致後、敵の目を誘導しつつ撤退させる事になる。
ガイエルの転移魔法は彼等が目を引きつつ撤退する事で、誤魔化せる。逆を言うと、残る彼等が最も危険な役割を担う事になる。
「夕刻、夜に街に着くように出発する。キーリ達第二小隊は先行して冒険者の振りをしつつ橇を購入。翌朝、目立つように南部に向かった後、迂回してユミル村に帰還。囮役だ。危険だが……」
「任せてくださいよ、カルバート隊長! それより隊長は?」
「目標を確保さえすれば、帰還は理事長の魔法でなんとでもなる。問題なのは潜入するまでだ」
カルバートが別動隊に命令を下す様を見て、アーヴィンは感心したように顎を撫でる。
学徒兵と聞いて期待していなかった感は少なからずあったのだが、カルバートの指揮振りは一般の将兵と比べても遜色はなかった。
「いい指揮官になりそうだな、彼」
「アーヴィンよりよっぽどたよりになりそうね」
「それはさすがに傷付くぞ……」
ルイザの茶々入れにアーヴィンは嘆息で返す。それをローザは羨ましげに眺め、その肩をダニットが叩いて慰める。
こちらのパーティも、いつもの光景だった。
夜になってから、ガイエルの魔法を使って市内へと転移する。
部隊の大半は彼が転移魔法を使えることを知っているので、今更驚きはしない。
だが初見であるアーヴィン達は、その魔法の威力に大いに驚いていた。
「もう、市街地に……なんて便利」
「便利なんて物じゃないぞ。もしこの魔法が軍隊に悪用されたら……」
「安心せよ。我は一国の思惑で動く事は無い」
個人で転移魔法を使えるとなると、市街地に直接軍隊を送り込む事も、病原体や毒を送りつける事も可能になる。
ガイエルの存在は、それ単体で国や街を破滅に追いやる事すら可能なのだ。
その活用法に思い到り、戦慄するアーヴィンとルイザ。だが二人に対し、ガイエルは明確に拒否を口にした。
「でも国王陛下の命令とかだったら?」
「我に命じられる者はユミルのみ。たかが人間一人に口出しされるいわれはないな」
「人間一人って……まるで人間じゃないみたいな口振りだけど?」
「ああ、言ってなかったか。我はドラゴン故、人の法に従う義理はないのだ」
「ええ、ドラゴン!?」
思わず大声を出したローザの口を、とっさにダニットが塞ぐ。
ルイザも自分の口に手を当て、驚愕の声をかろうじて抑え込んでいた。
「うむ、ユミルが北の聖域に来た時に知り合ってな。その強さに一目惚れしたのだ」
「注目するべきはそこなの?」
「そこ以外になにがあると?」
あまりの衝撃に、ローザの口調が素に戻っている。無論、それを気にするようなガイエルではない。
あっさりと聞き流し、すたすたと街路を歩いて行く。
目立たぬ服装に着替えたアーヴィン達はガイエルの後について行った。
人目のない水路のそばに辿り着くと、ガイエルは鉄格子のある水門に案内した。
「ここから地下水路に入る事ができる。そこは各種の下水道にも繋がっているはずだ」
「はずって……この鉄格子、がっちり固定されて――」
アーヴィンがそう抗議の声を上げた直後、バキンと音がして鉄棒が一本、ガイエルの手でもぎ取られていた。
「ん、何か言ったか?」
「あー、そっか。ドラゴンでしたね……」
上下を石でがっちりと固定されていたにもかかわらず、ガイエルは問答無用で鉄を引き抜いて見せた。
あまりにも力ずくで、無造作。その理不尽さに呆然として、継ぐ言葉を失った。
固定していた石壁が鉄を引き抜かれた事で抉られているが、どうせ帰りは転移魔法なので気にしない。
そのまま流れ出る水を掻き分けながら進んでいくガイエル。しかしアーヴィンたちにとって彼のように無造作に進む事はできない。
「待って、今【明かり】の魔法を――」
人の身である彼等は、暗闇の中では足元すら覚束ない。
隠密行動である以上、すぐに火を消せない松明は論外なので、魔法を使用するしかない。
「ん? ああ、そうか。お主等は暗闇が見通せぬのだったな。しばし待て」
「え?」
ガイエルの言葉にルイザは詠唱を中断させた。
直後、ガイエルの喉から人の言葉では表現できない音が響く。それは獣が低く唸るような振動を伴った声だった。
しばらくしてアーヴィンたちの目が暗闇が見通せるようになる。
「これは?」
「竜族オリジナルの魔法でな。元々は視力を強化する魔法なのだが、暗闇でも見れるようになっただろう?」
「確かにこれなら、明かりが漏れる事は無いわね」
「下手をすれば、ルイザの魔法よりも便利だな」
「あら、ならガイエルさんをパーティに入れる?」
ガイエルの魔法を受けて全員が夜目が利くようになる。その利便性にアーヴィンは軽口を叩き、ルイザに皮肉られた。
「ちょっと待て、それはさすがに困る!」
「なにが困るのよ?」
「いや、それは……とにかく困るから」
「お前等いい加減爆発しろ。いや静かにしろ」
騒々しく騒ぎ始めた二人に、ダニットが注意する。地下水路に入るとさすがに声が響き、下手に騒ぐと見つかる可能性が高まる。
何のために光の出ない魔法をガイエルが使ってくれたのか、わからなくなってしまう。
「あ、スマン」
「ごめんなさい」
「いいから、先を急ぐぞ。時間が限られているからな」
別動隊は夜明けを目途に動き出す。それまでに国王の拉致を完了させ、村まで帰還せねばならない。
本来なら緊張感あふれる事態なのだが、アーヴィンはもちろん、ルイザにもその緊迫感は薄い。
その余裕にカルバート達学生は驚きの表情を浮かべる。彼等からすれば、このような敵地で余裕を見せるなど、ありえない事態だったからだ。
「その、すごいですね。こんな場所で」
「こいつらは特別だ。普通ならもっと緊張する」
「ダニットさんは緊張しているんですか?」
「まぁ、多少はな。俺が気を抜くとこいつ等はザルみたいな警戒しかしないから」
「……この状況に緊張する訳ではないんですね」
ダニットの主張だと、油断が多いアーヴィンだからこそ緊張感を保っているとも取れる。
この特殊な状況に全く気後れしていない事が、生徒達には信じられなかった。
「まぁ、これは慣れだよ。実戦の数をこなせば、いずれお前達も力の抜き所を理解できるさ」
「そうでしょうか?」
「うちのローザも、入った当時はガッチガチだったぞ」
「ちょっと、私を引き合いに出さないでよ、先輩!」
「全く、どいつもこいつも色付きおって……」
ガイエルは珍しく表情を歪ませて先を急ぐ。結婚でキーヤンとヴィーに先を越された事に、少なからずプライドを傷付けられているのだ。
もっともユミルにはその気が欠片も無いので、元々勝ち目などあろうはずもない。
ザッパザッパと水を掻き分け地下水路を進む十人。こうして彼等はケンネル国王誘拐という危険な任務に挑んだのだった。